インドはたくさんの宗教があります。
その信教人数は何を基準としているのかを知りたいのです。
何でも、まだ生まれてすぐの赤ちゃんまで
もう自分の信仰する宗教が決まっているそうです。
考えれば考えるほどわかりません。
何か、本などあれば紹介してくれるとうれしいです。
いつも勝手なお願いすいません。どうぞよろしくお願いします。

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A 回答 (2件)

 完全に専門外なんですが、困り度3なので。


 二宮書店の「ワールドデータブック」によると、インド人口約八億三千万人のうち83%がヒンドゥー教徒とのことです。ただし、ここで言う「ヒンドゥー教」は狭義のそれであって、言葉の意味自体は「インドの宗教」ということですから、広い意味では仏教やジャイナ教、イスラム教まで含むことになります。

 面倒ですから狭義のヒンドゥー教で話しましょう。ざっと沿革を述べます。
 ヒンドゥー教はいわゆる世界三大宗教のように特定の開祖を持つものではなく、さまざまな宗教や民間信仰を取り込んで形成された、たいへん多様な内容をもつ宗教です。
 まず、紀元前2000年~1500年頃にインド北西部に侵入したアーリア人たちの宗教「ヴェーダの宗教」が核となって、民間信仰を取り込み「バラモン教」に。紀元前600年頃からの千年間ほどは仏教やジャイナ教に圧倒される時期がありましたが、その間も聖典の整備やヴィシュヌ神、シヴァ神などの信仰は盛んで、紀元後4世紀頃のグプタ王朝の繁栄とともに勢力を復活させ、東南アジア地域まで広がりを見せます。この頃になると、もう元のバラモン教の性格も薄まり、ヒンドゥー教と呼ぶべき段階になるようです。
 次いで紀元1000年頃にイスラム教が侵入、在来宗教を弾圧しますが、いわばその反作用でヒンドゥー教の独自性への自覚が高まると同時にイスラム教の影響も受けて一神教の性格を強めます。この頃、ヴィシュヌ神、シヴァ神を信仰する二大分派を中心に多様化が始まっています。またこの時期、イスラム教との対抗や調和を目指す努力が、多くのすぐれた哲学者・宗教家を生んだようです。
 さらに15世紀頃、西欧からキリスト教が渡来。これとの間でも対抗と調和が行われ、またも分派が生じ、ますますややこしいことになっています。
 こういう沿革からして、「ヴェーダの宗教」の時代からさまざまな民間信仰や他宗教の要素を受け容れつつ実に多様な内容を持つに至った宗教がヒンドゥー教ということになります。(ここまで、平凡社の百科事典を中心に。)

 それで、諸派が何を基準に分かれるか。
 内容的には、ヴァイシャを信仰するかシヴァを信仰するかで大きく二つに分かれるようです。そしてさらに、それぞれがどのような民間信仰の要素を帯びているか、他宗教の影響をどのように受けているかで細かく分かれます。
 そして、信仰する宗派が何で決まるか。
 やはり生まれた家で決まるようです。「ブラフマナ」「クシャトリア」「ヴァイシャ」「シュードラ」という、いわゆる「カースト」が世襲的なものであることはご存知だと思いますが、それと同じ事で「カルマ(業)」によってその家に生まれたということで、その子どもの宗教・宗派も決まるということです。
 ただ、実は「カースト」という言葉はポルトガル語に由来する言葉で、正しくは「ジャーティ」というそうです。カーストの4種族の方は、正しくは「ヴァルナ」。インドに特有な「内婚」という婚姻形態が、排他的で特殊な社会集団を作っており、それが「ジャーティ」の固定性を強めているようです。

 そういうことで、私に言えることは「ヒンドゥー教の分派は非常に細かく多様である」「信仰する宗派は生まれで決まる」ということくらいで、細かく分けた諸宗派の人口比などは、ちょっとわかりません。資料にも、残念ながら心当たりなし。もっと詳しい方のフォローを期待しましょう。
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この回答へのお礼

本当にありがとうございます。
この質問、大学の課題なんですが、
先生もこの質問は「学者でも分かる人は少ない」と言っていました。
本当にこんな質問にわざわざ答えてくださってありがとうございます。

