この人頭いいなと思ったエピソード

こんにちは。
私は22歳の男性です。
私には10歳(小学5年生)のときから、今日に至るまで12年間もの間、悩んでも悩んでも答えが出ていないことがあります。
汚らしい表現も出てくるので、今まで誰にも相談できずに一人で悩んできました。
もしよろしければ、みなさんの知恵をお貸しください。




私は、5歳のときは保育園に通っていたのですが、その保育園のお昼寝の時間に、『鼻くそってどんな味がするんだろう?』という好奇心に駆られ、鼻くそを食べてしまったことがあります。
鼻くそを食べてしまったことに関しては、おそれくそれが私が記憶している中での最初で最後の体験です。


その5年後、10歳(小学5年生)になるのですが、その頃は人前で鼻くそをほじったり食べたりする、または過去に食べた経験のある一部のクラスメイトに対し、
他のクラスメイトたち(自分の友達)はものすごく嫌悪感を抱いており、自分も、友達たちと同じく"一部のクラスメイト"たちに嫌悪感を抱いている一人でした。


しかし、ある日、5歳のころに自分もそういった行為をした事実があることを思い出し、
そんな自分は

"一部のクラスメイト"と同等ではないか?
"自分の友達"と仲良くしたくても、過去(5歳の頃の話)を話せば、
みんなドン引きして友達ではなくなってしまうのではないか?

と考えるようになりました。




そして、10歳からもう少し年齢が上になると、この原理は人間が抱く『他人の納得いかない行動』に対して、何にでも応用が利くということがわかりました。
例えば

・"今"は友達や恋人に恵まれている。だが、自分は昔、○○(鼻くそを食べた、または、いじめっ子だった、凶悪犯罪者だったなど、なんでも)だった。一般論として、この過去を他人に話すと確実に嫌われる。だから自分は、誰かと親しくなる権利がないのではないか。

というような感じです。
これが、今回の相談のキーポイントというか、基本になる部分だと思います。




一時は、考えに考えた末
『過去は変えようがないので、他人から見てネガティブな行為(鼻くそを食べたり、いじめをしたり、犯罪を犯したりなど、なんでも)を反省し、今の自分がそういった行為をしていなければ、十分誰かと親しくなる権利はあるんじゃないか。』
という考えに落ち着こうにもみえました。
でも
『今は鼻くそを食べたことを心の底から悔やんでいるから、俺は十分誰かと親しくなる権利はある。しかし、鼻くそを食べたり、いじめをしたり、犯罪を犯した過去がある人と友達になりたいと思うか?』
と訊かれたら、正直言って友達にはなりたくないです。
つまり自分は、自分のことを棚に上げたくないのです。




そこで、最後になりましたが質問させていただきます。


1.『結局のところ、多かれ少なかれ、人というものは何かしら他人に打ち明けると確実に嫌われるような行為をしていて、それを上手く隠しながら生きている。それを墓場まで持っていったモン勝ち(まさに知らぬが仏)』
ということになるんでしょうか?
回答者様なりの考えや持論をお聞かせください。


2.上記した自分の長年の悩みに対して一言お願いします。


3.自分と同じようなことを考えていた哲学者やその著書、理論などを紹介していただけると有り難いです。


以上です。


長文&乱文失礼しました。
汚らしい不快な表現を使用してしまいすみませんでした。


それでは、ご回答の程よろしくお願い致します。

A 回答 (17件中1~10件)

12年も悩まれたのですね。



大変でしたね。


罪はみんな多かれ少なかれ犯すものです。

もしよかったらこれからはクリスマスの時期ですし、お近くの教会に足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

毎日曜日に礼拝もありますので、礼拝後牧師に話してみてはどうでしょう?

きっとすぐにわからなくても、あなたは聖書もお持ちのようですから、ぜひ24日クリスマスコンサート等やられてる教会に足を運んでみてはいかがでしょうか。

一人だと行きにくければ、ご友人に声をかけてご友人が通ってらっしゃる教会に連れて行っていただくと、よいと思います。


誰もあなたの悩みを聞いてバカにするクリスチャンはいないと思います。
人はみな罪人だとクリスチャンは知っています。
教会で牧師やクリスチャンに相談するとあなたの悩みを聞いてくれ、祈ってくださると思います。
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この回答へのお礼

>罪はみんな多かれ少なかれ犯すものです。
>人はみな罪人だとクリスチャンは知っています。

この言葉のおかげで、なんだかこころが楽になった気がしました。


回答ありがとうございました!

