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楽曲の話題を出すときに、その楽曲がらみのアーティストの名前が出ることはよくありますが、
このとき、クラシックならその楽曲の作者を挙げることが多いのに、ポップスは歌手や演奏者の名前が出ますよね。
たとえば「モーツァルトの”アイネ・クライネ・ナハトムジーク”」や「ショスタコーヴィチの”モスクワ・チェリョームシキ”」ならば
「モーツァルト」や「ショスタコーヴィチ」は演奏者ではなくて作曲者です。
でも「カーペンターズの”遥かなる影”」や「マイケル・ジャクソンの”スリラー”」といった場合、
「カーペンターズ」や「マイケル・ジャクソン」は歌手・演奏者(パフォーマー)であって歌の作者ではありません。
だいたい、作者がバート・バカラックやロッド・テンパートンであること自体知られているかどうかすら怪しいほどです。

このように、ポップスでは作者が知られていないことがやたらと多いわけですが、
作者がいなければどんな素晴らしい歌曲だって存在しえないのに、こんな大切な存在が意識されないのは何故なのでしょう?
またポップスとクラシックとで整合性が取れていない(クラシックでは、アーティストは作曲者に比べ話題に上りにくいという、ポップスとは逆の現象があるわけです)のはなぜですか?
作曲者・作詞者も楽曲を語るうえで欠かせない人物であることがだれにとっても常識であるならば、
「黒猫のタンゴ」や「百万本のバラ」が日本の歌であるなどという文化盗人のようなケースも生じなかったと思うのですが。
(文化盗人が言い過ぎならば文化の源に無関心すぎるとでも言いなおしましょうか。どのみち私の感覚では理解しがたい行為です。)

A 回答 (3件)

No.2様のご指摘は的を射たものです。

楽譜が音楽の流通手段であった近代以前に比べ、レコードやラジオといった媒体が主流になると、当然演奏者に目が向けられるでしょう。楽譜といっても、古典派の時代はピアノなんか一般大衆が所有できるわけありませんから、モーツァルトなど、有名な楽曲はギターなどの楽器に編曲されて売られていたようです。

もう一つ追加すると、19世紀、レコードが普及する以前、ディスクオルゴールが音楽流通の媒体でした。オルゴールディスクはレコードと同じように音楽媒体として売られていました。演奏できない庶民はこういう自動演奏楽器を利用して音楽を楽しんでいました。しかし、演奏しているのは「機械」ですので、衆目が集まるのは当然、曲の作曲者です。楽譜でなくても演奏者が見えない媒体では作曲者が注目されるのです。

ロマン派の時代は大衆にクラシック音楽が解放された時代ですが、この時代、実はスターになり得たのは実は演奏者です。例えば、パガニーニ。ヨーロッパを熱狂させた演奏者ですが、作曲家でもあります。彼の作曲は自身の超絶技巧を披露するためだけになされたといっても過言ではありません。リストもそうです。超絶技巧で大衆を驚かせました。リストは作曲家というより、演奏家の方が有名だったと思われます。現在、彼の演奏を聞くことはできません。当然、現代人は演奏より彼の作曲の方に目が向かいます。彼らに共通するのは作曲家であり、演奏家であったということです。

古典派の時代でもしっかりとした著作権の権利が確立していなかったため、モーツァルトは作曲家として生計を立てることは困難でした。演奏家としての収入の方が多かったのではないでしょうか。しかしロマン派の時代、オペラなどで稼ぐ作曲家は少なくないです。オペラ歌手はスターですが、作曲家もしっかり稼ぐことができました。ここで始めて分業で音楽を作り、それぞれが相応の収入を得ることができたのです。

マーラーも現代では作曲家としての方が有名ですが、マーラーは指揮者でした。バーンスタインは指揮者ですが作曲家でもあります。バーンスタインのレコードやCDが溢れているので、演奏者としてのほうが有名なのです。もしマーラーの高音質の演奏が多数残っていたなら、演奏者としての方が有名だったかも知れません。

なんとなく思うままに書いたので悪文になってしまいました。申し訳ありません。言いたいことが少しでも伝われば幸いです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
クラシックの作曲者が多くの場合演奏家や指揮者でもあったというお話、興味深く読みました。これは無論私にとって既知のことでもありますが、takiyanさんのように他の方の言葉を通して読みますとまた分かりやすさもひとしおです。もう演奏者として活動することのないパガニーニやリストは作曲者としての名声のほうが後々まで残ることでしょう。
オルゴールもまたおっしゃる通りかと存じます。ディスクの目立て職人や筐体の製作者にはほとんど注意が払われませんよね。

ではポップスの場合はいかがでしょう。歌唱者・演奏者として活躍しなかった作曲者・作詞者は名声を残せないのでしょうか。
私は必ずしもそう感じてはおりません。
日本の阿久悠さんのように、演奏者としての名は全くない(そもそも演奏や歌唱したという話は聞いたことがありません)が、作詞家として名を馳せている例もあります。このように、ポップス分野で演者として活躍しなくとも、必ずしも大衆に名を知れずに終わるわけではない事例があるわけです。
ライモンズ・パウルス(私が質問文に挙げている歌曲のうちのどれかを作曲しているかたです)のように一国の大臣まで務めてしまった方となるとまた次元が違ってまいりますので、ここでは省きます。

