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公共の場や人目のある場所でモノを書く事ができません。
自意識過剰になってしまい、手帳すら開けません。
原因は多分自分がもし逆の立場だったら、好奇心が強く、どんなモノを書いてるのか見たい、気になる人間だからだと思います。
だから、人目が気になるのです。
また、絵も描くのが好きなんですが、外で描くのは勿論、知り合いの前でも無理です。
一部の絵を本職にしてる人には絵を描くことすら言ってませんので、万が一電車なんかで偶然乗り合わせた時に描いてるのがばれたら、、などと想像してしまいます。

しかし、絵などはいつ何処でもかけなくては上達しないですし、手帳は思い出した瞬間書きたいです。
なのに自分の自意識過剰で身動き取れない状態です。
もっとあっけらかんと開けっぴろげに生きて行きたいのですが、どうしたら良いでしょうか。
アドバイスお願い致します。

A 回答 (6件)

再回答します。



『具体的な修練方法としては、その不安を雑念として受け流し、したい事・すべき事をする、又はし続けるという理解で正しいでしょうか?

宜しければ具体的修練が他にあれば再回答頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。』

という質問を受けましたので、出来るだけ貴方の意に叶うように答えてみます。

『その不安を雑念として受け流し、したい事・すべき事をする、又はし続けるという理解で正しいでしょうか?』と云う事ですので、その答えで良いです。

自我意識が出てしまって『しようと意識した事が出来なくなる場合』には、心の中に在る違和感を感じている筈です。その違和感を打ち消すように『頭の中でやりくり』している筈です。

その頭の中のやりくりが『悪循環となって』出来ることさえ出来なくなっています。

そういうことが何故起きているのかを書いてみます。『心の中のやりくりとは』感じた事を、心から排除するためのやりくりです。つまり感じた事を『感じなかった事にしようとする』計らいです。

自分が受け取りたくないと思う事柄を、『感じた瞬間に、打ち消そうとする心の働きです。』その働きが『意識する原因です。』

もう一つの意識から、脳梁を介して送られてくる情報の内、『受け取りたくない情報が、送られて来ます。』その情報を嫌う余り『何時までも、そういう事が頭の中からはなれなくなっています。


具体的な修練方法としては、その不安を雑念として受け流し、したい事・すべき事をする、又はし続けるという理解で正しいでしょうか?


正にその通りです。『湧きあがる感情は、一過性の性質があります。』そのままにして置く事で、直ぐに次の感情が湧きあがります。その為に、気になった事でも『そのままにして加工しないでいた場合には、直ぐに消滅する性質があります』

ところが貴方や『神経質な人や、不安になり易い性格の人は』湧き上がった感情(雑念)を毛嫌いしているために、その湧き上がった感情を『懸命になって打ち消そうとしています。』

この打ち消そうとする『心の働きのために』頭の中で『実際に起こりえないものまで『想像上の恐怖として、作り出しています。』この作り出された世界は『現実にはない世界です。』現実にはない、仮の世界を、事実と勘違いしています。この実際にはない仮の世界を『実際の世界として体感しています。』

この世界が妄想と呼ばれている世界です。仮の世界と、真実の世界の区別が付かなくなっている事が『恐怖症や神経症の世界です。』

と言う事で、恐怖症や神経症に関する話をして置きます。始めに完全に治った姿を書いてみます。今までは『湧きあがる自分の感情に、右往左往していました。』その為に返って、びくびくしていました。そのびくびくした自分が嫌で、びくびくしない様に振舞おうと努力を尽くしていました。

今度は違います、びくびくする自分を受け入れています。その受け入れる事が出来ているために、『びくびくしている自分を許す事が出来ています。嗚呼誰でもが、びくびくしたり、手が振るえたり、緊張する事が在るのだな!』と云う事が心の底から納得できています。

自分も他人も同じなのだ、と云う事を知る事によって、びくびくしている自分を『意識する必要が無くなってきたからです』意識する事が無くなった事で、今まで感じていた事柄は『全て忘れ果てています。』

