プロが教えるわが家の防犯対策術!

小学生の子供を持つ父親です。

こういった質問サイトや育児の相談の話などで
子供が悪さをして手をペチッと叩いただけでも

「子供を叩いてしまって、やった後涙が止まりませんでした」
という人や
「どんな些細な事でも身体を叩いては暴力です、絶対にイケません」
などという意見をを見かけます。

暴力、体罰を肯定している訳では無いですし、私が男親だからわからないのかもしれませんが
手やお尻を叩く程度の事も含めて、とにかく暴力はNO!という考え方は
昔から一般的だったのでしょうか?

私はどうしても子供が聞き分けないときには殴りますし、子供同士の喧嘩も
(狭い場所でやらない、急所狙いや度を越さないこと前提で)殴り合いぐらいは
多めに見てしまいます。

私は心と身体は人間を司る両輪だと思っているので、身体の傷と同等に
心の傷も重いものだと思います。ですから、直接暴力はダメだからといって
言葉の暴力で追い込むのも同罪だと考えております。

ですから、、とにかく身体的に叩くのはどんなことでも絶対ダメと
言われてしまうと、叩くことが良くないとはわかっていてもなんだかなあと
思ってしまいます。

■とにかく叩くのはダメというのは一般的な考え方ですか?

■そういう考え方を実践している人は、どういったことが
 きっかけでそのようになりましたか?

A 回答 (11件中1~10件)

はじめまして。


二児の母です。
私は叩く派です。
ご質問の「叩くのはダメというのは一般的か?」ですが、私の周りに関してはNOです。
イケない事、聞き分けのない事をしたときにはペシっと叩くママは多いです。
良い悪いは叩き方や状況によると思います。口で言ってもきかなきゃ叩く、ですね。
叩いて後悔したことはありませんが、口で言い過ぎて後悔したことは山ほどあります。
たいてい子供が泣きだすのも叩かれた時よりもキツク言い過ぎた時です。
質問者さんのおっしゃるように、言葉の暴力の方がキツイとおもいます。

口だけですんなり言うことを聞いてくれる子供だったらいいですね。
空手を習い、悪いことをして私に叩かれても友達に暴力をふるうことはないですね。
反対に親にも殴られたことのないようなお子さんに、先日道路のアスファルトに投げ飛ばされてきました。
多少の痛みを知っておくのもありかもしれません。自分で痛みを知らないと人の痛みなんてわかりませんよね。
暴力賛成という訳でもありませんが、叩かなくてもしつけができる親御さんは叩かなければいいし、
しつけの為に必要ならば私は良いと思います。
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>とにかく叩くのはダメというのは一般的な考え方ですか?



私が伝えている親達のほとんどは、
必要なときには叩きます。


>そういう考え方を実践している人は、どういったことが
 きっかけでそのようになりましたか?

多分・・・流行の育児本やアホ教育評論家などの影響かと思います。
育児本は「売れるため」に書かれています。
○○万部とか、ベストセラーとかいう本ほど、
実践すると育成のためにならないことが多いです。
アホ評論家は、自分の名前を売って、TV出演や公演で稼ぐために
コメントを述べます。
中には、自分の子育てもうまく行ってなかったり、
子育てすらやってない人が、偉そうに机上の空論を述べています。
私が聞けば、すぐにわかります。



>身体の傷と同等に
心の傷も重いものだと思います。ですから、直接暴力はダメだからといって
言葉の暴力で追い込むのも同罪だと考えております。

身体の傷は、度合いがわかりやすいのですが、
心の傷は、わかりません。
障害が残ったり、傷跡が消えないような暴力はいけませんが、
言葉の暴力のほうが、人を苦しめます。

私も、言葉の暴力で苦しんでいる一人です。
一生消えることのない、心の傷です。



質問者様の感覚は、極めて正しく
それが一般的であるべきだと思いますが、

今の親達は、必要な体罰と、暴力を見極める能力を持ち合わせていないのです。
だから、すべてを「暴力」で片付けて全否定するんですよ。
どこで叩かなければいけないか?
どこを叩けばいいのか?
どこで叩いてはいけないのか?
この判断ができないのです。

親の想いや、愛情を伝える手段に、
「叩く」と言う行為の必要性を選択できないのです。
それほど資質の低い親が多いということです。
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日本の学校教育では、叩く=体罰になっています。