お礼日時:2014/12/20 19:06

1.『結局のところ、多かれ少なかれ、人というものは何かしら他人に打ち明けると確実に嫌われるような行為をしていて、それを上手く隠しながら生きている。

それを墓場まで持っていったモン勝ち(まさに知らぬが仏)』
ということになるんでしょうか?
回答者様なりの考えや持論をお聞かせください。

○ 1.の考え方は「不落因果」の考え方ですね。これは「無門関」第2則の「百丈野狐」にある間違った考え方ですね。正しくは「不昧因果」ですから、正直に生きることが正解ですね。
生きてるうちだけで因果が完成しているわけではないのですね、生前も死後も貫いて因果が存在するから因果の理法が絶対真理になるのですね。
「百丈野狐」は、因果がくらませると考えた坊主が死後狐になってしまったということですが、実際に因果がくらませると考えた多くの人の霊が因果応報の結果地獄で苦しんでいるかなんですよ。死んでみれば誰でもわかりますが、生きている内に気がつくのが最善の道ですね。
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この回答へのお礼

「不落因果」という言葉があるんですね。
勉強になりました。
仏教のこと、もっと調べてみたいです。


回答ありがとうございました!

お礼日時:2012/10/28 18:57

小学生で鼻糞を食べる?


多分9割のくらいの人に経験があると思いますよ。
いつも食ってた友人もいましたよ。

他人(女性を除く親しい人)にこの話を正直にしてみると良いですよ。
多分俺もって話になると思います。
逆に言えばそういう話を気軽にできる人がいないってのが問題なのでは?

流石にいきなり友人から「俺昔人殺した事があるんだ」なんて告白されたらショックではありますが、それさえもその人はこんな話をしても良い人間であると判断したと言うことですから、すでにそれなりの関係になってるって事だと思います。
これはその人との関係の問題です。
それで疎遠になるでのあればそれまでの関係と言うことでしょう。

>12年間も悩んでる…
悩みって答えの出る悩みと出ない悩みがあります。
自分は1時間思いっ切り悩んで答えの出ない悩みは時間でしか解決できないと判断して保留します。
答えの出ない悩みに短い人生の貴重な時間を費やすのは無駄ですからねぇ。
まあ、中には悩んでいる事が楽しいって人もいるみたいですけど。
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この回答へのお礼

自分は、悩んでいることが楽しいか楽しくないか、それすらにも悩んでいます(笑)
これからは、自分の悩みを言い合えるような友人関係をつくっていけたらいいなと思います。


回答ありがとうございました!

お礼日時:2012/10/28 18:55

過去に、本人が後悔しているような過ちを犯したと自覚している人間が、糾弾される理由がありません。


鼻くそレベルのことではなく、いじめに加担した行為であっても、同じです。

蟻や虫を殺さない幼児は居ません。

問題があるとすれば、あなたの
>正直言って友達にはなりたくないです。
というところでしょう。
この言葉が一番「汚らしい不快な表現」です。

哲学者やその著書、理論
ということで言えば、仏教的な、「人は皆愚かなモノ」という考えで開放されそうです。

談志の落語の哲学ですよ。
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この回答へのお礼

>問題があるとすれば、あなたの
>正直言って友達にはなりたくないです。
というところでしょう。
この言葉が一番「汚らしい不快な表現」です。

私も、この性格をなんとかしたいと思っています(お金を積めば治ると誰かに言われたとしたらいくらでも積むと思います笑)


回答ありがとうございました!

