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高校生です。
高校で古典を学ぶ意義を教えてください。
僕は、教科書を使って学校で授業を受けていますが古典を学ぶ意義は無いと感じています。
古典を勉強することによって、日本の伝統的な心を学ぶことができるのでしょうか。(それよりは日本の歴史、とりわけWW1以降に重点を置いて学ぶ事のほうが優先順位が高いと思います。なぜなら現在の世界の情勢はここに起源があるからです。)
たとえば「あわれなり」の感覚。これは日本人に独特の感覚と聞いた事があります。確かに他の言葉では説明しにくい根本的な感覚「あわれ」を、古典によって深める・知ることはとても有意義なことです。

しかし、僕は思うのですが、古典というものは中身が無い。薄っぺらい。前述のような日本独特の感覚などを「汲み取る」ために古典を学ぶのならなぜ日本語訳を教科書に書いてくれないのでしょうか。学校ではいつも文法や単語帳をつかって必至に訳をする。そこで終わり。なにかを得たことは一度もありません。将来使うことも無いのに文法をつかって訳をする訓練。これって古典に中身が無いことをあらわしてると思います。

古典を教えることを決めた人たちはどういう目的で決めたのでしょうか?単になにか「日本人らしいこと」をさせるために無理やりに探し出してきて僕ら学生に押し付けているだけではないでしょうか?そう思えてしまいます。

古典を学ぶ意義、もし、あるのなら、教えてください。

A 回答 (4件)

学習の意義とは何でしょうか?


古典を学ぶ意義、天文学を学ぶ意義、数学を学ぶ意義、科学を学ぶ意義、音楽を学ぶ意義、絵画を学ぶ意義、等等
実用的な面が無いと学ぶ意義は無いのでしょうか?
自分のやりたいことについて、現在の知識のみを学ぶことだけでよいのですか?

古典を学ぶことは、先人の知恵を受け継ぎ、さらに自分で考えを高める上で、強力な手法になります。

昔、理科系を目指すため古典は必要ないと思っていましたが、専門分野を奥深く理解,研究するためには古典の原典を読むことがしばしばあります。
たとえば過去の天文現象の研究に、日本書紀や平安時代の日記類が重要文献になっていることを知っていますか? この研究は世界が注目しているのですよ。欧米などは、当時の歴史書や日記類の記録がなく、非常に残念がっているのです。
また新薬開発に、本草学や医学の古典(しかも平安時代にもさかのぼります)が、大きなヒントになることを知っていますか? 製薬会社の研究者が、古典の解読を行い、新薬の開発をしているのです。
他にも、テクノロジーの分野でも古典の原典を読むと非常に大きなヒントが隠されていることが多々あります。
先人が残してくれた重要な情報を、古典が読めずに繰り返し実験を行っていたことを知ったとき、非常に空しい気持ちになります。
教科書の古典は、これらの文献を読みこなすための、トレーニングになっているのです。教科書の古典だけが、古典の世界ではありません。理学,化学,薬学,数学,政治,経済,処世法等等、古典の中に知識の大海が広がっています。この大海原を漕ぎ出すための小さな手法として、古典を学ぶ意識をもたれてはどうですか?

それともやはり異議が無いと考えるならば、それは個人の自由と思います。
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この回答へのお礼

理系分野でも古典を活用していることは始めて知りました。新薬開発に古典とは、まったく予想外でした。
古典もまったく意味の無い教科ではなさそうです。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/28 18:15

古典を学ぶ意義があるかどうかは、学ぶ姿勢にも関係するので、あるともないとも一概には言えないと思います。

ご質問のように
>文法や単語帳をつかって必至に訳をする。そこで終わり。というのでは学ぶ意義を感じられないのも無理はありません。文法は作品をより的確に理解するための手段に過ぎないのに、試験で点を取る「学ぶ目的」になってしまっています。

古文の授業はあまり好きではなかった高校生の頃の私が「古典っておもしろい」と感じたのは、学校の授業を離れて自分で作品を読んでからでした。例えば万葉集の歌が現代人にも魅力があるのは、「人が人を好きになったり、人が人と別れ(死別・生別)て悲しんだりする感情の本質的な部分は、1200年以上経っても大きな変わりはないからだ、」ということに気づいたからです。古い作品のなかにある、名もない個人の生き生きとした感情に共感できるというのは新鮮な驚きでした。

待つらむに到らば妹がうれしみと咲まむ姿を往きて早見む 
防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思ひもせず
待ち合わせ場所に急ぐ若者の心情は21世紀になっても変わりませんし
防人の妻と同じ思いはイラクに派遣されたアメリカの兵士の妻も感じているでしょう。

ただしどんなに興味深い作品でも、教室の授業の中では、面白さが半減してしまう気がしますので、先生にもよりますが学校の授業で古典の魅力を感じるのは難しいかも知れませんね。古典に親しむ(というより少なくとも存在を知る)きっかけになればよいのではないでしょうか。
また作品によっては若い頃よりある程度年をとってからの方がわかりやすく、共感できるものも少なくないので、必要に迫られての試験勉強はともかく、面白く感じられないものを無理に読む必要はないと思います。ご質問の趣旨とは少し離れるかも知れませんが、古典を学ぶ意義は学生時代よりも社会に出てからの方があるのではないかと感じています。
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この回答へのお礼

今は分からないかもしれないですね。もしかしたら、将来、古典を学んでよかったと思う日が来るのでしょうか。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/28 18:07

