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ついさっきも質問を書き込んでしまったのですが、言い足りないような気がして。

私は死ねればいいなと思っています。度胸がなくてできないでいます。

でも、よく言われる「生きてさえいれば良いことがあるかも」とは思わないです。あるかも知れないけれど、別に構わないのです。今から逃げる方が大事。

また「両親が悲しむから」というのは確かに悲しむでしょうが、そのためだけに生きているのは辛すぎます。それに私さえ居なければまともな妹一家と幸せな家族かも知れません。厄介者が居なくなって。

もちろん、やりたいこと、願うこと、楽しみなこと、楽しみにしていること…など今や将来に求めていることもないし、今後出てきたとしても、経験しなくていいです。死ねる方を選びたいです。

彼氏も友達も居ないままでいい。結婚も出産も望まない。仕事で活躍したい訳でもない。

こんな場合、思いとどまる何かってあるのでしょうか。思い付きません。

A 回答 (10件)

死ぬほど退屈という言い方がありますが、要するに退屈しているのではないでしょうか。

私は死の恐怖の中に退屈に対する恐怖が含まれていると思います。わたしには、あなたが退屈を好んで呼び寄せているように思えますが、退屈を感じるというのは死んでいる状態の予行体験のようなものだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

何となく分かるような気がします。

私は確かに退屈です。
というより、やりたいことがないということですが、それは退屈であるということでもあるのかも知れません。

けれど何もしたくない、何も考えたくない、という状態です。
それは気力がないということに逃げていますが、それを「好んでこの状態にいる」と言えないことはないかも知れません。

お礼日時:2012/09/14 22:59

お金というのは過去の誰かの命の変身だそうです。

この説によればお金は時間です。お金を使うということは時間、命を使う、すなわち生きることそのものということになります。物の価値というのは、そのものを作ることに使った誰かの時間、命そのものでもあります。お金はほかの人の命を手に入れることはできます。しかし自分の命、時間を増やすことはできません。ここにヒントがありませんか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。遅くなりました。難しくてどう捉えたらよいのか解らず。

ただ私は有意義にきちんとお金を遣えてはいないです。

人の命や時間の賜物だとしたら申し訳ないことをしていると思います。

お礼日時:2012/09/20 19:40

貴方の言っていることで思い出したことがあるので、書き加えます。

ノーベル賞を取った物理学者、朝永振一郎さんが若い時ドイツに留学していたときの日記の中に「…朝から何もするきがしない。なにかをすると時間がはやくたってしまうのでもったいないからである・・・」というような意味のことが書かれています。何かのヒントになりませんか。時間は命です。命を最も大切にするのは何もしないことなのかもしれませんね。お金を使わないのが一番お金を大切にしているというのと似ているようにも思います。どこか変であるようですが、なるほどという感じもします。
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この回答へのお礼

何度もご回答ありがとうございます。

この連休に何か(行楽含め)しないといけないのではないかと金曜日業後から強迫観念で、また精神状態悪化しました。
それで昨日土曜日昼間、靴が必要だったことを理由に近くの繁華街へ出掛けたら、死にたい人間にこんなに物欲があるのはおかしいだろうくらいに買ってしまって、お金を無駄遣いして自己嫌悪です。
相変わらず、買って来たものを見返しもしないで袋ごと床の上です。

でもいいのかなって少し思いました。
服を選ぶ一瞬、買って自分のものになった一瞬、は確かに何かしら「快」だったのでしょう。
そのお金がないと明日から暮らしていけないという訳でもありません。

本多時生さんの『幸せグセの付け方』という本を斜め読みしたのです。ひねくれ者の私のこと、納得したとは言えませんが、何か影響あったのかもしれません。

でもだからと言って死にたくなくなったという訳ではなく、出掛けて帰ってきてもまた「死にたい」に襲われてしまいます。
でも今日は一つ動けました。お金も遣ってしまったけれど。

明日はどうしよう、です。また憂うつです。

お金を遣ってしまっても仕方ないと諦めるよう頑張るから、何かできたらよいのに。もちろん時間だけを有効活用できたらもっと上出来ですが。

お礼日時:2012/09/16 02:26

自分は特別な存在だと感じたくて他人と自分を天秤にかけているわけですね。


するとなぜ自分は特別な存在である必要があるのでしょうか。

私に回答するためではなく自分自身の中でそれを見出してください。
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要するに辛くなければ死ぬ理由はないわけですね


ならばなぜ自分と他人を比較するのでしょうか。
それをやめれば辛くならないから死ぬ理由もないですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

他の人には解らないだろうけれど私にはこれがあるから…というのでもあればよかったのですが。

とは言うものの結局は社会の中で人並みになりたいのでしょうね。
超越するほど強くはないですね。

どちらにしてもないですが。

お礼日時:2012/09/13 22:56

>思いとどまる何かってあるのでしょうか。

思い付きません。

逆に言えばあなたがわざわざ死を選ぶ理由というのを聞かせてください。
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この回答へのお礼

