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親が頭がいいからと言って、放っておいても子供も頭がよくなる(勉強ができる)ということはないのでしょうか?
放っておいたら、やはり勉強ができない子供に育ってしまうのでしょうか?
また、子供の勉強のことで親が悩むのは、軽蔑されるようなことなのでしょうか?
私の両親は賢い人でした。父は東大、母はお茶の水女子大を出て、心底勉強が好きなようで、還暦を迎えた今でも、両親共、ほとんどの時間は勉強をして過ごしているような人です。
その子供の私たち兄弟3人は、それほど頭がいい訳ではありませんでしたが、誰も塾にも通わず、また親から一度も「勉強しなさい」とか、言われたこともなく、成績表でさえ見せた覚えはありませんでしたが、(親がそういうことには興味を示さなかったのです)、兄弟3人とも、地元では一応トップレベルの公立高校に入り、現役でそこそこの大学(京大、神戸大、早稲田)を卒業しています。
私はその後、結婚し、ふたりの子供をもうけました。
夫は京大卒で、私と同じく、ずっと公立で育ち、学生時代に勉強のことであまり苦労をした覚えはなく、また、自分の子供にも塾に通わせたりせず、「勉強しろ」と言う事もなく、子供は伸び伸び遊ばせろ、という教育方針です。
私も今までは、夫と同じ考えでしたし、子供にも小学生の間は勉強のことなど何も言わず、中学に入れば、自然と学校の勉強ぐらいはできると思って放任してきました。
しかし、今、子供は中3と小6なのですが、上の子供が中学に入って、定期テストなどの成績表を見たら、平均点を採れてないこともしばしば、また、下から1/4ぐらいの順位です
中1の間、様子を見ていましたが、中2に上がっても全然変わらなかったので、流石に、焦ってきて、中2から塾に通わせたり、「勉強しなさい」と口うるさく言う様になりました。
やっていないだけで、やれば出来ると信じていたのに、勉強しても、やはり成績は全然上がりません。
今まで信じて、放任してきたのに、、、と、絶望的な気持ちになり、夫にその話をすると、「そんな考えの人間だったのか、失望した」「そんな価値観だったとは、軽蔑する」というようなことを言われ、ますます落ち込む一方です。
上の子は今年中3で受験なのに、このままだと、公立高校の一番レベルの低い学校にギリギリ入れるかどうかぐらいのところです。
下の子も、今年小6になりますが、急に心配になって、今までみてやったこともなかったのに、勉強をみてやると、全然わかってないということが、わかりました。通知表も全部が3段階の2です。自分の頃と比べると、信じられない成績です。
毎日、そのことを考えると、死にたくなるぐらい暗い気持ちになります。
そして、自分でもこんなことで悩んでいる自分自身に嫌気がさします。
今まで、自分はそんなことを気にしない人間だと思っていたのに、
自分の子供がこんなに出来が悪いと、自分がこんなにも悩むような人間だったと言うことがわかり、自己嫌悪に陥ります。
別に、人の価値は学歴だけで決まるなどとは全く思っていません。
ただ、幸せな人生を歩んで欲しいだけなのです。

「親が勉強ができても、子供が勉強ができるとは限らないのですか?」ということと、
「子供が勉強ができないということで、親が悩むのは軽蔑されるべきことなのでしょうか?」というふたつのことでかなり深刻に悩んでいます。
みなさんのお考えをお聞かせください。

A 回答 (12件中1~10件)

元教員・現役予備校講師です。

仔細はプロフィールを参照してくださいな

>親が頭がいいからと言って、放っておいても子供も頭がよくなる(勉強ができる)ということはないのでしょうか?

頭がよくなる、を 勉強ができる としていることから考えますと、『真なり』、とは言えないでしょう
「放っておいても」と状況においては、子女が自律的に学習する可能性はありますが、「勉強ができる」ことは、要領の良さ と置換できるにしても、それらは 遺伝性・先天性の要素とは言い難いようです。
 ただし、高い所得の保護者の子女は、高い学歴になる、傾向があるのは、事実と言えるでしょうが・・・
ある程度の学歴のご夫婦ですから理解していると思いますが、「勉強ができる」ことは、”誤認を見つけ出し、正しい解答を身につける”という作業にすぎません。もちろん、ずっと先には、”創造的な見解を模索する意味”の勉強もありますが、子女に求められる勉強の意味は、前者であることは理解していると思いますが・・・

ちなみに、高校受験の子女ですが、まだ気にする必要性はない、と思いますがね
小生は、高校の部活引退後に暇を持て余して受験勉強始めて、極めてくだらない動機で受験勉強のモチベーションを高め続けられたおかげで、一橋に突貫でき、現在に至ります。
動機、トリガー次第で子女は伸びるもの・・と教育臨床の立場で認識しているので、正直、保護者が深刻に悩むには早い、とは思います
悩んだことで解決するなら悩むのもアリでしょうが、その悩みが子女に悪影響しかねないことを危惧します


>放っておいたら、やはり勉強ができない子供に育ってしまうのでしょうか?

一概には言えません。本質的には、当人問題であって、保護者の放置・放任でも当事者次第の部分が大きいでしょう
ただ、小生は気にする保護者にはこういいます
『当人がやる気になった時を想定した準備だけは怠らないでください』
これは学費やらも該当しますが、周囲・家族の受験への理解は当人のモチベーションに大きく影響するからです、

ちなみに、小生は、当人が「まだやる気がないだけ・・やる気になる動機がない」という状況を想定するべきように思います。
そして、概して、「やる気がないだけで、やる気になれば・・・・」という子女はかなり多いです。
”希望的観測をもってください”という安易な励ましは、失礼な回答かもしれませんが、重要なのは、当人の動機・モチベーション・そして「気づき」なのですから・・・・
 今はまだ「気づき」のための準備期間として様々な経験を積ませることをお薦めします・・・・


>また、子供の勉強のことで親が悩むのは、軽蔑されるようなことなのでしょうか?

