「夫を成功」へ導く妻の秘訣 座談会

 にんげんの前史を終えるということ(!?)について――あらためて――問います。


 § 1 ヒトの定義から入ります。

 その昔 土地を囲ってここはおれのものだと宣言したと想定してみた場合 人間ということに関して前提とするべき公理に ふたつあると思います。

  (α) 主戦論を採るヒト:奪い合い・競争としての社会交通

  (ω) 非戦論を採るヒト:ユヅリアヒ。奴隷の状態にさえ甘んじる。
        したがって競争し奪い合う交通人は 社会というヤシロ
       の神棚(お二階)に祀っておく。(国ゆづり)

 § 2 ここ(この一面的な定義ですが)から《権力》が生じますが これにもふたつの型があると見ます。

  (あ) 第一次の権力関係:
       ユヅリアヒの人間どうしにおいて――ということは ごく
      ふつうに自然本性としてのヒトどうしの間においても―― 
      まなざしを相手に上からそそぐ者とそしてこれを受ける者
      とに分かれる場合。

       この場合には そのまなざしの上下関係が 互いにみと
      めあっている自生的な性格のものと
       そして一方が《アース(接地)役》を務めるかたちとなるよ
      うにそれが必ずしもよいことだとは思われない人為的・人
      工的な性格のものとがある。

  (い) 第二次の権力関係:
       第一次の《自生的な性格のもの》をおおむね離れて 《人工
      的な性格のもの》をさらに強固にししかも固定させる動きとし
      てそのまなざしの上下関係を社会制度としてかたちづくろうと
      して出来たもの。

       身分関係。その世襲制度。 

       特には 社会を《市民スサノヲと公民アマテラス》との二階
      建ての構造として固定する国家における身分制度。そこで
      は 倫理を問うことを含みつつも それをもチカラで圧倒する
      場合もあるというような社会力学的な交通として人間関係
      およびその社会構造がかたちづくられる。
       (その中で一階と二階とのあいだで自由な行き来としての
      流動性が保証されている社会のあり方も 現実的ではある)。

 § 3 階級ということ

  (α)の主戦論を採るヒトが築く(い)の第二次の権力関係は 明らかに社会階級の関係として二階建てを成り立たせている。ヒトが品(クラス)ないし課税対象物として分けられる。

  (ω)の非戦論を採るヒトが築く同じく(い)の第二次の権力関係は そのような階級関係を包み込んだ二階建て構造に成ると捉えられる。
  言いかえると 非戦論によって服従の関係をえらんだそのことが すでにヒトの品による区分を飲み込んだかたちとなっている。

  ぎゃくに言えば そこで身分制が強固にかたちづくられそれに即した圧力が加えられたとしても (ω)型のヒトにとっては もともとそのような社会力学は織り込み済みである。
  ゆえに――そうとうきびしいことだけれど―― そのお二階のえらいさんよ 気の済むまでご自由におやりなさい そのあと人間にお成りなさいと心のどこかで言っている。

  (α)の主戦論派にもとづく階級関係においては その新しい階級と古いのとのあいだで回転(レヲ゛リューション)が演じられる。流動性というよりは 階級がひっくり返ることがある。


 § 4 世界史的存在としての《一人ひとりとしてのわたし》

 経済行為の形式ないしその社会的な制度として 資本主義は――あらゆるモノ・コトを商品として巻き込み その商品をつうじて交通するというよそよそしい形でではありながら 世界中のすべての人びとをやはり巻き込み一面ではその一様な形式による互いの交通を遠慮なく普遍的に行なわせるゆえに―― ヒトを世界史的な存在とした。

 この資本主義――第一次の勤勉と第二次のガリ勉とから成ると見る――の世界史的な展開の中で 階級の回転が行き着くところまで行き着き(つまり もはやひっくり返してもそれは堂々巡りであると分かったところまで行き着き)
 社会の神だなに祀られたお二階さんの王様ごっこがやはり行き着くところまで行き着くなら(――つまり もはや人民よユヅルことはこれ以上してくれるな われもユヅル側になってみたいわいと言い始めたなら――) 
 (α)主戦論および(ω)非戦論それぞれの形式に別れつつ自己形成してきたホモ・サピエンス・サピエンスは 言ってみれば互いの諍いにかかわるその潜在能力を全部出し切ったと言える地点に来るのではないか?

 しかも 階級支配体制やお二階さんごっこ体制といったそれぞれの思想に真っ向から対立する民主制というかたちをすでに採っている。

 このふるいニンゲンは ほろびる。と思われます。

 前史を終えて後史に入ると見てよいのか?
 そう見るのが ふさわしいのかどうか?

