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人権とは、いったい何なのでしょう?

ほとんどが都合のいい言葉でしか感じられない。

私は賢いという人に賢さを感じた事は無い。

A 回答 (14件中1~10件)

最低限の平等でしょう。


才能努力で酬われないものは守らなければならない。
 
 ただ、人権によく含まれる生存については微妙ですが。
 他人を殺してはならない。
 それは、自分も殺されるという平等を受け入れなければならないからというのが根底に有ります。こちらに関しては当然だと思われます。
 ただ、今医学界でも議論されていますが、死にたい人は死なせてあげるのが人権であるとは思いますがね。
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この回答へのお礼

>ただ、人権によく含まれる生存については微妙ですが。
>他人を殺してはならない。
>それは、自分も殺されるという平等を受け入れなければならないからというのが根底に有ります。こちらに関し
>ては当然だと思われます。

上記に書いていただいた事は、心象世界にも通じるものがあると思われます。
見やすくこの文字世界だけでの表現では足りないだけの世界があります。

医学界での議論については良く解りませんが、家族の生きていてほしいという思いに対して何十時間も
機械によって延命措置がとられる事例を目にしたことが在りますが、
わたくし個人の意見としましては延命措置は望みません。苦しむばかりです。
もう30年程以前の事ですが、延命措置をされていた友人がいました。
わたくしは自宅内に居りました。そこでは見えないはずの虹の光が目の前を通っていきました。
後に聞いたところ、友人の延命装置が外された時間であったことを知りました。
御回答有難うございました。

お礼日時:2012/03/14 21:12

2011年12月30日、栃木県警鹿沼署の留置場で中国人の男性が勾留中に


糖尿病で死亡したことが、2012年3月7日に判明しました。

通常、糖尿病で人が亡くならないことを考慮すると、
これは人権侵害と考えられます。

中国人が何か犯罪をしたから死んでもよい、というのはとんでもない思想です。

大阪市東住吉区で一九九五年、保険金目的で自宅に火を付け小学六年の長女を殺害したとして
現住建造物等放火と殺人、詐欺未遂の罪に問われ、
無期懲役の判決が確定して、収監された母親がいます。

ところが、17年経過後、2012年3月7日、
事故で火事が起きたのに過ぎず、放火がなかったことが判明しました。

保険金目的の放火とされたのは、警察の暴走に過ぎなかったのです。

この回答を読んでいる貴方の自宅が偶然、火事になったとき、
放火なんてしていないのにもかかわらず、
警官がよってたかって放火したと決めつけて犯人にされたら、どう思います?

それはひどいでしょう。これが人権侵害です。

ところで、戦前は、天皇が中心となる独裁性を維持するために、
国家の権限が強調され、国民の当然の権利は蹂躙されました。

通常、これは自由がない、と言うのですが、
戦前の教育を受けると、このような国家中心の社会が当然であるという思想に染まります。

西欧の教育を受けると、公務員が権限を恣意的に濫用する社会に違和感を覚えます。
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この回答へのお礼

わたくしは西欧の教育は受けておりませんが、ある程度のキリスト教的知識は
あります。

回答者様が感じられる違和感はもっともな事だと思われます。
太平洋戦争を日本国が起こしそれが天皇を中心とした独裁制の基にあるならば
しかして現実は違います。天皇は承認する立場にあっても方向性を決めるのは
当時の政府にあったという事です。昭和天皇がマッカーサーにあった時に、
「わたくしはどうなってもいいですから国民を助けてほしい」とおっしゃった事
その後に考える私達がいることは間違い在りません。
皇国民が多くいた当時の日本では、当たり前の事ですが、他から見ると独裁者に
移るかもしれません。が、昭和天皇のお言葉は、独裁者にあるまじき事です。

