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なぜ、インダス、黄河、エジプト、マヤ、チグリスユーフラテス、十字軍時代のイスラムなどの文明ではなくヨーロッパ(欧州)の中世以降の文明のみが現在の高度な科学文明を発達できたのでしょうか。
ある人に聞くと、ヨーロッパはキリスト教を信仰したので世界全体が人間のものであるとの概念を持ちそれが遠因となっているとの答えをもらいましたが、ほかの宗教でも世界は人間のためにあると(明言してなくとも)していると思います。また中国では「指南車」などの高度な機械が皇帝のために、また、ロケットの祖先と呼ばれる火矢が開発されてもその先がありません。今日のように、科学のみでなく、哲学その他の学問を体系的に発展させ、高度な機械をグローバルな視点で発展させた文明は他にはないように思えます。マヤ文明でさえあそこまで精密な暦、建築技術を持ちながらそこで途絶えていると(知識の少ない私は)思っています。
キリスト教を根拠にされた方についての私の考えは、世界征服では、中国も唐の時代に、アレキサンダーもその時代に当時としての世界征服の半ばまで入っていますがそれで終わっており、文明の発展が途絶えています。ガリレオやニュートンなどの現代科学の創始者的な人たちが現れるようにできた要因はなんなのでしょうか。
いろいろな不思議が取り上げられていますが、最大の不思議は、なぜヨーロッパのみが機械文明以降にたどり着けたのでしょうか?
長文ですが、よろしくご指導ください。
なお、アトランティスやムウなどの(想像上の文明と思われるものはここでは対象外とさせていただきます。
また、宇宙人が指導したなどのSF的な回答も対象外とさせてください。

A 回答 (15件中1~10件)

 No.14 non_ed_ta様の問いかけが大変興味深く、個人的に思うことを述べて見るのも、質問者様への参考になればと思い(削除されるかな?)。


 以下は、反論ではないでく、思考実験的な遊びだとご了解をお願いします。

>ギリシャ哲学のおかげと考えております
> →スコラに関するものでしたっけ、それが、他の方の回答された印刷などとも関連しているとは思います。しかしなぜギリシャは発達しなかったのでしょうか?

 いろいろある原因の中で、一つは数字があると思われます。ギリシャからローマへ引き継がれたローマ数字は、計算に不向きです。対して、アラビア数字は、極めて実用計算に便利でした。
 数学の発展は、まずは数の扱いが大事ですから、数が扱いにくいと発展に支障が出ます。そして、数学は科学や経済学を始めとする学問に基礎を与える非常に重要なものです。
 古代ギリシアでは、円周率を始めとする無理数まで発見したり、数が世界を作っていると考える学派まで出現したほど、数学を重視したものの、ゼノンのパラドクスに答えられるほどの数学には発展できませんでした。

 もちろん、国力の衰退はあります。しかし、アテネはローマ時代に入っても、学問の地として尊敬されていました。文化的文明的に影響力はあったわけです。国力の衰退は、あまり重視するべきではないと考えています。

>表音文字(アルファベット)という…
> →表意文字だとなぜ文明が発達しないのかが、いまいちしっくりしませんでした。

 現代の英語で言えば、大文字小文字を同一視し、記号を除けば、たった26文字です。それで全て表せます。もちろん、それで作った単語の意味は、辞書を引くなり、知っている人に聞くなりしなければなりませんが、とにかく26文字でスタートできます。
 一方、中国で発展し、日本も取り入れた漢字は、膨大な数になります。何かを学ぶ前に、膨大な漢字を覚えねば、書物による知識習得も、研究成果を書き残すこともできません。しかも文字ごとに多義のことが多く、二文字以上の熟語の前に、文字ごとの多義性も学ばねばなりません。それを避けて、口伝に頼っても、低い限界に留まらざるを得ません。
 この差は、知識の普及に多大な影響を及ばすと考えてよいと思われます。そういう意味において、日本で平仮名と片仮名が発明されたのは、興味深いことのように思います。

>原動機(=蒸気機関)
> →ではなぜ、蒸気機関が発明できたのでしょうか? イスラムや中国でも先行して発明できたのではないでしょうか?

