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東書小3国語「サーカスのライオン」のじんざの気持ちを考える授業でした。

「外はいいなあ」独り言を言っていると声がした。男の子が一人立っていた。
「もうライオンはねむったかしら。僕ちょっとだけ傍へ行きたいんだけどなあ」
じんざはおどろいてもぐもぐたずねた。

「ライオンが好きなのかね」「うん大好き。それなのに僕達昼間のサーカスを見たときはなんだかしょげていたの。だからお見舞いに来たんだよ」
じんざはぐぐっと胸の辺りが熱くなった。


授業では ぐぐっと胸の辺りが熱くなったときのじんざの気持ちは 男の子がじんざを心配してくれたのがうれしいという気持ちになりました。

 けがをしたわけでもないし,びょうきでもないのに 男の子が心配してお見舞いに来ることがうれしいと思うでしょうか。ぼくが じんざだったら うれしくないです。このときのじんざの気持ちをどう考えたらよいのか教えて下さい。

A 回答 (10件)

#9です。



じんざは無気力で惰性に流される日常を送っている、だめなライオンです。
この点は一致していると思います。
ただ、「胸の辺りが熱くなる」という表現に対する解釈の違いですね。
質問者さんは、「湧いてきたやる気が胸の辺りを熱くさせた」と解釈なさっているのだと思います。
わたしは、「男の子の優しさに対する感動が熱くさせた」と解釈します。
これが、「胸の奥から熱いものがこみ上げてきた」などであれば、わたしの解釈で間違いないと思うのですが、たしかに、質問者さんの解釈になる可能性も全面的に否定はできないかもしれません。

ただ、質問者さんの解釈の場合には、
「ライオンが好きなのかね」「うん大好き。それなのに僕達昼間のサーカスを見たときはなんだかしょげていたの。だからお見舞いに来たんだよ」
「じんざは、はっとした。次に、ぐぐっと胸の辺りが熱くなった。 」といった流れでないと、どうも違和感を覚えるのです。
いきなり「ぐぐっ」という感じでやる気が芽生えるものかどうか・・・ということです。
また、「【ライオンが】好きなのかね」と聞いてますよね。ですから、
「うん【僕はライオンが】大好き。それなのに僕達昼間のサーカスを見たときはなんだかしょげていたの。だからお見舞いに来たんだよ」
と言い換えることができると思います。
「好きだから元気でいてほしいのにしょげていた→だから心配」という構図です。
「好きだけど演技に力がこもっていない→だから心配」ではないと思うのです。
まあ、あくまでわたしの個人的感覚にすぎませんので、これ以上は申し上げません。
しかし、どちらの場合でも、劇などにする際には、じんざ役はその表情に関して難しい演技を迫られることになりそうですね。
  
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この回答へのお礼

hakobuluさんのいうとおりですね。どこでじんざのやる気に火がついたのかは本文からははっきりしませんね。少なくとも下の場面からはわかりますね。

いよいよサーカスが明日で終わると言う日男の子は息をまずませてとんできた。「お母さんがね、もうじき退院するんだよ。それにおこずかいもたまったんだ。明日サーカスに・・火の輪をくぐるのを見に来るよ」
じんざの体に力がこもった。目がぴかっと光った。「ようし。明日若い時のように火の輪を五つにしてくぐりぬけてやろう」

 いずれにしても 男の子は肉体は生きていても魂が死んでいたじんざを蘇らせた他者であることは間違いないですね。だからこそじんざにとって男の子はかけがえのない存在になり,自分の命をかけてでも救いたい存在になったのだと思います。
 肉体が炎に焼かれて消えても,魂は逆に黄金色に輝いて生き続けている。
じんざがいない火の輪くぐり,じんざの魂に拍手が送られたのでしょう。
 いろいろ教えて頂きありがとうございました。

お礼日時:2012/10/22 07:58

#8です。



まず、「心配してくれたのがうれしい」という表現では、じんざの気持ちを十分に表わしているとは言えない、とわたしも思います。
ただ、その理由が質問者さんとは若干異なります。
たとえば、脚を怪我して包帯を巻いているようなとき(=誰が見ても弱っていることがわかるような状態のとき)に、「脚を怪我したんだってね。だからお見舞いに来たんだよ」と言われても、「ぐぐっと胸の辺りが熱くなった」という表現は使わないだろう、と思うからです。
このような場合であれば、「心配してくれたのがうれしい」という表現が妥当になることでしょう。

