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 「宗教と道徳と法律とは矛盾するものではありません。」
 こう云ったのは明治から大正にかけて活動された山崎弁栄(やまざきべんねい)というお坊さんです。

 このお方が地方伝道に行脚されている間、留守居のお坊さんに伝道資金を預けておいたところ、そのお坊さんは、預かった資金をあることに“消費”してしまったので、その非を懇々と諭された。が、懺悔する様子がないので「それでは法律に訴えますぞ」と裁判沙汰にしたのを「宗教家らしくもない」と非難する人に云った言葉が「宗教と道徳と法律とは矛盾するものではありません」です。

 裁判後の結果は悪用された三宝物の半金をその兄弟が出すことで示談になったと云う事ですが、他日、弁栄というお坊さんは「監獄(刑務所)は個人の力では直せぬ罪悪を、国家の力で直してくれる所である」。また「人の心霊は名刀のごとし、はなはだしき錆(さび)は荒砥(あらと)を用いて除き去る」とおっしゃって、本人の更生を願われたとのことです。

 宗教。道徳。法律。

 これらをどう捉えるかで、意見が分かれると思いますが、私は単純で無知、且つ素直なので何の疑問も持たずに、なるほどと思うばかりです。

 よろしければお考えを聞かせてください。

 

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A 回答 (13件中11~13件)

「宗教と道徳と法律とは矛盾するものではありません」



○その通りですね。釈尊の創られた仏教は、信仰を含む宗教ですが、組織としての僧団には戒と律がありました。戒には罰則規定がありませんでしたから守るべき道徳ですね。一方、律は罰則を含む規定ですから現代の法律と同じものですね。2500年前から存在していたものですので、変わりはないのです。
当時の律の一番重い罪は僧団追放ですから、追放されれば国法で裁かれたわけですね。当時の国法は現在の法律よりはるかに過酷ですね。
お話のお坊さんも全く同じですね。僧団を追放され国法で裁かれたわけです。
宗教は心の修行ですから、修行のために自身が守るべき戒、つまり道徳規範を持つわけですが、罪を犯せば、法律で裁かれ罪を償うことで、心の修行をまっとうしなさいということですね。
これが、「人の心霊は名刀のごとし、はなはだしき錆(さび)は荒砥(あらと)を用いて除き去る」という意味ですね。立派な修行僧ですね。
一般の人も全く同じですね。自らの心を鏡のごとくするためには道徳だけでは無理であれば、厳しい裁きも与えないといけないということですね。裁判官もお坊さんと同じ仕事なんですね。
それを宗教と呼ぼうが司法と呼ぼうがやってることは同じことですね。
まあ、簡単に言えば、罪は犯したご本人にしか消せないのですね。それをどのようにして気づかせるかということだけですね。偽りの自分自身を許すのは本当の自分自身ですね。
だから、いつの時代でも「宗教と道徳と法律とは矛盾するものではありません」が正しいのです。

この回答への補足

 組織としての僧団の戒と律に当て嵌めての回答、意外でした。

 このお坊さんが、そのことを踏まえて云ったのか、明治時代の法律や道徳を根拠にした言葉なのか私には不明なので、その点についてのmmkyさんの“推測”も知りたいところです。

 ありがとうございました。

補足日時:2013/05/18 22:08
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矛盾するかしないか、というよりは「矛盾し得る」が正しい表現かと思います。


捉え方次第ですから。

白黒つけることによって、どれだけ意味があるのでしょうか。

法律は従うべきです。従わないものには罰が与えられます。
道徳は守るべきです。それが社会の繁栄に繋がります。
宗教に悩む必要はありません。時代や状況に合わせて貴方の都合の良い捉え方、使い方をすればよいからです。

この回答への補足

 白黒をつける、と云うよりも白黒があるのではないか?と思いました。

 さらに考えてみます。

 ありがとうございました。

補足日時:2013/05/18 21:56
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この回答へのお礼