今の日本の学校教育では、絶対に叩いてはいけないのです。叩いた教師は、何らかの処分をうけます。

家庭教育は、その保護者の配下にあります。家庭家庭で教育のやり方が異なります。

けれど…ある家庭教育で日常叩く事で教えていると、周りからするとあの家庭は、虐待をしているとみなされる事もあります。現に、虐待だったりする事もあります。

学校での教育のやり方にも関係している様に思えます。
いずれにしても、昔の子供に比べたら、芯のない子供が多くなっていますよね。
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父親と母親が普通に殴る叩くの家庭に育ちました。




親がなぜ叩いたか?を理解できない年頃に暴力をされても

すぐ叩く。

としかとれませんでした。
謝れば、その手が止まる(こともある)ので
とにかく理解ができないまま「ごめんなさい」と
言ってた気がします。

悪いことをしたから殴られた というより
殴られるから今はやめとこう と理解します。
「悪いこと」という理解ができないので、
親がいない、親に隠れてやるようになりますね?

ようは、その愛のムチが、理解できないと
親がどれだけ「しつけ」だのなんだの言っても
無駄なのです。

小さい子供を殴ったとき、好奇心でやってしまったことを叩かれて、
びっくりして子供は泣きます。
それをみて、親は「叩くことじゃなかった・・・」と
後悔するんだと思います。

ちなみに、父親に殴られて頭を切って縫うこと2回。

父親は今でも笑って「軽く殴ったつもりなんだけどな~(笑)」と言ってますよ。
その時の暴力の理由で覚えてるのは「図書館の本を期日まで返さなかったから」です。
今ならわかりますが、
当時は「こんな本 誰も借りてないやん!!」と思ってました。(カードの履歴はみれるため)
あとは正直覚えてません。
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母親からはホッペた捻られた事が何度もありますけど親父から体罰受けた記憶は無いな、そういえば。


親父自身は柱に縛られただか梁から吊り下げられただかの体験があると一度聞いたことがあるけど(^^;
私自身は『拳骨落とし』と、『お尻パチン』の技を段階に応じて使い分けてますね。頻度は低いですが。

■とにかく叩くのはダメというのは一般的な考え方ですか?
「暴力で一方的に抑え込むのではなく、両者が納得できる解決・改善の方法をよく検討する術を修得する」という本来の教えを曲解して「とにかく暴力はダメ」と唱えているだけの、新興宗教みたいなのもいますよね。
叩かない事が重要ではなく、では叩かずにどうするのか、と言う方にこそ注目すべきと思います。
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初めまして。



私は20代前半です。
父親は本当の父親じゃないので、殴られた事はないですが、母親にはしょっちゅう殴られました。
が、虐待とか思ったことありません。

自分が悪い事をしたからです。

反抗期なんかはボッコボコにやられました。
でも、理不尽にやられてるとは思いませんでした。
というのは、殴られるだけじゃなくて、愛情もしっかり感じていたからだと思います。
本当は、殴った母親も、気持ちは良くないと思います。。

親の話なんか聞くと、昔はそんなの当たり前のようでしたし、私もそれがないと痛みとか、色んな加減が解らないんじゃないかと思います。

また、最近テレビでみたのは、本当に虐待を受けた人のメンタルと、まったく誰にも殴られた事のない人のメンタルは全く同じくらいだと教えてました。
なんだか、なんとなく解る気がしました。。

でも、今の時代というのか、とても難しい話ですよね。。

子供のケンカにまで親が出て、子供同士で解決しないからそこからギクシャクしだすのにあーだこーだ言ったり、
この歳の私でさえ違和感を感じます。。

でも、全く叩かないという親の方が全然まだ少ないと思います。

因みに私はまだ新米ですが0歳の子供がおります。
叩くとかはまだないですが、それなりに大きくなったら叱る意味で時には手をあげると思います。
でも、愛情もいっぱい注ぎます。私はきっと出来た母親ではないけれど、絶対責任をもって育てます。


答えになってないですよね、すみません。
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一般的ではなく、叩く親のほうが多いと思います。


私もこちらのサイトで子どもを叩いてしまい泣けて泣けて仕方ないとかいう話を読むと
正直「あほか…」と感じます。
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こんにちは。

cana-chocoといいます。
施設で保育士をしています。

叩くのがいけない、と誰もがいうのは、
それが、虐待死につながってしまうから、です。
ことばによって、その危険性が増してしまう。

もちろん、「叩くことはいけない」とこどもに教えるのに、
大人が叩いては示しがつかない、ということもあります。

「叩くことはいけない」と、わかっていて行うのと、
「叩いてもいい。叩かないと分からない」と思って行うのとでは、
おとなの気持ちも、こどもへの影響も、大きくちがいます。