お礼日時:2001/05/06 17:45

 あ、ども。


 一点、補足です。「インド」自体を広く捉えるのを忘れてました。イギリスの植民地だった頃のインドは、今のパキスタン、バングラデシュ、スリランカまで含めた広い地域でしたね。それが第二次世界大戦後にインドが独立してから、イスラム教徒の多い北部がパキスタンとして独立(のちに東パキスタンがバングラデシュに)、仏教徒の多いセイロンがスリランカとして独立、これでほぼ現在の形に。これは、イギリスによる分割統治の爪あとです。各宗教層ごとに差別待遇して宗教間の反目を煽り、そのことで反英独立のエネルギー結集を妨げようとした、英国植民地支配の得意技です。
 こういう国ごとの宗教人口のちがいは、インド独立前後の事情を記した書籍などを調べれば書いてあると思います。なお、スリランカでは多数派シンハラ人(仏教徒)の他に少数派タミル人(ヒンドゥー教徒)がいて、血で血を洗う民族紛争が勃発してます(「タミールイーラム・解放の虎」というタミル人テロ組織が有名ですよね)。このへんも概略だけなら「現代用語の基礎知識」でもわかります。

 しかしまー、「学者でも分かる人が少ない」課題をよお出しますね、先生も。どうなんでしょうか、評価基準は。先生は何を求めているのか。
 …たぶん、「学者でも分かる人が少ない」問題に「これ!」という完璧な答えは期待しておられないのでは? 「問題をどう捉えて、どういう資料を探し、どこまで調べたか」というあたりで評価されようと考えておられるような気がします。
 だとしたら、ここで質問するよりも「そういうネタ」に一つでも多く目を通す方向で頑張られた方がいいですよ。連休明けにでもさっそく図書館に行って、宗教学関係や民族関係の資料を探してみましょう。課題・レポートの末尾に、文献を数多く列挙した方が一般に評価が高まります。読めるだけ読んで、自分にわかる範囲で考えをまとめて、提出しましょう。おそらく、課題に込めた先生の題意は、「努力の跡を示せ」だと思いますので。
 では、がんばって。

     *

 で、余計な一言ですが…。
 私自身は質問がレポートかどうかについて予断を持たないようにしています。けれど、レポート関係には厳しい方が多いのでフォローは期待できないかも。まして、ここまで難しい問題となると…。
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この回答へのお礼

本当に度々すいません。
そうですね。自分でも調べてみます。
(結構調べたつもりなんですが、なかなか・・・)
アドバイス、どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/05/06 21:01

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Qレポートの書き方

経営学部の大学一回生です。冬休み初めてレポートの課題が出たのですが、書き方が全くわかりません。2000字で現代企業の人材育成と職務拡充について企業例を1つ説明しなさい。なんですが書き方のコツや使ってはいけない記号等ありましたら教えてください。

Aベストアンサー

有名企業をひとつ選んで、公式ホームページで公表している情報と、リクルート等の人材募集広告を比較してはいかがでしょうか。矛盾点があるようなら、ニヒリ、ですよね。同業他社との比較も面白いと思います。

また、企業の内情を知りたければ、図書館でビジネス系雑誌を読みあさるのが良いかと思います。そのうち、何かネタが見つかるでしょう。

株式会社を表す「(株)」や、項目ごとの冒頭に新聞等で使われている「(1)、(2)」などは、機種依存文字といってWindows以外のPCでは文字化けを起こしますので、印刷ではなくデータ形式での提出を求められているのであれば、使ってはいけません。また、半角カナ(横幅が半分のカタカナ)は、最も嫌われる機種依存文字です。

Q各宗教・宗派の信仰について

宗教についてお聞きしたいのですが。

天国、浄土へ生まれること。悟りを得ること。など。
各宗教、各宗派によって目的は様々だと思うのですが。

目的を達成するに当たってどのような信仰をしているのかを「ざっくりと」知りたいです。

私が本・インターネットで調べられたものは2点しかなかったのですが、
お詳しい方がいらっしゃいましたら、回答していただけるとありがたいです。

■仏教・浄土真宗
1.目的
(1)死後
(2)悟りを開く
=浄土に生まれる

2.手段
信心を得る→念仏する
(信じてただ念仏)

3.禁忌・してはいけないこと

五逆・誹謗正法

■仏教・曹洞宗や臨済宗などの禅宗系

1.目的
(1)この世で
(2)悟りを開く

2.手段
座禅


・解りやすくこの形式で答えていただけると嬉しいです。

Aベストアンサー

各宗教・宗派の信仰についてというご質問ですが、宗教ということになる世界三大宗教のキリスト教・イスラム教・仏教のほかにヒンドゥー教や道教などいろいろありますし、
さらにその中での宗派となると、無数にありすぎてとてもいちいちは説明しきれません。
それぞれの概要はウィキペディアなどでざっと見た方が早いと思います。

ですが、基本的な三つのポイントをおさえてそれぞれを見ていけば良いと思います。
つまり、世界の宗教は、一神教か多神教か無神論かの三つに大別されるということです。

キリスト教・イスラム教は一神教。
ヒンドゥー教や土着的な道教は多神教。
仏教や老荘思想に基いた道教は無神論。

大雑把にみるとこのくくりで良いと思います。
そういう基本的なことをおさえた上でそれぞれ見ていくとわかりやすいと思います。

一神教は最終的には主となる神のみこころにかなうことをめざします。
多神教は万物のありように敬いと畏れをもって接することによって成り立っています。
無神論は一切の真実を見極めることをもってその教えが成り立っています。