 ご教授ください。



 § 5 おまけとして: 《後史》がどんなヒトのどんな社会になるのか

  いまはほんとうには分かりません。たぶん《イサカイ》をむやみやたらに繰り広げることを《前史》の特徴とすれば それを止揚しそれから自由になる。でしょうか どうでしょうか。

 もうひとつ。このあたらしい時代を切り拓くのは 世界広しと言えども わが日本人こそがふさわしく その先頭を切ってあゆむのではないでしょうか。

 宗教の弊害もしくはいわゆる一神教の弊害から わたしたちはそのふつうの生活態度においてすでに自由であり あとはわづかに自分たちの多神教としての〔つまり日本教としての〕じつは一神教なる性格を認識し自覚するなら 鬼に金棒 孫悟空に如意棒となること請け合いではないでしょうか。

 一神教ヰルスからの免疫をすでに半分 得ている。あとの半分をさらに得て 世界に先駆けてあゆむことが出来るし その使命を負っているのではないか。どうでしょう。

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A 回答 (15件中1~10件)

 非戦論には賛成です。

次の指摘もその通りだと思います。

>階級の回転が行き着くところまで行き着き(つまり もはやひっくり返してもそれは堂々巡りであると分かったところまで行き着き)

  そうですねえ。階級が回転するということは確かだと思います。だから絶対的に「楯突くことができない」相手というものは、減ってきました。皮肉で返事をするとか、道化師の身振りで茶化してみせるとか、その人を避けて暮らせるようにしてしまうとか。こんなことができる世の中になりました。相手も自分が落ちていく可能性があるので、俺は偉いんだぞー、おまえなんてただじゃすまないぞー、なんてことをいわなくなってきた。
 しかし社会的に上から押さえつける制度をこさえてしまおうとする態度には、何をどうしてよいのかも分からないというのが、実情ではないでしょうか。だから

>ホモ・サピエンス・サピエンスは 言ってみれば互いの諍いにかかわるその潜在能力を全部出し切ったと言える地点に来るのではないか?

とは、思いません。むしろ争いが激化しているのが現状ではないかと思います。「例えば」という話を、ぶつけてみることにします。次のユニクロの社長のスキャンダラスな話は、一部がどんどん富を独占する世の中になると予想できるし、それは仕方ないから、生き残りたいなら自分たちもやる他ないという意志の表明です。有名な話なので、知っているかもしれませんが。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview …
http://blogos.com/article/60866/

 年収百万円。ほとんど食べていけるかどうか分からない額です。こんな境遇になったらどうなってしまうのか。エンゲル係数20でやってみると、月あたりの食費が1万7千円ないのです。一日600円も食費がない。酔狂でと言うわけではありませんが、私はこれである一定期間、生活してみました(継続中です)。自分がそういうことになってしまったら、どうなるんだろうと不安に思い、余剰があるうちにやってみることにしたんです。
 苦しいですねえ。お腹がへってへって、一週間で二キロ体重が落ちました。お菓子一つ買うわけに行かない。チョコのひとかけらが40キロカロリー。これが貴重な栄養源だと思えるのです。今まで、食べても食べないでもどうでもいいものだったんですけれどもねえ。しかし家計簿をみると、どうしたって、それ以上のことをするわけに行かない。外食なんて、月に一回もできない。牛丼もマクドナルドも、「ジャンクフード」も無理です。私、料理が得意でしてね。日に600円でも良いものを食べれますが、圧迫感は半端ないですねえ。何より、カロリーが足りないのは明白なんですから。上に行きたいという気にどうしてもなってきます。競争がバカらしいという気持ちにならないのです。

 しかし、ではどうするべきなのか。ユニクロの不買運動を展開するべきなのでしょうか。既製品を買わずに、一点ものの職人の魂のこもったものを買うべきなのでしょうか。しかしそんなものを買ってしまったら、低所得者層の家計は容易に破綻します。年収百万円なのですから。それに仮にデモなどが起き、ユニクロを追い落としても、第二のユニクロはすぐに生まれてくるかもしれません。

>このあたらしい時代を切り拓くのは 世界広しと言えども わが日本人こそがふさわしく その先頭を切ってあゆむのではないでしょうか。

 人を殺す制度をグローバル・スタンダード化していく日本人が、ですか・・・。うーん。そう思えないんですよねえ。アジアの労働者は外貨が違うので、年収百万円になったら救われるのかもしれませんが、そういうことをいっているのでしょうか?

