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文部科学省は何を目的に高校生に古典を学ばせているのでしょうか?
古典を学ぶ意義が全く見出せません。
日本の英語力はアジアの中でもワースト1位だとか叫ばれていますが
その原因は限られている授業数を古典という無意味な教科に割いているからだと思います。
それならば古典を廃止し英語の教育に力を入れた方がグローバル化している現代に通用する
人材を作ることができるでしょうに。
古典なぞ趣味の範疇でやっていろ。といった感じです。

A 回答 (14件中1~10件)

>文部科学省は何を目的に高校生に古典を学ばせているのでしょうか?



私見ですが、日本を残そうとしているのでしょう。日本の実体は日本人ではなく日本語ですが、その氷山の下には膨大な古典があって全体を支えているのです。こういった国は少ないのです。日本人がそれらを理解して未来へつないでいかないと日本という国と文化はいずれなくなってしまいます。日本人が皆若い頃に古典を知り、身につけるのは、世界がグローバル化し、アメリカナイズされていく中で、しっかりと日本文化をそれに対抗して残していくためだということです。日本語がなくなり世界中が英語を喋るようになったら、日本国はほろぶでしょう。
姫路城などのはこものが残っても、徒然草やら枕草子がひとびとによまれなくなり、なくなったら、やはり日本文化は衰退したということになります。
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この回答へのお礼

確かに自国の文化を押し殺してまでグローバル化するのもおかしですね。ありがとうございました

お礼日時:2013/03/14 05:29

教育って、職業訓練所じゃないです。

就職に役に立つことをやるというのなら、音楽とか、体育とかをやめて、ワードとか、エクセルを教えた方がいいです。古典を楽しめないのは、質問者さんの勝手ですが、議論をすり替えるのは八つ当たりに等しいと思います。英語も、今の教員や教育レヴェルでは時間を増やしても意味ないと思います。だって英語の教員が外国人とコミュニケーションできないのが現状ですもの。そういう人に教わっても、ある一定のところで成長は止まってしまいます。しかしっ・・・私が高校の時に、ムカつく古典の教員がいました。古典嫌いが増えて、当然という気も私はします。
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英語?


これからは中国語でしょうに。

そこで漢文の素養が役立ってくるのよ。
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古典よりも、現国の方がいらないと思いますけど。



国語の授業は教師が見てないように、寝てるか、数学やってるか、英単語を覚えてるかしてた方がましです。私の高校時代はそうでしたから。
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そんなに英語が重要だと思われるのなら、アメリカ人にでもなることを考えられたら如何ですか?

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英語が重要だということには異議がありませんが、古典(国語の古文のことだと理解します)が不要だというお考えには同意しかねます。



英語ももちろん大切ですが、日本の文化や歴史も高校で学ぶべき大事なことの一つだと考えるからです。いくら英語だけできても、自分の背景にある歴史や文化の知識がなければ、「グローバル化している現代に通用する人材」にはなれず、日本人の場合、古典を学ぶことも必要です。

高校生の頃は古文の授業はあまり好きではなかった私が「古典っておもしろい」と感じたのは、学校の授業を離れて自分で作品を読んでからでした。例えば万葉集の歌が現代人にも魅力があるのは、「人が人を好きになったり、人が人と別れ(死別・生別)て悲しんだりする感情の本質的な部分は、1200年以上経っても大きな変わりはないからだ、」ということに気づいたからです。古い作品のなかにある、名もない個人の生き生きとした感情に共感できるというのは新鮮な驚きでした。

ただしどんなに興味深い作品でも、教室の授業の中では、面白さが半減してしまう気がしますので、先生にもよりますが学校の授業で古典の魅力を感じるのは難しいかも知れませんね。高校で古典について学ぶことは質量ともにあまり多くはないと思いますが、それが古典に親しむ(というより少なくとも存在を知る)きっかけになればよいのではないでしょうか。

古典に限らず、学校で学ぶことは未来に向けて貯金をするようなものです。すぐには役に立たないように思えることでも、若くて心が柔らかいうちに学んだことが、あとで思いがけないときに役に立つことが少なくないということは確かだと思います。高校を卒業して40年あまり経っての実感です。
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良いアイデアですね。



高校は義務教育では無いので、数学と古典を両方とも選択制にして、数学(やその他の理科)の学習に注力したい生徒は古典(や日本史など)の学科は免除するのが良いと思います。

実際のところ、これが直ぐに実行できない本当の理由は国語教員が解雇できないからなんです。
彼は特別公務員として生涯の雇用が保障されており、しかし、数学や英語を教える能力が無いので国語・古典を教えるしか活用方法がない教員が多いのです。教員の生活の為に生徒が学習を矯正されているとすれば主客転倒ですね。
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semoponume69さん、こんにちわ。




「古典を学ばせているのでしょうか?そんなものより外国語を学ばせるべきだ。」というご意見ですが、確かに文法などはあまり意味がありませんが、でたとえば仏法説話や物語、軍記といった文学や和歌、俳句に親しむ時間が無くなりますと、日本人の固有の文化的主体性が失われてしまいます。わざわざ外国の方でそれらを研究していらっしゃる方がたくさんいらっしゃいます。それは日本の古典が素晴らしいと思っているからです。
日本古典は現代国語の原型です。だから若いうちから学ぶべきなのです。
歴史上文化的主体性が失われた民族は人種的には残っても文化的には滅亡しているのと同じです。
なぜなら、たとえば同じグローバル化するなら、外国に迎合していっそ日本語をやめてほかの外国語を学ばせた方がはるかに国際的に生き残り安いでしょう。でも日本語を失ってしまえば、どこかの外国人と同じだからです。こういう民族はえてして外国や他民族から侮蔑されます。
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現在の古典の授業がどんなものかは知らないので、自分の時代の経験から。


文法や活用などを覚えるだけの授業なら、何の役にも立たないでしょう。
古典を文学として読む事を主眼に置いた物ならば、意味は有ると思いますよ。
もっとも、そうなると古典を読み下す能力が無い教師は、試験も採点もできないでしょうが。
グローバル化と言いますが、外国の人に「あなたの国の文化は何か。」と聞かれて、何も言えないような人が尊敬を受ける事ができるかどうか。
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世界で最も有名な日本人は横山大観だそうです。

彼は英語は解さなかったそうです。宗像志功だって、英語なぞ勉強しなかったでしょうに。最近のノーベル賞受賞者も英語は不得意だとおっしゃっていますね。世界に通用する仕事をするのに英語は必須ではないのです。昨今の下品な英会話はむしろ邪魔だとすら私は思います。英語を勉強する暇があったら国語、数学、古典、歴史を勉強すべきでしょう。英語を知らない日本人がノーベル賞をいただく。とっても痛快じゃないですか。
 清川妙さんの「つらい時いつも古典に救われた」って本、とっても面白いですよ。
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