忘れ果てている事によって、意識性が強かった自分が無くなっています。意識したとしても、意識しなかったとしても同じように振舞う事が出来るようになっています。

何があっても、『あっけらかんと開けっぴろげに生きて行きている自分』になっています。

その次に『一生治らない姿』を書いてみます。『びくびくする自分ではいけないと思い込み』びくびくする自分を、『びくびくしない自分にしようと、絶えず意識します。』絶えずその事を意識して『びくびくする自分に叱咤激励しています。』

心を強く持とうとして、動じない自分を演じる練習をします。全ての力を振り絞って『びくびくしな自分』を作る努力をしています。ですが全ての努力が無駄になります。何故ならば『そうであってはいけない』という心の努力が、頭の中では『架空の世界を作っていて、逆の世界を体感している事を意味するからです』

神経症の場合と同じです。神経症の場合では、症状らしきものが『在ってはいけない事』として、心から排除する努力をしていますが、その努力が『何でもない事を、症状として発症させていて、更にその症状らしきものを、心から排除しようとする努力が、その症状らしきものをしっかりと心に固定させています。

神経症の場合では、その症状らしきものを『追い出そうとしなくなった時が、治った時です。』症状らしきものを『無くそうとする努力が、かえって、症状らしきものを発症させて固定させています。』

従って、神経症を治そうと一生頑張るなら、神経症は一生治らない事我決定します。

もし治す努力をやめるなら、その時点から治り始めます。そうして治さなくとも良かった事が、分かる時には、その時点が完治したときです。

神経症や貴方のような場合では、身体も脳(心)もどのような検査をした場合でも、異常が見付からないはずです。何故なら何処にも異常がないからです。

身体も脳も異常がない事は、貴方も神経症の人も、健常者と同じと言う意味になります。

唯一つの違いは、異常ではない事を『頭の中の思い込みで、異常にまで高めている事を意味します。』

それは、自分が意識する事によっていますが、『無意識の自分に封印を掛けている事を意味します。』無意識の自分が出てこれなくなっているためです。

無意識の自分からの情報が『雑念』と言うものです。処変われば、絶えずその情報は変わり続けています。頭の中で同じ事を考え続けている場合では、雑念の流し方を知らないでいるからです。

その雑念を追い払うようにする場合にだけ、頭の中には『意識地獄が始まります。』

良い事のみを希い、悪い事を寄せ付け様としない心が『頭の中で、悪い事を作っています。

『具体的な修練方法としては、その不安を雑念として受け流し、したい事・すべき事をする、又はし続けるという理解で正しいでしょうか?』

この態度が正しい態度です。

神経症とは『生きる態度の誤りです。』自分が頭の中で描く世界と、目の前の世界が違ってしまう事です。

頭の中で天国を望む心が『地獄を呼び寄せています。』

湧き上がった不安を、雑念として受け流すようにするために、もう一言添えておきます。

良い事を喜び過ぎない様にする事と、悪い事の場合に、落ち込みすぎ無い様にする事です。

この事が徹底された時、『あっけらかんと開けっぴろげに生きている貴方が』出来上がります。

今の貴方は良い事を喜びすぎていて、悪い時に落ち込み過ぎているという『生きる態度に誤りがあります。』

湧きあがる雑念に、一喜一憂しない態度が、あっけらかんと開けっぴろげに生きている態度と云う事になります。つまり、何事にも動じない態度と言う意味です。
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございます。

なんだか、スーっと憑き物が落ちた様です。

単純に言ってしまえば、意識すればする程無意識は遠ざかり、怖がって蓋をすればする程、恐怖の対象が増大すると言う至極簡単である事なのに、私にとってはとても理解しづらい話だったのだと改めて思います。

以前読んだ心理学の本が最終的に仏教や哲学と被るような話になった時の様な、一種独特の腑に落ちるお話で、私には本当に染み込む様に体験するように理解する事が出来ました。

絵の事でなくとも、色々な場面で応用出来ると思います。
本当に本当にありがとうございました。
自分と上手く向き合う事のキッカケにして頑張ります!