叩くという行為は、快楽とつながっています。

こどもが云うことを聴かない。イライラする。伝わらない。
そのイラッとした時に、子どもを叩くと、一瞬スカッとします。

一度経験して、叩いて子どもが言うことを聴いたら、
自分でも気づかないうちに、「快楽」となります。
その頻度や回数は、だんだん増えていきます。


「こどもが云うことを聞かないから、殴るんだ」
「しつけだと思って、やっていた」
虐待する親は、ほんとうにそう思い込んでしまいます。


暴力は、麻薬や煙草と一緒で、すぐに止められるものではありません。
叩く癖がついてしまうと、叩く頻度は増えていきます。


「叩く」ということで、「いけないこと」を伝える。

それが、成功する例もあります。

日頃、こどもが「親から愛されている」と、しっかり感じられて、
心から甘えられる環境にいるこどもであることが、大前提です。

子ども自身が「いけないこと」を理解できる年齢になっていて、
それに対して、親が真剣に叱ってくれていると感じられれば、
虐待ではない。しつけになります。

こどもの発達に影響が出ない程度の「叩くしつけ」は、
その家庭の環境、こどもの発達状況、大人の精神状態が、
ある程度の基準に達していない場所では、すごく危険な行為です。


もともと、日本は海外に比べて、虐待が起こりやすい国です。

家庭の中のことに関しては、踏み込みにくい国です。
その家庭のしつけに、口を出すべきではない、という考えが根強い。
DVや虐待は家庭のこととして、問題視されてきませんでした。

「しつけ」と称した虐待は、
閉鎖的な「日本の家庭」の中で行われて、見ないようにされて来ました。

戦後から、我慢することが美徳とされてきた。
日本ならではの「可愛がり」も、耐える気持ちを培うものとされて、
先輩から後輩への「暴力をもって与える愛情」とされてきました。


虐待死が問題になってきて、叩くしつけはいけないと云われ始めたのは、
ネグレクトも含めた認知が高まった、ここ最近のことです。

ことばの暴力は、こどもの心を殺しますが、
叩く行為は、子どものからだを殺します。


わたしたちが「しつけのために、叩く事は必要」と声をあげたら、
「しつけのために・・・」と止め処なく叩く親が、増えていきます。

虐待は、防げる段階で確実に防がないとなりません。

きちんとした知識と、育児能力のない家庭で、
「叩く、殴っても良い。ある程度は仕方ない。子どもは叩かないとわからない」
と思ってしまうと、とても危険です。

そして、親が「叩いてしまった・・・」と罪悪感を持つことは、とても大切です。
その都度、こどもとの関係や育児について見直すきっかけになります。
虐待の前段階で、気付くことが出来ます。

「しつけだから、必要だった」と、自信を持っていらっしゃる保護者は、
保育士からみると、危険だな、と感じます。
自分のしつけや育児に自信を持ってしまうと、こどもの気持ちが置き去りになります。
その親の基準に、こどもが合わせる形になるからです。

「うちは大丈夫」と、どの家庭も思っていることでしょう。

育児に関して、大人が「自信がない」「迷う」ということが、
親の仕事であり、務めだと思います。
子育てというのは、こどもが自立して、育て上げて、初めて自信を持てることです。

こどもの個性によっても、子育て方法はちがってきますから、
お兄ちゃんにとっては、あっていた子育て方針が、
弟にとっては、向いていなかったということが、多々あります。

とてもいけないことをして、叩かれても、
ケロッとして、あまり響かないような子もいますし、
少し声を大きくして叱っただけで、3日後までビクビク怯える子もいます。

こどもによって、伝え方がちがうんですね。

だから、「いけないことをしたから、多少叩いても良い」とは、
やっぱり、一概には言えないと思うのです。

いじめと同じ原理で、親にとっては些細な出来事でも、
とうてい力では敵わない大人から振るわれる暴力は、
こどもにとって、恐怖です。

同じ程度の力関係の「こども同士のケンカ」とは、訳がちがいます。

こども同士のケンカで、こどもが学ぶことは多いでしょう。
ひとの痛み、友だちの気持ち、気付く機会が多いです

でも、大人からのしつけという「叩く」行為は、一方的です。
「教える」という名目なので、大人からこどもへ。
こどもがしっかり反論する機会が、持てないことも多いはずです。