キリスト教・イスラム教は主となる神のみこころから人が離れてしまったがゆえに、そこに回帰することが目的です。
そのために、預言者があらわれて主となる神のみこころを伝えることによって、宗教が成り立っています。
つまり大切なことは、主となる神のみこころを知ることなのです。

ヒンドゥー教や土着的な道教は万物にはその万物を司る存在を認めて、その存在を受け入れて調和をもっていかに世界で暮らしていくのか。
一般的な日本神道もその中に入れて良いと思います。

仏教や老荘思想に基いた道教は本来は人格神的な特定の超越したものの想定はしません。
ただ、この世界が成り立っている道理を深く追究していきます。

では、仏教で仏に対して様々な信仰があるのは、という疑問がおこりますが。
もともと仏とは悟れる者という意味です。
つまり先に真理を得た者に教えを請うという形で教えが成り立っています。
つまり我々が学校などで先生に学問を学ぶように、仏に教えを説いてもらって真理を学んでいくのが仏教なのです。
ですから浄土の門で極楽浄土に往生するのも、それが最終目的ではありません。
最終的には仏と成るための修行をするために、極楽浄土に往生するのです。
仏教に様々な宗門があるのも、すべてそのためです。
そこに至り成するための方法が違っているだけです。
東京から大阪に行くのに、新幹線で行くか、飛行機で行くかの違いのようなものですね。

こうして見ていくと、宗教というのはつまるところ世界を学ぶということなのです。
一神教においては、世界の創造主である主なる神のみこころにかなうということにより、世界を知り、
多神教においては、万物を司る存在を通して、世界を知り、
無神論においては、一切の真実を見極めることをもって、世界を知るのです。

つまり我々が、ふだん社会を学ぶのに似ていますね。
一神教は親を通して社会というものをおそわり、
多神教は近所のおじさんやおばさんを通して社会というものをおそわり、
無神論は本を読んだり学校で先生にならって社会というものをおそわる。

質問者のいった形式と違いますが、このような視点で宗教一般を見ていくと、どのような宗教であってもわかりやすいと思います。

各宗教・宗派の信仰についてというご質問ですが、宗教ということになる世界三大宗教のキリスト教・イスラム教・仏教のほかにヒンドゥー教や道教などいろいろありますし、
さらにその中での宗派となると、無数にありすぎてとてもいちいちは説明しきれません。
それぞれの概要はウィキペディアなどでざっと見た方が早いと思います。

ですが、基本的な三つのポイントをおさえてそれぞれを見ていけば良いと思います。
つまり、世界の宗教は、一神教か多神教か無神論かの三つに大別されるということです。

キ...続きを読む

Q中学の理科の実験レポートの書き方・・・

中学の理科の実験レポートの書き方が詳しくのっているサイト教えてください。  例などあると助かります。

Aベストアンサー

http://www.kyoto-su.ac.jp/~oda/essay1.html

http://www.info.kochi-tech.ac.jp/hama/lab1/report.html

http://www.cs.is.saga-u.ac.jp/lecture/report.html

上の3つは、ちょっとよんでみるといいですよ。

参考URLのが、わかりやすいとおもいますよ。

参考URL:http://www.mitene.or.jp/~minowa/rika/note/noteindex.htm

Q信仰と宗教の違い

 
「神仏を尊び神仏に頼らず」、これは信仰として成り立つかと問うてみた。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8749349.html

その結論として、「神仏を尊び神仏に頼らず」は立派に信仰として成り立つと結論できました。
しかしながら果たして神仏への願いを伴わぬ宗教がこの世に存在するであろうか。
わたしが知る限りではおよそそのような宗教が存在するとは思えない。
では信仰と宗教の違いとは何か。
神仏への願いを伴わぬ信仰は信仰として成り立つが、神仏への願いを伴わぬ宗教は有り得ないのであれば次のように結論できるのではないか。

信仰は神仏を信じ尊ぶが、必ずしも神仏に願うことはしない。
宗教は神仏への願いを伴う信仰である。
 

Aベストアンサー

言葉遊びをしているのではないとして、

日本語の「宗教」の熟語はまだ使用の歴史が短いそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99#.E8.AA.9E.E6.BA.90
「宗教」の熟語の意味はそれほど明確ではないのでしょう。
質問者さんやその他の方が「宗教は神仏への願いを伴う信仰である」と定義をすることはご自由でしょうが、一般の日本語の「宗教」の使い方とは不一致のケースが出てしまうと思います。

