幼稚園時代「何組」でしたか?

夜警国家、大きな政府、などについて自分なりに書いてみたつもりなのですが
4000字もうまりません。ハイ、これはレポートの課題です
自分でやれよとか言わずに、『こんな事が抜けてるからこういった事を書けば?』
等と思って頂いた優しい方、是非回答待ってます。でわ、失礼します

A 回答 (1件)

 あなたがどのようなレポートを書かれたのかわかりませんので、どこをどう補足すればよいのかわかりませんが、私なりに答えてみたいとおもいます。

なお、私の専攻は日本政治史なので、あまり専門的なことは書けないことをお断りしておきます。
 夜警国家というのは、ドイツの社会主義者ラッサールが言った言葉で、国防と警察に役割を限定した近代国家のあり方を指摘した言葉です。アダム・スミスは市場経済は神の見えざる手によって自動的に秩序が構築されると考え、経済に政府が介入する考えを排しました。その結果、近代国家は経済に介入せず(自由放任経済)、国防と警察にその役割を限定します。
 しかし、この考えは1929年の世界恐慌によって破綻します。当時の主要国は放っておけば、そのうち、不況はおさまると考え、特別な政策を何もとりませんでしたが、その結果不景気はますます深刻化しました。そのとき、イギリスの経済学者ケインズは発想を転換させ、政府が積極的に公共事業を起こす事によって雇用を増やし、国民の消費を活発化させることによって景気の回復を図るべきだという考えを打ち出しました。この考えを最も大規模に実践に移したのが、アメリカのルーズベルト政権のニューディール政策であり、戦後の先進国は基本的にケインズの考えにしたがって経済政策をすすめました。その結果、戦後の世界的な経済成長が実現されたのです。
 しかし、1973年のオイルショック以後、先進国が不況に突入すると、次第にケインズの考えに疑問が持たれるようになりました。政府が公共支出を行っても政府の財政赤字が増すばかりで、景気はいっこうに回復しなかったからです。そこで、イギリス保守党のサッチャー、アメリカ共和党のレーガンは政府の過度な社会保障費の支出が国民から活力を奪い、経済を悪化させているとして、政府の役割を再び縮小して、政府支出を減らして財政赤字を減らし、自由競争をすすめることで国民に活力を与え、経済の活性化を図ろうと主張しました。彼らの思想の背景にはケインズのライバルであるハイエクの考えが根底にあります。
 サッチャー、レーガンの改革は一時的に経済を回復させましたが、軍事支出の減少が伴わなかったため、財政赤字は解消せず、社会保障の削減は中産階級の没落を招き、貧富の格差の拡大を招きました。そこで、イギリス労働党のブレア・アメリカ民主党のクリントンは小さな政府論が国民経済の活性化を招いた側面を評価しながらも、失業者への技術教育や社会保障の一部復活などによって中産階級の没落を防ぎ、貧富の格差の是正を目指しました。ブレアやクリントンは自分達の路線を福祉国家とも小さな政府とも違うという意味で第三の道と呼びました。第三の道は貧富の格差の拡大に悩む各国の中産階級の支持を受け、EU各国で社会民主主義勢力を復権させました。
 昨年のアメリカ大統領選挙では家族制度など旧来の価値観の維持(民主党は同性愛や妊娠中絶などアメリカでタブーとされていることに寛容)しながら、弱者救済もまた維持するという「思いやりのある保守主義」を掲げた共和党のブッシュが当選しました。この考えが世界的な潮流となるのか否かが今後の世界政治を考える上で必要になってくると思います。
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この回答へのお礼

>okarinsenpai

回答ありがとうございます。すごくわかりやすくてとてもよかったです。専門家って事は教壇に立たれるような職業ですか?ひさしぶりに課題について理解できました。本当に為になりましたよ!ありがとうございました。

僕の質問の方に具体性がなく、答えにくくてすみませんでした。わざわざ時間をさいて回答して頂き、ありがとうございました!

お礼日時:2001/05/21 07:40

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