幼く未熟なこどもも、親になれる時代です。
だからこそ、まずは叩かない育児を。
出来る限り、叩かないしつけを、と言わなければなりません。

ただ、人間なので「怒る」こともある。
思わず、手をあげてしまうこともあると思います。

ただ、叩くだけでなく、子どものしたことに責任を持たせて、
親も一緒に責任をとることが、大切だと思います。
親の行為が、叩くだけにならないこと。

たとえば「こどもが、万引きをした」として、
親父が、怒りで震えながらこどもの頬を引っぱたく。
それから、お店にこどもと向かって、店主に土下座をして、泣いて謝る。

その親の姿を見たら、こどもは自分のした行為によって、
親が恥をかき、真剣に向き合ってくれていると、感じるはずです。

万が一、叩いてしまったとしても、
そのことが、こどもの体や心の傷にならないような子育てを、
まずしていくことが、大前提だと思います。

その愛情の基礎が出来ていないのに、しつけようと思うと、
叩かないといけないことばかりが増えて、大変です。


こどもの頃に受けた行為は、こどもが大人になっても残ります。
そして、そのこどもが親になって、子育てをする時の手本になります。

だからこそ、「力の強いものが、弱いもの手をあげるのはダメ」
と、声をあげたいと思います。
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私が思うのは、叩くことで自分のストレスを発散させている親や教師が多くなったのだと思います。


昔は教師は叩くのが当たり前みたいな感じで、だけど不良達は大人になり、叩かれた先生のことを強く覚えていて、感謝したりしていますよね。
それは、その教師が「愛情」をもって叩いていたのだと思います。
親も、愛情があって子供のことを思って叩く場合は、必ず子供は感じとっているから、叩かれたことが辛いとは思わないんじゃないかな。

言うことを聞かないから腹が立って叩くのでは、子供には伝わらないかなと思います。
些細なことで叩くのはよくないかなとも私は思います。
人に危害を加えたとか、友達と喧嘩とか、目上の人に偉そうにしたとか、社会で通用しないことをしたときなんかに、口で言っても聞かない場合に叩いて分からせる、のは、私はしないけど、ありかなと。
特に男親は、少しくらいわがままというかお父さんの言うことは例え黒でも白!みたいなオヤジっぷりは必要なんじゃないかなと思います。

虐待は、愛情があれば虐待にはならないですよね。
骨が折れるほど殴らないし、蹴らない、ベランダに裸で放り出すこともしないし、ご飯を与えないこともしない。
それはただのストレス発散に子供を使っているだけですから。

あまりうまく回答になっていませんが…
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私は中学生の息子の父で50代です。



子供を叩くのだめか悪いか、一般的にどちらか分かりませんが、
自分の考え方は叩く事はだめではないと思います。

悪い事をしたら、その行いを正さないといけませんが
その手段のひとつが叩く事だと思います。
よく「言っても分からない奴は殴って分からせる」というのが
ありますが、まさにそれだと思います。
しかし逆をいえば、殴られている意味がわからない奴に殴っても
意味がないと思います。

それなので、自分は息子が幼児の時は絶対に手は出しませんでした。。
例えば、おもちゃを片付けなかった場合でも
片付けをしない事が悪い事すら理解できていない
幼児に叩いて強制的にやらせる事は何の意味がありません。

私が息子に手を出したのは小3位からで、
悪い事をしたと自覚はあるけど、その悪さの重大さが叱る言葉では
実感できてないと感じてころからです。
そんな事をやれば、引っ叩かれるくらい悪い事なんだと、
叱られくらいじゃすまないとい事をわからせる意味もありました。

だけど、小6位になって叱られている時、いつもは無言か「もうしません」と
言うだけなのに、この時には自分のした行為(叱られる原因)を何故やったか、
私の言った事に反論してきました。
私はこれをきっかけに手を出すのはやめました。
それは、叩く事が事の重大さを分からせる意味がなくなった、言葉でも十分
理解できるようになったと考えたからです。

だから、人間だって年齢のよって、言葉ですべて理解できると思ってないので、
叩く事=悪=暴力とはおもいません。

もうひとつ、余談で、これを書くと今は時代が違うと言われてしまいますが
最近の人って殴り、殴られる機会がまったくないですね。
だから、殴られる痛み、恐怖をわかって欲しい意味でも息子に殴る叱り方をしました。
これも、殴る事自体やってはいけない事だから、経験する必要がないといわれてしまえば
それまでですけど。
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