 イスラムではローマ滅亡後、ギリシャやローマの知識人や記録の影響もあり、急速に知的先進性を持った時期があります。ただ、宗教的な規制が強かったこともあり、その後の学問の自由な発達に何らかの制限があったのかもしれません。
 中国では、東洋の特徴が現れ、青銅や鉄の金属の実用利用、森林資源の枯渇前に石炭を使用するなど、いろいろと出だしは早かったのですが、それを継続的に発展させることについて、熱心ではなかったことがあります。
 上述の文字の性質も原因の一つと考えられます。歴史や法律や道徳に熱心だけど、技術に対する軽視の伝統もあります。知識を系統的に文書化することに、あまり熱心でない伝統もあります(それを優れた個人の頭脳に求めるため)。
 実際、金属の利用で言えば、銅銭作りに熱心で、せっかく鉄を作っても、銅銭作りの補助材料に用いたり、残った鉄を、安物としての鉄銭にしたりしていました。
 技術を、道具を発展させるのではなく、個人の技能に求めるような「道」を尊重する伝統もありました。
 もちろん、産業革命を起こすような素地はあったとは思いますが、それが花開くには、トータルとしての環境には、あまり恵まれていなかったように感じられます。

>コークスと鉄鉱石を混ぜて銑鉄を取り出す還元製鉄法が実現…
> →なぜ還元製鉄法が確立できたのでしょうか。科学・数学ではイスラムも中国も同程度の水準をもっていたのではないでしょうか?

 上記と同様です。ちょっと、西洋のある事例を紹介しましょう。ある素材を製造する工場がありました。大きな鉄鍋に、複数の減量を入れて加熱してかき混ぜる工程がありました。職人らは、乱暴にガンガンと大きな音を立ててかき混ぜると、品質の良い素材になることに気づき、そうしていました。これを見た技術者が、はたと「鉄が鍵だ!」と気づき、鉄の化合物を原料に加え、安定して品質を向上させることに成功しました。
 これの例で言えば、中国では乱暴にかき混ぜるとことまでは、その優れた直観で気づき、先行したといえます。しかし、そこで「なぜ?」が起こりにくかった。そういう感じだと思います。

>大航海時代とその発展が…貿易のための市場が広がることになり…
> →大航海時代はなぜ実現できたのでしょうか。過去にフェニキアなどでも同等の艦隊を地中海という限られた範囲ですが成立させています。なぜ、フェニキュアは富を確立させタにもかかわらずそれ以上の文明を発達させえなかったのでしょうか?

 まあ、フェニキアも、その植民都市から発展したカルタゴも、外敵に滅ぼされたこともありますからね。
 それよりも、地中海の航海と、大西洋や太平洋の航海は、まったく質的に違い、必要な技術も違います。大地を眺めながら、それを頼りに穏やかな地中海を航海するのと、周囲は海しか見えない広大で、しかも嵐も無風も頻繁にある大洋航海は違うものだということでしょう。
 中国も航海技術は発達は早かったのですが、陸路も豊富ですし、何よりも周辺諸国が朝貢してくるわけで、あまり外洋にまで発展しようという意欲に欠けていた面があります。
 一方、ヨーロッパ諸国は、そういう周りが自然になびいてくるわけでもなく、領土を拡大することにも限界があり、外洋の先にある地域への進出意欲が高まったと考えてよいと思われます。それで、マゼランやコロンブスなどに、国家をあげて援助して、航路開拓に乗り出したのではないかと思います。

>機械文明の為のインフラに恵まれていたから…鉄の安価で大量入手と交通…
> →上記の「還元製鉄法」の項目と同じ疑問があります。なぜ中国ではできなかったのでしょうか?

 既に述べたように、せっかく金属精錬技術を持っても、銭の鋳造に熱心で、機械を作ると言うことに熱心になれなかったと思われます。

>活版印刷よりも先に中国で印刷が発明
> →上記の「表意文字」の項目との相乗効果が、発展の一端であったと思いましたが、なぜ、中国ではそれ以後の発展がなかったのでしょうか。逆になぜヨーロッパだけで発展したのでしょうか。

 既に述べたように、文字数であろうと思われます。アルファベットベースなら、量は多くとも少ない種類で済みます。膨大な数の感じでは、この点は圧倒的に不利でしょう。

>その一つが「特許」です。…追いつき追い越さないと大儲けできない、
> →特許のもとになる技術がなぜ確立し発展していったのでしょうか?