お礼日時:2012/02/15 16:26

あなたは否定されたり、未熟さをバカにされたり、からかわれたりなどを極端に恐れるということはありませんか?


この場合の「極端」とは、「夜も眠れないほどブルブル怯える」という意味ではなくて
「回避できるそうなら、つい回避することが行動原理で最優先になる」という感じのことです。
聞こえ良く言えば完璧主義者さんなのではないですか?
例えば…
・お洒落から外れたファッションで街を歩く。
・うろ覚えで理解していたつもりになっていた言葉が間違っていて、指摘される
・意図せずして下ネタ(に聞こえるような言葉)を嬉々として喋っていた…
・「何も分からない田舎の芋っ子扱い」をされてしまう(→転じて自分のレベルより洗練された場所を無条件で恐れる)
などの「ダサイ経験」に特別強い恥ずかしさを感じるタイプなのでは?
もしそうなら、ある程度の「ダサさ耐性」を身につけることをオススメします。
そもそも、人が這い上がっていく様(この場合は画力向上)というのはダサイものだと思います。
それでも誰かとガハガハ笑ったり、挑発し合ったり、力量が上の人にアドバイスなどをされたり、
別に誰かがバカにしたりもしないし、逆にバカにされたらその人の心が変なんだと素で思えるような
そういう状況にいくらでもなれるということを、実際やってみて実感することが近道なのではないでしょうか。

例えば、少し違いますが、大家族の人や体育会系の部活の人、一人っ子の人やインドア一直線の人でしたら、仲の良い他人に着替えを見られることへの抵抗感が全然違う場合があります。
あなたはそんなかんじなのではないかなーと推測しているのですが。
みもふたもないですが…結局はこの問題に慣れ以外の要素は皆無だと思います。
失礼になるかもしれませんが、これまで人に揉まれる経験が少なかった方ではないかと推測します。

あなたの「恥ずかしくなってしまう、避けたい状況(だけど平気でやっている人も結構多い事柄)」の中でも心理的負担が軽めのものを実践してみて慣れていくのはどうでしょうか。
それを繰り返し、「こんなの普通じゃん」と心から思えるように自分の心を意識して向けていくこと。
(カラオケなら仲のいい人の前限定でうろ覚え程度の曲をわざと入れてみるとか、いっそもう苦手な状況が次々用意される環境に身を置いてしまう。)
すると、「人に弱みを見せられない完璧主義的な部分」がいい意味で溶けていき、少しずつ人前でも色々できるようになっていくのではないですかね?

全然的外れだったらすみません
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この回答へのお礼

仰っている人物像良ーーくわかります。
が、申し訳ありません、どちらかというと逆です(笑)

うろ覚えは指摘されても自分語だからですますし、基本寝癖で渋谷も平気ですし、下ネタ知らずに言ったりしたらまた人に話してネタにするし、うろ覚えの歌は好んで入れてわからないと鼻歌で歌うようなタイプです。

完璧目指したい気持ちもなくないですがあまりに出来ない人間なので諦めてるって感じです。
そしてそれを申し訳なくもこれ以上ない程、周りにも受け入れて貰ってます。
だから、私を全く無神経と感じてる人も多いかと思います。
(ある意味それも正解なのですが)

ただ、絵だけは周りで本当に凄い人(誰もが知ってる様な)が多すぎて恐れ多くて趣味で絵を書くとすら言えない環境ってのもあります。
その方達と知り合う前はもうちょっと無神経無意識で描けた気がします。
手帳は多分、その問題の絵が沢山書いてあるせいかと。。

