1つだけ過去を変えられるとしたら?

 ネット上で「混じり合う視線」とか「視線を混じり合わせる」といった表現を見かけたのですが、一体どの様な意味を持つ言葉なのでしょうか?
 そもそも、この様な言葉が日本語において、正しい言い回しとして存在しているのでしょうか?
 若しかしますと、「視線を交える」という言い回しと「視線を合わせる」という言い回しがごた混ぜになった上で、間違った漢字が当てられて生まれた、誤った言い回しという事はないのでしょうか?
 もし、日本語の言い回しとして誤ってはいないものである場合には、(情報の信頼性がWikipediaレベルのものでも十分ですから)どの様な意味の言葉であるのか確認出来るサイトのURLを御教え頂けないでしょうか?

A 回答 (4件)

視線を交じり合わせるならまだましですが、混じり合うは釈然としません。


交す(かわす)でしたら、、動詞の連用形について互いに何々しあう意味を表す。
云い交す。目を見交す。広辞苑参照
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この回答へのお礼

 御回答頂き有難う御座います。

 仰る通りだと思います。
 「混じる」には「グループに加わる。仲間にはいる。」といった意味もありますから、「視線を混じり合わせる」といった表現を使用した方は、若しかしますと、「同じものを見る」という意味で使ったのかも知れませんが、「前後の文脈から考えて『視線を交わし合う』とした方が良い場合」に使用されている例が多い様ですので、「同じものを見る」では意味が通りませんから、例え「混じり合う視線」や「視線を混じり合わせる」という言い回しが世間に広まったとしましても、結局は「混じる」という言葉の誤用としか言えない事になると思います。

お礼日時:2013/04/16 20:28

ご指摘の表現は字義と語意と読みの、部分的通用に起因する誤用と考えます。



質問表題を見た途端に思い浮かんだことがあります。

かつての部下が「契約をマジワス」と言うので、
書かせてみると「契約を交わす」と書きました。

お分かりのように「交わす=かわす ー誤読→ まじわす」の図式です。
おそらくは「視線を交える」の読みに依拠したものでしょうか。

彼は団塊の世代の非常に聡明な技術者で当時30歳の頃のことです。
このことにつきその後どうしたかはさておき、
彼にとっては身にしみついたものだったのでしょう、
         以降も直ることはありませんでした。
声に出すとおかしいが、正しく書くという例です。

「交わす=かわす」が「交わす=マジワス」になった途端に、
字義の誤認と語意の混濁が入り込む隙が生じます。

このことを踏まえると、貴質問文中の、
【「視線を交える」という言い回しと「視線を合わせる」という言い回しがごた混ぜになった上で、間違った漢字が当てられて生まれた、】ことの経緯に一役買っているのではないかと考える次第です。

すくなくともこの用法を正しいとする記述は未見です。

ついでです:
★Googleでざっと見ると、
"まじわす"1220件
  "視線をまじわす"10件
  "視線をまじわせ"87件
  "視線をまじわす"10件
"視線を混じわせ"4件
"視線を交わす"沢山あり。まじわす のつもりで書いた人も混入しているでしょう。
⇒ 漢字の誤用や誤変換以前に、読みの誤りが先行したものと推測します。

★手持ちのIMEで かな漢変換 実験(IMEversion省略)
MS-IME   まじわす → “交わす”は候補に出ない
Google-IME まじわす → “交わす”が候補に出る
Baidu-IME  まじわす → “交わす”が候補に出る
*後者二つはネット上から語句を収集し変換辞書を作成しているので、
 時代の鏡と言えるかもしれません。
 「政府は国民の水準を反映する」の警句を想起します。
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この回答へのお礼

 御回答頂き有難う御座います。

 「交わす」を「マジワス」と誤って読んでしまわれる方もおられるのですね。
 その様な誤った読み方をしていた場合には、身に染み付いてしまう前に、周囲の誰かに指摘される事で誤りに気付き、早い段階で自ら直してしまいそうなものですが、その様な方々は(メール等の文章のやり取りばかりで)実際に声を出して会話する機会が比較的少なかったのでしょうか。
 或いは、子供の頃に、「交わす」に関して「マジワス」と読むのが正しいと誰かが強硬に主張する様な事があって、それが正しいと思い込んでしまわれたのでしょうか。
 何が原因なのかは判りませんが、ネット上において、これほどまでに誤った表記が氾濫している事を考えますと、現代社会には「早い段階で誤りに気付く事」を妨げている、何らかの要因が潜んでいるのではないかという気が致します。
 検索結果のヒット数や、文字入力システム毎の変換候補の違いに関して詳しく調査までして頂き感謝致します。

お礼日時:2013/04/17 12:45

No.1の方の見方と同じです。

「混じり合う視線」・「視線を混じり合わせる」は奇妙な言い方です。正しい日本語とは言えません。出所は寡聞にして知りません。

では正しい日本語とは何か、と言うことになります。このとき、日本語(言語)の規則(文法など)が先にあって、そのあと日本語(言語)が出来たのではないことを考えると、「正しい(言葉)」とは、「歴史の淘汰・変遷を経て、自然発生的な規則性を維持しつつ、広く共通的に受容・通用している(言葉)」であると思います。

ネットではワープロソフトを使いますので、誤変換がそのまま使われてしまうことも多々あります。また、いわゆる若者言葉が流布・定着することもあります。言葉は変わるものです。「視線を混じり合わせる」も、やがては「正しい」日本語に昇格するかも知れませんね。
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この回答へのお礼

 御回答頂き有難う御座います。

 長い年月を経た後で、正しい言葉として認知される様になる可能性が、皆無とは言えないものの、少なくとも現在の処はその様な市民権を得た言葉ではないという事ですね。

お礼日時:2013/04/16 20:07

初めて聞きましたね。


私は、「交わらせる」を耳で聞いて「混じわらせる」と当て字にしたのを、「混じる」の方に修正して「混じり合わせる」にしたんじゃないかと想像しました。
まあ昔の文章などでも当て字はそう珍しい物ではないようですし、「当たり前」というのも「当然」に「当前」の字を当てた結果出来た物と聞きます。
その言葉が定着するかどうかは、十年か二十年くらい経ってみないと判らないでしょう。
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この回答へのお礼

 御回答頂き有難う御座います。

 やはり日本語として正しいとは言えない言葉という事ですね。
 只、言語は生き物なので、長い年月を経た後で、正しい言葉として認知される様になる可能性が、皆無と断言出来る訳ではないという事でしょうか。

お礼日時:2013/04/16 12:09

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