お礼日時:2012/10/28 18:51

>結局のところ、多かれ少なかれ、人というものは何かしら他人に打ち明けると確実に嫌われるような行為をしていて、それを上手く隠しながら生きている。



わたしの息子も同じことをしておりましたが、たしかに止めさせたいことでしたが、今思い出すとそれも可愛い仕草だったなと思います。全く気に止めるような問題ではないと思います。しかしいじめに加担したり、犯罪を犯してしまったとしたら、心に罪悪感としては残ると思います。

人がその人生を平安の内に終えることができれば、それはある意味で成功した人生と言えると思います。何しろ、大いに成功した方が自殺をしたり、殺人者となったり、結局破産したりしております。お金があることが必ずしも幸福でないこと、高い地位があるということが幸福を約束するというものではございません。多くの場合そのような環境を手に入れるためしばしば道を踏み外して、気がついた時には深い後悔の念に悩まされるということはよくあることと思います。

>上記した自分の長年の悩みに対して一言お願いします。

もし現在の悩みが後悔の念、別の言葉で言えば罪の意識であるならば解決策があります。

>自分と同じようなことを考えていた哲学者やその著書、理論などを紹介していただけると有り難いです。

哲学者の代わりに、イエスキリストをご紹介したいと思います。彼が生まれた年が紀元1年とされたので、その前の年はBCでで表記されます。つまりBefore Christ(イエスキリストの生誕以前)という訳です。キリストが生まれた後はA.D.と表記されますが、これは英語にすればキリストの時代という意味だそうです。

また著書と言えば、聖書をおすすめいたします。

その理論は以下の通りです。聖書によれば、

1)
「義人はいない。ひとりもいない。」ローマ人への手紙3:10
イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。  ヨハネ8:34

つまりこの世の中に正しい人は居ない、一人もいないと聖書は述べています。正しそうな事を行なっているように見えても心の中は悪いことでいっぱいになっているという意味です。つまり罪の奴隷になっているということです。

2)「神は、実に、そのひとり子〔キリスト〕をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子〔キリスト〕を信じる者が、 ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 (ヨハネの福音書 3:16)

神は愛であり、ひとりひとりがその人生を最大限に平安の内に生きることを願っていると述べています。

3)「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない。」 (ローマ人への手紙3:23)

しかしその人の罪が神と人間を隔てていると述べています。

4)「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」 (ローマ人への手紙5:8)

「キリストは…私たちの罪のために死なれ…また、葬られ…三日目によみがえられ…ケパに現われ、それから十二弟子に現われ…その後、五百人以上の人々(兄弟たち)に同時に現われました。」 (コリント人への手紙第一15:3~6)

もしイエスキリストが自分の罪のために死んで蘇った事を信じるならば、あなたは心に平安を与えられると述べています。

5)「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」 (ヨハネの福音書1:12)

聖書の箇所を多用してしまいましたが、その理論はまとめますと次のようになると思います。

神は人を愛しておりますが、私たちの側に罪があるために正しい神との接点がございません。そこで神はイエスキリストを地上に送り、十字架の上でわたしやあなたの罪のために十字架に架かってその罪の身代わりとなって死にました。その結果わたしの罪が許されて、神との新しい関係に入ることができたと述べています。この事実を受け入れますか、と聖書は述べています。

お近くのプロテスタント教会に足を運んでみてください。皆さんの質問に応えるために牧師がおりますので、是非おたずねください。
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この回答へのお礼

昔、家族でキリスト教系の学校に行っていた者が居るので、
自分の家には聖書があります。
ですから、ぜひ読んでみようと思います。


回答ありがとうございました!

お礼日時:2012/10/28 18:48

 No.1&8です。



 勝手ながら・出しゃばりながら:
 わたしの立てた質問です。よろしかったらどうぞ。

 ☆☆【Q:アスペルガーとアマテラス語方言】~~~
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5507123.html