でも、

>>別に誰かがバカにしたりもしないし、逆にバカにされたらその人の心が変なんだ

ってそーなんですよね!!
私も人前で描いてる人を自由でいいなと妬みこそすれ、批評したり、バカにしたりもないですし、
(デッサン力が大事と思ってないので)
考えるのもへーこんな絵描くんだなとか、好きだな嫌いだなって程度です。

なのに自分が見られた時だけ何故か石を投げられる想像しかできません(笑)
自己評価の低さもあるかもしれませんね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/02/13 09:40

それは自分自身を深く知る事で解決する問題です。

如何いう方向かと云う事も書き添えて置きます。

自分自身を知るという意味は、意識する自分と『無意識でする自分』と言う二人の自分が存在すると言う意味です。従って貴方の悩みが解決した姿は、『意識したとしても、意識しないとしても同じ行動が出来る中に存在します。』

この事を説明する場合には、人間の脳の説明をしながらだと説明し易いですので、脳の構造上の仕組みを説明します。科学的な文献からです。ウイキペデアからです。


”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”


貴方は俄かには信じる事が出来ないと思いますが、貴方の脳梁を切断した場合には、左右の脳には『それぞれ独立した意識』が存在しています。

一つは自我意識ですが、この意識は左脳に存在する意識です。そうしてその機能は『物事を分析をしたり論理を尽くして、言葉にして、書き残す事です。』或いは、物事を言葉にして把握する機能とも言えます。

その点が右脳と違う機能となっています。右脳の機能は『生命活動を全て取り仕切っている事』が挙げられます。言葉にするなら『命そのものを働かす機能』です。

右脳の意識がはっきりと見て取れる動画が在りますので、載せて見ます。

URL:

この動画から読み解く事は、自我意識は右脳からの情報を、脳梁から貰ってあらゆる事を把握したり、あらゆる感情が湧き上っている事を意味します。

右脳に存在する意識をもう少し詳しく説明するなら、その機能は大きく分けた場合に『三つの働き』に分ける事が出来ます。

一つは『身体機能としての命を守る働き』です。生命活動を維持する働きと言う意味です。この意味を分りやすく言うなら、自律神経や交感神経や副交感神経や、ホルモンの分泌や、消化酵素などや、呼吸や、心臓などや、発汗作用などや、果ては排泄時の感覚なども含まれています。

右脳の意識は身体の機能に対して全責任で、生命活動に関して働いていながら『自我意識』にはその時々に応じて必要な事を『脳梁を通して、言葉によらない情報として』送っています。右脳の意識は言葉がないからです。

或いは、暑い時に水分が足りなくなった場合では『涼しいところを探す事や水の在処を探すように』指示さえ出しています。寒い場合でも同じです。暖かい所を探すように指示を出しています。

一つは『行動する場合の機能として働いている場合です。』この機能を疑う事が貴方の悩みになっています。二つの意識は交替制をキープしながら、普通の生活が守られています。この機能が『二つの意識の間で上手く同調出来ている場合を、健常者』と言っています。

行動する場合の『もう一つの意識の機能に疑いを差し挟む事』が貴方の悩みの元になっています。こういう場合の事を『神経症』と言います。自我意識が出たままになってしまって『行動が制限されてしまう現象です。』こういう現象がおきやすい人間の性格を『神経質な性格とか、不安になり易い性格』と表現しますが、その根本問題は『自分自身の右脳の働きに敏感』と言う意味になります。

余談になりますし、貴方の悩みとは少し違いますが、右脳の機能のあと一つの働きを書いて置きます。

残りの、もう一つとは『心に感情が湧きあがる働きに付いてです。』生命活動が、心に対しても働いている働きと言う意味になります。

この三つと言う風に分けて書いていますが、実は繋がっています。身体の機能が水を欲しがっています、心と連動して、水の在処を探したり、求めるように行動を起しているからです。

貴方の場合では『メンタル面が弱い事』を意味しますので、メンタル面と言う観点から説明します。メンタル面が弱いという意味は『自我意識が出てしまって、なかなか、無意識の自分になれないために、無意識的な行動が取れなくなっている。』と言う意味です。