西欧では当たり前の独裁者像が、日本では違う事に目を向けていただきたい。

西欧に主にアメリカによって教育された、日本人の姿、欧米人に都合の良い姿が
わたくしは良いとは思いません。
残念ながら、日本をそのままに教えられた人が公務員になっているとは限りません。
そこのところは、これからの教育にかかって来るでしょう。
私達が見なければいけません。わたくしが立てた質問ですが、全てを読んでいただきたく思います。
私事ですが、一つの質問に対して10程かいとうがありました、そのうち8は私が書いていました。
御回答有難うございました。

お礼日時:2012/03/08 16:24

NO.4 です。



>都合よく使っている人の存在が本来のあるがままを良くしたか悪くしたかで
揺れるところであって、それを食うような人権がこの世の中にある。
そのままでいいのか、

仰ることはわかるような気がします。今の自由で、ある意味理不尽なほどの言動が許される社会も、一面では必ずしも悪いとはいえない、判断できず迷う自分が居る、ということでしょうか。



>先の大戦があって、大概の人は、それを学ばずに高校を卒業します。
わたくしの個人的意見としては中学卒業で知っていてほしい事柄が多いと思います。


私の学校も同様でした。今思えば、教師たちもその部分をどういう姿勢で教えたらいいのかわからなかったので、たいそう重要な、ある意味一番教えなければならなかった事柄をパスして、逃げてしまったのだろうと思っています(時間が足りなかったというのはいいわけでしょう。毎年そうやって居たのですから)。戦前、戦中の時代の自由のあり方、社会の状況、その結末を真摯に見つめ考えさせることから、今の自由のありすぎる状況を考えなおし、より正しい自由のあり方を彼らなりに模索させるべきではないかなかったか(もちろん私たちにも)?そういっておられるのかもしれません。それなら私も賛成です。こうなってしまった社会においては、もう遅いのかもしれませんが。



どさくさに勝手なことを書かせていただきました。
ずれていたのなら申しわけありません。

この回答への補足

先の大戦の後、黒塗りされて、読めない教科書があったという事は知られています。
何が黒塗りされていたのか?
日本軍の真珠湾攻撃を当時の米政府が知っていたというのはあっても、無きもののように
使われているのは知っています。
歴史長き日本の国は、良くも悪しきも歴史の中に残してきています。
読みたいという気持ちは、何も昔を肯定するばかりでは在りません。
いまある記事や人が書いたものを読み解くための道具に成るはずです。

補足日時:2012/03/14 22:04
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この回答へのお礼

とんでもないです。
力強い後押しをしていただいて有難くおもうばかりです。
こういうやり取りが出来たのですから遅くは無いと思います。

今現在発行されているメディアを読めなくなっている、
読まされているのでは?と言う問いに対して重要な
御回答有難うございました。

お礼日時:2012/03/08 15:12

NO9です。

ちょっと気になりますので…。
言論の自由は、憲法に規定されたる国民の権利です。マスコミのみに限定されるものというと、とんでもない間違い、恐怖のズンドコに陥れられた気分になります。
 報道の自由を盾に横暴を繰り広げるマスコミ(権利の濫用)により、国民の権利が侵害され続けていますよ。
人権についてならば、人権の本質を理解していればわかることと言いたかったのです。私はこまごました知識、たとえば自由権とか自然法だのなんだのとか、言われなければ忘れてしまってますが…。

関係ないですが、
「死刑と天下りは廃止しない方がいい」
「なぜ?」
「犯罪者が同じ場所にいつまでも溜まりつづけるから!?」
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この回答へのお礼

権利ってかなり原始的な概念ですよね。
権を持つものが権威と同じようなときに古い宗教が生まれたようです。

後の今に繋がる人権とは何なのか?考えるところが在りますよね。
日本の場合は戦中戦後についての歴史を知らない事が今に繋がって
いるとおもいます。
御回答有難うございました。

