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例えば、死刑の存廃問題でも、 反対派の人は 感情論を軽視するような意見が多いです。
しかし、人間は論理の前にまず感情なのです。その基本的な思いを人に伝えるために論理を展開するのです。感情の裏づけのない論理は相手に対する説得力をほとんど失ってしまいますから。
ぼくは底辺の高校卒で馬鹿ですが、有識者の皆さんは、どう思いますか?

A 回答 (11件中1~10件)

感情で押し切るなら報復やテロも容認することになると思います。


(やってる本人の感情が大事なら)
やったやられた、だけで済ませるなら秩序も意味がない。
混沌とするだけでしょうね。

遺族感情や情状などは量刑の判断材料になるだけであって、感情論で
人を裁く方が不公平かなと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なかなか聡明な方ですね。

>感情で押し切るなら報復やテロも容認することになると思います。
確かに、アメリカがテロの標的にされやすいのも、アメリカに罪もない民間人が殺された恨みがあるのかもしれませんね。

お礼日時:2013/11/26 15:56

死刑反対の思いを人に伝えるため、衷心より、以下のように論理を展開します。

「衷心より」とは、心の底から痛切な感情を以(もっ)て、ということです。建前論ではないということです。

私の体験談など、誰も聞きたくないかもしれないが、かなり前に殺されかけた経験がある。犯人はすぐ捕まり、実は数百メートルしか離れてない所に住んでいたが、全く知らない人だった。その人は前科がなかったが、懲役の実刑が確定し、服役した。初犯なのに執行猶予が付かなかったという事実からも、重大な犯罪だったことが分かるだろう。「殺されかけた」というのはオーバーな表現ではなかった。
出所後は、近所の目をはばかるように、一家で遠方へ引っ越したようだ。

この体験で、死刑について考えるようになった。私は命拾いして今も生きているわけだが、もしあのとき殺されてしまっていたらと。
思うに、犯人を死刑にしてもらっても、しょうがないなあ。「犯人は命を以て償った。これにて一件落着」と言われてもなあ。
それよりも、死刑にせずに、服役中も出所後も働きづめに働いて、私の遺族にお金を渡せ。この世に残された私の家族が、楽に生活できることこそ、現実問題として一番大事じゃないか。

それに対し、ご質問者の考え方は「被害者の尊い命が奪われたこと」にこだわり過ぎているのか、観念的だと思うんだよな。「命はお金に換えられない」などという観念に酔ってるんじゃないの?
しかし死んでしまったら、私の命はお金に換えて、家族には楽をしてほしいと私は願うのだ。これはきれいごとでなく、現実問題である。人は食べていかなくちゃならない。あの世から、「私はもう食べなくてよくなった。お前たちが腹いっぱい食べて」と家族に告げたい。
殺人犯を殺して、誰が儲かるの? 儲かる、儲からないの話じゃないと言うのか。
私は、西洋の伝説の、三途の川の渡し守のカロンのことを思い出すのである。死者がカロンに払う船賃を持ってないと、三途の川を渡れず成仏できないという。だから、ご遺体を棺桶に納めるときは、口の中に小銭を入れてやるそうだ。
世知辛いこの世におさらばしたのに、あの世へ旅立つのにもお金が要るという、深い話である。死んでからまで、お金の心配は尽きない。

この論に対しては、「お金のために殺人犯を生かすのか」という反駁が予想される。また、「生かしてやっても、どうせ殺人犯はお金を払わないのでは」という声もあろう。また、「死刑にしたうえで、被害者遺族には国がお金を出せばいい」という案も。
しかし、私が言いたいのは、
「死刑廃止派は観念的、死刑存置派は現実的と思われがちだが、実は存置派こそ観念的なのではないか。存置論こそ建前論なのではないか」
ということである。
犯人を生かしておけば、犯人または犯人の家族からお金を取りうる。しかし、処刑すると家族からしか取れなくなり、可能性が減る。犯人の家族に支払い義務を課すことは、民法の考え方からいって難しい。
また、現時点で、「殺人被害者遺族には国が必ず補償する」という制度は完備していない。
実際、犯人が死刑になったうえで、犯人の遺族から被害者遺族が十分な賠償金を取ったという例は、あまりないようだ。「死刑になったことで償いを果たしたと、ご寛恕ください」と言われたら、請求しづらい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/28 10:02

