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例えば、自衛のためなら仕方がない、家族を守るためなら仕方ない、など

誰しもそう思うと思います。

果たしてそれだけでいいのかと戒めを込めて考えると、その先にはどのような考えがありますでしょうか?

A 回答 (3件)

「自衛のためなら仕方がない、家族を守るためなら仕方ない」というのは、基本的には自己(或いは身内)中心的発想です。

世界平和や人類愛というもっと大きな視点から見れば、考え方が変わる筈です。お互いに助け合ったり、譲り合ったりして、競争社会から共存社会へ向かうでしょう。
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この回答へのお礼

助け合いがあってこそ自分があると私は思います。

ただし、だから他人を傷つける者は排除、というのは便利な考えだと思います。

ご回答誠にありがとうございました。

お礼日時:2013/01/27 09:42

>その先にはどのような考えがありますでしょうか



先賢はいろんな示唆をわれわれに与えています。たとえば
「汝の敵を愛せよ」
「右の頬を打たれたら 左の頬を出せ」
「身を捨ててこそ 浮かばれる」
「善人は救われる なら悪人が救われないはずはない」等々

難解な思想ですが。
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この回答へのお礼

親鸞の考え方には共感できる点が多くあります。

これを機に色々と調べてみようと思います。

ご回答誠にありがとうございました。

お礼日時:2013/01/27 11:20

”その先にはどのような考えがありますでしょうか? ”


     ↑
仕方が無い、といはどういうことか、善悪とは何か、
自衛とななにか、家族とは守るとか・・・。

そういうことになると思いますどうでしょう。

そして、行き着く先は、善悪など、所詮人間が
自分の都合で勝手に作ったもの、という結論に至る
と思います。
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この回答へのお礼

結論というのは、精神的な割りきりに過ぎないと思います。

なぜ善悪の問題に集約されるのかが不明です。

仕方がない、自衛とは、家族を守るとは、について深く考えることはありますでしょうけれど

ご回答誠にありがとうございました。

お礼日時:2013/01/27 11:27

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