性格いい人が優勝

ある人がこう述べました。あなたはどう思いますか?

死刑問題で議論になると、冤罪とか抑止力とか民意とか、死とは別の話に摩り替わります。
死刑反対の真の理由は人が人の人生を終わらせる権利など無いで良いと思います。

A 回答 (24件中11~20件)

まったくその通りだと思います。



もう少し補足すると
「近代国家においては「国家」の名において人の命を許されない」
です。
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思うか。


でしたら、

日本人の圧倒的多数が死刑賛成であり、
廃止される兆候はまるでないのに。

と、思います。
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「人生」は宗教のにおいがする。

死刑について権利を持たない。
   
殺された人生はどのような扱いか。それを述べていない。
死刑は、必要な制度である。義務を負わなくともよいと死刑宣告されて犯人は喜ぶべきなのである。歓喜を手にした者の、自由を剥奪するべきではない。
『知る権利と、その行使』をつき詰めれば、自衛権を国民に与える必要さえ有る。
その必要な発露を封じて、一概に殺人と呼ぶ今の司法は、良心の自由を言えてない。
   
国民に武装権を与えよ。なれば、死刑制度の深さが判る。殺したら死刑というのは反対であるが。
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>死刑反対の意見についてあなたはどう思いますか?



他人が死刑に反対だろうが賛成だろうが
意見を持つこと自体、別にどうとも思いません。

理由が何だろうが、何でも構いません。
然るべき時に然るべく意見を開陳していただく分には
それはそれとして耳くらいは傾けますよ。
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>人が人の人生を終わらせる権利などない



のであればこそ、罪もない人の人生を終わらせた殺人犯が許されないのだと思います。

何の罪もない人を殺した人間が許されて、
何の罪もない人の死を無駄にすることの方が不公平だと思います。
被害者の人権を無視しています。

本来、殺された側が同じように殺すことが公平なはずですが、
その権利を国家権力が奪っておきながら加害者の人権だけ重視するのは、
明らかに不公平ではないでしょうか。

死刑廃止論は欧米からきたものですが、
欧米人の中に殺人被害者の人権を軽視する人がいる理由は、
キリスト教では人は死ぬと「ただの物体」になるため、
既に物体になった被害者よりも、まだ生きている殺人犯の権利を重視するのでしょう。

しかしこの宗教観は日本人の大半には受け入れられないと思います。
日本人は亡くなった人を物体とはみなさず、その権利も重視するからです。

抑止力や民意よりも、亡くなった人の人権こそが重要だと思います。
欧米の法典を模倣した日本の法律でもそれを規定していませんが、日本人の感覚からしてそれは必要不可欠です。
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「思想信条の自由は保障されているから、あなたがそう『思う』ことに何の問題もない。

ただしそれはあなたの考え方が正しいと肯定するものではない。同じように死刑制度を肯定する意見も尊重されるべきである。
 また、社会制度の問題はいついかなる時代や地域においても通用する絶対的な回答が存在すると考えるべきではなく、社会情勢によって変化するものと考える方が妥当であろう」

 といった感じですかね。
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冤罪は100%無いとした場合死刑は有ってしかるべきです。



反対者はザックリ言って良い子ぶっているだけです。
又は病的思考力の持ち主です。

日本の死刑制度は甘いです。殺人犯に限らず詐欺や不正
行政についても多大な被害者を出した場合は死刑にが
マトモの社会です。

犯罪の種別?を問わず前科3犯に達した時点で死刑です。
社会に存在する資格がありません。
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人が生まれながらに持つ権利は、時代・地域・国また人種・男女によって変わって来る。



>人が人の人生を終わらせる権利など無い
何処の誰が認めた権利の中に含まれていないの?
主語をはっきり明記すべきでしょう。

でないと判断できないでしょ。
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>人が人の人生を終わらせる権利などない・・・。



数ある死刑反対論の中で1番矛盾した理由ですね。
冤罪や抑止力に関連した反対論の方が正当性を
感じます。

人の生死を論じる時に宗教論や倫理論は除外すべきです。
人類の死刑制度は宗教の発生する遥か昔からあります。
人間が共同生活や社会性を持つようになって自然発生的に
生まれた制度です。

一方的な殺意行動から種族を守る手段です。
人類は集団生活を始めて多くのルールを作って来ましたが
死には死をのルールは原始的でも一番継続している
ルールだと思います。

先進諸国が反対だとか民度がどうとか関係有りません。

自分の欲望や快楽の為に行う殺人には死を持って償うのは
当然の義務です。
飲酒運転による過失死や乳幼児への躾による過失死などで
死刑になる事は無い様ですが私は反対です。
飲酒運転や躾を名目にした死に過失は認めるべきではないと
思います。

日本は低学年者で有っても体罰はしない国ですが世界では
少数派です。
親だから体罰が赦されるとかの方が矛盾しています。
それが死に至る暴力など完全に殺人行為です。

飲酒運転も同様です。走る凶器と知っていながら過失は
矛盾と感じます。

死に対する尊厳が曖昧に成る事は許されないと感じます。
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理想論として分かりますが、「ある人は」、人が人の人生を強制的に終わらせた「殺人」を行った犯罪者への処罰はどうなされるお考えでしょうか?



人は崇高な神の一面を持つと言われておりますが、究極的には動物です。過去の歴史をひもとけば分かることですが、警察力・軍事力がない社会(例えば、平安時代など)では、殺人、強盗、放火、略奪が数限りなく続き、力ある者が弱者より命、財産、自由その他すべてを収奪する、無辜の、力なき民衆は、一時といえども、安寧な暮らしが望めない時代となっております。「羅生門」のように、武器なくして、旅行は不可能になりました。このために、武士(開拓農民の武装)が生じたのです。

警察力、場合によっては軍事力で社会の安寧を保っているがゆえに、多くの国民は犯罪にさらされることなく、平和で、文化的な生活をおくることが可能になっております。

死刑制度をなくした国家では、おしなべて殺人事件が増大すると聞いております。この「死刑反対の真の理由は人が人の人生を終わらせる権利など無い」として死刑制度を終わらせることにより殺人者の人権は守られますが、しかし、「ある人は」は、人生を強制的に終わらせられた殺人被害者を増大させることに対してどうお考えなのでしょうか?

かつ、殺された被害者の人権をどのようにお考えなのでしょうか?殺された被害家族の復讐感情をどのようにお考えなのでしょうか?「ある人は」は、被害者は殺されてもういないから、その人権を無視し、被害者遺族の復讐感情は捨てなさいとのお考えなのでしょうか?殺人者の人権は守るが、殺された被害者の人権、遺族の復讐感情には目をつむるお考えなのでしょうか?

「ある人は」は、自分だけは手を汚したくない、手を汚すことに係わりたくない、綺麗にいたいとの自己エゴであるように見受けられます。
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