A 回答 (13件中1~10件)
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No.2
- 回答日時:
ご自分で例を挙げておられますが、違いに気づかれませんか?
時代や地域を越えるか越えないか、という定義づけも一つの回答ではないでしょうか?様々な分野の作品の中で一握りのものだけが時代や地域の壁を越えて愛され評価されます。それが芸術でしょうね。
普遍性を内蔵していたものだけが今も生き残っています。なので今生み出されている様々な作品もどんどん淘汰されてゆくでしょう。しかし中には生き残るものもあるはずです。
芸術か単なる大衆文化であるかは今判断できるものではなく、時の経過が判定してくれると考えています。
まあ、たぶんAKB48とかそんなものは必ず忘れ去られるでしょうね。
No.3
- 回答日時:
伝統的には、唯一無二のオリジナルな芸術作品を頂点とする高級文化
こそを真の文化とし、一般大衆が喜ぶキッチュやオリジナルの大量の
複製からなる大衆文化をえせ文化とする価値観が支配的でした。
しかし、現代ではその線引きは無理でしょう。
こういうのは時代とともに変化していくものです。
例えば小説です。
何故『小』説なのか。
それは、古来、中国ではエリート文化人は「詩」を読むべきであり
小説は教養の無い大衆が読むものだ、という観念があったからです。
でも、現代では小説も立派な分化の一つでしょう。
マンガだって、時代が経てば社会的に認知されるかもしれません。
科学技術が発達した現代では、原画とコピーについての芸術的価値に
差は無いのではないですか。
現代では、高級下級というよりも
オリジナルか、複製か、というほうが重要ではないでしょうか。
No.4
- 回答日時:
芸術に醜いものを排除しようとする暴力が現れる限りでは大衆文化とかい離する。
その境界は世相に左右される。
御回答ありがとうございます。
>芸術に醜いものを排除しようとする暴力が現れる限りでは大衆文化とかい離する。
その境界は世相に左右される。
というご指摘は自分では頭の中で考えてはいたが、うまく文章にできなかった概念をはっきりと文章にしていていただいた感があります。
ということは、Flareonさんとしては、人間のエゴが介在してこなければという前提条件があれば、本来的には芸術=大衆文化という、見解ということですか?それとも私が無知なだけで、世間的にもちゃんと芸術=大衆文化という図式は受容されているものなのですか?
No.5
- 回答日時:
ご安心ください。
あなたが芸術であるとする作品は、大衆向けに創作された作品であっても誰がなんと言おうと芸術です。No.6
- 回答日時:
ファインアートは原則的に、アーティスト自身の感性における
完成度を目指す、求道的な性向を持っています。
デザインは、利用者(それがどんなに低級な感性であれ)の
満足感の充足を第一に考えられています(他人に合わせる)。
その「利用者志向」において、デザインは造作物の上に付与
されるケースが多く(視覚的満足を第一に考えた壁掛けの
ようなものもあるが)、ファインアートは表現のための必要最
小限の造作物に留まります。
御回答ありがとうございます。
コマーシャルアートも芸術ですか?