お礼日時:2012/03/08 15:02

言論の自由は憲法21条で保障されており、人権の一種です。


言論の自由は、マスコミが報道する自由を保障することであり、
一部の政治家、霞が関の官僚などにとって、都合の悪い事実であっても、
マスコミが報道する自由を保障することにあります。

例えば、ある政治家がワイロを受け取り、その会社、業界に有利に扱っていた場合、
その政治家はマスコミにそのことを報道してほしくないですよね。
官僚が裏金を着服しているとき、その官僚はそのことを報道してほしくないですよね。

それにもかかわらず、マスコミが都合の悪いことを報道した場合、
国家権力が、都合の悪いことを報道した記者、新聞社、テレビ局に報復したりしますよね。

これが言論の自由の侵害であり、人権(基本権)の侵害になります。

ところで、日本国憲法では、人権規定とされていますが、
他の国では、基本権という用語を使うときがあります。

言論の自由は、通常、個人ではなく、新聞、テレビ局などマスコミが行使するので、
人としての権利という意味とそぐわないので、
人権という用語ではなく、基本権という用語を用いる場合があります。

人間が生きていく権利があるのは、当然ですよね。
しかし、死刑判決は、国家が被告人の生命を奪うのです。
換言すれば、国家が、被告人が生きていく権利を奪うのです。
被告人の人権に配慮し、死刑を廃止している国もあります。

人権を重視すると、国家の権限が縮小されるので、
一部の公務員は、人権の重視を好ましく思いません。
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この回答へのお礼

なるほど、と、書かざるを得ない回答です。
メディアと個人の人権は、昨今読めない人が多いようですが。

マスメディアとは違う小さなメディアが、悪口が、自殺に追い込む
事例も見て取れます。

御回答有難うございました。

お礼日時:2012/03/05 18:39

人権とは?それは勉強して客観的に理解しなければ非常に難しいものです。


人権は非常に重要であります。
ですから、公務は公正公平でなければならない。地方も含め、司法・行政・立法以外にも、今では民間企業にみえ薄れてしまってますが、銀行・電力会社・旧電信電話公社(逓信省)系(NTT・放送局など)等公務はいろいろあります。不正・不公平(権利の濫用)は、権利の侵害を意味しますので絶対人権侵害になります。誰の権利も侵害せず権利の濫用ができるといういうやつがいますが、嘘です、絶対にできません。
 言論の自由は国民の権利であり、報道機関が公正でなく不公平であれば、例えば外国人から献金をもらっていたり逆に献金していたりする不正の輩を守るような良くいうような報道は、国民の権利を侵害していることになります。
 少年法で未成年者に死刑がないならば光市の事件の判決は現行法制下でのとんでもない人権侵害になります。
人権を言うものたちは主観が入りすぎる、つまり質問者さんがおっしゃるように自分たちに都合のいいように人権を盾にわがままにふるまう者が多くいます。
 権利があれば義務もついています、権利のみなんてありません。
権利の主張は、結局公共の福祉に反しないようにしなければなりません。

 賢いという人に賢さを感じた事が無い、のは、まず客観性が乏しい、つまり主観が入りすぎるまたは先に立つため、自分・自分たちの都合のよい方向、になりがちなこと、知識をもつことが優先され思考が二の次になる、思考に客観性が乏しいと主観が入りやすく極端に言うと勝手わがままになりがちなのです。
 ただ、賢くみせるためには、賢いと言われるためには、丸覚え知識の披露、が手っ取り早く、すぐれているように見えるのです。融通性のある柔軟な応用のきく思考は「本質の理解」に重点がおかれますので、知識が乏しいような印象をもたれることがあります。
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この回答へのお礼

一つ切った下段に書きたい事が読み取れます。
そのような感覚を覚える事は多々あると思います。

しかして、本質の理解とは?何なんだろうかという思いに至ります。

ということは、私達が、何気なくやっている事が融通性のあるものではないかなと思います。
若い者を取り込んで、やるしかないでしょ。
失礼しました、読んで書いて勝手に熱くなってしまって。