 スロースターターであっても、できるだけ全てを文書で残す伝統があるせいでしょうね。しかも、印刷技術ができると、文字数の少なさもあって、急速に文書ベースで知識を普及できます。
 また、そうして知識がオープンであったからこその、特許です。誰でも文書で、ほぼ何もかも知ることができるから、学べば真似ることができる。しかし、真似だけが流行すると、新しいものはできず、発展が止まることは為政者にも分かったのでしょう。優れた発明、発見を促すためにも、それを成し遂げた人々の利益と名誉を守ることで、新規性への意欲が高まり、学問や技術の発展に寄与するという、良い循環につながったように思います。

>西洋では「新しいことへの挑戦」ということ自体が流行しました
> →なぜ上記のような挑戦が流行したのでしょうか?

 既に述べた、領土拡大の困難や特許のようなことがあったからでしょうね。しかし、これらが過度に進んで、広域での戦争増加、広範な植民地支配、中世では廃れる傾向にあった奴隷制度が暴力的に再発した等々の弊害もあったことは、よく理解しておくべきことだと思います。
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●皆さんの回答への本件に関する個人的な疑問です●



=疑問が増えたこと=
(先にお詫び:各ご回答の部分のみを抽出していることは否めませんので、先にお詫びしておきます。温かい目でご教授ください。)

ギリシャ哲学のおかげと考えております
 →スコラに関するものでしたっけ、それが、他の方の回答された印刷などとも関連しているとは思います。しかしなぜギリシャは発達しなかったのでしょうか?

表音文字(アルファベット)という…
 →表意文字だとなぜ文明が発達しないのかが、いまいちしっくりしませんでした。

原動機(=蒸気機関)
 →ではなぜ、蒸気機関が発明できたのでしょうか? イスラムや中国でも先行して発明できたのではないでしょうか?

コークスと鉄鉱石を混ぜて銑鉄を取り出す還元製鉄法が実現…
 →なぜ還元製鉄法が確立できたのでしょうか。科学・数学ではイスラムも中国も同程度の水準をもっていたのではないでしょうか?
 
大航海時代とその発展が…貿易のための市場が広がることになり…
 →大航海時代はなぜ実現できたのでしょうか。過去にフェニキアなどでも同等の艦隊を地中海という限られた範囲ですが成立させています。なぜ、フェニキュアは富を確立させタにもかかわらずそれ以上の文明を発達させえなかったのでしょうか?

機械文明の為のインフラに恵まれていたから…鉄の安価で大量入手と交通…
 →上記の「還元製鉄法」の項目と同じ疑問があります。なぜ中国ではできなかったのでしょうか?

活版印刷よりも先に中国で印刷が発明
 →上記の「表意文字」の項目との相乗効果が、発展の一端であったと思いましたが、なぜ、中国ではそれ以後の発展がなかったのでしょうか。逆になぜヨーロッパだけで発展したのでしょうか。

その一つが「特許」です。…追いつき追い越さないと大儲けできない、
 →特許のもとになる技術がなぜ確立し発展していったのでしょうか?

西洋では「新しいことへの挑戦」ということ自体が流行しました
 →なぜ上記のような挑戦が流行したのでしょうか?

以上、当方の各ご回答の真意の読み取りが浅いのかもしれませんが、各ご回答も隔靴掻痒の感じがします。より根本的な理由があったのではないでしょうか。

===文末===
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>ヨーロッパのみが機械文明以降にたどり着けたのでしょうか?


機械文明以降でなく、機械文明の黎明(=産業革命)にたどりつけたのはなぜか?の意味でいいですいよね?

ポール・ケネディの「大国の興亡」による回答:
地域(欧州)全体が統一されたことは無いため。
※古代ローマが地域全体のポール・ケネディに最も近かったが、それでもラインとドナウの北は領土化されていない。

地域統一が成ると、豊臣秀吉の刀狩りのように、技術(この場合は軍事技術)を独占し、発展を止めてしまうほうが
長期安定政権につながります。が、分裂のときに技術の発展をブロックしたら、隣国より効率が悪くなり経済なり軍事で負けます。ゆえに、ブロックする政策がとれません。

あと、「ギリシャ哲学のおかげ」  それは違うでしょう。
イスラムも、ギリシャ哲学をしっかり引き継いでおり、ヨーロッパにはイスラム経由でギリシャ哲学が伝わっています。
でも、イスラム諸国(オスマン、ペルシャ、ムガール、マムルーク...)は産業革命までたどりつけていません。
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ギリシャ哲学のおかげと考えております。