そもそも物事の善悪って感情しかありません。



例えば、他人に怪我を負わせる行為は一般的には「悪」だと思いますが、では格闘技って「悪」の競技なのかということになります。
そうなると格闘技のチャンピオンって「悪の帝王」ってことになってしまいます。
もちろんルールに則った格闘技だから「悪」ではないということなのでしょうが、ルールがあれば悪は悪ではなくなるっていうのも説得力に欠けるように思います。

他にも、鼠小僧やルパン三世など明らかな窃盗犯がヒーローであったり、必殺仕事人のような殺人集団がヒーローである話も多数あります。
(もちろん実在すれば、罰せられるのは当然ですが・・・・)

結局は善悪って、感情でしか理論付けできないものだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/27 09:11

 有識者でもなんでもありませんが、興味のある質問でしたので少しばかりお邪魔します。


僕がここで気になるのは、法の裁きの場やメディアで被害者感情を何よりも優先することに少し問題がありはしまいかとの疑問です。
 事件によって、言われなき理由で命を落とされた方やその御遺族の内心を想像しても忸怩たる思いは確かにあります。
 けれどもその原因となった行為とそれを行った被告を極刑に処するだけで、御遺族の悲しみを軽減したり癒したりすることにつながるかとの問題もあります。
 一度失われた生命は二度と戻ってこない。それは御遺族だからわかることであって、その御遺族が極刑の判断に納得するでしょうか。否、納得するというよりも、それで解決できたかと問うた時に「納得した、解決した」と100%自信を持っていえるだろうかと考えたなら、必ずしもそれで解決できたとはいえないのでもなかろうかと僕は考えます。
 御遺族の許には亡くなった人が生きて再び戻ってくるなどはありえない、何よりもこれは冷徹な事実でもあると僕は考えます。
 この「事実」に対し「思いを込めて」「思いを伝える」などはとても耳触りの良い言葉ですが、どれほどの説得力があり、その裏付けはどこにあるのかと考えてみるとそれだけで僕は疑わしさも感じます。
 当事者以外にこの言葉を使う資格があるのか、本当に当事者の心の内を的確に代弁しているといえるのか。確かに感情論は世間的な見栄えなどの点では格好の良い姿かもしれませんが、僕には恐ろしくて到底できそうにありません。
 こうした点で、僕は感情論には一時の熱狂性はあっても、冷静な判断には及ばないと考えます(でも職場の会議などでは、時としてキレてしまうこともありますので、まだまだ洟垂れ小僧と変わりませんが)。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/27 08:37

現実は、死刑反対の人らが感情論者なんですけど。

死刑は誰かが死ぬ殺人行為だから死刑反対の支持を集められるのですけど。つまり死刑反対は新興宗教なんです。新興宗教は感情論です。
被害者が生存権を奪われ、加害者が生存権を絶対的に(←宗教的に)保障されるという不公平は全く合理主義ではない。合理主義とは理念的であり現実的な困難さを無視して現象の整合性を優先するのが合理主義です。
誰も殺されないという場合にしか死刑反対は整合性がないんだよ。
高卒とかの問題じゃないです。騙されずに考えられるかです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/27 08:37

感情論は確かに人の心には訴えかけますが、説得力には欠けます。


感情論はどこまでも感情論です「私にはそう思えない」という人には感情論は無意味です

根拠がないがとにかく嫌だ
なんとなく気に入っている

これも感情論です

これを他人と共有したり、他人に理解を求めるのは難しいでしょう
論理や法文、判例ありきで最後の最後に人としての感情を加味するというのが現状でしょうが、感情論ありきでは法治国家が揺るぎかねません
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その通りです。



感情で是非を決めてしまうのは、問題が
多いのですが、物事の根底には必ず
感情があるのです。

例えば、なぜ窃盗がいけないのか、と
いうことを詰めて行くと、最後は感情に
行き着きます。

自分のモノを盗まれるのが面白くない
から取り締まるのだ、ということになります。

死刑にしてもそうです。
なぜ殺人がいけないのか、と問えば、そこには
感情が入ってきます。

勿論、感情ですから、保護すべきでない感情も
あります。
しかし、保護すべき感情もあります。
家族を殺された遺族の感情は、法的にも保護すべき
正当な大切な感情です。

