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こんにちは

ドイツで修士課程をしており、来年、日本の大学で教員になろうと考えている者です。
現在、日本の学会に所属しており卒業までに研究紀要2通はできる予定です。しかし、教員への応募には主要業績3通となっており、悩んでいます。
その際、修士論文を主要業績としてもよろしいのでしょうか。修士論文は大学教授の査読も入っています。

どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (5件)

>新卒で大学教員というのは無理なのでしょうか。



大学教員になろうというとき,「修士修了で新卒」という概念を,はじめて聞きました。みな博士課程までいきますので,修士修了は第一段階という認識でしょう。この段階で,企業社員とか公務員,高校教員などになる人もいます。当初から修士でこれらになる予定の人は晴れがましく「新卒」というかもしれませんが,能力に見切りをつけて第一段階でやめる場合は,「敗北者」の意識をおって寂しく大学を去っていきます。

博士課程を制度的に終わっても,就職がなくポスドクとして居残る例が多いので,ここでも「終わった」という意識はないでしょう。ぼくらは,めでたく大学に就職できたときに感無量で「やっと終わったぜ」と喜び,「退院祝い」をしていました。ぼくはそのとき30代に入っていました。

しかし,公募をかけてもろくに応募者がこないような「札付き」の大学で,あなたの専門分野いがいに一般教育ドイツ語の担当もさせれば一石二鳥などの判断があれば,候補者に残るかもしれません。だめもとで応募してみたらどうですか。ぼくには他人の可能性を摘むことはできませんから。
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論文として認められるのは、学会発表や学会誌、業界誌、海外の有名雑誌などの社会に向けて発表されたようなものです。

もちろん、査読など、評価を受けて価値を認められたものです。
論文そのものと「業績」は本来関係がありません。内容を問わず、数だけ稼いで業績という傾向がありますが、もともとの考え方がおかしいのです。
修士論文は内輪の論文作成の練習か練習メモのようなものです。

日本の実情をもう少し知る必要があるでしょう。

日本の大学の教員採用では、ほとんどが博士号取得者が最低資格です。これは採用側の能力判定(創造的研究の能力、教育力)が困難なためで、一定のラベルがあれば良しとするのと、事無かれ精神にもとづいています。論文数のみでの評価も同じです。その結果、博士だけ取れば将来が安泰だと思い、重箱の隅をつつくような研究(実際には研究の「方法」の習熟)を、徒弟制度のもとで重ねて来た人が増えています。現在の役に立たないポスドクのだぶつき現象の背景です。
博士の大量生産も問題なのですがね。現在の大学の教員だけで能力判定できるはずがありません。

一方で、実業界での経験者は、その分野での実績を残していれば、博士/修士がなくとも大学教員となることも可能です。それは実績が伴わない博士号と違い、実際に社会で実績が認められていれば、十分な資格として使えるからです。

日本の博士号取得の仕組みは閉鎖的で、なおかつ徒弟制度ですから、海外の大学出身者は冷や飯を食うはめになるのが関の山です。昔から、日本の大学の修士以上の教育制度は、守旧主義の傾向があります。教授以下の教員が、地位を守ることで結束していて、文科省も手出しが困難です。たとえば、任期制の導入も骨抜きにされました。私見では全大学教員に任期を設けるべきと考えています。

ご質問へのお答えは日本の大学はお勧めしないということです。
むしろ、ドイツで博士を取り、実績を残して教員になってから日本に戻ればよいのではないでしょうか。
日本の学会に所属して日本語の論文を発表しててもあまり意味はありません。通用するのは日本の大学だけです。
そういえば、今はドイツ語の論文よりは英語の論文でないとね。
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No.3には書き漏らしがあるな。



たしかに,ぼくも修士を修了したばかりの博士課程1年生のとき,新米講師として教壇に立ちました。実力がなかったわけではありません。しかし,しがない非常勤講師です。いまはドクターが大量に余っていますから,学位のみならず,即戦力としての教育歴も問われることがおおいです。あなたには初耳でしょう? 

だから,バカみたいに安い講師料でも,みんな先輩や指導教員などに紹介してもらってやりたがるのです。ぼくを紹介してくれたのは先輩でしたが,ぼくが就職したあとは直下の後輩にゆずり,ぼくが助教授のときは歳がはなれた後輩を引き立て・・・ということがやれるので,有力大学に在学すると有利なのです。あなたは,そういう魑魅魍魎が跋扈する魔界に入ろうとしているのですよ。
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 先に回答をくださったpassersby2さんと同じく全業績が3通では教員の公募はまず通らないと思います。


 例えば、ドイツ語の教員の公募で3本ともドイツ語で書いてある。なんて言うならばまた話は別ですが、普通は修論を業績にカウントするのは難しいと思います。現状では紀要2本も予定、さらに修士論文もまだ通ったわけでもないのでしょうから、応募の時点で3本必要なのであれば、“見込みでも可”でない限りは応募の資格はないとも言えます。
 質問されている方はどのような分野の専攻なのでしょうか?例えば私は教員に初めて教員になった時には論文そのものは修士論文1本だけ、学会発表も1回だけでした。ただ現場の経験が10年近くあったので大きな問題はありませんでした。その後は数年おきに大学教員と現場を行き来していますが、どんなに忙しくても年に1本の論文と2回の学会発表は欠かさないようにはしています。そうしなければ大学からの声もかからなくなりますから。
 もし質問主さんに職歴もないとなれば、即戦力を欲しがる大学の現状からすれば、よほどの実力者が推薦してくれるでもない限りは公募での採用は難しいと思います。博士課程に行くなり、関連領域で仕事をしつつ業績を積んで行くなりした方が、遠回りなように見えても確実なような気がします。
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分野にもよりますが,「主要業績3本」と求められて「全業績3本」だと,笑われるだけでしょう。

主要というのは,たとえば5本のうちから自信作(または近著)3本を同封しろというのが,日本語の解釈です。

>修士論文を主要業績としてもよろしいのでしょうか。

大笑いされます。

>修士論文は大学教授の査読も入っています。

指導教員+副査の3名くらいが審査するのは当然でしょう。

この回答への補足

迅速な返答ありがとうございます。

それではやはり、新卒で大学教員というのは無理なのでしょうか。

補足日時:2012/09/17 23:55
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