 いただいた回答には少しばかり疑問を感じますが、その内容からは“素直なお方”なんだと思うので、議論はしません。

 でも、一言だけ皮肉めいたことを・・・まさか“ご都合主義”ではないですよね。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/25 16:20

道徳の中で、最低限、これだけは守らねばならないモノを


国家権力で強制しようとしたのが法律です。
そして、道徳の基盤には宗教があります。

従って、この三者は本来矛盾しないはずです。

しかし、文明が複雑になり法律が技術化するに
伴い、法律と道徳との間に乖離が生じるように
なりました。

法律が変われば、それに引きずられて道徳も
変化します。
右側通行などは、日本では道徳に近いでしょうが
これは法律によって道徳が造られた事例です。

宗教にしても、本来の意義を忘れ、利益目当ての
株式会社化してきました。
こうなると、宗教と道徳の間にも乖離が生じます。

それで、矛盾するように感じられるように
なってしまったのです。

この回答への補足

 やっぱり今日(こんにち)では宗教と道徳と法律は、矛盾するのが当たり前の世界、と捉えられているのが、一般と云う事でしょうか。

 残念ですが、そんな風な時代にあるのかな、と思いました。

 ありがとうございました。

 

補足日時:2013/05/18 19:28
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この回答へのお礼

 道徳、というものは不変なものと思っていましたが、社会の変化と共に変わってゆくものなんですね。
 私の苦手な分野なので、考えてみたことがありませんでした。

 道徳とは何か。
 
 ろくに考えたこともないのに、こんな質問をする自分が恥ずかしい。
 回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/25 16:12

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Q法と道徳ってどう違うのでしょうか?

法と道徳ってどう違うのでしょうか?

200文字以上で、例など出して頂けると助かります。
同じところは、社会規範。
違うところは、強制力。
そんな感じだとは思うのですが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

質問するまでもなく、質問主のおっしゃることそのものが回答になっております。

両方とも社会規範で強制力が違いますよね。そのとおりです。

道徳なしで法律は作られることはまずありえませんから、社会規範として共通していますよね。
殺人や盗み、破壊行為などはもちろん犯罪ですが、それ以前に人として反していることですよね?だからこそ法律は存在しており、両方とも「人間のあるべき姿の実現」や「社会秩序の維持」を目的としています。

しかしながら同じ目的で存在しながらも、道徳の場合は「リンチ(私刑)」を食らわない限り、罰則規定がありません。ここで強制力の違いが見えてきますよね?

もっと具体的な内容に迫ると、裁判官が判決を下す際はまず適合する法規がないか探し出します。
いろいろ検討した結果、それでも見つからない場合は最終的に裁判官が持ち合わせている常識や良識、道徳で判決を下すことになっております。

両方とも同じ社会規範でも、物事に適合させるための優先順位は法律がまず優先されます。
この点で優先順位(つまり強制力)が違うことがわかりますよね?

最後に決定的な例を出しましょう。
その国で生まれた以上その人間は、その国に存在している約束(法律)を強制的に結ばされることになります。
嫌ならその「他の国に出て行け」ということになります。これが「亡命」であったり、「国外逃亡」であったりするわけです。

一方道徳は世間一般に存在しているものなので、本人が気にしなければ別段守らなくてもかまわないものなのです。

質問するまでもなく、質問主のおっしゃることそのものが回答になっております。

両方とも社会規範で強制力が違いますよね。そのとおりです。

道徳なしで法律は作られることはまずありえませんから、社会規範として共通していますよね。
殺人や盗み、破壊行為などはもちろん犯罪ですが、それ以前に人として反していることですよね?だからこそ法律は存在しており、両方とも「人間のあるべき姿の実現」や「社会秩序の維持」を目的としています。

しかしながら同じ目的で存在しながらも、道徳の場合は「リンチ(私...続きを読む


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