「信仰は宗教を内包する。宗教ではない信仰も存在するが、信仰ではない宗教は存在しない」というようなことを主張したいのでしょうか。

太陽信仰のような用語の使い方を認めた場合、太陽は神仏なのでしょうか。太陽神というから神なのでしょうか。神仏と日本語でいう場合、個人に何かの働きかけをするものを私はイメージしますが、太陽神にはそうした神仏機能はないのが基本形のように思います。
 
(現世利益の享受のバーターとして礼拝し勤行を勤め、あるいは供物などを供する)信仰形態を日本ではしばしば見かけます。 水神信仰、雷神信仰、地蔵信仰、菩薩信仰、観音信仰、○○詣でなどたくさんあり、一括する一般名称は民間信仰、民俗信仰、庶民信仰でしょう。 もちろんこれらを宗教と呼んでも構わないのでしょうが、教義もない、創唱者も、指導者もはっきりしないのは宗教ではないと思っている人は少なくないので、用語の混乱を大きくするだけだと思います。
 
畏敬や服属、戒律の遵守などが、信仰や宗教では基本にあることが多いと思います。

『世界宗教事典』ではリューバの分類・分析を踏まえ、また、宗教を成立させている基本要素が超絶的ないし超越的存在(神、仏、法、原理、道、霊など)をみとめる特定の観念であることを踏まえつつ、宗教とは人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、その観念体系に基づく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団であるとまとめているのだそうです。
儀礼、祭祀の仕方、祭祀や儀礼を行う場所がある程度固まっているなら、山岳信仰でも、巌(岩)や樹木を信仰するのも信仰と言って、多くの場合の用語使用例にそぐわないことはないと思います。
ただ、一般例では、やはり教義の中心、教義の体系を備えていることが、宗教と呼ぶ必要条件のように思われることが多いと思います。 もちろん、教義の不明確な神道や道教のようなものも宗教とすることが多いから、儀礼、施設、組織などが確立し、その祭祀などを主導するプロが専任でいると、教義はなくても宗教と呼ぶのだと思います。
創価学会は、その点微妙なところがありますが、一般には宗教と呼ぶでしょう。

宗教や信仰を考えるときに、あまりに単純化したいくつかの条件だけで考えたら、現実を見て切り分けることも、考えることも出来なくなると思います。
「信仰は神仏を信じ尊ぶが、必ずしも神仏に願うことはしない。宗教は神仏への願いを伴う信仰である」も、単純化しすぎるやり方だと思います。

言葉遊びをしているのではないとして、

日本語の「宗教」の熟語はまだ使用の歴史が短いそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99#.E8.AA.9E.E6.BA.90
「宗教」の熟語の意味はそれほど明確ではないのでしょう。
質問者さんやその他の方が「宗教は神仏への願いを伴う信仰である」と定義をすることはご自由でしょうが、一般の日本語の「宗教」の使い方とは不一致のケースが出てしまうと思います。

「信仰は宗教を内包する。宗教ではない信仰も存在するが、信仰ではない宗教は存在しない」という...続きを読む

Q大学のレポートの書き方について質問します。手書きで書かなければならない

大学のレポートの書き方について質問します。手書きで書かなければならないレポートなのですが、書き方や、筆記用具は何を使うなど詳しくのっているサイトはありますか?

Aベストアンサー

基本的には市販のレポート用紙にボールペンで書けば問題ないと思いますが、先生によってA4またはB5の指定があったり、鉛筆でもよかったりするのでそれに従えばいいと思います。
http://www.report.gusoku.net/kihon/reportyousi.html
先輩の過去レポが手に入ると書き方のお手本になるので楽なんですけどね。

Q色んな矛盾を孕む宗教は、どうして信仰を集めるのか?

天動説から地動説が主流になって、
1992年にようやくカトリック教は、天動説の誤りを認めて地動説を受け入れました。

このとき、カトリック教の信者は、カトリック教に対して不信感を抱かなかったのでしょうか?
さすがに「神の存在は嘘だった!」とまではいかなくとも、なんらかの疑いの目は持たなかったのでしょうか。
それともそんな疑問さえ持たないぐらいに、洗脳を受けているものなのでしょうか。
天動説に関して神が大地を固定した、みたいな話を聞きました。
地動説を認めたとき、カトリック教はどう言い訳したんでしょう?