余談ですが私はバーンスタインを作曲家とみなしており(初めて彼の名を知ったのが作曲家としてだったので)、指揮者としては(彼の技量はともかくとして)深く意識しておりません。私のようなひねくれ者の認識ですから流してくださって結構です。

お礼日時:2012/02/11 13:39

 


 絶対性と即興性 ~ Drawing and Painting ~
 
 クラシックの歴史では、ベートーヴェンの頃から楽譜出版が普及し、
宮廷に招かれない市民も、楽譜さえあれば、自宅での演奏を楽しむこと
ができるようになりました(現代作品は絶望的ですが)。
 
 かならずしもプロの演奏家を必要としなかったクラシックに対して、
ポップスは、ラジオやレコードが出現するまで伝達手段がなかったので、
演奏者こそが主役だったのです。
 
 フォスターの《スワニー》が、兵士の行軍で歌われ広まったように、
ポップスは時代と風土から生れますが、クラシックは、設計図のように
観念的な思索によって作られます。
 
 現代のオーケストラは、どちらも演奏できますが、演歌のメロディは
和声法が適用しないので、ほとんどが不自然な編曲に甘んじています。
 一部のポップスも、やたら不可解なコード進行に迷いこんでいます。
 
 こうしてクラシック・ファンは、すでに聴いた曲だけを聴きつづけ、
ポップス・ファンは、おなじアーティストの演奏ばかり追いつづけます。
 とくに後者はルックスを重視して、ほとんど聴かない者もいます。
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>ポップスは、ラジオやレコードが出現するまで伝達手段がなかったので~
私はむしろ、現実はこの反対だとみなしています。
たとえば、19世紀から20世紀初頭ごろの、まだ蓄音機など高嶺の花だった(もしくはまだ存在していなかった頃の)時代のアメリカ合衆国では、大衆歌謡の歌詞と楽譜を掲載した楽譜本が歌曲ごとに数多く出版され、これが庶民層に普及していました。
すなわち当時の米国では、ポップスは「プロだけが歌い一般民はそれを聴いて楽しむだけのもの」ではなく、「一般大衆が自分たちで演奏し、歌い楽しむもの」でもあったわけです。当然、プロの演奏家は必要なものではありませんでしたし(身近にいたらいたでもてはやされたでしょうが)、歌声や演奏の伝達もラジオやレコードを媒体としてはおりませんでした。
bildaさんが例として引いてらっしゃる『Swanee』にしても、「兵士の行軍で広まった」とされていますように、歌を歌うのにプロのミュージシャンが必須不可欠だったわけではないのです(軍隊ならば軍隊付きの楽士が当然いたでしょうけれど、楽士だけが歌ったり演奏したりしていたわけではありますまい)。

このような大衆向き歌曲の楽譜本があったのはむろん米国に限ったわけではなく、ヨーロッパにも普通にみられ普及していたことがわかっています。インターネットで古書として販売されている例が数多く見つかります。

このように、もともとは作詞者や作曲者のほうが目立つ存在であり、大衆にその名を知られやすい存在であったともいえるのです。むしろ歌手や演者が表立つようになったのはラジオやレコードの普及以降ではないでしょうか。

>こうしてクラシック・ファンは、すでに聴いた曲だけを聴きつづけ、
>ポップス・ファンは、おなじアーティストの演奏ばかり追いつづけます。
さまざまなジャンルの音楽に無関心な人々への痛烈な皮肉と感じました。なかなかのお言葉です。

お礼日時:2012/02/11 13:18

ビートルズ以降、ポップミュージックは自作自演が当然になっているから


多くのポップスは消耗品でいろいろな演者に歌い継がれるということが少ないから、
作者が演奏をしない場合はその姿を見聞きする機会が少ないから

こんなところでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
おっしゃる点は一見納得できるようにも思えるのですが、かえって多くの疑問が湧いてまいります。

たとえば、例示されているビートルズの場合、「ビートルズ」という括りで扱われることもありますが、ファンの間では
「この曲はジョンが作った、ジョンの曲がやはり最高」
「ポールとジョンの曲風はやはり違うね、ソロになってからの作品を聞かなくてもわかる」
「ジョージは目立たないけれどジョンやポールとはまた違った作風が好き」
「リンゴ?作曲してたっけ?」
というように、作曲者による違いをたしなんでいる事例は珍しくありません。
ビートルズのようにメンバー全員が作曲・作詞に携わっている例は多くはないものの、自作自演のバンドであっても個々の作曲者・作詞者を意識することは可能であることの表れではないでしょうか。

またポップスが消耗品の要素が高い点は認めますが、それでもリメイクやカバーバージョンなどで長期間歌い継がれるポップスは存在します。奇妙なのはこのときオリジナルの歌手・演者が表立ってしまうことですが。

また作者の姿を見聞きする機会が少ないというだけなら、映画監督や小説家なども姿を見聞きされることが少ないですから一般にその存在を知られることが少ないはずだという、現実とはあべこべの理屈が成り立ってしまいます。マスコミなどでの紹介され方の影響もあるかもしれませんが。 
ポップスの作曲者・作詞者は、業界内ではその存在を意図的に抹消すべきだとでもされているのでしょうか。

お礼日時:2012/02/11 12:54

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