強い宗教の下では世界を観るのに「第一に神の恩恵を読み取る」ことが要求されてきました。例えば、東洋の天文学は「天の本日の意志をそこから読み取る」ために関心が多く払われて来ました。「天体の動きの法則を知る」というのは強い宗教の働かない時代に生じた着眼でしょう。ギリシャ人が大変努力して唯物的な世界像をいろいろ示したことが大きいでしょう。ヨーロッパの世界像も宗教が弱まった時期(ルネッサンス)以降になってから唯物的な自然観が生じてきたのでしょう。ガリレオが先駆者でした。大量で大きな成果を挙げました。宗教界からの反対の強さを思い出して下さい。強い宗教が唯物的世界観への敵です。
また、知識体系の標準化・規格化への下準備がギルド制度と共に発達してきた時代にルネッサンスが現れたことも大きいです。東洋の知識体系は神秘化・秘密化をすぐにまとう所が技術発展への障害となっておりました。
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>ヨーロッパ(欧州)の中世以降の文明のみが現在の高度な科学文明を発達できたのでしょうか。



それは、ヨーロッパ地域だけが、表音文字(アルファベット)という、この世で最も抽象的、最も簡便な表現媒体《メディア》を活用して、環境世界を認識、攻略、支配しようとしてきたからではないでしょうか。

このことを、たとえば、より具象的な表語文字(漢字)に頼ってきた中国文明と比較した場合、中国の四大発明とされる紙・印刷術・羅針盤・火薬の技術が中国から世界中に普及していったわけではなく、いずれもアルファベット文化圏に伝わり、そこで十分に改良を加えられ、汎用化され、はじめて世界中に普及していったと言えるのではないでしょうか。

これは、表語文字というのは、木、川、火、田等々の具象的な絵文字が典型例であるように、人間にあまりにも個別的、具体的な事象に従属、依存した発想、思考を強請せずにはいられないからでしょうね。

たとえば、表音文字⇔表語文字⇔無文字の三種類の文化があるとすれば、表音文字文化ほど環境世界に対する人間の支配力がより強く、逆に無文字文化ほど環境世界に対する人間の支配力がより弱いと考えられます。
これは、ちょうど貨幣制度のある国と、物々交換の国とでは、どちらがより経済的に発達し得るか?というのと同じ問題でしょうね。

ということで、ヨーロッパの表音文字による、より高度に抽象化された発想・思考こそが、「高度な科学文明」を生み出す原動力となったと結論せざるを得ません。
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産業革命ですね。



産業革命の要素は二つあり、原動機(=蒸気機関)の方は皆さん良く知っていますが、もうひとつは近代製鉄の確立です。

コークスと鉄鉱石を混ぜて銑鉄を取り出す還元製鉄法が実現されてから、森林の制約(=燃料の制約)から解放されて鉄の生産量を増大することができました。それまでは薪を燃料として製鉄をしたので、製鉄業が森林をはげ山にするという問題があったのです。

近代製鉄(還元製鉄)が機械産業、ひいては国家の近代化の要ですので、戦後の日本や改革開放後の中国などが国家戦略として製鉄業の育成に力を入れていますね。

歴史上の「もし」は意味がないのですけど、もしイギリスの森林資源が潤沢だったら、他の国から近代製鉄が始まったはずですから、「必要は発明の母」と言えるでしょう。

低廉な鉄が潤沢に供給されるようになることで機械産業が発展することが出来るようになります。
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大航海時代とその発展が、結局重商主義という海外での植民地、貿易のための市場が広がることになり、資材、原料、商品を大量に作って大量に運び、売りさばく必要が出てきた。

このために織り物を中心に量産機械と運搬機械の発明と改良が競争でなされた結果、機械文明の幕開けがもたらされたのでしょう。もちろんそのための富、財産の循環が社会をより大規模に発展させていったということもあると思います。主としてイギリス主体でしょうが、ライバルであるヨーロッパの国々の間での競争、ルネッサンス以来の自由な思想と情報の共有も力があったのだと思います。
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機械文明の為のインフラに恵まれていたからです。