右脳の意識は『自分が無意識の時の身体も心も行動も』全て、自我意識に代わって取り仕切っています。その為に『右脳の働き=無意識の意識』は、自我意識が出たままの場合では『交替要請を出してきます』

この交替要請が『漠然とした不安や、何処から来るのか分らない、不気味ともいえる感覚』です。健常者には、決して分らない感覚です。この感覚を嫌うために自我意識は『意識地獄』と言う状態になっています。

意識性が強いと云う事が貴方の悩みになっていますので、その意識性を如何いう方向に向けた場合に『神経質な性格のまま、或いは不安になり易い性格のまま、おおらかな、或いは不安をそのまま安心に替える事が出来る様になれるのか。』と云う事を書いてみます。

不安とは、右脳からの情報の事です。その不安を受取ろうとしない事で、その不安は少し大きくなって再送されています。従って不安を安心に替える方法とは『小さな不安の時に受け入れる事』です。

高所恐怖症と言うものや社会不安障害や対人恐怖症と言うものがありますが『全てが小さな不安の受取りを拒否してしまう事』から発症しています。

あらゆる恐怖症は『右脳からの情報』の受取りを拒否している事から発症しています。右脳の意識が『送る情報の受取りを拒否された事を知って、同じ情報を拡大して大きくして再送しているためです。』

その際たるものが『パニック障害』というものです。心の裏側からの説明をするなら、訳があって右脳の意識は『小さな不安』と言う情報を脳梁を介して送ります。自我意識はその情報を、選り好みをする心によって、受取ろうとしない場合が有ります。

そういう場合に、右脳の意識は、同じ情報であっても、受取りを拒否された事で『少し大きく拡大して再送するようになっています。』小さな不安を拡大した場合には『恐怖感』と言う情報になっている事を意味します。

高いところの情報を拒否した場合が『高所恐怖症』狭いところの情報の場合を『閉所恐怖症』と言った具合です。

貴方の場合も神経質な性格と言う面がありますので、その性格の解消方法を書いてみます。簡単ですので、簡単に考えてください。

神経質な性格と言う場合では『湧きあがる自分自身の感情に敏感』と言う意味になりますので、自分自身の心に湧きあがる感情の受け流し方を学ぶ事で解消します。

言葉にするなら『湧きあがる自身の感情に一喜一憂しない人間性の構築』という意味です。もう少し分かり易い言葉にするなら、湧きあがる雑念に振回されない人間に成長する、と言う意味です。

人間には『必要に因ってあらゆる雑念が、湧きあがったり消えたりしています。』そうして目の前の環境によって次々と雑念が生じたり消えたりしています。

言いたい事は、貴方が、心配の種にしている事柄は『そのままにして置く場合では、直ぐに消えてしまう事』を意味します。

簡単な言い方をするなら、湧きあがる雑念に貴方は振回され過ぎている。と云う事です。

貴方が神経質な性格を乗り越えた姿を書いて置きますので、参考にして下さい。

何事にも動じない性格になっています。その為に貴方は必要な事は全て、やってしまっています。不安な事には『直ぐに手を打っているからです。』気の掛かる事は全て手を尽くしている事によって、不安の要素がなくなっているからです。

神経質な性格は、細かなところにまで気が付くと云う事です。そういう性格のために、貴方は出来ることを全て行なう実行力が備わっています。まめに働いて、不安な事には対処しています。

現実的な不安と、頭の中での不安が一つのものとして、貴方を動かしているからです。

ところが今の貴方は、現実に存在する不安と、『頭の中だけの不安』が入り乱れています。現実にはない不安に怯えていると言う意味です。

意識したとしても出来ると言う意味と、意識しないとしても出来ると言う意味は、意識と無意識が一つになって働いていると言う意味があります。

今の貴方は『無意識の自分と上手く同調出来ていない。』と言う意味になります。

メンタル面が強いと云う事をもう一度書いて置きます。オリンピックなど『心に圧迫が掛かった場面等で』自我意識が出ないでいる場合の事を言います。そういう場合の心構えとは『無意識の自分に任せるという意味になりますが、とりもなおさず、無意識的に出来るように訓練をするという意味です。』