理論というのは、その感情が保護に値する
大切なものかどうかを冷静に正しく検証するために
あるのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

昨日、兵庫県姫路市で、検問を突破した車を追跡していた警察車両とバイクが衝突する事故があり、バイクを運転していた女性が死亡しました。女性の遺族からしてみれば、加害者が警察だけに これ以上悔しいことはないと思います。パトカーを運転していた 警察官は警察官免職及び運転免許取り消し、
それに、3年くらい懲役を食らってもらわないと 遺族としては到底納得できないでしょう。

お礼日時:2013/11/27 08:50

「そもそも法律には、ある程度は感情論も含まれている」とお考えになれば宜しいかと思います。



実際、我が国でも「情状酌量」などと言う感情論も存在しますし、死刑判決で常套句の「いかなる事情を考慮しても、死刑が妥当」の、「いかなる事情」には、感情論なども含まれています。

「目には目を」で有名な応報刑も、「目には目を持って償え」で、言わば「償い」と言う感情論ですよ。
ただ、そこに「目には目」と言う「等価」の合理性を乗っけているので、多くの人の「共感」が得やすいワケで、最後の「共感」も感情論です。

即ち「法理≒法哲学」とか、あるいは「法源」などには、感情論が絡まっていたり、そもそも刑罰の起源や発端は感情論であるとも言える部分も多々あります。

死刑廃止論にしても、「人道的では無い」などは完全な感情論だし・・。
一方、「死刑は当然!」みたいな単純な存置派の意見も、廃止派は当然、死刑容認派にさえ「血が通っていない!」と批判を受けます。

従い、いずれにせよ刑罰を考慮する上では、「血が通っていない」意見は、無視とか排除されることになると思いますよ。

また、最後は日本ですと民主主義の多数決で、感情論か?理論,理屈か?などに関わらず、賛成・反対であり、言い換えますと、「いずれに共感するか?」と言う感情論と言えるかも知れません。
最後の最後は、「理屈で言い負かされたから、じゃあ死刑に賛成/反対します・・」と言う話しじゃありませんからね。

それと死刑反対派は、詭弁も多いです。
代表例が「じゃあ冤罪で死刑になっても良いのか?」と言うヤツ。
確かに重大な問題ですけど、それは「ミス」と言う別の要素だし、死刑と言う刑罰の本質に迫る議論ではありません。

尚、個人的には死刑の本質は、「国民の生命を守る義務がある国家が、国民を殺す」と言う矛盾を認めるか?と言うことと考えています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/27 08:50

ご指摘の『感情論は大事でないの?』は


その通りであり、現行の法律は感情にて
成り立っていると思います。
日本に置いて常識とは良識も入っています。
常識は社会に置いて共通の良識で意見・知識
にて判断することとなっています。
感情が伴わない持論・議論に心が奪われる事はない。
感情論が有ったからこそ、人類は民主主義を手に
いれる事が出来たと考えるべきでしょう!

人間に感情を言葉にする手だてが無ければ、未だに
ジャングルの未開の地で暮らしていたか?絶滅して
いたでしょう!!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/26 14:59

感情論は分かりませんが、感情は人間にとって大事ですね。

人間は感情があるから生きられる。感情があるから生きている価値がある。なかったら生きている価値がない。感情を押し殺したらロボットと同じです。最前線で白兵戦をやっている兵士はそうです。感情があったらやっていられません。法律だって感情があることを前提に作らないと、意味がありません。いい法律にはなりません。死刑制度についても同じです。死刑は感情のある人間世界を裁くものです。命は地球より重いなどという感情抜きの屁理屈で考えるものではありません。廃止をするなら、その先の人間感情をどう取りさばくか、きっちり考えなければなりません。そうしなければ単なる偽善に過ぎません。私はそう考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>廃止をするなら、その先の人間感情をどう取りさばくか、きっちり考えなければなりません。
殺人と言っても死刑になるのは 現状でも全体の1~2%ですし、それを言うのなら 残りの98~99%のケースのことを考えないといけないんじゃないですか?

お礼日時:2013/11/26 15:05

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