そもそも神様に関するストーリーが、宇宙を知らないどころか海の向こうさえ知らない存在の視点で書かれているのが滑稽な気がします。
彼らの言う「世界」に地球の外は含まれていないというか、考慮されていないようで、まるで地球の外どころか海の向こうさえ知らない、当時の文明でわかる範囲を基準に一般人が考えた小説みたいですよね。
どれも神様とやらの所業は、なぜか人間に合わせたものばかりな気がします。

他にも探せば「人間の想像力らしさ」が多く見つかると思いますが、それでいてどうして人々は宗教を信じてしまうのでしょうか。
科学的根拠や歴史を無視してでも、見たこともない人伝てとも言える空っぽな言葉に信頼を置くのでしょうか。彼らには勘違いや偶然といった概念はないのでしょうか。
人が不可解な事象に不安や恐怖をいだき、それを解消するために理由や正体を求め、わからないから「想像」で非科学的な存在を使った結論に甘えて妥協してしまう。それが原因なのでしょうか?

天動説から地動説が主流になって、
1992年にようやくカトリック教は、天動説の誤りを認めて地動説を受け入れました。

このとき、カトリック教の信者は、カトリック教に対して不信感を抱かなかったのでしょうか?
さすがに「神の存在は嘘だった!」とまではいかなくとも、なんらかの疑いの目は持たなかったのでしょうか。
それともそんな疑問さえ持たないぐらいに、洗脳を受けているものなのでしょうか。
天動説に関して神が大地を固定した、みたいな話を聞きました。
地動説を認めたとき、カトリック教はどう言い...続きを読む

Aベストアンサー

初めて回答するので、うまくお答えできるか不安なのですが……。

まず、質問者様のおっしゃる宗教や神の概念は、具体的にキリスト教のことを指すと思います。宗教とはいえ、色々とあるので、多神教や仏教なんかだと、かなり受ける印象は変わります。

天動説については、洗脳というより、新しい学説を当時の人々が受け入れがたかったということでしょう。現在では、バチカンも地動説を認めてますし、謝罪もしてます。ただ、それが2008年なのは、遅すぎだと思いますが。

次に、キリスト教が人間に都合よく出来ているというのは、他の回答者様も書かれてましたが、本当だと思います。
「そもそも神様に関するストーリーが、宇宙を知らないどころか海の向こうさえ知らない存在の視点で書かれているのが滑稽な気がします。彼らの言う「世界」に地球の外は含まれていないというか、考慮されていないようで、まるで地球の外どころか海の向こうさえ知らない、当時の文明でわかる範囲を基準に一般人が考えた小説みたいですよね」
その通りですよ!だって、海の向こうさえ知らないときに「人間」が考えだしたものですから。

<化学>と<宗教的事実(天動説など)>の矛盾についてですが……
やはり、どれほど信仰を抱いている人であろうと、<化学>と<宗教的事実>とされていることへの矛盾には悩むみたいです。
また、何か不幸や困難にぶつかった時に、絶対的な権力を持つ神に「こんなに信仰していたのに、どうして!」と思ったり。
信仰と葛藤は必ずセットであります。ただ、それを表に出す人が少ないのと、クリスチャンでない人がクリスチャンと宗教についてお話する機会があまりないのも原因かと思われます。

では、なぜこんなに矛盾を抱えたキリスト教がたくさんの人に今なお支持を得ているかというと、やはり彼らの苦しみを癒してくれる「何か」があるからだとしか言いようがありません。

「何か」とは、色々とあるのですが……

やはり、化学だけでは解明できないことって、この世にはありますよね?
キリスト教に限らず、そういうときに、宗教が答えを示すことって多いと思います。
例えば、死後の世界、世界の始まり&終わり、道徳観の提示、社会的ルールなど……。

厳しく言うと質問者様がおっしゃられたように「非科学的な存在を使った結論に甘えて妥協して」いるということでしょう。
ですが、こうは考えられないですか?「甘えて妥協して」るのではなく、宗教が人に癒しを与えているのだと……。

例えば、お葬式なんかだって、宗教行事ですよね?
お葬式をする、お焼香する、などで死者と生きている私たちは、きちんとお別れができる。
つまり、死者と生者を繋ぐ架け橋って宗教なんです。

また、キリストの説く隣人愛などは、クリスチャンでない私でも感銘を受けます。
もちろん、キリスト教を起因とした紛争(パレスチナ紛争など)なども起きてますし、解決すべき問題は多々あります。(未だに天動説などを受け入れられない人がいることも含め)

最後に!
宗教の捉え方って本当に人それぞれで正解なんてないです!
同じ教会に通っている同じ宗派の方でも、よ~くお聞きすると、キリストや神について異なる考えを持っていたりします。
ですから、質問者様のお考えもそのままで十分正解です。

世の中には、様々な宗教観があります。
森鴎外「かのように」、遠藤周作「青い葡萄」「海と毒薬」、太宰治「駆け込み訴え」、芥川龍之介「西方の人」なんか読むと、キリスト教についてまた違ったイメージを持てると思います。

特に、遠藤周作お薦めです!彼自身、カソリック教徒です。

あと、ミュージカルの「ジーザス・クライスト・スーパースター」とかもかなり面白いです。
キリストとユダの一筋縄ではいかない関係性を描いてます。

質問者様の考えや、宗教に関するイメージはかなり一面的なもので、実際にはもっと複雑です。

教会へ一度足を運ばれるのも手ですが、信用のできる神父さんや牧師さんを探すのは大変だと思いますので、まずはご自身で調べてみてはいかがでしょうか?

