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時間、を考察する分野はいろいろとあると思います。
 1.哲学的なもの
 2.物理的なもの

 等々

時間を学問的に考えるには、どの分野になるのでしょうか。
どこで尋ねるのが適切なのか分からず、物理でお尋ねします。

A 回答 (7件)

それは、あなたが問うている「時間」が、何を指しているかによる。


物理的な相互作用か、生物的なエントロピーか、意識的な時系列性か。

時間という概念には、多様な要素が内包されており、回答も混乱しがちである。
要するに質問者は、「時間とはどのように生じたか」と問いながら、その『時間』とはどのようなものであるか分かっていずに、「何だか分からないものがどのように生じたか分からない」という、正しく答えるのには長い道筋が必要な問いなのだ。

たとえば、「無=不確定性無限の潜在としての認識可能性の“断面”の移動=自我仮説に対する、相補的な時空仮説の発生」と端的に言ったところでよく分からず、たとえば;

1.時間の不可逆性は、一般的(統計力学的)には「エントロピー増大」とされるが、微視的(本質的)にまで通用する不可逆現象としては、宇宙の膨張=不確定性(h)で相殺すべき空間の増大=不確定性の収束(cの減少)。
即ち各時点で、原理的レベルで異なる定数によって成る=異なる認識可能性を一つの軸(自我同一性)にするところに、時間性は依拠している。

2.全ての環境認識は、認識体の感受表面における量子相互作用(光だけでなく、音や触覚のような運動量の交換や、味覚や嗅覚のような化合物の反応も、最終的には量子相互作用であり、その“向こう”にある媒質の違いに過ぎない)である。
そこにおける、光や音のような情報性(先行感覚)に対して、触覚や味覚のような実体的感覚の蓄積を相関させる、即ち経験(時間的流れ)による予測(空間的広がり)として、時空は生じている。

3.存在の実態において、現象表面的には静止していても、細胞レベルでは新陳代謝し、分子は振動し、原子レベルでは回転し、という具合に、現象階層性を遡るほどに、より高速で運動しており、スーパーストリングやM理論といった“究極の理論”においては、量子相互作用=光速に至っている。
光速で運動する物体は時間が経過しないという事からいえば、宇宙の発生は階層現象表面性に付随して派生するものであり、原理的には宇宙の果てのビッグバンの壁と“瞬間相互作用”でつながっている=現象表面的時空仮説に対する“光の風(量子相互作用)”=認識可能性における無の射影として、存在性は発生している。

4.無の無限性(確率的存在を無限に詰め込むと、存在確率の山が平坦になって無と等価)の潜在としての認識可能性の仮説的移動の相殺としての量子相互作用=光速に対して、その時空仮説における階層現象表面的に生じる非光速性の、超光速(エネルギーが虚数になる=相互作用(自乗)においてマイナス=時間軸逆行と等価)領域を過去とし、光速以下を未来として、「自己(現在=光速)からの過去(超光速)と未来(光速下)の対発生」という構造が成り立つ。
その過去(経験)による未来(予測)による仮想的現在において存在性が生じる時、その超光速(光速下と超光速領域を分ける認識体はブラックホールと相同)における時空軸の転換において、仮想的延長において直交基底をなす時間軸(過去の経験)と空間軸(未来の予想としての空間的広がり)は同一軸であり、即ち、存在性の本質をなす不確定性原理における二対の相補性、「位置(S)と運動量(位置の時間的変化St)」「時点(T)と質量(時間的相対運動Ts)」は、本質において同一軸であって「相補的」ではなく、仮想的現在への延長において生じているということだ。

5.こうした条件を認識した上で、相対性理論の規定する四次元時空の方程式を見ると、時間項がマイナスになっていて、時間軸と空間軸の等距離点に“ライトコーン(量子相互作用)=0の広がり”、という界面原点が生じることも納得できる。
時間軸は、自我仮説性が持ち込んだ“余分な軸”であり、それによって生じた時空仮説に対して、相対性理論における光速限界や量子力学における相補的不確定性は、無の射影としての補完的なものなのだ。
原理的に無であるとは分からないことが、有限性を生じている=存在の本質なのだ。

基本的な内容だけでも、こうした認識論から素粒子論までの幅広い(それも等価性による再解釈を伴う)理解が必要であり、「時間とは何か」という問いをちゃんと提示できれば、既に答えは得られていると言えよう。
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物理学では「人は時間については1日を24等分する以上のことは知らない」ことになっています。


物理の世界では、時間は、ユークリッドの5公理のように、はじめから無条件に存在を認めるしかないものなのです。
もしも、この状況を打開する理論を打ち立てたなら、アインシュタイン以上の天才学者と言われることでしょう。挑戦してみますか?
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物理か哲学かとか、そういう分け方事態、宗教くさいですね


元々、物理は物は自然であり、理は哲学

究極は有るか無いか
言葉を変えれば、有るは解る、無いは解らない
その区別をする、分けるのね
科学的にいえば、分けるって言う行為は仮定するという行為
たとえば、慣性がなぜ起きるかなんて解らないので、慣性を現象として原理におくの
つまり解らないことまでは不問とするのね
量子力学でいうと観測してみるまでは分からないとかね
そうやって人類は解らないことを仮定して共通認識できる事柄を自然科学として進歩させてきました。
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「時間を学問的に」ということであれば「物理学」だと思いますが、その解釈や理解には「哲学」も必要だと思います。



 こんな本があるので、読んでみることをお勧めします。なるほど、とすっきり解決はしないのですが、時間というものの深遠さと、人間の側の認識の問題が重要であることが把握できます。

入不二基義・著「時間は実在するか」(講談社現代新書)
http://www.amazon.co.jp/%E6%99%82%E9%96%93%E3%81 …
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心理的な時間というのも有りますね。



哲学も物理学も心理学も全て学問です。
対象となる問題にふさわしいものを選べばいいだけです。
どれか一つに限定する必要は無いでしょう。
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今のところ一つとは言えないと思います。

例えば物理学で時間について理解され実証されたとき、それは物理の範囲としていいかもしれませんが、まだよく分からないですよね。時間がループすると考える人々もいるみたいですし。時間の捉え方は部族や宗教などによりきですし、そのような面では哲学色が濃いように感じます。ただ
例えば四次元と時間云々となれば話は別で、これは物理と言っていいのではないでしょうか。時間というものがよくわからない以上、考察の切り口とそれに対するカテゴリーは無数にあると思います。

私の見解でよければ参考までに。
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一応、理論物理学の範疇かと


しかし物理学で扱う時間は、単独的なものでなく他の物理量の相関で記述される

参考URL:http://www.nikkei-science.com/page/magazine/1009 …
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