軽蔑する必然性は皆無だと思われます。
あまり過度に勉学を重要視することは、軽蔑されうる余地はありましょうが、保護者の裁量範囲として、社会習俗・法規上の制約内であれば、自由でありましょう


>私の両親は賢い人でした。父は東大、母はお茶の水女子大を出て、心底勉強が好きなようで、還暦を迎えた今でも、両親共、ほとんどの時間は勉強をして過ごしているような人です。
その子供の私たち兄弟3人は、それほど頭がいい訳ではありませんでしたが、誰も塾にも通わず、また親から一度も「勉強しなさい」とか、言われたこともなく、成績表でさえ見せた覚えはありませんでしたが、(親がそういうことには興味を示さなかったのです)、兄弟3人とも、地元では一応トップレベルの公立高校に入り、現役でそこそこの大学(京大、神戸大、早稲田)を卒業しています。
私はその後、結婚し、ふたりの子供をもうけました。
夫は京大卒で、私と同じく、ずっと公立で育ち、学生時代に勉強のことであまり苦労をした覚えはなく、また、自分の子供にも塾に通わせたりせず、「勉強しろ」と言う事もなく、子供は伸び伸び遊ばせろ、という教育方針です。
私も今までは、夫と同じ考えでしたし、子供にも小学生の間は勉強のことなど何も言わず、中学に入れば、自然と学校の勉強ぐらいはできると思って放任してきました。
しかし、今、子供は中3と小6なのですが、上の子供が中学に入って、定期テストなどの成績表を見たら、平均点を採れてないこともしばしば、また、下から1/4ぐらいの順位です
中1の間、様子を見ていましたが、中2に上がっても全然変わらなかったので、流石に、焦ってきて、中2から塾に通わせたり、「勉強しなさい」と口うるさく言う様になりました。
やっていないだけで、やれば出来ると信じていたのに、勉強しても、やはり成績は全然上がりません。
今まで信じて、放任してきたのに、、、と、絶望的な気持ちになり、夫にその話をすると、「そんな考えの人間だったのか、失望した」「そんな価値観だったとは、軽蔑する」というようなことを言われ、ますます落ち込む一方です。

  旦那さんの価値観の領域としては、拒絶感があったのでしょうが、いまいち、軽蔑内容について精査することができません。上記されたように「子供の勉強のことで親が悩む」ことを軽蔑しているのか?という部分には疑問を感じますが、仔細は判然としないので、割愛しましょう。

>上の子は今年中3で受験なのに、このままだと、公立高校の一番レベルの低い学校にギリギリ入れるかどうかぐらいのところです。
下の子も、今年小6になりますが、急に心配になって、今までみてやったこともなかったのに、勉強をみてやると、全然わかってないということが、わかりました。通知表も全部が3段階の2です。自分の頃と比べると、信じられない成績です。
毎日、そのことを考えると、死にたくなるぐらい暗い気持ちになります。
そして、自分でもこんなことで悩んでいる自分自身に嫌気がさします。
今まで、自分はそんなことを気にしない人間だと思っていたのに、
自分の子供がこんなに出来が悪いと、自分がこんなにも悩むような人間だったと言うことがわかり、自己嫌悪に陥ります。
別に、人の価値は学歴だけで決まるなどとは全く思っていません。
ただ、幸せな人生を歩んで欲しいだけなのです。

別に自己嫌悪する必要性はないと思うのですが・・・
自分の子女が他人よりも成績が良くない、ことは、”学歴にこだわり”がなくても、悩みとして生じるものではないでしょうか?
つまり、学歴の価値を否定しているけど、それでも”他の子女よりは、良い成績であってほしい”というだけの話に思えるのですが・・・
そういう悩みのようなものを深刻に捉える必要性はなく、単なる願望として処理すればいいと思いますが?

で、小生からして一番の問題なのですが、質問者の子女は、”勉強が出来無い”だけで何も持ち合わせない子女なのですか?
 勉強ができることは望ましいことですが、”ただ目的も持たずに勉強ができる人間”を質問者も旦那さんも見ているはずです。
『他人事だから言える』と言えばそれまでですが、当人の幸福は、当人しか計(図)れないわけです。
 保護者として”幸福になってほしい”と願う気持ちは普遍的なものだと思いますが、当人とよく話してみれば、案外、何か持っているものだと思います
 保護者はその持ち合わせているものに対しての『投資』について助言・助成する権限があるわけですから、何も勉強というメソッドだけで思慮する必要性はない・・と思いませんか?
 もし、子女が目的もなく、自堕落に生きているならば、保護者として何らかの啓蒙は必要でしょうが、ただ『勉強ができるようになって欲しい』という願望だけでは、単なる押し付けになってしまう危険性が高いのですから、当人・旦那さんと将来について仔細話し合うことが重要ではないでしょうか?
 そのような重要事項を全て確認している上で、「勉強ができる」必要性があるなら、『投資』に対するリターンとして子女の成績について思慮するのは当然だと思います。

 あと、自分との比較はやめましょう。それは、子女にとってはイジメにも等しいことなので・・・

ちなみに、一応、これでも教育臨床を生業にしているので、
子女の反抗期の状況なども補足されれば、踏み込んだ回答はしますが、問題は、旦那さんと質問者の齟齬にあるように思うので、旦那さんと質問者の間での価値観のすり合わせ作業を重視されることが特効薬だと思います。



以上
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この回答へのお礼

専門家のプロの方のご意見、アドバイスで大変参考になり、なるほどと納得して読ませていただきました。
回答者さまのご質問で
>で、小生からして一番の問題なのですが、質問者の子女は、”勉強が出来無い”だけで何も持ち合わせない子女なのですか?
に関してですが、
そうなんです、夫からも同じようなことを言われましたが、
確かに、上の子は中学に入って部活を一日も休まず行っておりますし、朝練や試合で朝早い時も自分で起きて行き、私に言われて仕方なく行き始めた塾も、夜遅くまで一応休まず行っておりますし、また友達も沢山いて明るくポジティブな性格だと思います。
下の子も、親の手伝いを自分からよくしてくれ、思いやりがあり友達も沢山いるので、そういう面では
ふたりとも、心配はしておりません。
勉強の面だけをとって心配しているのは、やはり馬鹿げたことなのでしょうね、、、。
それでも、やはりつい欲が出て「何で勉強だけできないの?!」と、思ってしまうのですが。