飽く迄も修練を積む以外にはないと言う意味になります。自分自身を忘れる訓練を積むと言う意味です。
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この回答へのお礼

詳しく回答ありがとうございます。

仰っている事を的確に受け止めているかどうかはわかりませんが、お答え自体がとても的確、自分自身が求めていた回答に近いモノだと感じています。

自分は端的なもう少し表層的な問題だと考えていたので、思いもかけず深層的、根本的な視点のお話でとても興味深く拝見しました。

具体的な修練方法としては、
その不安を雑念として受け流し、したい事・すべき事をする、又はし続ける
という理解で正しいでしょうか?

宜しければ具体的修練が他にあれば再回答頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。

お礼日時:2012/02/13 08:47

自分が人の書いているものに興味があるからと言って


他の人もそうだ、と思うのは大間違い!

あなたが思うほど人はあなたのことなんか気にしません。
あなたが何をしようがお構いありません。

ぜんぜん気にもしませんよ。
むしろ無視されていると思って間違いないです。

自分が人に何か思われてるなんてずいぶん幸せなことを言うじゃないですか?

あなたのことなんかだーれも見てもくれませんよ。
無視ですよ無視。
あなたは世の中に無視されているんです。

あなたがいなくたって世の中動いていきます。
あなたがいてもいなくても歴史は変わりません。
そのくらいあなたは世の中に無視されている人間なんです。

まして、あなたの絵や手帳なんぞに興味を持つ人なんぞだーれもいませんて!

あなたがAKB48のセンターだったら手帳になにが書かれているんだろうと
人は興味を持つかもしれません。
あなたが向井理だったらどんな絵を描いているんだろうと人は興味を持つかも知れません。

だけど、あなたは世間とかかわりがない無視された人間。
誰が気にするというんですかね?

だから、大丈夫、あなたの手帳を見せてやる、と言っても見る人はいませんよ。
頼むから見てくれ!と言っても見る人はいないでしょう。
だって、そんなもんつまんないもん。

村上龍が見せてやるといったら私は見るかも知れませんん。
でもあなたの手帳や絵なんぞ見てる時間がもったいないだけです。
だから頼まれたって見ません。

というのが本音だし、ほとんどの人はそう思ってます。
ですから、そのような現実を認識すれば気にすることがなくなるんじゃないですかねぇ。

この回答への補足

そんなことは百も承知です、そして何故そんなにお怒りなのでしょうか?
自意識過剰を辞書でひいてみてください。

建設的な分かりやすい意見をお願い致します。

補足日時:2012/02/10 11:19
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精神科で軽いお薬を出してもらうと楽になりますよ。

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質問者様ほどではありませんが、私もそのような思いをしたことがありました。



しかしまあ…
自分が思っている程、いや、まったくと言って差し支えないくらい他の人は自分のことを見てなんかいませんね。

街などで会う人など「一期一会」です。そんな人の評価を気にするあまり、自分のしたいことも出来ないようじゃ人生損ですよね。


スティーブ・ジョブズ氏の有名な演説をご存知ですか?一部で「死を意識して生きろ」という内容のことに触れていますが、これを知ればもっと素敵な人生を送れると思いますよ。参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね、、損なんだ!ってことを自覚して万が一誰がどう思ってもそれより優先すべき事があると思えば、、
ジョブズ氏の演説は以前見ましたが、ここにも通じますよね。
参考になりました。ありがとうございます。

そして、私は自分の行動に責任を持ちたくないんだという事が見えてきました。

お礼日時:2012/02/10 12:44

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