 アスペルガーの特徴のひとつと言われることとして 《言葉を額面どおりに受け取る》を取り上げたい。

 ・・・
 
 意思疎通の障害やそれにともなう交通(=会話)事故を無くすためには どうしたらよいか。
 これを もしこの特徴に限るなら アスペルガーが症候群であるなどとは ちゃんちゃらおかしいと思うという立ち場から 考えてみたい。
 ・・・
 ~~~~~~~~~~~
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この回答へのお礼

リンク先、見させていただきますね。


回答ありがとうございました!

お礼日時:2012/10/28 18:44

人間としての成長は、出来るだけ多くの人達の気持ちを汲んでいるのか?言い換えるなら沢山の人と『共有出来る部分を持てるのか?』という観点もあります。



自分が深く悲しんだ事柄を、今度は他人に対して『分かって上げる事が出来るのか?』

自分が深く悩んだ事に対して、他人が深く悩んでいるとしたら、『自分に出来る事は無いだろうか?』

何も出来ない事が大部分ですが、それでもそういう人に、或いはその人の為に『慈しみのまなざしを向ける事は出来ます。』

貴方の悩みは、貴方の人生の宝になりますので、悩んで、悩んで下さい。悩みや疑問が解けるたびに人間は成長するように出来ています。

一つの悩みや疑問が解ける度に、又一人の人間の気持ちが分るようになるからです。
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この回答へのお礼

自分は、まさに回答者様がおっしゃっているような、
人の気持ちに寄り添えるような人間になりたいと思っています。
これからも、その目標に向かってに精進していきたいと思います!


回答ありがとうございました!

お礼日時:2012/10/28 18:40

自分のコンプレックス(過去の出来事)を笑い話に出来る人は好感持てますよ。


深刻にオドオド話すと引かれるかも知れませんが、笑い話にしてくれたらもっと仲良くなりたいと思うし、なんだか信頼度も上がります。

人を傷つけた過去や前科を笑い話にする人は最低ですけどね。
まぁ前科持ちの人は大抵性格もそのままなので最初から付き合いませんが。
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この回答へのお礼

鼻くそを食べる行為(芸)で笑いを取れるタレントのコロッケさんは素直にすごいと思います(笑)


回答ありがとうございました!

お礼日時:2012/10/26 20:32

1.許せないことを沢山持っていましたが、許すことができるようになったので拘らなくなりました。


 「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ」を手にして
 その時から変えていって、今は変えられた状態です。
 
 拘っていたことが、すでに過去になっています。
 ですから、過去に何があっても誰とでも親しくなっていいし、その権利があると思っています。


2.棚上げしたくないのでしたら、変わるまで自分と向き合うのもいいと思います。
 一人で無理なら、他者の助けを借りればいいと思います。

 もっと重篤な発達障害の方と一緒に向き合うことをやっていますが、確実に成長されています。
 いいカウンセラーに出会えたら、可能性はあるのではないかと考えています。


3.この命題は、哲学より心理学の本を探された方がよいかと思います。
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この回答へのお礼

「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ」
いい言葉ですね!


>過去に何があっても誰とでも親しくなっていいし、その権利があると思っています。
このお言葉に、なんだか気持ちが楽になった気がします。


自分はカウンセリングにも通っていますが、治療目的のカウンセリングってどうしても相手とは多少なりとも親密になるので、5歳時の経験はなかなか言えずにいますし、今まで通った精神科の医師にも言えませんでした。
しかし、今日この場でやっと皆さん(No.9の回答者様も含め)に相談できてよかったです。


回答ありがとうございました!

お礼日時:2012/10/26 20:30

 No.1です。



 ★(No.1補足欄) ~~~
 これこれこういう理由だからそれはやめたほうがよいという自分の考えを述べることは、とても有益なことだと思います。
 しかし、それをしたところで、相手がした行為(過去)は変わらない。
 それが、相手を許せる行為だったら全く持っていいのですが、、鼻くそを食べたりなどという行為は、私としては許せない行為と言うことです。
 だから、私は私自身のことも許せないのです。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ そのあと その状態を《引き受ける》か否かの問題だと申し上げました。

 そういう《もっともわたくしなるもの》としてもワタシは存在しているはずなのです。

 言ってみれば ひとはわが身はかわいいのです。
 もっとも利己的なあるいは自己中心的な《わたくし》が 実践にはふさわしいとなります。

 利己を突き抜けると言えばよいでしょうか?

 あくまで利己的でなくてはなりません。 
 利己をいやがりはづかしく思い そこから離れようとしたら もうだめです。

 どこまでも追究してみるということです。
 ・・・
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この回答へのお礼

おっしゃっていることがさっきよりもよくわかりました。
No.1のほうでの回答については、心が開いている人は、心が小さくても そしてダメだと思っても、相手のことを理解する努力をする人、という意味ですね!
自分もそういう人になりたいと思いました。


回答ありがとうございました!

お礼日時:2012/10/26 20:23

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