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まず、私は死刑賛成派ですが、「あなたの家族が殺されても死刑反対と言えますか?」というような事は思った事が無いですね。
第三者の感情なんて、二の次です。問題は 生きる筈の命を 安易に奪ってしまった事への対価だと思います。死んでしまった人に、償いなんてできないのだから、加害者がこれから生きて社会に貢献しても、被害者の為には何もできていません。被害者を蘇らせでもしない限り、結局 加害者と世間の自己満足でしかない。だから、奪った命の為に死ぬのは合理的ではありませんか?

A 回答 (5件)

私は、死刑反対派です。



(1)刑罰の矛盾

現代は、「目には目を」という復讐法的な刑罰ではなく、
刑務所にいれて、自由を奪い、反省させるという方法を
取っています。
なのに、殺人だけは別で、「死には死を」というのは、
矛盾なのです。
つまり、「目には目を」ということを否定しておきながら、
「死には死を」というのは、矛盾なのです。

「死」は特別なものだから、という賛成派の意見にも
一定の説得力はありますが、矛盾の「例外」とする
だけであって、矛盾であることには、違いありません。
死刑を廃止すれば、こんな説明に苦労する矛盾はなくなり、
「復讐的刑罰は認められない」となり、すっきりとする。

(2)死刑は、法による殺人である。

死刑が法(または国)による殺人であるという事実は否定できない。
それを認めるか、どうか、という問題だけである。
では、個人による殺人は罪であり、認められないが、
法(または国)による殺人は認められるという合理的理由は何か?
実は、そんなものは、存在しない。
単なる言い訳が存在するだけである。

金持ちから金を盗んで、困っている人に分け与えたら、
それは窃盗ではない……ということはない。
盗みは盗みである。
1万円を盗んだら窃盗だが、1円ならば窃盗ではない
ということはない。盗みは盗みである。

いかなる理由であろうとも、殺人は認めない
という方がすっきりとする。
それが、個人であろうと、法(または国)であろうと、
殺人は、殺人である。

ゆえに、合理的とは言えない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>つまり、「目には目を」ということを否定しておきながら、
「死には死を」というのは、矛盾なのです。
日本人はヨーロッパ人みたいに論理思考が苦手ですからね。

>金持ちから金を盗んで、困っている人に分け与えたら、
それは窃盗ではない……ということはない。
日本人はそういうのを大目に見るというか、賞賛する傾向さえありますね。

お礼日時:2014/01/16 10:56

もし私が被害者遺族だった場合を考えると、その内容(状況)によっては、死刑に反対するかもしれません。



理由は、「そんな安易なもんじゃ済ませない」という心理からです。
死ぬ一歩手前くらいの拷問を毎日、延々とやる生き地獄のような刑罰を望むことでしょう。

当然今の法ではそのようなものはありませんので、出てきてから私刑という手段になりそうです。そこまで行っても決して満たされることはないでしょうが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>当然今の法ではそのようなものはありませんので、出てきてから私刑という手段になりそうです。そこまで行っても決して満たされることはないでしょうが。
こういうのも殺人の大きな動機になりますからね。ですから、殺人というのは 何も特別な人間がやるのではないということですね。だから、私は復讐を厳しく戒め、復讐による殺人も死刑にすべきだと思います。
日本人の多くは安っぽい感情論が働いてしまい、復讐殺人に手心を加えがちです。

お礼日時:2014/01/16 10:23

人間は死んでも次の世界で永遠に生きてます・・体は心を磨く為に形になってるだけ 実際の人間の姿は心なのです・・最終的には加害者 被害者は勿論 祖先や子孫までもが一つの世界で暮らす事になります



 死刑や無期懲役等 実際には関係無く 死んでも悔い改めないといけない・・
  
 目に見える物だけが真実では無いのです・・今は これしか言えない
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/16 09:37

私も死刑は賛成派です。

私は第三者視点からの賛成ですけれど。
死後の世界等オカルト的な話は信じていないという前提で話をさせていただきます。

>死んでしまった人に、償いなんてできないのだから、
加害者がこれから生きて社会に貢献しても、被害者の為には何もできていません。

同意です。
しかし、死刑なら被害者のためになるのでしょうか?
私は死んで償おうが生きて償おうが被害者のためには何もできないと思います。
死者は蘇りませんし、加害者の罪は消えません。

奪った命のために~というのは合理的というよりもむしろ感情的な話ではないでしょうか。
死者がどう感じるかなんて我々にはわかりませんし、どうしても想像の話になってしまいます。

遺族の、友人の、この世に残された人たちの怒りを少しでも晴らし、
害悪な人間をこの世から排除するという意味での死刑の方が合理的と考えます。

確かにこちら側の自己満足でしょうけれど、残された人間以外に満足する人間はいません。
死者はもう満足するということもできないのですから。

極端な話ですが、誰かが殺されて、それによって悲しむ人が全くの0人であり、
再犯の可能性もないのなら加害者を罰する必要性は希薄だと思います。

まぁそのようなことはありえませんが、処罰とは残された人間のために行われてこそ合理的でしょう。

私は感情論を否定しているわけではありません。
もし私が殺されたのなら加害者を死刑にしてほしいと望みます。
ですが、それが合理的かと言えば違いますね。
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確かに、あなたの言う通りだと思いますが・・・。


人間はわがままな生き物なので、自分の都合の良いように物事を運ばせようとします。
これは、あなたにも言えることだと思います。
とても失礼な例えをしますが、
例えば、あなたととても親しかった人が殺人を犯してしまいました。
そこで、色々な状況から見て「死刑」が妥当となり、案の定判決は「死刑」。
状況、証拠からしたら死刑判決は誰もが妥当と思える。
ここであなたは死刑に賛成できますか?

恐らく、賛成できないかと思います。
とても失礼な例えをしてしまってすみません。

ですので、「死刑」に合理的もクソもないのです。
私も、自分の都合の良いようにしてしまうと思います。
しかしそれは、人間の本性なので仕方のないことだと思います。

考え方は人それぞれですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なかなか鋭いご指摘ですね。

お礼日時:2014/01/16 09:05

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