回答者さまが書いてくださった
>ちなみに、高校受験の子女ですが、まだ気にする必要性はない、と思いますがね
のところを読んで、大変救われました。

また、その他のところも、書ききれませんが、大変参考になり、救われました。
今まで、誰にも言えずに(夫には、もうその話はできませんし。私の親に話してもきっと夫と同じ考えなので、軽蔑されるだけです。
ましてや友人知人には恥ずかしくて言えません)ひとりで鬱々としていましたが、少し気持ちが軽くなった気がします。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/03/31 14:35

子供の年齢から察するに、質問者様より一回り位上の母親です。


私の子育ての反省も含めての、近所の母親同士の、茶飲み話と思って読んで下さい。

1、親が勉強ができても、子供が勉強が出来るとはかぎらないのか?
私は限らないと思います。
夫の転勤に伴って社宅暮らしが長く、最後に6年程いた社宅は全戸60前後、学齢期の子供が多い社宅でした。
父親達の出身大学は東大、一橋、旧帝レベル、私立は、私の知る限り慶応、早稲田以外聞いたことがなく(もちろん全員のことを聞いて知っているわけではなく、結婚以来、話をしたり聞いたりする中で知る範囲でですが実際は私立は早慶以外の方も少々いるようです)母親達の学歴も高卒は聞いたことがなく、皆それなりの大卒が多く、ご主人と同等の大学の人もいました。
そこにいた子供たちの受験校や進学先が親の学歴に対してそれなりだったか?と言われたらそんなことはなかったですよ。
「〇〇ちゃん達の学年は優秀よね」などの会話が飛び交い、社宅で受験は大変だ!と思いましたが、子供の学力が必ず親と同等かそれ以上、それ以下はない…なんてことの方があり得ないので、私は当然あり得る結果と思って受け止めていました。

母親同士の立ち話で「中学受験でお兄ちゃんは自分でどんどんやって何の心配もなかったんだけど、全く下の子は…」とこぼしていた人もいます。
ある母親は上の子供の大学受験で「〇〇大学、△△大学と落ちてさすがに××まで落ちた時は倒れそうになったわ」と言っていましたが、下のお子さんは中学受験ではそれなりの中学に合格しました。
社宅の母親同士の話は、子供の学校、塾の話が多いですが、兄弟でも同じようなわけにはいかず「大抵どちらかで苦労させられるよね。2人揃う方が少ないかもね」などと言う会話をした記憶もあります。
上記の2人は、明るく愚痴っていましたが、兄弟でも違うのです。

2、子供が勉強出来ないことで親が悩むのは軽蔑されることか?
親が子供の勉強に関して心配したりすることは、自然なことだと思います。
質問の文面から察するに、ご主人に話した時の質問者様の言い方が「子供たちの成績が思った以上に悪くて伸びていないんだけど、どう思う?どうしたらいいと思う?」ではなく、「今まで信じて放任してきたのに、絶望的な気持ちになり…」とあるので、感情の趣くままご主人にぶつけてしまったのでは?
それまで少なくとも表面上は「学歴なんか関係ない」という態度だったので、ご主人もかなり意外で、思わず言葉を選ばず、配慮に欠けた言葉を返してしまった…と推測します。
「失望した」「軽蔑した」というほどの文言は使うべきではなく、「そういう考えは意外だった」「そんな価値観はよくないと思う」程度がよかったとは思うし、言いたかったのはそういうことだと思いますが、質問者様の意外な考え、お互い冷静さに欠いたやり取りの中で発した言葉だと思うので、あまりいつまでもその言葉だけをとらえて、悩んだり、自己嫌悪に陥る必要はないと思いますよ。

私は、親が、子供の学力は自分と同等、頑張ればそれ以上行くかもしれない…と思うことはごくごく自然な感情だと思うのです。
大抵の親は口に出さずともそう思っているのではないか?とさえ思います。
かつて友人は「まぁ、自分の事(学歴)棚に上げて子供の受験校にあれこれ言うのは何なんだけどネ」と言ってました。
でも、私は親から受け継いだ性格、素質もあるけれど、後天的要素の方が大きいように感じています。
理系の父親なら、自分が興味があるので子供と休日科学博物館に行ったり、家の修理がマメな父親なら子供に手伝わせたりすることで物を作ったりすることの面白さが伝わったりとか…。
私の弟は子供の頃雑誌の「科学」を読んでいたせいか?ラジオを作ったり、ハンダゴテで何らやいろいろ作っていました。
無線の免許も取ったりして、結局国立の理系に進みました。
以前どこかの塾のテレビコマーシャルで、先生が子供のスイッチを探してポンと押してあげる…というのがありましたが、生育期間での周りの環境、その中での積み重ね、体験する何かのきっかけ等が、子供の学習能力に関しては大きな影響を与える可能性が高いと私は思っています。

質問者様が放任してきたこと、私はそのこと自体は全く悪くないと思うし、後悔することもないと思う。
ただ、今の子供たちは、環境的には何もかもがそろっていて、情報過多、逆によほどのことがないと刺激にはなっていないような気がします。
物がなければ創意工夫して作ったり、我慢もするだろうし、それを得たときの喜びも大きかったり、情報がなければ探す、ようなことが、あまり必要ないので、普通に暮らしていれば幸せで、何の不自由もないので、能動的でないというか、欲がないというか、おそらく私たちの時代との「フツウ」もずいぶん違っているように思います。
性格がよくて(幼くて)負けず嫌いでない、今まで勉強の習慣がなく興味がない、本人にとって勉強が出来ないから困った、何とかしようという気持ちがないままここまで来た、集中して何かする習慣がなかった…等々理由も様々で、一つではないと思います。

