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私は今アメリカの動物保護のシェルターに短期の実習で来ているのですが、動物愛護のそこまで過激派ではなくとも、マウスの実験を含むすべての動物実験は間違いで廃止するべきという、一部の人の意見についていけないでいます。

最小限の動物実験は、医療、のみならず、獣医療、にも必要であるという説得力のある説明があれば、論破の手がかりにしたいのでお聞かせください。

また、お医者様、看護師様、など医療の専門家の方で、動物実験を必要としなくても良いとお考えの方がもしいらしたら教えてください。実際にいないんじゃないかと思いますが、現実はどうなのか知りたいです。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

私は、コンピュータを使用して、過去の医薬実験データから、


今度開発を検討する新薬の持つ、毒性他人体への影響を推測
する作業をしています。

しかし、数千万件(具体的に数値を書くと企業が推定可能なため)
の情報から、新薬の組み合わせ成分で、副作用がどう出るかを
予測しますが、
マウスでの5年~7年、更に、人体での4年~9年の服用実験では、

私が提供した副作用予測情報外に、全く予測できなかった副作用が
現れ、コンピュータで、その副作用が出る成分組み合わせを
抽出する作業をし、どの成分の組み合わせが副作用を起こすか
調査しますが、過去のテストデータ(数十億件のデータ)だけでは
出てこない副作用が有ります。

マウスの実験が無ければ、人間での副作用実験となり、本来の
病気治療を希望する方が、全くその病気に関係ない副作用病に
掛かる人間を作ってしまい、難病に罹っている方の救済が、
遠くに行ってしまいます。
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この回答へのお礼

私も同感でしたが、上記述の説明を読み考えが変わりつつあります。でも現時点の科学では仕方ないですよね。

お礼日時:2012/10/08 18:47

 誰も好き好んで、動物を苦しめたり、死なせたりしたいわけではないことは、当たり前ですね。



 しかし、人間は生物の中では、同じ人間が最も大切なのも当たり前です。救える命なら救いたいのは当然として、人間とマウスなどの他種生物であれば、人間を絶対的に優先するのも当たり前です。

 生きていくために、他の生物食べるのも同じです。そして植物も生物です。生物が人間の食糧のために存在しているわけではないですし、動物実験も同じです。それはよく承知しているけれども、生きていくためには、そうしないわけには行きません。

 生きていくのに必ずしも必要でないことはどうか。たとえば、ある人から見れば無用な贅沢といったことですね。化粧品、特に高価であるものなどはそうでしょう。食べることであれば、太り過ぎになるほどの美食追及もそうです。

 そこは議論の余地があります。そのために他種生物が死んでもいいかどうかは、価値観の数だけ、つまり個々の人間の数だけ、意見や主張があり得ますし、どれが絶対的に正しいかと言うことは、不可能でしょう。

 私個人の意見としては、生きていくことからすれば、一見は余剰に見えても、本当に無駄であることはほとんどなく、人類が今の人類を維持して行くためには、必須であると考えています。

 よく、2対8の法則といった経験則が言われます。全体の利益の80%は20%の要素から生み出されるというものですね。では、利益の20%減少は覚悟で、主要な20%の要素だけを残し、80%の要素を捨てるとどうなるか。

 これも経験則ではあるんですが、残した20%の要素が100%になると、そのうち80%が、以前にあった要素のように生産性が低いものになってしまいます。結果として、得る利益は元の80%でなく、36%まで減少します。

 生命を救う目的以外の動物実験を禁止したら、救える生命が救えなくなるケース、予想外の被害などが多々発生すると、私は個人的に考えています。

 もちろん、動物実験に代わる手段は常に追求されています。試験管環境を体内環境に近づけた、あるいは試験管環境と体内環境の関係を明らかにした細胞レベルのテスト、動物実験以前のコンピュータシミュレーションによる予測等々、いろいろ進められています。

 実は、そのためにも、つまり将来の動物実験を出来るだけ不要にして減らすためにも、現在の動物実験を減らすこと、極端には無くすことは、決してできないし、してはならないだろうと考えます。
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この回答へのお礼

電波の届かないところにおりお礼が遅くなり失礼いたしました。二対八の法則、また化粧品など本当に必要か議論の余地があるご意見、大変参考になりました。確かに誰も好きこのんで実験しているのではありませんよね。回答者さまのような考えの科学者の意見を聞いて、心が温まりましたしやっぱり一概に動物実験をバッシングする姿勢はよくない在り方かなと思いました。

一方で昨日、dr.marc bekoff 博士という方の本「strolling with our kin-Speaking respecting voiceless animals」を読み、YouTubeでもいくつか聞いてみたのですが、大変に良い意味でショックを受けています。
http://www.google.co.jp/search?q=marc+bekoff+ins …

こちらの二件目に出てくるところのYouTubeによると、10-15年目には全く新しい時代が来て動物実験に代替する研究法が確立されるであろうと説明されていたのですが、英語の専門用語がよくわかりませんでしたがおそらく、生体がことなると結果も全くふさわしいものでは限らない可能性もある、みたいなことが解説されていました。私の訳に間違いがあればご指摘ください。
はじめはなんだこりゃと変人のたわごとに聞こえたのですが、(、
失礼なことに)
言っていることも理論整然としているし、性善説を指示する姿勢にも気持ちよく、やっぱり何度も首がかしげましたが、彼の説の実践することで、損をしたり失うものが出る研究者はいない気がするのです。