じんざの場合は、しょげているように見えただけ(=実際に弱っていることかどうかはわからない状態)なのに、「なんだかしょげていたの。だからお見舞いに来たんだよ」と言われたわけです。
これは、じんざのことを強く気にかけて注意して見ていたからこそ出てくる言葉だと思います。
「しょげているように見えたけど、なにか困ったことがあったのだろうか・・・」などと、男の子は、あれこれと想像したはずです。
単に心配してもらったというより、そうした想像力を働かせてまで、じんざを気遣う。
その気持ちが、感動するほど嬉しかったのだと思います。
「【それほどまで】自分のことを心配してくれたのか」という感動です。

「価値観が大きく変わる節目を目の当たりにした時」というのは、言ってみれば「新たな発見」ですよね。
今回の場合、「こんな子供が、そうした想像力を働かせてまで他人を気遣うことができるものなのか!」という発見ではないでしょうか。
それが感動につながったと言っても良いでしょう。
発見と感動は連動していると思います。
とはいえ、これはあくまで無意識的なメカニズムになりますから、実際のじんざの気持ちとしては、
「男の子がじんざを心配してくれる、その優しい【心遣い】が感動するほど嬉しかった」
のようになると思います。
質問者さんにならって、感動を引き起こしたキーワードを抜粋するとすれば「なんだか」になるでしょうか。

>誰にも負けない最高の演技をしようというじんざのプロ意識というかプライドに火がついて胸が熱くなった

という解釈も新鮮で興味深く拝見しました。
ただ、2つ難点があるように思います。
まず、全文も繰り返し読ませていただきましたが、プライドに火がつくのが早すぎると思います。
他人から思いやりを受けると、人でもライオンでも、その思いやり(愛)に答えようと奮起するでしょう。
その結果としてプライドが目覚め、徐々に生気を取り戻す方向に向かっていった、という解釈が妥当のように思うわけです。
チョコレートをもらうくだりや、「男の子は毎日やってきた」といった挿入箇所が、その目覚めていく過程を暗示しているわけで、なかなか上手な書き手だと感じました。

もうひとつは、質問者さんの解釈だと、たとえば、男の子が、
「うん大好き。それなのに僕達昼間のサーカスを見たときは全然下手っぴでさ。だから活を入れてやろうと思って来たんだよ」と言ったとします。
この場合、プライドをくすぐられて、「なにくそ!ようし見てろよ」的な感情が湧くことは想定できると思います。
しかし、この場合に、「じんざはぐぐっと胸の辺りが熱くなった」という表現はしないだろう、ということです。
ここには発見はあっても感動は無いわけです。
いや、この場合でもこのように表現して不自然ではない、というご見解であれば、それは見解の相違ということで一件落着させざるを得ないわけですが・・・。

個人的には、
「じんざはぐぐっと胸の辺りが熱くなった。そして、奥のほうから何か得体のしれないものがこみ上げてくるような気がした」
などと追加したいところです。
むろん「得体のしれないもの=感動」という意図でです。
  
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この回答へのお礼

全文を繰り返し読んで,詳細に考察していただき,ありがとうございます。私もじんざは心配してくれてうれしかったという表現では不十分だし,男の子のやさしい気持ちに感動したのだと思います。そしてhakobuluさんがいうようにその感動が価値観を大きく変えるエネルギー源になっていると思います。
 ただ,キーワードは「それなのに」です。予想や期待を裏切る結果になったときに使う接続詞です。この言葉がなければ男の子がじんざを心配してくれる、その優しい心遣いが感動するほど嬉しかったのだと私も思います。
 毎日おなじことの繰り返し,惰性で演技を続け,やりがいもあまり感じていないし,火の輪くぐりの演技にもこだわりや情熱が感じられないじんざという設定があります。「外 は いいいな」の裏にはサーカスのテントの中や檻の中はいやだなぁ・・・という価値観がありますね。
 サーカスのおじさんにも「今日の演技は元気なかったぞ」と指摘され,気分転換に変身して外にでているときに男の子に会うわけです。
 自分の演技をこんな熱い視線を送りながら見に来てくれている男の子がいることを発見し,感動したとみる方が妥当ではないでしょうか。そして奥のほうから何か得体のしれないものがこみ上げてくるような気がしたの得体の知れない物=自分の見失っていた演技への情熱となります。決して早すぎないと思います。男の子がじんざのために,おこずかいをためてやっとサーカスを見に来ているとう状況をさりげなく加えているところも目覚めていく過程を暗示しているわけで、なかなか上手な書き手だと私も感じました。

