単二電池

海外在住でもうすぐ帰国する者です。
ネットを通して触れる日本の方とやり取りをしていて感じた事を質問させてください。

反原発を唱える方達はどうして議論が下手、というか論理的に主張しないのでしょうか?
最終的には感情論を説いてくるのでうんざりしています。
また、リスクを過大評価しすぎる点も理解ができません。

私がアメリカナイズされてしまったのでしょうか、それとも単純に反原発派に知的障害者が多いのでしょうか?

A 回答 (9件)

・今まで原子力発電は安全な物だと思っていた(その様に思わされていた)


・今回の事故により、それは間違いであることを識った
・それにより目に見えない恐怖を感じた(不安感と言った方が適切かも知れない)
・不安感は感情であるから、安心感を得ないとその不安は無くならない
・論理では不安感は無くならない(安心感は得られない)

>論理的に主張しないのでしょうか?
 ・不安感は理屈ではなく感情だから・・・自然に、>感情論を説いてくるのでうんざりしています・・なってしまいます
>リスクを過大評価しすぎる点
 ・100%安全な物には(そう思っていた物には)リスクはあってはいけないし、
  多少であれリスクがあることを許容出来ないから
  リスクがある限り不安感は無くならない・・悪い方に悪い方にと思考が向かってしまう
>私がアメリカナイズされてしまったのでしょうか
 ・質問者様はこの世に100%の安全は無いと考えているでしょう・・私も同様です
  そうではない方も居ると言うことです・・理屈ではないのです
>単純に反原発派に知的障害者が多いのでしょうか?
 ・これは不適切発言ですよ


  
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この回答へのお礼

コンパクトにまとめられていて分かりやすかったです!
ありがとうございました!

お礼日時:2012/06/25 07:12

いやぁ まいったね・・・



私は原則的に「原子力発電事業」について反対の立場なんですが・・・
確かに、原子力発電が「安全」なものであれば、その技術を敵視するものではないし、
事業としてまともに機能するのであれば、もちろん反対する理由なんてないです
ただ、それらの事について誰も説明してくれないんで、やっぱり誤魔化しがあるんだろう、と思ってしまいます

議論、という事であれば「お互いに説得しあう」という作業になるのだと思いますが・・・
納得できる説明をしてくれない限り、主旨替えが起きるはずもなく、
原発事故で恐怖体験をした人々に対して、そのような「納得できる説明」はなされていません
逆に原発事故そのものやその後の電力会社や政府の対応は反対するに足る明白な根拠になりうると私の眼には映ります

そもそも反対派の多くに、実際に恐怖と苦痛を味わった人々が存在しているという事実を考えた時に
これを説得するには、納得できるように「安全」を説明し訴える必要があると思いませんか?
怖い思いをして、あんなことはもういやだ、という思いが根底にある、って事をまずは理解する必要があるでしょうね
それに対して、納得しうる説明もなく有耶無耶にされているというのが現状
怒りと不安が増幅されて、一部ではもう焼き切れて「諦め」になってしまっている訳です
これを議論してやっぱり原発は必要、と納得させるのは至難の業でしょうねぇ・・・

「知的障害者」なんて発言はむしろそちらから「議論」を打ち切る行為。
(自分の事をバカ・あほうと呼ぶ相手と論を戦わせようという人はなかなかいませんよ)

つまり、あなたの疑問に答えるのなら
「状況認識の不足」と「相手の心情を推し量る能力不足」によるものだと思います。
という回答になります

追記
ちなみに私が原子力発電に反対する主たる理由は
現時点で費用として計上されていない「廃炉費用」「跡地管理」「廃棄物処理費用」を算入すると(実際に必要な段になると)
「安価で安定した電力供給」が事実上不可能であろうと容易に想像できる
しかし、これに対する対策がなされていない、あるいはその対策を一切説明していない
そのため、原子力発電事業自体が近い将来「破たん」するのではないか、という危惧。という事です

だれか大丈夫だって納得させてくれよ。

この回答への補足

>「状況認識の不足」と「相手の心情を推し量る能力不足」によるものだと思います。
参考になります!

補足日時:2012/06/25 00:36
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反原発主義者は、100%安全とは言えない食品を食べ、100%安全とは言えない家に住み、100%安全とは言えない医療をうけ、100%安全とは言えないクルマに乗ったり、100%安全とは言えない飛行機を利用したりしなくちゃならないのだし、火力発電所だって100%安全ではないのだから、せめて原子力発電所ぐらいは100%安全じゃなくちゃ厭だという論理ですね。



今は、反原発の立場をとると、マスコミのTV番組に起用され、本も売れるので、こちらの方が有利なんでしょうね。
知的障害者というよりも、利に敏い(さとい)人が多いのでないかな。
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条件付の原発賛成派です♪♪♪



今までの原発盲信派のヒト達は原発は絶対安全と言い切って原発推進してきました。
絶対安全なら私も大賛成です^^♪♪♪

しかし、人類史上最悪と思われる原発事故がこの日本で発生し、収束の見込みすら一年以上経過した現時点で出せないような悲惨な状況に陥っているのは、小学生でも理解できる事実です♪♪♪

この状況で、原発を稼動するのは知恵ある行為ではありません♪♪♪

想定外などとの言い訳は子供でもしない幼稚なことですが、当事者から出てくるのはどういうことなのでしょう♪♪♪
こういうヒト達のことを原発盲信者というのでしょうが、盲信は危険な兆候です。

>海外在住でもうすぐ帰国する者です。
>最終的には感情論を説いてくるのでうんざりしています。

帰国時に避難解除地域に居住地を構えて、同じ質問をされるのならそれなりの意気は感じられるかもしれませんねっ^^♪♪♪


質問者さんには「知恵」ありますか?

