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どなたのなんという小説かもわからないのですが、引用文の最後、
「疲れかたをや、だろう」という文の解釈に困っています。

<引用>
「逃げることよりも、逃げるために置いてきたものを思うのが疲れるんだ」
と言った。
モウリさんはどうやら置いてきたものが多いらしかった。
わたしは、一つ二つしか、置いてきたものはない。
その一つ二つでさえ持て余しているのだから、モウリさんの疲れかたをや、
だろう。<引用終>

「どんなに疲れるだろうか」という意味なのかとおもうのですが、どうして、こういう
表現をするのでしょうか?小説なので作者の方の表現方法なのでしょうか?
それともこのような表現方法があるのでしょうか?日本語に詳しい方教えてください。

A 回答 (3件)

 「をや」には、単純な強調の使い方もあるのですが、「疲れかた」のような名詞に強調用法の「をや」が付くことはないはず。



 もうひとつ「をや」の用法は、「反語」です。「疲れナイことがあろうか!」→(当然、疲れるよ)

 1番さんも、この使い方に疑問をお持ちのようですが、私も、この用法はおかしい(ふつうではない)と思います。気持ちは分かるような気がするのですが。

 ふつう、反語の使い方の前には、直前に、程度の低い場合が直接的な言葉で提示されます。つまり、「疲れ」という言葉は前の文に来るべきです。

 新しい日本語を創造しようという確信犯的行動でないなら、同じようにするべきです。

-------
 私は一つ二つしか、置いてきたものはない。

 その私でさえこれだけ"疲れ"るのだ。

 『いわんや、モウリさんにおいてをや』 だろう。

   (→すごく疲れないはずはない、だ)
-------

 意味は、御推測の通りの ようなふうに受け取ってほしいのでしょう。

  ゆえに、

> どうして、こういう表現をするのでしょうか?

 の回答として思いつくのは、3種だと思います。

(1) 作者が、日本語(この場合は漢文由来ですが)をあまりよく知らなかった。

(2) なにか、書いているうちにフッと小難しい用語を使って、知識をひけらかしてみたくなった。

(3) 地の文の語り手が、そういう小難しい用語を使って一人悦に入るキャラクタである(作者の設定)。


 言葉は難しい。

 ベテラン小説家でも時々は間違える。

 いわんや、新進小説家においてをや。

 (新進小説家が間違えないことがあろうか!/反語)→(いや、当然、間違える)
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この回答へのお礼

丁寧に説明してくださってありがとうございます。
ベストアンサーにさせていただきます。

お礼日時:2012/05/21 19:21

>「どんなに疲れるだろうか」という意味なのかとおもうのですが、



そうですね。
例示の場合の「をや」は
まして…においてはなおさらである。…はいうまでもないことである。
というような意味です。
漢文訓読からの用法で、日本語としては別にめずらしいものではありません。
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この回答へのお礼

なるほど。漢文からきてるのですね。ありがとうございます!

お礼日時:2012/05/21 19:20

用法としてふさわしいかどうかは別にして、書き手の意図としては、「私などは、その一つ二つをさえ持て余しているのだから、ましてやモウリさんの疲れ方といったら、並大抵ではないだろうと想像できる」 ということを述べたかったのだろうと思われます。

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