お礼日時:2012/10/08 18:45

 お礼、ありがとうございます。

#2です。

 動物実験を禁止する意見には、たとえば次のような主張があります。

 マウス、ラットといった生物はヒトと生理機能が違い過ぎて、参考にならない。マウスを大量に犠牲にし、さらに徐々にヒトに近い動物に変えながらの実験を進めていかねばならない。
 これではヒトの受ける恩恵に対して、多数他種の動物の犠牲が大き過ぎ、倫理的に問題がある。

 それならば、今までで蓄積してきた知見を利用し、進歩してきたコンピュータを使用してシミュレーションを出来る限り行った上で、ヒトでの実験を安全に配慮して行うべきである。

 これはこれで、もっともな意見です。一部に、「実験動物は人間のお蔭で繁殖している」という意見もあるようですが、暴論でしょうね。

 生体反応のコンピュータシミュレーションは、現実に進められています。一例として、新薬の副作用予測があります。これは、上記のような倫理面からではなく、動物実験、ヒトでの実験では時間がかかり過ぎ、膨大な化学物質の組み合わせをテストしていられなくなってきているということが大きな要因です。

 また、生体内の反応と試験管内の反応が大きく異なることについて、その差を埋めるための対応も進められています。ES細胞やiPS細胞は、そういう目的でも大いに活用されています。

 倫理的にも、実用面からも、動物実験を減らし、無くして行く方向であるのは確かです。しかし、現時点で動物実験無しで、同等のことをするには、まだまだ技術的にも、それを支える学問的にも、力不足は否めません。

 マウスとヒトが生理的に大きく異なることは、動物実験を行う側もよく承知しています。マウスやラットの実験の論文では、「このことがヒトにも言えるかどうかは不明である」といったような文言が見受けられます。

 しかし、異なるんだから駄目だ、というのも極端な意見です。DNA解析を得た遺伝学では全生物が驚くほど似ていることを示唆しています。分子生物学でも同様です。動物実験が必要と考える人々は、そこを考慮、あるいは重視しています。平たく言えば「マウスが死ぬようなものなら、ヒトも死ぬはずと用心できる」といったようなことです。

 こうした背景に文化の相違もあります。大きく関わるのは宗教かもしれません。三大宗教と呼ばれるうち、キリスト教とイスラム教はユダヤ教の系列である近い関係ですが、仏教は全く別のものです。

 キリスト教的世界観では、人間だけに魂があり、他の生物は魂がなく、人間のために作られたといった雰囲気があります。

 仏教ですと、生物(主に動物)をみだりに殺生してはいけないとされます。おそらくは仏教の母体となったであろう、インドのヨガにも5つの禁戒の中に殺生を含む暴力の禁止があります。人間同士は特別としても、原則として生命の尊厳に動物種の相違は関係しないということですね。食物として生きていくに足る以上は殺してはなりません。

 日本のキリスト教徒のある老婦人が、死んだ愛犬のためのミサを親しい神父に願い、その神父は大変に驚いたという話を聞いたことがあります。日本では仏教的な考えが浸透していますから、老婦人は犬だって天国に行けるだろうと思い、神父はキリスト教的観念から魂のない犬にミサをするということが理解できなかったわけです。

 そういう観点ですと、動物実験禁止は仏教的な面があり、動物実験をやむなしとするのはキリスト教的な面があるのかもしれません。もちろん、そんな単純に分けられるはずは無く、あくまでも一部にある、多くの要素の一つということですが。キリスト教的だけでも、ルネサンスはどうか、プロテスタントなら、と際限はありません。

 先に回答申し上げたのは、私個人の意見ですけれども、動物実験反対の人の意見ももっともだと思っています。私自身、動物実験がやむを得ない理由を掘り下げると、やがて理屈は尽きてしまい、結局は「なんとなく、他の動物より人間のほうを生かしたい気がする」といった、曖昧な感じでしかありません。

P.S.

 もしかすると、一番困るのは、動物実験禁止派と推進派が、動物実験自体の是非から離れて、互いの人格の是非を非難しあうような場合であるかもしれません。
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この回答へのお礼

大変に参考になりました。
やはり現時点ではマウスの実験は仕方ないし必要とのこともっともと思います。また宗教観も大変参考になりありがとうございました。
こういう私も夫がマウスを使った実験(医学系であり製薬化粧品ではないです)をしていて、(大抵の動物愛護団体は動物を受け入れるときに、家庭環境や職業を詳しく聞くのですが、)被災動物の保護をしようとしたところ、愛護団体の人に、夫が動物実験をしていることについてチクチク言われてすごく不愉快だったことがあります。確かに、愛護が行きすぎるあまりに人格の否定につながるような態度は受け入れられるものではないし幼稚で攻撃的で建設的なものではないとおもいます。
しかし、今回動物の保護環境のボランティアにきて、そういう姿勢の愛護家が少なくないことを残念に思いました。
その点、dr.marc bekoff の姿勢は、人は99パーセントが良い人で、今まで培ってきたやりかたや考えは即変わるものではないし、今の在り方を否定しないという、非常にバランスのとれた、尊敬できるスタンスだったとおもいます。

個人的なご意見とはいえ、感動しました。ES細胞やiPS細胞もマウスがあったおかげの産物ですし、人のみならず動物にも活用できるのであれば今までのマウスは必要だったし、無駄ではなかったですよね。

お礼日時:2012/10/08 21:47

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