この回答への補足

補足日時:2012/06/25 00:32
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>それとも単純に反原発派に知的障害者が多いのでしょうか?



失礼ながら、これこそ感情論むきだしかと思います。


そもそもネットを通してだけのやり取りは、どんなものであれ、過激で感情的です。
推敲検証が不十分なまま、誰でも発言権を持ち、しかもその判断は本当に瞬間的なものです。
あまりそれだけをうのみにしてはいけないと思います。


99.9パーセントの安全を、大丈夫とみるのが、原発支持者、
0.1パーセントでも、0.000001パーセントでも、危険が潜んでいるのなら、それ安全と言えないと考えるのが、反原発。


そうなってしまえば、お互いどちらの主張が正しいとか、そういう論理的なものでは決着できないのだと思います。
何をもって論理的とするのか。
「事故はそうそうおこるものではない。まず安全だ」も、いわば、感情論絵あると思います。

どこの国であれ、政府は、国民にパニックを起こさせるような情報は隠します。
ましてや宗教的圧力や経済団体の圧力があればなおさらです。

私もアメリカ暮らしをしていましたが、アメリカこそ、その影響は強いと思います。

ヨーロッパやアジアでは問題にあげられた狂牛病のニュースはさほど詳しく取り上げられていませんでしたよね。
遺伝子組み換えコーンの多角的な情報は、本当に周知されているのでしょうか。(コーンはご存じのように家畜飼料ととして、また油などを取るためのものとして一大産業です。)
兵器や作戦失敗などに関する情報公開は本当に充分なのでしょうか?
エネルギーを支える原子力発電のリスクは、本当に周知徹底されているのでしょうか
そもそも地球環境(リサイクル)に関するアメリカの考え方は甘すぎると思います。
なぜか?
アメリカのような広い国で、まじめにリサイクルすることはあまりにコストもかかりすぎますしね。


個人的には、私は今回のことで、やはり原子力は人類にまだ早すぎる技術ではなかったのかと思います。
原発と、例えば火力発電の事故では、余りにもリスクが違いすぎます。
余りにも広範囲に放射能の影響が出るほか、半永久的に(少なくとも自分の命が続く限り)消えないものです。


被害者同士の対立も生みます。
日本x全体を同じ被害者にするなら、東北地域とそうでない地域との対立や、同じ福島県内でも保障の違いによる対立。
農業不信から、いくら安全性が保障されたといい続けても、生産者と消費者の対立が実際起こっています。
申し訳ないですが、私も福島産の野菜はあえて食べたいとは思えないのです。
スーパーにそれしかない、または外食のときたまたま入っていたであれば、それほど気にはしませんが…
海外では、日本の工業製品にまで放射能検査がされている(これでは手間も時間も費用も掛かり、日本製品離れが進んでしまう)。

何より罪なのは、福島にしても事故処理に40年とも50年とも、いやそれ以上かかるとも言われていますが、結局、テレビで出ている東電の偉い方や政治家の誰もが、この事故の収束を見届けることがないことです。
みんな死んじゃってます。
今生まれたばかりの子供が定年になるころにだって、収束しているかどうか…。
世代の責任として、これは戦争に匹敵する罪だと思います。
今、現場で処理にあたっている作業員の人たち。

たとえば
「非常に危険な作業。しかし業務内容にふさわしい高い日当をもらっているのだからさしあたって問題ではない。」
・・・これを論理的と言えるのかどうか。
そして、質問者様の言うところによるとおそらく感情的ともとれるなのが
「高い日当でも、本来こんな仕事に誰しも好き好んで従事しているわけはないじゃないか。結局弱いものにしわ寄せが行っているのではないか」
論理的だや感情的だだけで語れないのが原発事故の怖さです。


推進派の人は、問題を、「エネルギー必要論」に置き換えます。
当然エネルギーは必要です。

エネルギーが必要じゃないということをのべているのではなく、
原発は万一のリスクを考えると、あまりにも「倫理的でない」エネルギーだと思うのです。

例えば「次代への責任のなすりつけ」、これは、データや論理性というよりも、
「人の道」として違っているのではないか、という観点からきているものです。

この回答への補足

補足日時:2012/06/25 00:38
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単に「危険だ」→「存在してはならない」との単細胞的単純無条件反射の知能しかないからです。


原子力発電でできた電気を使っていたことすら知らないで生きているので、なくなると何が起こるかを理解でていないのです。
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京大助教の小出さんなんかは、論理的に説明していますけどね。


安全一点張りで論理的でないのは、原発推進派のほうです。
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 マスゴミの情報を


真に受けているからだと思う
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議論するほどの論理というか、理屈を持ち合わせていないからです。



反原発は「とにかく原発コワイ、いやだ。だから反対」からスタートしています。
最初が理屈抜きの感情論ですから、論理を構築する気がないというか、出来ないのでしょう。
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