お礼日時:2012/10/21 20:40

#7です。



>でも胸が熱くなるのは価値観が大きく変わる節目を目の当たりにした時、自らの胸が高鳴り心が震える様な際に使用する言葉でもあるようです。毎日同じ事の繰り返しで,見失っていたサーカスの火の輪くぐりのすばらしさ,そのんなものに気付いたのかもしれませんね。
このあと,じんざの白く濁っていた目がぴかっと光ります。

なるほど。
ところで、小学生とは思えない文章ですね。
別に子供をばかにしているわけではありませんが、年齢相応の言葉遣いは許されると思っているわけで。
ひょっとして、先生の立場での質問であったのか、あるいは、親御さんが代筆している可能性も残りますが、それはどちらでも大したことではありません。
小学3年生でこれだけの文と論理を駆使できるのであれば相当の秀才でしょうし、いずれにせよ、教える立場の方という前提で回答します。

「でも胸が熱くなるのは価値観が大きく変わる節目を目の当たりにした時、自らの胸が高鳴り心が震える様な際に使用する言葉でもあるようです。」
とおっしゃるのは、全くそのとおりでしょう。
しかし、そのきっかけを与えてくれたのは、男の子の優しい心遣いだったのではないでしょうか。
【ぐぐっと胸の辺りが熱くなったとき】のじんざの気持ちは、そのきっかけに対するものであって、やはり男の子がじんざに寄せてくれた気持ちに対する嬉しさであったり、感動だったと捉えるのが妥当だと思います。
男の子の他人(他ライオン)を思いやる気持ちを知って、「人間という存在は、(本当にしょげているのか否かも確認できていないうちに)これほど他者に対して優しくなれるものなのか!?」という、まさしくおっしゃるところの、「価値観が大きく変わる節目」を目の当たりにしたのでしょう。
その気持ちに対して「ぐぐっと胸の辺りが熱くなった」ことを表現しているわけで、
「毎日同じ事の繰り返しで,見失っていたサーカスの火の輪くぐりのすばらしさ,そのんなものに気付いた」のかもしれない、ということはたしかにそのとおりでしょうが、それは、その(ぐぐっと熱くなった)結果として得られた感覚になると思います。
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この回答へのお礼

ていねいな回答ありがとうございます。授業参観をしていて疑問に思い,国語の指導のことはまったくわからないくて質問しました。ぼくがじんざだったら・・・と思いながら先生と子どもたちの話を聞いていました。ぼくは価値観が大きく変わったのは男の子が心配してくれたからではなく,「大好き,それなのに」の部分,つまり,自分や自分の演技を大好きと評価されたことがうれしかったのだと思うのです。じんざが自分やその演技を大好きと思いつつ見つめている他者の存在を知り,誰にも負けない最高の演技をしようというじんざのプロ意識というかプライドに火がついて胸が熱くなったと考える方が妥当だとぼくは考えます。

お礼日時:2012/10/20 01:35

#4です。



>何かあったのだろうか?と気になって・・・」と言われ,自分のやる気のなさが原因でそう見られたとしたらどうでしょう?