 世界の先頭に立つということは、グローバル展開する企業に期待を寄せるということですが、そういう良い企業ってあるんでしょうかね。資生堂など言っていることはカッコいいが、内情は惨憺たるものだと思います。派遣社員のようなもの(名称はいろいろとカッコいいのがあるんでしょう)を、正社員が酷使しているだけの企業です。逆にスターバックスコーヒーなどは、福利厚生がしっかりしているんですよね。やはり日本人のやり口はずるいんだなあ、私も日本人だけれど、と思います。

 斜めに問題を切りすぎたでしょうか。権力構造が変化し、競争というものの在り方が変わってきたというところまでは賛成ですが、全然、楽観的な気持ちにはなれません。
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この回答へのお礼

 でぃーくべくさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ★ 非戦論には賛成です。
 ★ ~~~~~
 次の指摘もその通りだと思います。

   >階級の回転が行き着くところまで行き着き(つまり もはやひっくり返してもそれは堂々巡りであると分かったところまで行き着き)
 
 ★  ~~~~~
 権力構造が変化し、競争というものの在り方が変わってきたというところまでは賛成ですが、
 ~~~~~~~~
 ☆ ありがとうございます。来し方については おおむね共通の見方に立てるが 行く末は もっと具体的に地に足をつけた見通しを持つようにせよ。とおっしゃっているように受け取りました。

 力強いひびきがあります。そうとうの反応をうながす力強さがあります。

 歳を取ってくると 年収百万円でもやっていけるとしても それは例外的な事態であるでしょう。たまったものではないと言わなければならないと思います。




 
 具体的な展望とそれにまつわる問題点を出して考え合って行くのが まさにこの質問です。

 というふうに みなさんの参加をつのっておいて いまはわたしからは箇条書きのご返答をしるしてまいります。




 1. 理想とする――ということは 生活日常に基盤を張った思想としての――経営理念ないしそれを身につけた経営者が 日本人の中からも どしどし出て来るしかない。のではないか。

 2. 仕事をめぐる条件や環境がわるいと言われる《ブラック企業》は わたしの考えでは 淘汰されて行くと思われる。ふたつの記事が引かれていますが そのようにメディアをつうじて――つまり自然淘汰にまかせるというよりは 人為的にまた人びとのあいだにおける話し合いをつうじて―― 淘汰されて行く・つまり しかるべきは退場させて行くことを目指す。

 3. とは言うものの 《猛烈社員》は 高度経済成長の昔にもありました。そしてただし いまでは 育って来た環境が違いますから それを目指せということも なかなか通じない。
 安易に考えるなら 試行錯誤で互いに模索してその経営理念や労働条件についてよくして行くしかないと思われる。

 4. とにもかくにも 低賃金ではたらく人びとがたくさんいる国々もあって それらの国が世界の資本主義経済に登場してきたし 先進国側は それらを活用しようともして来ている。

 5. そういうとき ユニクロが 《ブラック企業》の汚名を着なければならないのは 明らかに当然だと言うのか。言えるのかどうなのか。そこらへんは 情報をいちはやく公開させて それにもとづき社会全体でよりよい方法を考えて行くしかないと言ったら おまえは何も知らないからそんなのんきなことを言っていると言われるでしょうか。

 6. ▼  (今野晴貴:ユニクロ論 2013年4月23日 ) ~~~
  http://blogos.com/article/60866/?axis=t:1155&p=3
 ユニクロ社長は、国際競争があるのだから、「年収100万円のほうになっていくのは仕方ない」としている。
 国内経済の発展や、安定した成長戦略などお構いなし。
 完全に「自社本位」の発言である。
 安倍首相や自民党は、こういう「ブラック企業」(と朝日で指摘されている)社長を取り締まるべきだ。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ わたしの考えではこれを 古い言葉で言えば《万機公論に決すべし》に付すことだと思うのです。《白黒をつける》前に・あるいはそれとは別の発想においてです。世界的な議論になればよいと考えます。人びとに知恵は湧いて来ましょう。

 7. ▲ (坂倉昇平:ユニクロ論 2013年4月23日) ~~~~~
 ユニクロ柳井会長は「成長か死か」「正社員でいる以上、効率をあげて頑張ってもらわないと生き残っていけない」というけど、ユニクロで正社員で頑張ったほうが、長時間労働でうつを患ったり過労死しかねない。
 日本のまじめな若者たちを死なせてでも、自分たちの会社が生き残りたいってだけだよね。
 ~~~~~~~~~~ 
 ☆ 《 grow or death 》と言うそうですが このような二者択一(二値的論理でしょうか)の表現は 受けを狙って言っているのでしょうから all or nothing の論理でこちらも受けて同じような考え方をすることもないと思います。
 活かすべきよきところがあれば 活かす方向に持って行くのがよいでしょうし さもなければ退場ねがうしかないと考えます。 