そもそも、頭がいい、勉強が出来る、成績がいい、学力…などに微妙な違いがあると思うのですが、今の子供たちは塾で類似問題を繰り返したり、暗記が得意な子供が成績が良くて勉強が出来る…という評価になりがちなので、勿論それも当初は大事で、避けて通れない道ではあるけれど、あまり目先の成績、結果ばかりにこだわるのも、長い目で見ると子供をつぶしかねないです。
「信じていたのに」と言う言葉から、焦りがあると思うのですが、それを子供が感じてしまう事はよくないことです。
やれば出来ると思って信じていたのに…そう思うこと自体、子供にとってみたらいい迷惑なのではありませんか?
今までの放任から一気に「口うるさく」親に言われても急に子供はついていけず、下手をすれば無理強いさせられる勉強で、この先勉強嫌いになってしまったら本末転倒です。
「放任」も、どの程度だったのかわかりませんが、特に上のお子さんに関しては、もう高校受験まであまり時間がないので、思春期の難しい時期に差し掛かるし、急に「勉強しなさい」と口うるさく言うより、少し頑張らせて上のレベルの高校を目標に頑張らせ、大学受験でまたさらにステップアップ…くらいの長いスパンで考えるのが、無理のない範囲かと思います。
大学受験は100%本人の受験で、本人の意志、意欲がなければ難しいので、親は子供より先走ることなく、負担にならない程度に激励する、特に今は本人の自主性が育つように見守るが得策かと読んで感じました。

思いつくまま長くなりました。
最後に気になった点を一つ。
そのことに関してだけ夫と考え方が違う…という点です。
一致させた方がいいというご意見もありましたが、私は大きく違わない限り(いつもそのことが夫婦の言い争いの種でない限り)多少の温度差はあっておかしくないし、そういう夫婦は沢山います。
私の友人は「珍しく主人がいたので塾の個人面談にいっしょに行ったら、そもそも中学受験する意味はあるのか?みたいなこと言い出してこっちは顔ひきつった。連れて行くんじゃなかった」とこぼしていたことがあるし、別の人は「子供が遅くまで頑張ってるのに、早く寝ろよ~なんて言うのよ」と言ってました。
我が家の子供達は皆中学受験していますが、一人目の時に、夫にも何校か学校説明会に一緒に行ってもらい「どこがいいと思う?」と聞きましたが「本人が行きたいってところでいいんじゃないの?」と気のない返事。
「大人の目から見てどこがいいとか、この子には合ってるとかあるでしょうに(怒)」と、それ以来、子供達と私が見て決めました。
我が家では、中学入学後は勉強に関しては親がかかわることはなく、自分たちで紆余曲折しながら、進路も自分達で決めて進学して行きました。
大学受験の塾の保護者会も両親揃って…という熱心な親御さんが年々多くなってきているようですが、両親とも熱心になりすぎるとプレッシャーになることも多いので、母親が熱心、父親は一歩下がって一見無関心くらいでちょうどいい…という専門家の話も記憶にあります。
両親から必要以上に干渉されたら子供はきついので、片親は成績の推移、全体像を把握している、片親は時に「順調?」くらいの関心度、相談されたら相談に乗る程度のかかわり方、放任で問題ないと思うし、子供はその程度の方が気が楽かと…。
物事への夫婦のとらえ方考え方は、必ずしも同じ必要はなく、それぞれ違っても、お互いの意見を尊重したりすり寄せたりすることが大事であり、子供がある程度の年齢からは、特に受験等は子供の考えを重視しつつ「お父さんはこう思うんだけど、お母さんはこういう考えだよ」ということもアリだと思う。

私は、それがすべてではないが、頭も、学歴もいいに越したことはない…と思っています。
でも、受験で失敗しても、成功しても、それはあくまで人生の通過点の一つであり、結果であり、ことさら必要以上に有頂天になることもないし、落胆することもないと思うのです。
その過程においてもしかり。
子供の出身校は、毎年東大何人で週刊誌に載るようなところですが、入学後、不遇な結果になった事例は数知れず…。
年齢が小さければ小さい程、親のかかわりや影響力が大きければ大きい程、それは顕著のように思いました。

文面から察するに、今、考え方が、思考回路が狭くなっている気がするので、あまり難しく考えすぎず、少し肩の力を抜いて、長いスパンでお子さんの事、考えてあげて下さい。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

同じ母親目線でのご意見で、豊富なご経験からの温かいお言葉、読ませていただき何だかとても気持ちが軽くなったような気がしました。
私も回答者様のような方と一緒にお茶でも飲みながらお話しできたなら、きっと今の様に独り悩み落ち込むこともなかったかもしれない、なんて思いました。また、回答者様の周りの方達も回答者様のお人柄からなのでしょうか、皆さんとても正直にざっくばらんにお話しになっている様子で、羨ましく思いました。私の周りにはその様に(私の性格もありますが)、自分のことを何でも話せる近所の人はいませんし、また、近所の子供の同級生たちは、皆よく出来るお子さんたちばかりなので、母親同士で子供の勉強の話などしたら、きっと愚痴をこぼすのは私だけで、余計に落ち込むだけだと思うのです。(子供が小学校の頃までは何も気にしていなかったので、何でも笑って話していたのですが。)

>大学受験の塾の保護者会も両親揃って…という熱心な親御さんが年々多くなってきているようですが、両親とも熱心になりすぎるとプレッシャーになることも多いので、母親が熱心、父親は一歩下がって一見無関心くらいでちょうどいい…という専門家の話も記憶にあります。
両親から必要以上に干渉されたら子供はきついので、片親は成績の推移、全体像を把握している、片親は時に「順調?」くらいの関心度、相談されたら相談に乗る程度のかかわり方、放任で問題ないと思うし、子供はその程度の方が気が楽かと…。
物事への夫婦のとらえ方考え方は、必ずしも同じ必要はなく、それぞれ違っても、お互いの意見を尊重したりすり寄せたりすることが大事であり、子供がある程度の年齢からは、特に受験等は子供の考えを重視しつつ「お父さんはこう思うんだけど、お母さんはこういう考えだよ」ということもアリだと思う。