また、
>ファインアートは原則的に、アーティスト自身の感性における
完成度を目指す、求道的な性向を持っています。
という考えは、ぼんやりですが私の頭の中にはイメージとしてありました。
しかし、彼らは何のために“アーティスト自身の感性における
完成度を目指す、求道的な性向”を行うのでしょうか?目的が謎です。
内容や手法は理解できるのですが、目的が謎なので昔から理解できません。
他にやるべきことはないのでしょうか?家族がいるならばもっと幸せな生活を送らせてあげるべくお金を稼いできたり、社会に何か問題があると思えばその解決に力を注ぐなど…。私としては芸術家の方々は、苦しんでまで精神がおかしくなってしまうまで“アーティスト自身の感性における
完成度を目指す、求道的な性向”を行っているように思えるので一人間として不可解で仕方がありません。 何か彼らがそこまでする目的として、社会一般に認識されているようなものがあれば、ご教授願います。
No.9
- 回答日時:
Mokuzo100nennさんの「大衆文化は大衆が相手や」が、この質問のを考える際の大事なポイントの一つです。
「文化 ⊃ 芸術」の認識も大事なポイント。 「芸術でない文化」もあることを忘れないことが大切です。
例えば、挨拶や葬式、礼拝、衣服の選択着用、飲食物と食器等を食卓に並べるのは文化の一部ですが、通常は芸術の一部とは認識されません。
例えば、{美術、文芸、音楽、建築、演劇などの分野で、表現物と鑑賞者、表現物と鑑賞者が、相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動}を{芸術と認識する}ことにした場合には、{ピカソの作品自体、AKB48のDVDそのものは芸術ではない}ことになります。
芸術と認識するには{鑑賞側の精神的・感覚的な動きをセットにする}ことが重要なことになります。
(美術館に収蔵されている作品は“もの”であって、芸術ではない)
文化とか芸術は、実行主体、鑑賞する人などの担い手とセットで考えるのがポイントです。
あるシーンを見ても、文化と思うか、文化と思わないか、芸術と思うか、芸術と思わないかは、評価者にも影響されます。
飯と味噌汁の食事風景をみても、多くの日本人は文化とは思わなくても、欧米の文化親類学者は明らかに文化と考えます。
私は、自宅の食器や陶磁器類、家具類等に嫌なモノは持っていませんが、そうしたものに特に芸術性や文化の香りを感じてもいません。芸術の判断はさらに難しいです。美術展に出品されていたり、高額の入場料を取ってやっている歌や音楽は芸術かな?と思い込もうとしますが、そこらの中学高生が授業の一環でやっているものは内容にかかわらず芸術性や文化の香りを感じないフィルターがかかってしまいます。私は、写真等でガウディの作品を見ても快い感動のようなものは感じません。ゴッホやモディリアーニも生前作品に高価格は付かなかったようです。http://ameblo.jp/guy503/entry-10701845413.html ゴッホの生前に売れた絵はたった1枚『赤い葡萄畑』、人に贈った絵『医師フェリックス・レイの肖像』が鶏小屋の穴を塞ぐのに使われていたこともあったそうです。私と同様のことが他の人にも起きるようです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「芸術と大衆文化の決定的な違いを一つ挙げるとしたら何ですか?」
「また明確に境界線が引けるとしたら、その境界線を一言で表現すると何ですか?」
★★「大衆芸術と大衆文化の境目」を一つ挙げるなら、
☆☆⇒その境目は、「鑑賞の対象にしているか否か」です。
鑑賞の対象にしていないなら、大衆文化であっても、大衆芸術には該当しません。
鑑賞の対象にしていれば、大衆芸術でありかつ大衆文化です。
KARAの舞台も、大相撲の場所も、サッカーの著名な試合も、大衆芸術でありかつ大衆文化です。(既に“大衆”のところはクリアしている前提です)
日本のコンビニや冬のおでん、正月彼岸の行事は、大衆文化であっても、大衆芸術には該当しません。
★★「芸術ではあっても、大衆文化でないとする境目」を一つ挙げるなら、
☆☆⇒その境目は、「地域の大衆の多くが受容し大切にするか否か」です。
大衆の多くが受容し大切にするか否かは、社会状況、時代風潮などに大きく左右されます。
流行廃り、時代の流れも大きいです。今と10年前、10年後では、同じような事柄も大衆文化であるかないかが変化することも希ではありません。
一部の人が素晴らしいと感じても、多くの人が鶏小屋の穴を塞ぐのに使う程度のものとする絵画や石垣の石材に使う程度におもう彫刻、古くなったから建て替えようとする建造物は、物体であっても大衆にとっての芸術や文化ではないのです。
美学、音楽、建築、舞踊等に専心してきた人が芸術と認め貴重な価値を付しても、多くの人が「なくなっても、無視されても気にとめない」ものは、その時代その社会の大衆文化ではありません。
アフリカ、東南アジア、朝鮮半島の民俗楽器などの演奏は、現代日本の大衆文化ではありません。
http://saisaibatake.ame-zaiku.com/gakki/gakki_zu … 大衆文化は地域でも違います。
日本の音楽でも、中世や近世、あるいは昭和40年代と、平成10年代でも、大衆文化となる音楽は違います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「朝起床後に、歯ブラシを使用して歯磨きをし、湯水を使用して洗面する」のは、現代日本の大衆文化の一つです。
しかし、大衆芸術でも、芸術でもありません。
日本のコスプレやアニメ、AKB48が、他国でも人気を集めて類似のことが行われているそうです。
これは大衆文化です。 やっている本人だけが悦に入っているのではなくて、それぞれ鑑賞者、賛嘆者がいて、やっている本人や作品との相互関係さえあるのですから芸術です。 ごく一部の限られた人たちだけでなくて、ある程度(1割以上)の人々の積極的関心を得ているのなら(視聴率10%なら凄い)大衆芸術ともいえるでしょう。
御回答ありがとうございます。
確かに、
>{美術、文芸、音楽、建築、演劇などの分野で、表現物と鑑賞者、表現物と鑑賞者が、相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動}を{芸術と認識する}ことにした場合には、{ピカソの作品自体、AKB48のDVDそのものは芸術ではない}ことになります。
と、言われ、私もそう理解納得し、大変有用な定義づけだと思いましたが、それは
moto_koukouseiさんの個人的な見解ですか?それとも、芸術の世界で一般に妥当と認められている認識ですか?