きっと価値観が変わります。私もそうでした。

長文+読みづらい文章で失礼致しました。
しかも、かなり生意気なことを言ってしまい、申し訳ないです。
私は個人的な興味から、独学で宗教について学んでいるので、どれ程ご参考になったかわかりませんが、何か感じていただけたら幸いです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

初めて回答するので、うまくお答えできるか不安なのですが……。

まず、質問者様のおっしゃる宗教や神の概念は、具体的にキリスト教のことを指すと思います。宗教とはいえ、色々とあるので、多神教や仏教なんかだと、かなり受ける印象は変わります。

天動説については、洗脳というより、新しい学説を当時の人々が受け入れがたかったということでしょう。現在では、バチカンも地動説を認めてますし、謝罪もしてます。ただ、それが2008年なのは、遅すぎだと思いますが。

次に、キリスト教が人間に都合よく出来...続きを読む

Qレポートの書き方

こんばんは。
冬休みの課題で、「美術館に行ってレポートを書く」というものが出ました。
ですが、あまりレポートを書いたことが無いので書き方がわかりません。
アイヌ文様の美というのに行こうと思っているんですが・・・
やはり写真もレポートには入れた方がいいでしょうか?
レポートの書き方に次いでわからなくて困っています。
美術が好きなので、良いレポートを書きたいと思っています。
どうか、書き方を教えてください。お願いいたします。

Aベストアンサー

美術大学に在籍しています。ご参考程度に、私の経験からアドバイスをさせて頂きます。


全体の構成としては
(1)表紙(主題タイトル)
(2)本文

主題について、どういうところが自分にとって魅力的なのか、
それにはどういう由来や歴史があるのか、何を意味するのか など
いくつかの項目に分けて考えると書きやすいと思います。

例えば…「印象派について モネの魅力」が主題だとすると
1.印象派とは
2.モネの生きた時代とその功績
3.代表作『睡蓮』の連作とその変化
(以下必要なだけ項目を設ける。最終的に、
ある程度自分の主観を入れた論述があったほうが「美術館に行って」という部分が活かされるので、良い と
私は思います。)

…など
主題の背景(アイヌの文化でしたら、アイヌ民族のことなど)から
徐々に幅を狭めていって、主題を浮彫りにしていくと読み手がすんなり入り易く、
印象に残るレポートができるのではないでしょうか。
又、写真は効果的に入れていったほうが良いと思います。
レポートの読み手はその内容について知らないわけですから
いわば教科書や新聞のようによりわかりやすく情報を伝えることを考えると…
あったほうが、親切なように感じます。

(3) まとめ
上にも記述しましたが、「美術館に行って」ということなので
美術館に対する感想、今回レポートを作ったことによって気付いたことや良かったことを書き、あとがきとします。
ある程度の長さがあったほうが説得力があると思います。
又、最後に
参考にした文献(本やWEBページ)について「参考文献」として記述しておきます。(箇条書きで大丈夫です)
本はタイトルとISBN、WEBはタイトルとURLを記述します。
版権的な問題のためもありますが、これだけ色々調べました というアピールにも繋がると思います。


私は以上のような手順で、レポートを書いています。
わりと高評価を頂くこともあるので…ある程度参考にして頂けると思います。

余談ですが
「美術館の入場券の半券を
表紙かはじめのほうに展示タイトル・日時・場所 の明記と共に貼って提出しなさい」という指定で
レポートを作ったことがありまして…
指定が無くてもそうすると、なんだかそれらしくなる気がしますので、
ちょっと使える手かもしれません。


レポート制作 頑張ってくださいませ!
微力ながらお力添えできていましたら幸いです。

美術大学に在籍しています。ご参考程度に、私の経験からアドバイスをさせて頂きます。


全体の構成としては
(1)表紙(主題タイトル)
(2)本文

主題について、どういうところが自分にとって魅力的なのか、
それにはどういう由来や歴史があるのか、何を意味するのか など
いくつかの項目に分けて考えると書きやすいと思います。

例えば…「印象派について モネの魅力」が主題だとすると
1.印象派とは
2.モネの生きた時代とその功績
3.代表作『睡蓮』の連作とその変化
(以下必要なだけ項目...続きを読む