なるほど、そういう考え方もありますね。そう思ったら少し気が楽になりました。

>私は、それがすべてではないが、頭も、学歴もいいに越したことはない…と思っています。
でも、受験で失敗しても、成功しても、それはあくまで人生の通過点の一つであり、結果であり、ことさら必要以上に有頂天になることもないし、落胆することもないと思うのです。

本当そうですね、そんなに深く思い悩むほどのことはない、と、少しずつですが、思えてきました。

その他終始"うん、うん"とうなづきながら読ませていただきました。
大変参考になるご回答をありがとうございました。

お礼日時:2012/04/03 23:48

望まれている事への返答をします



ただ事前に注意して貰いたい事があります
これからいう内容には凹む要素はありませんが思考習慣からネガティブに捉えると思います
だからよく読み返して凹む根拠がないことに気づいて下さいね


他人と優劣を比較する思考習慣や物事を判断するときの判断基準が比較でしか出来ない人は
そうなった要因が当然ありますが
今それに触れるのは控えますね

改善方法についてですが
伝えたようにそれは思考習慣になっています
比較する思考習慣とはほぼ幼少期からの習慣として身に付いたものなので
それを改善するには当然思考習慣を変える必要がありますが
この事に関しては理屈的に理解できるかな?


改善策がありますが実行されますでしょうか?
もし実行されるのなら事前に確認しておきたい事があります

・学生時代にいじめを受けていた経験の有無
・幼少期にちゃんと親に甘えられたかどうか?


希望される場合は返答をして下さいね
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この回答へのお礼

度々の回答をどうもありがとうございます。

>改善策がありますが実行されますでしょうか?
もし実行されるのなら事前に確認しておきたい事があります

・学生時代にいじめを受けていた経験の有無
・幼少期にちゃんと親に甘えられたかどうか?

学生時代振り返ってみてもいじめなどを受けたことは一度もありませんでした。
友人関係にも特に悩むこともなく学生時代を送ってきたと思います。

幼少期に親に甘えられたかどうかと自問自答してみると、親は厳しい人でしたので、わがままを言ったり、ただ甘えるというようなことをしたことはあまり思い出せません。
でも、親を恨んだり、親に対してもっとこうして欲しかったなどということは何もなく、両親からは愛情たっぷりに育てられたと今でも感謝しています。

また、他の回答でも書かせていただいたのですが、他人と比較してしまう、という思考なのは、家族の中でも私だけなのです。両親や、他の兄弟は全くそういう考えはなく、とても前向きで自分に自信をもって幸せに生きているようです。

何だかまた、質問が横道にそれてしまったような気がしますが、でも確かに全ての私の悩みの根源はこれにある、という気もしますので、敢えて今一度お返事させていただきます。よろしくお願いいたします。

お礼日時:2012/04/03 00:25

他の回答は見ていないので重複していたらスルーして下さいね




>「親が勉強ができても、子供が勉強ができるとは限らないのですか?」


本当の問題(深層心理)は
何故そう思われているのか?にありますけど、、


学校の勉強が優秀という意味は学校の科目が優秀という意味ですが
それは学業が好きor興味があるor得意な人だという事です


子供とはそれぞれ学業に限らず最も伸びる才能が必ずあるんですが
それを早期に発見し伸ばすのは親次第なので
もし親がその方法を知らなければ当然子供の才能は伸びませんよ


>「子供が勉強ができないということで、親が悩むのは軽蔑されるべきことなのでしょうか?」


気にする必要は全くありませんよ!
本当のポイントは、何故気にする必要のない事を気にしてるのかという事ですから



これは他の件になりますが
自分と子供。他人の子供と自分の子供。他人と自分
上記は絶対に優劣を比較してはならない事です
人間関係が苦手な人がしている思考習慣なので

逆に大人になって良好な人間関係が築ける人とはそれをしない人です

因に、その前者と後者の人生の幸福度は天と地ほどの差が出ます
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この回答へのお礼

すっきりと分かりやすい回答をありがとうございます。
大変、納得できました。

確かに、回答者さまのおっしゃる様に、そして、今回の私の質問もこれが全て原因だと思いますが、
私は自分と子供、他人の子供と自分の子供、を比較しては、「どうして…」と、落ち込んでいるんだと思います。(もちろん、子供の前や、口には出しませんが)
これは、”一番やってはいけないこと”そして、”自分を不幸にしていること”だというのは、夫からもいつも言われますし、頭ではそれが正論だとわかっているのです。
でも、「じゃあ、今日からそういう考えは辞める」という様にはいかないのです。
私の悩みはいつもこうです。自分で自分の首をしめているようなことばかりです。
じゃあ、何故、人と比べてしまうのかと考えてみましたら、自分だけの評価ではそれが正しいのか自信がないのです。
つまり、他と比べないと、自己満足で終る、ということはないでしょうか?
例えば、「自分はこれだけ頑張った」と満足していても、他人と比較して「自分のがんばりは少ない」ということに気付いて、「もっと頑張ろう」というのは、よくないことなのでしょうか?
お礼が質問のようになってしまいましたが、すみません。

こんな思考回路から抜け出したいです。

ご親切な回答をどうもありがとうございました。

お礼日時:2012/04/02 22:05

お礼に関して補足的回答をしたいと思います



>確かに、上の子は中学に入って部活を一日も休まず行っておりますし、朝練や試合で朝早い時も自分で起きて行き、私に言われて仕方なく行き始めた塾も、夜遅くまで一応休まず行っておりますし、また友達も沢山いて明るくポジティブな性格だと思います。
下の子も、親の手伝いを自分からよくしてくれ、思いやりがあり友達も沢山いるので、そういう面では
ふたりとも、心配はしておりません。
勉強の面だけをとって心配しているのは、やはり馬鹿げたことなのでしょうね、、、。
それでも、やはりつい欲が出て「何で勉強だけできないの?!」と、思ってしまうのですが。