御回答有難うございました。

お礼日時:2012/03/05 18:29

yahoo辞書では、人権とは人間が人間として当然に持っている権利とされています。



人権は、法律で規定されている概念であり、
人権の種類は様々なので、分かりずらいのでしょう。

日本も批准している世界人権宣言に人権が列挙されています。
世界人権宣言を読むと、人権について大体のイメージが掴めると思います。

人権は、国家と国民との関係で問題になり、
国民と国民との関係、国民と企業との関係では、
原則として問題になりません。

参考URL:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html
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この回答へのお礼

失礼ですが参考URLは見ないでかいています。
しつもんの二段目で書いております。
御回答有難うございました。

お礼日時:2012/03/05 18:15

>人権とは、いったい何なのでしょう?



質問者様が提示されたかなり漠然としたテーマに対する回答は、ある種の読解力と想像力を要するのでしょう、依って以下勝手に書き綴りますが、御趣旨から外れておりましたら御容赦を・・。

人権に対する定義・解釈は他の回答者様方に御任せする事にしますが、長くはない全文を拝見して瞬時に私が想像したものは、人権派を自認する安物の弁護士や市民活動家、或いはそれを肯定する低質メディアの存在。

彼らは自己に付帯する社会的ステイタス、一部世論の後押し、或いは第4の権力を意識する上から目線の不遜な物言いにして、異なる意見を完全に排除する傾向にあり、私としては虫唾が走るほど嫌いな連中。

今やその種の輩が政界にまで進出して、本来あるべき外交方針・安全保障に関する解釈を捻じ曲げた挙句、国益を多大に損ねて現在に至ります。

卑近な事象を例に挙げると、拉致問題を戦後補償との相殺に言及した辻元清美女史、未だ日本の戦争責任に就いて言及する小宮山洋子厚生労働大臣、公費で訪韓した際ソウルの対日デモに参加し、自ら拳を振り上げた「究極の馬鹿」岡崎トミ子元国家公安委員長、果ては尖閣問題に於いて譲歩に次ぐ譲歩を重ね、その後の日本外交に多大なマイナスの影響を与えた仙谷元官房長官等々。
彼らは例外なく在日外国人に対する参政権付与に言及しておりますが、肝心要の日本人の窮状に就いては全くの放ったらかし状態。

>犯罪者の人権は声高に騒ぐが、被害者の人権には見向きもしない。
>日本の取るに足らない人権問題には大騒ぎするくせに、北朝鮮や中国の大きな人権問題は無視する。

本題に対する回答を勝手に引用して申し訳ないのですが、NO2の回答者様が仰る事に就いては全面支持です。

死刑制度の廃止・死刑執行の是非に就いての議論は盛んに為されるが、一方に於いて残された被害者遺族の方々に対する対処方法は全くのおざなりでは、人権が聞いて呆れる、いかに高尚な卓説も全く説得力を有しないでしょう。

一方に於いて「安っぽい正義」を勝手に振り翳し、大きな人権を全く無視した低質メディア報道の典型例が、中国の「文化大革命・大躍進政策」に対する論調。
当時の日本共産党ですら非難し否定した知る人ぞ知る世紀の愚策、一説に依ると数千万人の餓死者と計り知れない文化的・経済的損失を生み出した政策を擁護した記事を多くの大新聞が展開して、日本国民に多大な誤解と損害を与えたが、御詫びのメッセージどころか過去の自らの報道に対する総括さえ行われた形跡が無い。

更には北朝鮮を礼賛した「地上の楽園」報道、10万人近い朝鮮人(当時祖国の発展に期待を膨らませていた在日朝鮮人も、朝鮮総連に依るプロパガンダを全て鵜呑みにする程馬鹿ではなかった、帰国の意志を決定的にしたのは北朝鮮の現状とやらを紹介した日本の新聞報道であったと言われている)と7,000人に及ぶ日本国籍保持者(日本人妻と子供達)を地獄に追い込み路頭に迷わせた結末。
言うならば図らずも大量殺戮の片棒を担いだ結果となり、取材対象に対する「責任・反省」の追求が彼らの常套手段であるはずが、自らの責任に就いては永遠に封印してお蔵入り、まさに良心の欠片も感じられない鉄面皮ぶり。