なるほど。
「自分のやる気のなさが原因でそう見られたと感じたら、嬉しいとは思わないのではないか」という意味ですね。
そっか、そういう可能性については気づきませんでした。
たしかに、kobaykk さんの言うとおりだと思います。
格好悪い、とか、恥ずかしいとかいう気持ちに、おそらくなるでしょう。
でも、その場合は、「ぐぐっと胸の辺りが熱くなった」という表現は使わないでしょうね。
これは、あくまで嬉しかったり感動したりした時に使う表現だからです。
ですから、原文の場合は、じんざは嬉しかった、あるいは、感動した、と考えて間違いはないと思います。
  
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この回答へのお礼

ありがとうございます。でも胸が熱くなるのは価値観が大きく変わる節目を目の当たりにした時、自らの胸が高鳴り心が震える様な際に使用する言葉でもあるようです。毎日同じ事の繰り返しで,見失っていたサーカスの火の輪くぐりのすばらしさ,そのんなものに気付いたのかもしれませんね。
このあと,じんざの白く濁っていた目がぴかっと光ります。

お礼日時:2012/10/19 19:52

こんにちはぼくも小3です。

この質問の答えに授業でやったことを話します。前の文章で「三回、四回とくりかえしいた。」のとこは、あとのじんざとおじさん会話、[毎日同じ事ばっかりやっているうちに、わしはおいぼれたよ。」で、わかるようにじんざは「やればいんでしょ。」という気持ちでやっていた事がわかります。これを見ていた、男の子がいつも夜、さんぽしているおじさんに言おうと思っておじさんに言ったつもりだったけどそれがたまたまじんざだったのでじんざはびっくりして胸のあたりがあつくなったという意見と男の子の気持ちがうれしいという意見が出て男の子の気持ちがうれしいという意見が採用されました。
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この回答へのお礼

回答ありがとう。いろいろな考えが出て 楽しそうな国語の授業ですね。男の子の気持ちがうれしいという意見がどのように採用されたのかが知りたくなりました。

お礼日時:2012/10/19 00:21

NO.4さんに


「『何か困ったことが起きているのではないだろうか?』と気遣ってくれたこと自体が嬉しかったのだと思います。」とありましたが、全くその通りです。

質問者さんの気持ちもわかります。確かにナレーター部分には怪我したとか、病気したとかは書いてませんね。        が、セリフ、つまり→「」部分にこんな事が!

「それなのに僕達昼間のサーカスを見たときはなんだかしょげていたの」  !

しょげていたようにみえたのです!!!
「だからお見舞いに来たんだよ」
ということです。

見方を変えれば、男の子は、 「挑戦」 に、出たのかもしれません。しょげてたのには根拠がないし。
ていうか逆に序盤に「何回でも火の輪を飛んでた」的な事が書いてあった記憶があるし…
それでも、男の子が気遣ってくれたことが嬉しかったのだと思います。

この回答への補足

http://yuunohitorigoto.cocolog-nifty.com/blog/20 …
にほぼ全文があります。序盤のことが書いてあります。

補足日時:2012/10/19 06:12
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。たしかにその通りです。この場面の会話だけでなく,その前の場面でじんざがどんな気持ちで何をしたのか,そして,この言葉を聞いた後,じんざがこの男の子の前で,再度火の輪くぐりをすることになったとき,どんな気持ちで何をしたのかを振り返らないと,わからないですね。
 じんざがかしこいライオンなら しょげたようにみえた。だからお見舞いに来た といわれ,お見舞いに行こうと思うほどしょげた演技に見えたのか・・・とも考えたと思います。

お礼日時:2012/10/19 00:19

#3です。



>大好きといわれたことはうれしいにしても 心配してくれてうれしいとは思っていないはずです。

では、じんざになったつもりで考えてみましょう。

特別好きというわけではないが、一応、好印象を持っていた同じクラスの女の子が、ある日、突然kobaykkさんの家を訪ねてきたとします。
「何しに来たの?」と尋ねると、
その子は「わたし、kobaykkさんのことが好き」と言いました。
kobaykkさんは、どんな気持ちになるでしょうか。
とりあえず、「嬉しい」と感じるのはたしかだと思います。
しかし、おそらく、「ぐぐっと胸の辺りが熱く」なったりはしないような気がしますが、いかがでしょうか。
「ぐぐっと胸の辺りが熱くなった」というのは、何かに感動したときの表現だと思います。
たしかに、「好き」と言われて感動してもよいのですが、それとはちょっと違うような気がしませんか?