ここでいうインフラとは、鉄の安価で大量入手と交通です。

英国から中部ヨーロッパにかけては、鉄鉱石と石炭の
宝庫で、安価で良質で大量の鉄の生産が可能でした。
強度が高く、加工容易な鉄が機械文明の最重用要因で
あることはおわかりでしょう。

中国、日本など鉄は銅並みの貴重品でした。
古代エジプト文明も鉄が普及していたらどうなっていたか
判りません。

技術について人間の知能は違いは少ないのです。
環境により技術は変わるのです。
良い石材にめぐまれたローマは土木技術が発達し、
ギリシャは美術にすぐれました。

勿論人種により長所、短所はあり、ヨーロッパは地域環境
をふくめめぐまれていたこともあります。

ローマの土木技術により完備された道路網も機械文明の
発達に効果がありました。
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 東洋と西洋で大まかに分けるとして、知性の使い方について、一応は素地的な相違はあるように思われます。



 古代ギリシアで生まれた学問の傾向としては、「出来るだけ言葉や数字で突き詰める」ことがあります。最終的な結果を文書などで表し、人に求めないわけですし、その成果物の文書を見れば他人にも分かるということです(それを近いするための勉学が必要ですが)。
 ある意味、既に学んだ人が先生として手助けするにせよ、文書資料で学び、そこからさらに進めて、またそれを他人でも理解できる文書資料に残していくわけです。進歩は遅いけど、堅実なシステムと言えます。技術的には設計図と技法資料があれば、誰でも時間と炉力は必要ですが、再現できるし、そこから他人が学べる形で発展させていけます。

 東洋では、最終成果を人に求めます。経典は補助にすぎず、師の助けを受けつつ、時には嘘も方便的な大胆な飛躍もし、人に内在する直観を求め、見つけ出します。当然ですが、人の内面にあるものですから、その人なしでは伝えていけません。しかし、ブッダの悟りに代表されるように、ある日突然に大きく飛躍し、完成します。
 技術的なこともそうです。職人芸も師から学び、盗み、感覚で磨き上げて行きます。そこに言葉で説明できるものはありません。あくまでも人から人へ、ですね。
 こういうやり方は飛躍が、あちこちであるためにバンと大きく進歩したりします。優れたからくり、火力として石炭の使用、火薬や紙の発明などなど、西洋に先んじたものが少なくありません。しかし、作れた物を継続的に進歩させることは困難です。作る知恵は作った人の内面にしかないので、伝えられないのです。

 西洋では、遅々としてしかし堅実に進んできた知恵は分化していきました。一人の人間ができる量は限界がある以上、深く調べるには専門化するしかないです。錬金術も、金が作れないと分かっても、途中で偶然にせよ得られた知識が化学となっていきました。記録するから、他人が追えるわけで、知識は広まり共有されていきます。
 そうして深まった知識や知恵を、統合する動きが出てきました。いわゆる学際ですね。
 石炭が燃える。水を熱すると水蒸気が出る。金属製造・加工技術がある。それらの専門家の知恵が集まって、ワットの蒸気機関として結実していったのが、代表的な例でしょうか。
 その他の機械も作られましたし、蒸気機関を動力として積極的に利用して行きました。

 ここで、非常に大事な流れが出てきます。最終製品を作る機械を作るための機械を作るようになったのです。当時の機械は今と比べて単純なものですけど、それでも人手だけで機械を作るより、人より強くて効率的な機械で、またそういう機械を作るようになれば、最終製品を作る機械が増える速さが増します。
 こうして、良い循環として機械が機械を作り、加速度的に生産量は上がり、生産・製造技術も上がって行きました。
 これに東洋の天才頼りで飛躍する学問に比べて、その堅実さ故にスロースターターだった自然科学も加速度的に発展して、貢献したことは言うまでもありません。しかも、西洋の自然科学は、勉学さえすれば誰でも学べるのです。科学者も技術者も爆発的に増え、レベルも爆発的に向上しました。
 西洋でも、ヨーロッパでこれが起こったのは、偶然か必然か、そこまでは分かりません。西洋全体に素地はあって、どこに種火が発生したか、というような問題ですから。素地があったことは、ヨーロッパの発展が西洋圏では比較的スムーズに浸透したことから、まず間違いないと考えられます。