”だけ”でも、やはり望めるものならば、欲しいものですから、それを軽蔑する必要性はない、と思います
『欲が深い』ことを問題にする必要についても軽蔑に値するとは思いませんが、やはり価値観の領域はあるでしょう
とりあえず、小生が想定したように子女の『人間性』は十分な生育を見ているようなので、勉強も必ず補いが効きます

というのは、一定の人間関係を形成できる人格であることは、学習能力 に正比例する  傾向が顕著・・・だからです
おそらく子女の周囲が受験勉強に本格的に没頭するようになれば、周囲に流されて勉強したり、やる気になったりする、とは思われますので、
とりあえず、現段階において、学校教育過程の内容は最低限抑えるレベルを維持されればいいとは思います。
この最低限のボーダーについては細論の余地はありますが、担任などに警告されるレベルであれば憂慮するべき状況ではありましょうが、警告もないならば、気にすることはない、かつ、追いつける・・でしょう

>今まで、誰にも言えずに(夫には、もうその話はできませんし。私の親に話してもきっと夫と同じ考えなので、軽蔑されるだけです。

すいませんが、これについては厳しいことを言わせてもらいます。
あくまでも推測の限りですが、子女は保護者の教育姿勢について、ある程度は意識されている前提があって、勉学に対する執心がない、と思います。
 もちろん、推測の限りですが、概して、子女は保護者である両性の合致した見解には、相応の拘束性を認めうるものです。
逆に『片親だけが・・』という状況への子女として反発心が働きやすいことも指摘できましょう。これは、両親ともに仲良くしてほしい、という子女なりの願望から生じる余地もあるようですので・・・
 つまり、極論をすれば、両親が勉学の方向性について統一した見解を見ていない、ことを敏感に感じ取っている可能性も示唆されます。
 結果は保障できませんが、最低限はご夫婦で教育方針なりを決定することが望ましいと思いますし、
出来うるならば、最終的には子女に保護者としての意向を伝えるだけでも大きな変化になるでしょう。その変化のベクトルの善悪・適否までは保障できませんが、
 小生が感じる限りは、質問者が第一義の問題としているのは『子女の成績』ではなく、”夫婦としての共有意思” だと感じます。それが不安要素となって、子女がそれを感じてとっている可能性も含めて、望ましい状況とは思えませんので、
 是非に、最低限は、夫婦で教育方針・指針を大雑把に共有する(齟齬があっても共有することが重要です)ことに留意してください。

>ましてや友人知人には恥ずかしくて言えません)ひとりで鬱々としていましたが、少し気持ちが軽くなった気がします。

 これも厳しい指摘になりますが、そういう愚痴を恥じることは不健全です。
そういう愚痴を子女の前、家族の前ですることは避けるべきでしょうが、同じ保護者同士では、そういう愚痴・悩みを打ち明け情報共有することが、今後の「やる気になった時」のために実は大きな財産になるものです。これはむしろ確信してもいいくらいに、望ましいベクトルになりえるものです。
是非に、そういう話が出来る知己・もしくは親戚などを持つことをお薦めします
勉学は本質的には当人に依拠するものですが、当人の学習環境整備は、当人だけではなく周囲に依拠する部分が多いのですから、その周囲は広い方が客観的で「意味を為す」助言が得やすいでしょう。ここで指摘する意味は、”納得を得やすい”という意味であって、学力は保障できませんがね・・・・
 同時に愚痴は「問題整理のために必要な論理思考過程」から生まれるものです。
単なる感情論的な愚痴であれば、建設性が生じえないものでしょうが、そういう愚痴をするような人間性とは思えないので、愚痴は悪いことではありませんので、再考を要請したいと思います


少々厳しいことを言わせてもらいますと、
不安であれば、学校側と相談することをお薦めします。学校側の配慮は、保護者の意向を無碍にするものではないですし、それなりに子女に関する客観性のある見解を持ち合わせていることが多いです。
『視野を広くもって』というのは概して無責任な助言ではありますが、子女を育てる責任は、保護者だけではなく、学校・社会も共有するべきものですから、保護者としての第一義的責任を自覚しつつも、他者との競合・紐帯・相互扶助などの様々なメソッドを思慮されることをお薦めします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最後に一つだけ

小生の座右の銘ほどではないのですが、教育哲学について簡単に極論的な言葉を残したいと思います

『”当人が不幸である”ことはさしたる問題ではない。問題は、”当人が自分が不幸だと思っている”ことにある』


この言葉の意味は、利発・聡明であろう質問者ならば、限定解釈・反対解釈・類推解釈など様々な解釈猶予を踏まえて理解できると思いますので、仔細は述べません
 あと、念を押しますが、「自分との比較」は絶対にやめましょう。自我形成過程にある第二性徴期前にそれを行うのは、相応の教育胆力がない限りは、大きなリスクになるだけですから・・・・


以上、参考までに
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この回答へのお礼

度々のご回答どうもありがとうございます。

>というのは、一定の人間関係を形成できる人格であることは、学習能力 に正比例する  傾向が顕著・・・だからです
おそらく子女の周囲が受験勉強に本格的に没頭するようになれば、周囲に流されて勉強したり、やる気になったりする、とは思われますので、
とりあえず、現段階において、学校教育過程の内容は最低限抑えるレベルを維持されればいいとは思います。
この最低限のボーダーについては細論の余地はありますが、担任などに警告されるレベルであれば憂慮するべき状況ではありましょうが、警告もないならば、気にすることはない、かつ、追いつける・・でしょう

というところを読んで、大変心強く思いました。どうもありがとうございます。

また、夫婦間の価値観の違い、や、相談できる知人がいないことに関しては、おっしゃる通りだと思うのですが、現段階では解決策が見つかりません。
でも、特に夫婦間で教育姿勢が違うのは、子供にとって絶対にプラスにはならないので、早急に改めないといけませんね。
そうしないと、私の心配はどんどん増してしまうばかりですし。
(それ以外の価値観は、ほとんど全て一致しているのに、このことに関してだけなのです。)