Q宗教は 個人の信仰という蝉のその抜け殻である。

次の説明によって標題の成立を問います。

1. ひとは 《かみ》ということばを持った話。

老いた人間が或る日或る朝起き上がらない。いつまで眠り続けるのかと思っていた
ら 臭い。蛆虫がたかっている。

あぁ われらの精神はいくら高いこころざしを持ったとしても移ろいゆかざるを得
ない。
初めの心に立ち戻ることは出来る。
ただしそうしても 身はやがて朽ちて行かざるを得ない。

このようにままならぬ人生と世界から自由な――たとえばその不老不死なる思いを
鏡に事寄せて願いながら――《もの(つまり お化け)》を 人びとはその思いの
中に得た。これを《かみ》と呼んだ。

自分たちを相対的な存在であると思い知ったゆえに 絶対を神として持った。

2. 神とわれとの関係は 信じる(そのままを受け容れる)と呼んだ話。

神とのカカハリは 絶対だと知った。

もし仮りにその神が やっとさづけてくれた息子を いやいや初穂としていけにえ
に差し出せと言ってきたら あなたはどうするか?

アブラハムというぢいさんは なやんだ。くるしんだ。ひどくあたまも心をも痛め
た。朦朧とした精神のなかで それでもその長子で独り息子を やはり神にゆだね
ねばならないかと思って そのいけにえの場まで連れて行った。そのときふと《ひ
とは 自分をも他人をも ころさない》といったヒラメキを得た。と言います。

これが ひとつの信仰の動態であると言えましょう。

3. では 宗教とは何かの話。

モーセという男は 個人としてはアブラハムぢいさんと同じように 神を心にいだ
きつねに基本的に重要なことは神からのヒラメキにしたがって決断し行動していた。

ただし 周りの人びととの人間関係において・あるいは はらから(同胞)との間
のマジハリにおいて 互いの不平や苦情やケンカをどう扱いどう処理するかをめぐ
って こんどは考えなければならなくなった。

そこで――早い話が―― アブラハムの信仰の内容を表わした言葉があったのを捉
えて たとえば 《なんぢ ころすなかれ》(不殺生戒)という命題とし規範とし
た。人びとのあいだの秩序を 個人の内面の信仰とは別に 重んじた結果である。

この倫理規範が オシへであり これを人びとが守るべしというオキテとなれば
宗教が成立する。

ほんとうは 個人の心の内面における《神とわれとの関係》が 何よりも大事で
ある。ただそれをも守るために 表向きの秩序を或る意味で優先させた。そのと
き出来たのが 宗教である。

ほんとうは 宗教は 個人の信仰という蝉のその抜け殻である。

次の説明によって標題の成立を問います。

1. ひとは 《かみ》ということばを持った話。

老いた人間が或る日或る朝起き上がらない。いつまで眠り続けるのかと思っていた
ら 臭い。蛆虫がたかっている。

あぁ われらの精神はいくら高いこころざしを持ったとしても移ろいゆかざるを得
ない。
初めの心に立ち戻ることは出来る。
ただしそうしても 身はやがて朽ちて行かざるを得ない。

このようにままならぬ人生と世界から自由な――たとえばその不老不死なる思いを
鏡に事寄せて願いながら――《...続きを読む

Aベストアンサー

表題は成立していると思いますが

1と2が飛びすぎている間はあります
1で相対的な人間に対し、絶対という神を、その内面(精神)に作った

ここで神は絶対無比のただの思い(思念体)となっているのに

2では、その自分の思念体が、何故に自分の子供をイケニエにしろというのか
絶対無比の存在から、自分の思念とは別の相対的な絶対の存在となっています
ということは相対的な存在にランクダウンしています
ここで1との矛盾があります

でも神が絶対でも相対でも、どのポジションにしても
アブラハムぢいさんの信仰を命題としただけで宗教は蝉の抜け殻という事は成立していると思います

標題は成立していますが、1と2と3が繋がっていない

そんな感じに私は見えますね

Qレポートの書き方を教えて下さい。

今日、学校でレポートの宿題を出されたんですが、今までにレポートを書いた事がありません。なのでどんな事でもいいので簡単なレポートの書き方を教えて下さい。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

とりあえず提出するレポートには表紙をつけましょう。
用紙は中身のものと同じものでかまいません。

表紙に「課題名」、「学年・組・出席番号」、「氏名」をかきます。

レポートの宿題、とありますがどのようなレポートなのか解らないので中身についてはアドバイスのしようがありません。

提出時には、レポート用紙がバラバラになってしまわないようにしっかりとホッチキスなり何なりでとめましょう。

Q宗教を強く信仰している人には悩みや後悔など無い?

人間には色々な場面で悩みが付き物なのですが、これって考えてみると、困難な問題でも自分で判断し決断しなければいけないから悩むのですよね?