 一方、東洋は先行した部分も多かったけれど、確実に進歩させる手法を欠いていました。西洋の成果を表面的に取り入れることはできても、なかなかその手法を会得するのには困難があったようです。
 インドは植民地支配から脱するのに第二次大戦終了を待たねばなりませんでした。大国清、つまり中国は戦艦などを購入したものの、機械文明としての産業はなかなか発達しませんでした。まあ、日本は例外だったようですが。

 とはいえ、一般的な傾向で言えば、西洋も必ずしも東洋に対して全面的に優れているとは考えていません。行き詰ったり、不安があると東洋の知恵も素直に取り入れます。
 アポロ計画のとき、宇宙飛行士にヨガの修行もさせました。浮世絵を熱心に研究した油絵画家もいます。哲学などでも、量子力学の最先端で行き詰って、東洋哲学思考を取り入れようとしている物理学者さえいます。

 西洋、東洋という分け方をしましたが、西洋でもいろいろな種類の文化があるし、東洋も同様です。全世界が画一的(たとえば科学指向のみとか)でなくて、このように多様なことが、大いに人類に恩恵をもたらしているように思われます。
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#5 ですが 重要だと思うので補足です。



まず活版印刷よりも先に中国で印刷が発明されていたと思うので、中国で人々がもっともっと知識を交換して西洋よりも先に蒸気機関を発見するチャンスはあったと思います。
火薬についても同様です。火薬を中国が独占していたら、モンゴル帝国以降再度、中国が世界の覇者になれたはずです。

私は中国人じゃないし中国ばかりに肩入れするつもりはありません。
例えばピラミッドを作ることができたエジプト人も、馬に乗るのがうまくなって鉄で複雑なものを作る技術が進めば、世界の覇者になるチャンスがあったはずです。
エジプトについては鉄を持ち馬に乗るヒッタイトに責められたのが不幸だったと記憶しています。

シルクロードもマゼラン航路もあったのだから、西洋と東洋の情報交換はあったはずで、チャンスを生かせるか否かのわずかな違いで、情報を搾取する方と搾取される方という違いが生まれてしまったと思います。


情報を奪う力は、結局、移動力(物資輸送力)がもたらしたと思います(帆船や羅針盤など)。だから結局、船をたくさん走らせることができた西欧の一部が勝ったと。現に西欧の中でも勝ち組と負け組があるでしょう。


それと、
一番近かったのはギリシャでしょうね。
もしもギリシャが日本やオーストラリアのような、外から攻められにくい地理関係にあったら、国も没落してローマ(イタリア)に主役を奪われることなく、機械文明を1000年くらい早く生み出すことができたのではないでしょうか。
機械文明が全て、ではなく、機械文明は、ギリシャや中国の知識の上に成り立っていると私は考えます。
ギリシャについては私は数学くらいしか知らないですが、エジプト・トルコと一緒に科学を発展させたパラレルワールドもあり得たのではないでしょうか。西欧に攻められさえしなければ。

とにかく、文明が発達するためには他人の書き物を読むのが大切で、西欧はその点が有利で、
そういう意味では日本人は日本語や漢語ばかりで小人数で研究するしかなく
(オランダ語の本1冊を翻訳するのに1年かかったとしたら、実験をたくさんする余裕などあったはずもない。)
日本はかなり不利だったと言えます。


現代に目を向けると、
「英語は嫌だ」
「英語なんかしゃべれなくても生きていける」
という日本人が減っていかないと、
「1つになった世界」から取り残されていくのではないでしょうか。

英語じゃなくてエスペラントでも何でも良いから、書き物のための共通言語が必要です。翻訳ではなく生で情報を得る手段が必要です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
ところで個人的には、西欧文明を推進したのは「学会」という組織が最大ではないのかと思っているので質問を出してみました。
中国文明は、一族内での秘密として技術を秘匿する傾向があるように思えます。
錬金術への取り組みと情報交換(本など)そして、最終的に「学会」という意見交換の場が作成され情報の共有による知識の強化に拍車がかかったことと、科学者以外の実業家も学会に注意すれば「これは儲かる」という面で技術の進歩に貢献できたなどがあるという考えです。
未熟な考えですが、もっと理由があるかもしれません。
なお、船の件については地中海文明やバイキングなどの同様の例があり、それも影響しているのかもしれませんね。
繰り返しになりますが、どうもありがとうございました。

お礼日時:2011/12/24 23:41

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