>『”当人が不幸である”ことはさしたる問題ではない。問題は、”当人が自分が不幸だと思っている”ことにある』
まさに後者は私自身のことですね。

何度も真剣にお答えいただき、本当に感謝しております。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/04/01 12:52

>「親が勉強ができても、子供が勉強ができるとは限らないのですか?」



親が家を建てられても(大工でも)、子供が家を建てられる(大工になる)とは限らないのですか?
当たり前でござんす。

親が金儲けできても、子供が金儲けできるとは限らないのですか?
創業者の息子が2代目社長に就任すると会社が傾くってのは良くある話です。

以上の二例から類推するだけでも、親が勉強できても、その子供が勉強できるかどうかは保証の限りではないですな。


>「子供が勉強ができないということで、親が悩むのは軽蔑されるべきことなのでしょうか?」

軽蔑する程のことでもないが、尊敬はされないです。

百年以上前に、百年以上も使い続けられる立派な日本建築を建てた職人達は勉強は出来なかったと思いますよ。100年前の大工は小学校しか行かずに、小学校卒で親方の家に年季奉公に入った様ですが、彼らの建築が100年後の今、日本人の誇りとして建築美を教えてくれますね。

それから、安藤忠雄という70歳ぐらいのおじいちゃん建築家がおりますが、彼はプロボクサーから建築に転向した人だそうで、大学なんか行っていないし、建築の専門教育も受けていないが、アジア各国をはじめ、世界で注目される日本人建築家の一人ですね。
この人なんかみていると、やっぱり学校は関係ねぇなぁと思います。
現実の建築をやらずに、東大で建築を教えるのが目標だったら学歴が重要になるけどねぇ。

ってことで、ご主人の価値観は、実社会に根差した立派な価値観だとおもいます。
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この回答へのお礼

回答者様の仰っていること、心底ごもっともだと思います。
実際に、私自身も有名、著名な方、また、身近な方でそういう学歴や肩書きに関係なくとても尊敬できる方や、成功している方、など沢山知っています。
ただ、反論しようというつもりはないのですが、そういう方は皆、人並みはずれた才能とか、何かを持っていらっしゃる方なのです。
私も、もし自分の子供達がそのような才能とか何かあれば、心配しないとおもうのです。
しかし、私や、私の子供のような凡人は、やはり、学歴などに頼るところが大きいと考えてしまいます。
こうして、今、回答者様にお礼を書きながら思ったのですが、私自身が「自分は何の取り柄もない」というコンプレックスがあるから、こんな考え方になってしまったのかもしれません。
確かに、私の親兄弟、夫などは、自分に自信があり、そんなコンプレックスがない様に見えます。だから、家族のなかでも、こんな価値観を持っているのは私だけなのです。
話がそれてしまい、申し訳ありません。

安藤忠雄さんも大変尊敬できる方ですし、回答者様もきっとご自分に自信がある方の様に文面から見受けられます。
私のような凡人でもそんな風に考えられれば価値観が変わるのかもしれません。

お礼を申し上げたかっただけなのですが、余計なことまで言ってしまいました。
大変参考になるご回答どうもありがとうございました。。

お礼日時:2012/04/01 12:38

子供のことを本気に考えたら一生懸命になるのが普通でしょう。



親としてでなく、普通に大人としてでも、子供や若い人が失敗しないよう、うまく誘導してあげるのが大事でしょう。そういう経験が少ないのかもしれませんね。

地頭の良さは遺伝すると僕も思っていますが、正しく教育してあげないと伸びません。

現代はいろいろ誘惑が多く、勉強より興味を持ってしまうものが満ち溢れています。だから良い学校へ通わせて環境を整えたり、良い塾に通わせたりするのです。

「悩む」から「がみがみ言う」という行為になるのは良くないですよ。
放任しているという人こそ、結構繊細に子供を観察していると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「悩む」から「がみがみ言う」という行為になるのは良くないですよ。

確かに最近の私は子供のことで独りイライラして、子供を叱りつけることも多く、またそれが自分のストレスを子供にぶつけているだけのこともあるかもしれません。
改めないといけませんね、、、。

何だか回答者様の優しい言葉がすっと素直に心に入ってきました。
ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/04/01 12:18

「お礼」読ませていただきました。


>自分の子供達が勉強ができなくてそのまま2流の人生を歩んで行き、果たして幸せになれるのかと思うと、急に心配になってしまうのです。
人生に一流も二流もないのではありませんか?
自分と他人を偽らず,毎日を誠実に生きて,誰かの役に立てれば「幸せな人生」と言っても良いのだと思います。
実はうちの子はASです。学校でも友だちや先生方と頻繁にトラブルを起こし,度々お招きに預かりました。本人も深く反省しているのですが,似たような事(当人にとってはその都度違う事らしいです)でトラブルを起こし,また学校に謝りに行くということの繰り返しです。
身の回りの物事に興味・関心があり,好奇心の赴くままに(他人の迷惑など眼中に無く)行動してしまうのです。
良く言えば「純粋で子どもらしい」でも,筋金入りのトラブルメーカーです。
元々完璧な親などいません。未熟な人間が,子どもを通して共に成長して親になっていく。そう思っています。
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この回答へのお礼

本当ですね。人生に二流も三流もないことぐらいは分かっているし、そんな言葉を今までの人生で使ったことはなかったけれど、敢えて私自身の心の汚なさを表現するために使ってしまいました。
回答者様のご親切なご回答、また、ご家族のことまでお話くださり、感動、感謝しております。

>自分と他人を偽らず,毎日を誠実に生きて,誰かの役に立てれば「幸せな人生」と言っても良いのだと思います。

その通りですね。また、前回書いてくださった様に、子供が生まれてきたこと、それだけで歓んだ、その気持ちを思い出さないといけませんね。
度々のご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/01 12:13

