泣きながら食べたご飯の思い出

僕は今はそうでもないのですが、昔は無口で口下手で過度のシャイのため、あまり言葉を発せず、
人と喋らないことから周囲から散々否定されてきました。
もう、泣きたくなって死にたいほど散々いわれてきました。

そのため、よく喋る人と自分を比べては自分を劣等的に思うことがよくありました。
自分に価値がないように思うことがしばしばでした。


そこで、よく「お喋りをする人」「しゃべる人」というのは人間的に優っている、ということが当てはまるものなのでしょうか?
逆に、喋らない人間は劣等であるといえるのでしょうか?

僕がいうのは、しゃべりが上手い下手には関係がなく、あくまでも喋る量が多い方、ということです。

A 回答 (4件)

私もあまりしゃべるのが得意なほうではありません。

その裏側には自分に自信がない、発言後嫌われたら…など考えてしまうのです
しかし、下手にどうでもいいことをしゃべって疲れるより聞き役に徹しようと考え方を変えて楽になったし、ほんとに悩んだことや大切なことだけ話たい人は話してくれるようになり話せなくても大丈夫だ!と感じました。
周囲から否定されてとてもおつらいと思います。でもしっかり思いをもっていれば見てる人や味方になってくれる人は必ずいます。
しゃべれないのも個性ではないでしょうか?同じ人間一人としていませんよ~
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
おっしゃるとおりかもしれませんね。
しゃべれないのも個性、しっかりと自分を持っていれば
認めてくれる方もいるかと思います。

お礼日時:2007/11/12 22:13

私の観察は・・こうです。



口数の多い人は一様に、話すべきでない事まで話してしまっています。
その結果、人との関係に良い影響が及んでいません。

その一方で、質問されても、どんだけ~?っていうほどの長い時を必要とする鈍い人も、確かにいますね。

何事もバランスが大切と思っています。

人間が優れているかどうかは、話す量ですか?

スナック菓子の大袋と、季節の材料で作った小さなお菓子
どちらが人を健康にしますか?

人が他の人にどれだけ良い影響を与えるか・・
話す内容がどれほど人を築きあげることができるか・・
私はこの観点で人を評価しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
そうですね、バランスが大事で、話す量が人の優劣を
決めることではありませんよね。

お礼日時:2007/11/12 22:14

私は自他共に認める「おしゃべり」ですが、人間的な優劣は関係ないです。


おしゃべりだと失言も多くなりがちですし。
どちらかと言うと沈黙に耐えられなくてついつい口を開いてしまいがちです。
五月蝿がられることも少なくないですね。
むしろ普段しゃべらない人のほうがたまに的確な発言をすると「おおっ!」と思いますね。

「沈黙は金、雄弁は銀」とも言いますしね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
おっしゃるとおりで、しゃべる量が人間の優劣を
決めるわけではないですよね。
沈黙は金なりですね。

お礼日時:2007/11/12 22:16

よくしゃべる人、おしゃべりをする人、さらにその喋りが面白く、


周りの人もその話を食い入るようでしたら、頭の回転が速い人。
知識豊富な人。
人付き合いが上手な人。
世渡り上手。
あくまでも喋る量が多い方
これも、やはり思ったことをすぐに言葉に変換できる人
頭の回転が速い。思ったことを言葉で表せる人。
以上
<(_ _)>
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