「生きていて辛い思い」(あくまで主観的に。これこれの人達に比べれば十分幸せではないか、贅沢を言うな、的な思考ではなく、私が日々辛いかどうか)と「生きていたい思い」を天秤に掛けて、「生きていたくない」方が重いからです。相対的な問題です。
もし同じ辛さを感じていても、それを上回るような「生きていたい気持ち」があれば、死にたくはならないと思います。

天秤なんです。

お礼日時:2012/09/13 19:15

人はだれでもいつかは必ず死ぬということを忘れたいのではないでしょうか。

また死ぬということと生きるということはあまり大きな違いはありません。生きているうちは生きていればよいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

とても大きな広い目で見たら、神様的な視線で見たら、人間誰でも放って置けば死ぬと思えるのでしょう。

そう思いたい、感じたいです。

でも実際には毎朝がやってきて、支度の一つ一つ、駅までの一歩一歩、電車の一駅一駅は長く、会社でも時間はなかなか経ってくれず…全てが終わって眠ったらまた朝が来て、やっと金曜日になったってまた次の週が来て…永いです。その間がずっと辛い訳です。

もっと大きく捉えられれば違うのでしょうね。

お礼日時:2012/09/13 19:25

何故思い留まることを考えるのですか、やるたいことを見つける事の方が先でしょう、ヤりたい事がないなら、旅をするのが一番です。


そしてオススメは朝市に行く事です。
築地のマグロの見学
http://www.tsukiji-market.or.jp/
見学ですから誰でもできます、他に旅で、朝一など、まずは行ってみてから、考えて下さい。
行動もせずに、
>もちろん、やりたいこと、願うこと、楽しみなこと、楽しみにしていること…
そんなもの、あるわけないじゃないですか、だれだって無いですよ、行動するから楽しみが出来るんです、次は何処の朝市行こうとか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうなんですね。考える順番が違うんですね。
そういう見方もある訳ですね。
難しいです。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/09/12 21:54

うーん。

確かに。そうですよね。
自分の経験をいうと、人間良くも悪くも
「思う方向に」人生進みます。

あなたはこの先も何も経験することもなく、彼氏も友達もいない。
仕事もパットしない。結婚も出産もしないで死んで行くでしょう。

意地悪な書き方のようですが、これは実現しますよ。
あなたが望む事を書いただけです。


だから逆にやりたい事があって努力して
「夢が叶って嬉しい」という事もあるんですよね。


私は病んでる方なので、あなたの気持ちもわかるんですけど
度胸がないなら死なない方がいいですよ。

死って、本当に突然ですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

何か先が見えてしまうと言うか。当たらずとも遠からずな人生が待っている気がして。

何か出てくるといいのに、なんて他力本願ですね。


どちらにせよ今のところ度胸ないのです。

お礼日時:2012/09/12 21:58

「自分の人生、どうしようが自分の勝手」です。

本当に。
死のうと思って覚悟を決めてる人は、
第三者がどう頑張って助けようとしても死んでしまいます。
生物として死ななくても、人間として死んでしまいます。

例えば、どこかの施設で体の自由を奪うなり薬漬けにして
意思を奪うなりすれば、自殺をすることはできなくなります。
が、それはその人の意思で生きているとは言えないし、
人間としての扱いを受けているとも言えませんよね。


だから、もう本当に死にたくて死にたくてどうしようもない、
もう死ぬんだ、と言う人は止めようと思えません。
何より、自分とは全くの無関係であるわけですから、
自分を犠牲にしてまで助けようだとか、そういう気もおきません。
自分自身、冷たい人間だとは思いますけれどね。

でも、そういう人達を見て「勿体ないなぁ」といつも思います。

"こんな場合、思いとどまる何かってあるのでしょうか。思い付きません。 "
と質問者さんは自分で仰っていますよね。
そうなんですよ、何があるのか分からない、思いつかないんです。
何があるかなんて誰にも分かりません。自分の人生の先だって分かりません。
人生なんてそんなものなんですよ。
誰も何も分からない。次の一歩を踏み出したら妖精郷かも知れないし、
地獄かも天国かも知れません。もしかしたら崖かも、平凡な砂利道知れません。

でも殆どの人々はそういう道を慎重に、或いは大胆に歩いて生きています。
理由は人それぞれです。
何かしらの目的がある人もいれば、何となく生きている人もいます。

でも、何があるか分からない以上、
人生の終わりに絶望があるのか希望があるのかなんて分かりません。
それを見る前に自分でリタイアするのは勿体ない。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

もったいないと思えるかどうかですよね。

今は気力がないだけなのかも知れません。

お礼日時:2012/09/12 22:01

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