つまり右に行くか左にするか、どちらが良いか分からないのに自分で決断しなければいけないから、悩みやストレスが生まれるのだと思います。

だとすれば、何でも良いのですが、ある特定の宗教を強く信仰している人は 「これは神(あるいは仏)が決めた事だから仕方ない」 と考え、全て成り行きに身を任すのであれば、悩みとかストレスとか関係の無い人生を送っていると考えられるのですが、実際どうなのでしょうか?

よく人生につまずいた人が新興宗教に嵌りやすいと聞きますが、信者になって何か胸のつかえが取れるから嵌るのではないかと思うのですが ・・・

例のオーム真理教も未だに信者が離れないと聞きます。

強く信仰している信者には、悩みやストレスなど無く、みんな幸福なのでしょうか? 何か大きな失敗をしても 「神の思し召しだ、仕方無い」 と、スパッと諦めがついて後悔する事など無いのでしょうか?

もし、どんな宗教の信者でも悩みやストレス、それに後悔から解放されないのであれば、宗教を信仰する意味が無くなるように思うのですが ・・・

ちょっと気になったので質問してみました。 あ、それと私は特定宗教の信者でもありませんし、また勧誘するような立場でもありません。 一般論で結構ですので、ご意見を伺いたいと思います。

人間には色々な場面で悩みが付き物なのですが、これって考えてみると、困難な問題でも自分で判断し決断しなければいけないから悩むのですよね?

つまり右に行くか左にするか、どちらが良いか分からないのに自分で決断しなければいけないから、悩みやストレスが生まれるのだと思います。

だとすれば、何でも良いのですが、ある特定の宗教を強く信仰している人は 「これは神(あるいは仏)が決めた事だから仕方ない」 と考え、全て成り行きに身を任すのであれば、悩みとかストレスとか関係の無い人生を送っている...続きを読む

Aベストアンサー

>人間には色々な場面で悩みが付き物なのですが、これって考えてみると、困難な問題でも自分で判断し決断しなければいけないから悩むのですよね?

ご説の通りだと思います。私はプロテスタントのクリスチャンですが、激動する時代にあって、ご自分の力だけを信じて、真っ暗な海に放り出されて荒波を超えてゆくようなのが人生ならば、その人生は極めて心細いものと思います。私はしばしばクリスチャンで無い方々の中に実は尊敬に値する行いをしている方々をより多く見出します。

一方クリスチャンは日々の生活を神により与えられたものとして受容しておりますので、心配事や悩み事を神にあずけて、知らずに危険なことをしている場合があります。それがたとえば人のためであるとしても、それはクリスチャンにとってなにか誇りではございません。自分の力で行っているわけではないからです。

>悩みとかストレスとか関係の無い人生を送っていると考えられるのですが、実際どうなのでしょうか?

悩みやストレスがないという世界からは程遠いと思いますが、もしクリスチャンとしてイエスキリストを知ることがなかったら、おそらくその悩みやストレスは地獄の苦しみだったのではないかと思います。若い時に突然イエスキリストに出会って、イエスキリストのように生きてみたいと決断した時のことは30年以上たった今も忘れることができませんが、それは大きな悩みの世界から大きな歓喜の世界に突然移された体験です。自分の力ではないと思います。聖書では「人にはできないが神にはできる」という世界だと思います。しかしながら悩みやストレスが無いということはキリストの世界を知らない方々に誤解を与えてしまうと思います。つまり聖書では次のように述べています。

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)

これはイエスが死ぬ前に語られたことであり、その弟子たちにとっても自分の命が失われるかもしれない状況で語られています。

>もし、どんな宗教の信者でも悩みやストレス、それに後悔から解放されないのであれば、宗教を信仰する意味が無くなるように思うのですが

その通りと思います。死に直面した時に平静でいられるかどうかということは非常に重要なことですが、実は少しばかりのことですぐに動揺してしまうものとしては、大きなことが言えません。ただしクリスチャンの喜びのある部分が実は自分が死んでゆくということに起因していると気づくことがあります。家族やこの世のもろもろの事柄を後に置いて旅立つということはさびしいことですが、と同時に喜ばしいことと感じてしまう感情を湧いてくることを抑えることができません。

ご質問者さんの多くの疑問にこたえるために教会があり、牧師がおりますので、尋ねてみてください。

>人間には色々な場面で悩みが付き物なのですが、これって考えてみると、困難な問題でも自分で判断し決断しなければいけないから悩むのですよね?

ご説の通りだと思います。私はプロテスタントのクリスチャンですが、激動する時代にあって、ご自分の力だけを信じて、真っ暗な海に放り出されて荒波を超えてゆくようなのが人生ならば、その人生は極めて心細いものと思います。私はしばしばクリスチャンで無い方々の中に実は尊敬に値する行いをしている方々をより多く見出します。

一方クリスチャンは日々の生活を...続きを読む


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