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おはようございます。朝っぱらから恐縮ですが、ここ1年半、ニュースに注目してきたことから、個人の嗜好で殺された人、絶望感で自殺した人、あるいは社会というきわめて個人無視の環境から死に追いやられた人、さまざまな死に方を目の当たりにしてきました。

しかし死んでしまえば行くところは同じで、その後本人は、無限の期間、意識を取り戻すことはありません。あの世とやらなど、存在するはずもなく、死ねば一切の生命活動が終了します。

殺されても、殺しても結果が同じであることは、一部の詐欺師を除いて、ほぼ皆が気づいているはずです。死んだあとに行く場所、それは自分が生まれる以前にいた状態、つまり自分という存在が、不在の世界、まだ、自分というものが存在するに到っていない世界、そして今後も、たとえ永遠の時が過ぎても、再びこの空気の中に戻る可能性のない、(無限時間の無)の世界です。

だからこそ、一度きりの偶然によって生まれた、この光の中で、せめてここにいる間は、生まれた事自体、得したのだと思いたいものです。しかるに、生まれて損したと感じ、自ら意識を永遠に消滅させる道を選ぶ人があとを断ちません。

日本社会に多くいらっしゃる、跡形もなく消滅する道を自ら選ぶ人たちを、いくらかでも減らす方法がありましたら、どなたか教えてください。

A 回答 (14件中11~14件)

私は現実主義者なので、質問者さんと同様で「死んだら無」と考えてますけど、とは言え、これは個人の価値観(宗教観なども含め)だし、正解は誰にも判らないことですね。



私自身、「無」と言いつつも、善人も極悪人も、「行く所はみんな同じ」とは思わないです。
そもそも行くところなども「無い」ですからね。

逆に確実に「ある」のは、死んだ個人が存在しなくなった現実の社会・世界でしょう。
その現実社会には、まあ歴史的偉人などは別として、個人が消滅した後でも、半世紀くらいは「跡形」は残るんじゃないかな?

それと「バタフライ効果」ってご存じでしょうか?
蝶がはばたくことによって生じる、ささやかな空気の流れさえ、未来のドコかの気象に必ず影響すると言うものです。

大袈裟とお感じになるかも知れませんが、ある程度は事実です。
人一人が、生きて死ねば、相当な影響がありますよ。

そんなコトに思いを巡らせば、命ってスゲェと思わないかな?
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この回答へのお礼

バタフライ効果はそのとおりですが、悲しいかな比較のしようがありませんので、何とも言えませんが、全体的には、ほぼ同じように見えることでしょう。宇宙という奇妙な物が存在しているのを知っているのは生命だけなのだと考えると、スゲェような、そうでもないような、とりあえず、ボサッとしてても、個は勝手に年を取って勝手に死にますから、のんびり構えていたいものです、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/15 21:46

まったく別の意見を述べます。

しかし質問者さんの意見を論破する気持ちはありませんので、賛成できないのなら読み流してください。

>死んでしまえば行くところは同じ…(以下は省略します)
この考えがさまざまな罪の原因になっています。「罪」の中には殺人や窃盗などの刑法的な罪の他、人を困らせたり迷惑をかけたりする道徳的な罪が入ることは簡単に想像できます。しかし、冒頭のような「死んでしまえば…」的な発想をしていると、自分が不幸に思えて、人を妬んだり、不平不満を口にするようになります。そのことがさらなる不幸の原因になり、耐えられなくなって罪を犯してしまうのです。そして最悪の重罪が自殺なのです。

不幸にして殺害され恨みを抱いて死んだ人の行き先と、家族や知人に囲まれて大往生した人の行き先は歴然と違います。

死後の世界や前世・来世を信じる心が養えたら自殺がへり、犯罪も減っていくでしょう。

「神学論争」と言って、この分野での議論は水かけ論になります。質問者さんは私とは真反対の意見をお持ちのようなので、どこまで受け入れていただけるのかは分かりません。私としては議論を交わす意図はありませんので、反論がある場合でも丁寧にお願いします。
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この回答へのお礼

あの世を語って犯罪が減りますか?それよりは、生きてて楽しいと思えるような社会を作るほうが、正常な働きかけだと思います。

ところで、自殺は罪でしょうか?苦痛な情態から逃れるための、個人に与えられた最終的な権利だと私は思います。

(自殺について)死後の世界を信じる者が自殺しやすい、というのが筋です。次回があると信じるのであれば、わざわざ今回の苦しい世界にこだわる必要がないからです。

(あの世について)たとえば絶対に開ける事が不可能な空箱を他人に売る場合、中に莫大な財宝が入っている、と歌ったほうが値打ちが上がります。開ける事ができないのですから、中に財宝が入っていない、という証明ができないことを理由に、「だから財宝は入っている」という言い分です。

「あの世」というものが存在するかしないかは、「存在するという証明が永久にできない」以上、存在とは言えない・・・ですね。

逆に、あったらどうする、と考えますと、どのようなあの世だったら、ユックリ過ごすことができるか、悩むところです。神様仏様と人間の自我のみの暮らしも、1ヶ月で発狂しそうです。つまり、必要性の面から見ても、無い方が良いわけです。

(全宇宙は人間一人一人を永久に養うために作られたわけではないと思う)といった感じで、よろしくお願いいたします、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/15 22:02

お礼ありがとうございます。



死を目の当たりにしてきたという質問者氏は、大江健三郎の死を目の当たりにされたのか。
跡形もないか。ふぅ。
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この回答へのお礼

ですね、そのような人たちは、今となってはどこにもいないです。あなたも私も、はじめから生まれて来ていないかのように、どこを探しても二度と会えないです、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/15 22:05

みなさん複雑に考えすぎではないでしょうか。


それは、みなさんが人間は、他の動植物と比べて特別だからと考えているからではないでしょうか。

人間を社会科学の対象と捉えるのではなく、自然科学の対象と捉えてみては如何でしょうか。
つまり、人間も石ころや蟻んこと同じだということです。
戦争も自殺も人間の持って生まれた本能なのです。
強いものが生き残り、弱いものが淘汰されていく。
そうやって、強いものの遺伝子同士が組み合わされて生存しつつけているのです。

もし、弱いもの(今の時代に対応できず自殺を考えてしまうような人)が生き残れば、その遺伝子は、将来の弱い人間を作ることになり、人類は絶滅の方向へ向かうことになるでしょう。
メスのペンギンが何日も海をさまよい、えさを飲み込んで子供のもとに帰ってくるのは何のためでしょうか。

生きたいと思えば、頑張って競争して生きる。
死にたいと思えば、逆らわずに死ぬ。
そして、生き残ったものだけが、次の世界で更なる生き残りをかけて戦っていく。
自然科学の考え方はただそれだけなのです。

跡形もなく消滅する道を自ら選ぶことが、馬鹿らしいと思えるようになっていただければ幸いです。
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この回答へのお礼

犬も猫も心がありますよね。あの世は生物だらけで、身動きが取れるのでしょうか、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/19 01:39

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