つまり人権とは、それを語る側の立ち位置に依りその解釈が異なる便利な言葉であり、かつては水戸黄門の印籠の如き存在にして、相手を沈黙させる究極の最終兵器であったが、安物の自称人権派に使い古された結果、胡散臭さを付与され且つ説得力を完全に喪失し、現在に到るものと自己規定しております。
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この回答へのお礼

これまでのお礼を読んでいただければ、そこにあるものがなんなんだという
私の問いかけが解ると思います。

文字を読んであるか無いかではなく、全てが人の振る舞いだと私も思うのです。
そこのところを書いたものを読めなくなっているのではないかと危惧する昨今です。
またよろしくお願いします。
御回答有難うございました。

お礼日時:2012/03/05 17:38

人権とは、日本国憲法11条~40条に規定されており、


例えば、精神的自由権、経済的自由権、
身体的自由権(人身の自由)、社会権などがあります。

日本国憲法は、国家と国民との関係について規定しており、
人権という概念は、
国民が国家機関から侵害されることなく、
基本的な権利が守られるということです。

殺人事件などで被害者の人権は、などという質問が提起されます。
通常の殺人事件では、加害者と被害者は、互いに私人であり、
国家と個人との関係ではありません。
そこで、殺人事件の被害者の人権という概念はないのです。

一方、殺人事件の加害者、被疑者は、
警察、検察という国家機関と私人との関係なので、
人権、具体的には、人身の自由で護られるのです。

仮に人権の一種である人身の自由で守られないと、
人違いで逮捕され、冤罪がつくられたり、
江戸時代のように、拷問しながら尋問されるかもしれません。

人違いで逮捕されても、
被疑者が、正座させられて重い石を脚の上に乗せられているうちに、
苦痛から逃れるために、虚偽の自白をして、
処罰されることになってしまいます。

人違いで逮捕される人は、その時代、社会で弱者であったり、
労働組合など政治的に迫害されやすいグループに属しています。

刑事事件の被疑者には人権などない、
という乱暴な意見は危険な思想を内包しています。
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この回答へのお礼

わたくし自信も加害者として存在した事が在り非常に関心深い回答でありました。
乱暴だとは思いません。わたくしは無宗教者に近い人間ですが、今時点で国体を
考えています。戦後、戦中戦後の事を詳しく教わったひとはいるでしょうか?
日本の位置づけは戦後決まっていて、戦中を生きた人の言葉はほぼ伝っていません。
その後の外交に目を向けて下さい。見る人に成っていただきたいと思います。
御回答有難うございまいした。

お礼日時:2012/03/05 18:02

衣食住、働く、学ぶ、幸福、遊ぶ、死ぬとかであって


犯罪者等には必要ありません。

人権を叫んでいる人は人権を武器?に商売?をしている
人たちと言っても過言ではないです。

個人情報保護法?とかと言う法律は社会をギクシャク
させているだけの悪法の代表です。

他にセクハラ対策の法制化?(条例)等も同様です。

人間社会が崩壊しているのを法律で対応する事は
不健全です。
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この回答へのお礼

武器を持つことは当たり前だと日系のブラジル人にきいたことはありました。
日常の中にあるようです。私たちの島国日本では考えられない事が沢山あるようです。

それに比べて、暴行、セクハラ、口先三寸で住んでしまう事が多い、だからといって
それが当たり前だとはいいたくないですが、弱い人がもっと弱い人を探していじめる
社会はいやですよね。
御回答有難うございました。

お礼日時:2012/03/05 17:26

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