では、その女の子が次のように言ったら、どう感じるでしょうか。
「わたし、kobaykkさんのことが好き。それに、今日学校で見たときに、とてもしょげているように見えた。それで、何かあったのだろうか?と気になって、もし、そうなら慰めてあげたい、と思ったの」
どうでしょう?
「しょげているように見えただけで、本当はしょげてないかもしれないのに、わざわざ心配して来てくれたんだ。なんて優しい子なんだろう・・・」
という感じで、「ぐぐっと胸の辺りが熱く」なったりするかもしれない、と思いませんか。
実際にしょげるような出来事があっても無くても、その女の子の優しい気遣いに感動する、という可能性はあるような気がしますが、どうでしょうか。

#3でも述べましたが、じんざは、
「何か困ったことが起きているのではないだろうか?」と気遣ってくれたこと自体が嬉しかったのだと思います。
「心配した」という行為に対してではなくて、そのような優しい気づかいを自分にしてくれたことに感動して、「じんざはぐぐっと胸の辺りが熱くなった」のでしょう。
ですから、
「男の子がじんざを心配してくれたのがうれしい」ではなくて、
「男の子がじんざを心配してくれる、その心づかいがうれしい」
あるいは、
「男の子の優しい気づかい(=思いやり)に感動した」などと表現するほうが適切かもしれません。
  
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。「わたし、kobaykkさんのことが好き。それに、今日学校で見たときに、とてもしょげているように見えた。それで、何かあったのだろうか?と気になって、もし、そうなら慰めてあげたい、と思ったの」なら心配してくれてうれしい。かもしれないけど「わたし、kobaykkさんのことが好き。それなのに、今日学校で見たときに、とてもしょげているように見えた。それで、何かあったのだろうか?と気になって・・・」と言われ,自分のやる気のなさが原因でそう見られたとしたらどうでしょう?

お礼日時:2012/10/19 06:37

#2です。



ごめんごめん。
とんだ早とちりをしたみたいです。
ひょっとして、じんざ というのはライオンの名前なのですね。
そう考え直して、回答を次のように変えます。

男の子は、なぜお見舞いに来たのでしょうか。
「昼間のサーカスを見たときはなんだかしょげていたから」です。
でも、正確な意味は、
「昼間のサーカスを見たときはなんだかしょげていたように【見えたから】」ですよね。
じんざが自分で「わたしはしょげている」と言ったわけではないので、
「じんざは、何か困ったことが起きてしょげているのではないだろうか」と男の子が自分で想像したことになります。
そのように「何か困ったことが起きているのではないだろうか?」と気遣ってくれたこと自体が嬉しかったのです。
ですから、実際に何か困ったことが起きていても、起きていなくても、それはどちらでも関係ありません。
  
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この回答へのお礼

 実際に何か困ったことが起きていても、起きていなくても関係ないときと,関係があるときがあると思います。このばあいは関係があると思います。大好きといわれたことはうれしいにしても 心配してくれてうれしいとは思っていないはずです。

お礼日時:2012/10/18 17:42

全文を読まないとはっきりしたことはわかりませんが、男の子は、じんざではなくて、ライオンのお見舞いに来たのではないか、と思います。


なぜ、お見舞いに来たのか、というと、「昼間のサーカスを見たときは、(ライオンが)なんだかしょげていたから」ですね。
「(ライオンが)しょげているように見えただけなのに、お見舞いに来ようと考えるほど心配してくれた」
男の子のライオンに対する、その優しい気持ちが、じんざにはうれしかったのだと思います。
  
  
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。そうなんです。この場面は全文を読まないと はっきりとしたことはいえないと思います。

お礼日時:2012/10/19 06:39

ほんとうはけがもなく、びょうきでもなくても、


それは本人しかわからないことなので、
他の人が、
もしかするとあの人はけがをしているかもしれない、
びょうきかもしれない、
と思ってお見舞いに来ることはあるかもしれないでしょう。
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この回答へのお礼

そうですね たしかに本人しかわからないから お見舞いにくるかもしれませんね

お礼日時:2012/10/18 17:42

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