 実は『頭がよい』というのはどういうことなのかは未だによく分っていないのです。

たとえば数学ができるかどうかはテストをやれば簡単に判定できますが、数学ができることと頭がいいことはどのようにリンクするのかは何とも言えないのです。それは何も数学だけではなく、記憶力のいいことが頭がいいことなのかどうかもよく分っていません。ですから分野の限ればその能力が遺伝することは明かですが、それが頭のよさを受け継いだかどうかは判定できません。限られた能力についてもそれが産まれてからの環境に大きく影響を受けることが分っています。ですから頭のよさが遺伝するかどうかは分らないというのが現状です。

 更に東大に受かったことが頭のよさの証明になるかというと決してそんなことはないのは明かです。頭のよさの象徴とされるノーベル賞は東大を出た学者が独占しているわけではないでしょう。入学試験というのは人間の能力の極く一部を判定できるだけで決して頭のよさを判定できるものではありません。入学志願者が定員を超える場合には抽選というわけには行かず、已むを得ず入試という方法で選抜することで受験者を納得させているだけで、いわばこれは方便なのです。

 ですから頭のよさというのは環境に左右される尺度で測られるものなので、それが遺伝するのかどうかは分らないというのがその答えにならざるを得ないのです。智慧遅れといわれた山下画伯の絵が素晴らしいことは万人が認めるところで、智慧遅れが必ずしも頭がよくないことを意味するものではないこともまた確かでしょう。数学ができることと絵が巧いことがどう違うのでしょうか。

  また、そのような限られた能力は環境の影響を大きく受けるため、努力によって改善できるのですが、それを指導する側のやり方でその成果が大きく違うのですから、それは本人の責任というより教える側の問題が大きいのです。最近の研究では人は褒められることでその能力が大きく改善されることが分って来ています。ですから能力改善は本人よりも指導者の方にその責任があるとも言えるでしょう。
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この回答へのお礼

本当ですね、回答者さまの仰る通りだと納得しました。
最初から、このようにわかっていれば、間違った期待などしなくてよかったのかもしれませんが、
何となく”自分たちは親の遺伝で、、、”というように勘違いしていたところがありました。
大変わかりやすく説明してくださり、すっきりしました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/03/31 14:20

旦那さんは貴女が悩んでいる事に軽蔑しているのではないでしょう。


「勉強なんかやりたくないならできなくてもいい」という考えだと思っていたのに、
貴女が「放っておいてもそこそこできるだろうと信じているから放っておいただけ。勉強は出来る方がいいに決まっている」という考えを持っていたと知ったからでしょう。
いわゆる学歴主義者だと思われたのです。
旦那さんはいい学校に行かなくても幸せになれるはずだと考えていて、貴女はそこそこの学校に行かなければ幸せはないと思っている。
一般的にどうかではなく旦那さんと貴女の価値観の問題です。

>「親が勉強ができても、子供が勉強ができるとは限らないのですか?」

結論からいえばそうです。
というのも、人間昔のことや都合の悪いことは忘れているもので、
「私は特に苦労しなくても勉強ができた」と思っている件についてです。
実は幼い頃貴女のご両親はそれなりに苦労して勉強をするよう仕向けてきたはずなのです。
勉強や宿題に対してルールを身につけさせるなど基礎づくりはきちんとおこなってきたはずです。
小学校の勉強にもついていけていないということは、その基礎ができていないのです。
貴女がとくに勉強なんてしていなかったと思っていても、幼い頃ご両親はちゃんと宿題をさせてそれがちゃんとできているかどうか監督していたはずなのです。
それを忘れてしまった貴女は「頭がいい血筋だから勝手にできる」と思い込み、その努力をしませんでしたね?
そのツケがお子さんに現れてしまったのです。

小学校2~3年くらいまではつきっきりで宿題をさせなくてはダメですよ。

従兄の子も似たような状況にあります。
従兄は逆に勉強しろ勉強しろと言われて育ちそれが原因で非行したものですから、
PTSD的な思考回路により子供を「勉強させずのびのび育てる」という方針でやってきました。
子供は小4くらいから行き詰まりはじめました。
分からないからやらない→もっとわからないのループです。
頭が悪いわけでもなく、物覚えが悪いわけでもなく、原因は落ち着いて座っていられない事でした。
宿題もほとんどやってない。集中力は10分くらいしか持たない。
幼い頃、「座って宿題をする」という習慣を身につけさせなかった事が原因だと思っています。

子供の祖母が頑張った結果今はなんとかやっています。


それと、教師もどんどんアホになります。
今の教師は教え方は下手だし教科書を読むことしかできません。
従兄の子はわからないところを先生に質問したら「なんでわからないんだ!自分で考えろ!」と逆ギレされそれから質問することができなくなったそうです。
もう塾は受験のためだけのものではありません。
アホな教師に当たった場合の尻ぬぐいをしてくれる場所だと思っています。
件の教師は三者面談で「おたくのお子さん知能障害じゃないですか?病院に行った方がいいですよ」とまで言ったそうです。
塾に行ったら改善されたので明らかに教師のせいです。

「なんでできないの」って悩んでいる暇があったらできるようにサポートをしてあげるべきだと思います。
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この回答へのお礼

参考になるご意見ご回答どうもありがとうございました。

回答者さまの仰る
>実は幼い頃貴女のご両親はそれなりに苦労して勉強をするよう仕向けてきたはずなのです。
勉強や宿題に対してルールを身につけさせるなど基礎づくりはきちんとおこなってきたはずです。
についてですが、
やはり記憶から消されてしまってるのでしょうか、、?
親から学校の勉強について、何か言われたり、という記憶は一切ないのです。
ただ、日常の中で、何気なくいろいろなことに興味を持たせてくれたり、ということは頻繁にあったのは覚えています。
そういうことが、勉教をする助けになっていたのかもしれません。
ただ、そのようなことは、自分の子供達にもしてきたつもりなのですが、、。

また、
>小学校2~3年くらいまではつきっきりで宿題をさせなくてはダメですよ。
やはり、そうなんですね。
小学生の間なんて、授業さえ聞いていれば、誰でもわかると思い込んでいました。
もう今からでは遅いのでしょうが、できるだけみてやるようにしようと思います。

ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/03/31 14:51

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