私は古典を学ぶ意義はあると思っています。



それはさておき、
>古典というものは中身が無い。薄っぺらい。
あなたがそう感じるのも無理はありません。
>学校ではいつも文法や単語帳をつかって必死に訳をする。
あなたの、というか、多くの学校ではそういう授業しかしていないから、古典の意義を感じるのは難しいかもしれません。
もしかしたら、大学入試で点数を取ることだけを目的として、生徒に古典の意義を感じさせることなどまったく関心のない先生も多いかもしれないのです。

だからといって、
>これって古典に中身が無いことをあらわしてると思います。
という結論の導き方が必ずしも論理的でないことはわかるでしょう。
教え方が悪いか、学ぶ姿勢が悪いということも考えられるのです。

落ち着いて考えてみればわかります。
もし、古典を学ぶことにまったく意義がないとしたら、
そんなものを千年以上にわたって人間が読み、伝えてきたはずがないのです。
そして、その意義は、それなりの努力をして学び取ろうとした者にしかわかるはずはありません。

温故知新という言葉があります。
論語という中国の古典に由来する言葉ですが、日本人がずっと大切にして伝えてきた日本の古典と言ってもよい言葉です。
古い時代を知らず、
>とりわけWW1以降に重点を置いて学ぶ事のほうが優先順位が高いと思います。なぜなら現在の世界の情勢はここに起源があるからです。
……というあなたの考え方には、非常に危険なものがあります。
多分(賢そうな)誰かの受け売りで言っているのではありませんか?

よく「歴史は繰り返す」といいます。とくに、古いものに価値を認めず、新しいものばかりを追い求めがちな近代の人間は、過去の人間が犯した歴史上の過ちに気づかず、ほとんどそっくりそのまま繰り返していることもあるのです。

これも中国の古典ですが、「刻舟求剣」という話がありますね。水に落ちた剣の落ちた場所がわからなくならないよう、舟に印を刻んだ男の話を人は笑うかもしれません。しかし、笑っている当人が同じようなことをやっている可能性は大きいのです。人間はけっこう愚かな存在でもあるようですね。

だからこそ、心ある人は「刻舟求剣」のような一見ばかばかしいたとえ話でも、大切に伝えてきたし、「温故知新」の大切さを伝えてきたわけです。私は、そういう祖先を持っていることを大いに誇りに思って良いと考えています。

ところで、日本の古典の意義ですが、人間のすばらしさも、愚かさも、古今東西の書物に負けず劣らず、鋭くとらえているものがたくさんあります。そういう古典の言葉が、人生経験を積み、いろいろなことがよく感じ取れるようになったあなたにとって意味深いものと感じられるときがきっと来るでしょう。

いまのうちから苦労して学んでおかないと、それに気づくことすらできません。前にも述べたように、古典の意義は、それなりの努力をして学び取ろうとした者にしかわからないのです。

あなたが望むように現代語訳で古典に触れるのもそう悪くありません。
授業でやった部分だけでも、参考書や入門書などで現代語訳を読んでみるといいですよ。

しかし、古典の言葉がほんとうに力強く、優しく我々に訴えてくるのは、長年にわたってずっと伝えられてきたそのままの形でではないかと思います。(たとえば、英語の歌をいちいち日本語訳して歌ってもその良さは半分も伝わらないのと同じです。)

だから、口語訳という技術も利用しながら、努力して古典の世界に近づき、古典の言葉そのものをあなたの血肉になるよう味わう姿勢を大切に学んで欲しいと思います。

長々と書いてしまいましたが、がまんして最後まで読んで、少しでも納得してこれからの勉強に励んでもらえれば幸いです。
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この回答へのお礼

確かに僕自身、古典から「逃げて」いるかもしれません。真っ向から学ぼうとしたときに見えるものがあるのかも・・・。まあ「古典の受験勉強」はこれから嫌でもしなければならないのでプラス思考で頑張ります。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/28 18:10

ルーティンワークを、日々こなしていくというのであれば、古典は不要です。


不測の新事態に対応して新しい価値を作っていくことをしたいのであれば古典は必要です。あるいは、創造的な仕事をしたいというのであれば古典は必要です。

日本が明治維新の段階で西欧の新知識を中国の古典から体系化しました。そらが、日本の知識体系を豊かにしていると私は思います。
===
高校生です。
高校で古典を学ぶ意義を教えてください。
===これを、明治の造語を使わずに表記すると
ハイスクールスチューデントです。
ハイスクールでクラシックスを学ぶミーニングを教えてください。
ってな事になります。

欧米でも、造語では、実はラテン語・古典ギリシャ語を活用しています。あるいは、英米人の発言は、聖書や失楽園、シェークスピアの作品などを踏まえてなされています。

学生に強制的に教えるべきかどうか?
「高等」学校として教育体制ができているのに、「高等」でない学生も沢山いるためのミスマッチは確かにあります。最初に書いたように、ルーティンワークをこなす人には不要ですので、古典は。
高等学校を、後期中等学校と、本来の高等学校にわけて、前者がルーティンワークをする人が行く学校、後者が大学に行く人が行く学校とすれば、前者には強制的に教える必要はないが、後者には強制的に教えるべきです、なぜならば後者には、不測の新事態に対応して新しい価値を古典か作り上げていく責務と必要性があるからです。
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この回答へのお礼

古典を学ぶことで新しいものを生み出す・・・。そうなるまでには相当深く勉強することが必要かもな~なんて思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/28 18:13

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