私には今まで、
>文化とか芸術は、実行主体、鑑賞する人などの担い手とセットで考えるのがポイントです。
という考えが足りませんでした。確かに作品自体だけでは何の意味も持たない存在かもしれませんね。この視座を得て今までのことを考え直してみると新たな発見があるように思います。
なるほど、
>★★「大衆芸術と大衆文化の境目」を一つ挙げるなら、
☆☆⇒その境目は、「鑑賞の対象にしているか否か」です。
鑑賞の対象にしていないなら、大衆文化であっても、大衆芸術には該当しません。
鑑賞の対象にしていれば、大衆芸術でありかつ大衆文化です。
と仰って頂いたことで、芸術と文化の境目が自分なりに理解できました。ポイントは、「鑑賞」という言葉ですね。
自分は今まで「鑑賞」という言葉の厳密な定義を持っていなかったのですが、辞書で調べ自分なりに吟味してみると、「鑑賞」の目的語が“芸術作品を”なのですね。
確かに私も箸や陶磁器を鑑賞の対象としてはいません。一方で、ゴッホやピカソの絵画は鑑賞の対象としていました。
と、今までの自分ならここで終わっていたのですが、moto_koukouseiさんのこの指摘で自分の考えをひとつ前に進めることができました。この質問の意図は、世間では(自分が感じてるだけかもしれませんが)著名な画家や音楽家の残した作品が芸術で、自分がよく接する漫画やJPOPなどは芸術という大層なものではなくワンランク下の“大衆文化”だという風潮があったように思っていたのですが、その人が「鑑賞」していれば、漫画やJPOPも芸術として認識していいのですよね?漫画=文化∧芸術。
>★★「芸術ではあっても、大衆文化でないとする境目」を一つ挙げるなら、
☆☆⇒その境目は、「地域の大衆の多くが受容し大切にするか否か」です。
このご指摘も自分にとっては有益でした。ゴッホやピカソの絵画も貧困や飢餓に見舞われている地域の人々にとっては何の価値も持たないものだという考えが昔からありましたが、そういうことですよね?芸術ではあるが文化ではない。と、考えていたら、最初にお示し頂いた「文化 ⊃ 芸術」の式が乱れることになってしまったのですが、例外ももちろんあると・・・。何かすいません。折角解答していただいているのに(..)
このお礼の中で2つ程また質問させていただいたのでご回答頂けると光栄です。
No.10
- 回答日時:
決定的な違いと質問者は言いますが
元々芸術と大衆文化は次元の異なるものです
芸術を一言で規定すると
それは周囲の影響を受けながら尚 深化するものの事です
大衆文化やサブカルチャ―を一言で規定すると
それは周囲に影響を与えながら拡大するものの事です
自ずと違いが判断可能です
又 この両者の接点を求めるならば それはただ一人アンディ―・ウオーホール
という人物の成果が一体何だったのかと問わなければなりません
米国人でありポップカルチャーの騎士とうたわれたこの人物を理解する事こそ
貴方の質問に回答する事になります
コマーシャル・アーティストであるこの人物は芸術家なのか
それとも商業画家なのか
この判断は曖昧です
このアンディ―ウオーホールの作風こそが芸術と大衆文化においての境界線を
初めて取り払った人物です
貴方の御質問に対する回答はこれだけで充分だと言えます
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