 8. 《会社が生き残らなければ 従業員も人びと一般も生き残れない》というような側面が まったくないとも言えない情況なのか どうなのか。
 人びとの絞った知恵をどしどしぶつけて行くなら ユニクロ社長も話に乗れない人ではないでしょう。と思うのですが。

 そこは 非戦論派のユヅリアヒ精神の発揮が見どころでしょう。

 9. ▼ (今野晴貴) ~~~~
 ユニクロの「世界同一賃金」という発想は、とことん労働者の実情を無視している。
 その国によって、生活に必要な賃金は違う。社会保障の水準も、税率も、家族の扶養の在り方も、違うのである。
 ユニクロがグローバル展開するのは結構だが、人間それぞれは、決して「グローバル」にはなれない。
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これなどは 会社内での従業員としての見解として推し出すべき議論だと思います。
 妥協はいやなのでしょうけれど 相互理解をもっと深めていくことは出来るのではないでしょうか。

 10. 《会社は 社会のもの。人びとのもの》という考え方をもっと推し進めて行くべきではないでしょうか。
 一介の市民・地域住民という見えない株主 持たざる株主のほうが 大事だという見方も 推し進めて行きたいと思いますが どうでしょう。
 ネットでの言論が効くでしょう。(マスゴミにはなかなか期待しがたいものがあります)。

 11. ならば 過去において《アース役》だった人たちに向けて 経営者や会社内外の人びとが パワハラについてごめんなさいと ひとことあやまるだけで 風通しはよくなりましょう。全国的にです。
 日本人は これが出来ると思います。(ほかの国でも出来るでしょうが)。

 12. ★ ~~~~
    >ホモ・サピエンス・サピエンスは 言ってみれば互いの諍いにかかわるその潜在能力を全部出し切ったと言える地点に来るのではないか?

 とは、思いません。むしろ争いが激化しているのが現状ではないかと思います。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ ということは この《イサカイ》をさらに指向するウゴキと連れだって 逆の向きのウゴキを市民らが言論において起こす。反目せずにやれる場合には 《連れだって〔ぎゃくの方向へと〕》です。


 13. 《お二階さんごっこ体制》は ゆるむと同時に その締め付けをさらに強くして来るでしょうか。
 あるいはひょっとしてこの日本社会も 《階級支配体制》のごとき様相を呈して来ているのでしょうか。
 ユヅリアヒの誇りが 過去からの《伝統》としてその一面での階級関係の味気なさを包み込んで 包容力があったかと思われるのが いまでは形骸と化してしまっていましょうか。どうでしょうか。

 14. 日本人よ われよ 目覚めよ。とカツを入れるだけでは だめでしょうか。

お礼日時:2013/05/31 15:08

 こんにちは




> ☆ 共通番号制は 始めるとか言っていますが。
↓ ↓ ↓

 健康増進法を国家権力の濫用として認めなかったアメリカですらも、背番号制の法整備を整えているようです。

 以下、引用分です。

「日本では、現在、基礎年金番号、健康保険被保険者番号、パスポートの番号、納税者番号、運転免許証番号、住民票コード、雇用保険被保険者番号など各行政機関が個別に番号をつけているため、国民の個人情報管理に関して縦割り行政で重複投資になっている。一人一つの共通番号を持ってあらゆる行政サービスを包括するものは現在のところ存在せず、これは先進国としてはかなり珍しい。」

Wikipedia 国民総背番号制 からです。


 国家財政の厳しい状況を鑑みましても、背番号制も止む無しかと考えています。



> ☆ ここ(OKWAVE)もそのようです。
↓ ↓ ↓

 次の憲法の条文も形骸化しつつある状況にも関わらず、疑問視していないのを鑑みますと・・・

憲法 九十九条  
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


 今回のご質問の回答をもって、とりあえずは、お暇させていただきたいと思ってはおりますが、

 《にんげんの前史》を終えた、と思っても、「実際は過去に戻っていた」等、やはり難しいところがあるように思えました。

 いやあ~ 難しいです
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この回答へのお礼

 ★ ~~~~~~
 《にんげんの前史》を終えた、と思っても、「実際は過去に戻っていた」等、やはり難しいところがあるように思えました。

 いやあ~ 難しいです
 ~~~~~~~~
 ☆ M.ヱーバーの言葉だと思いますが:

   悪魔は 老獪であって こちらが押していても気がついて見ると押されていたということがある。

 とか。

 

 ★ 国民総背番号制
 ☆ これが成らないのは ひとえに税金逃れのためだと思います。


 いい頃かも知れません。閉じましょうか。

 ご回答をたいへんありがとうございました。

 みなさんも ほんとうにありがとうございました。

 問題はさらに問い求めて行こうと思っています。

お礼日時:2013/06/22 17:37

 こんばんは




> ☆ 《原理原則》が アマテラス普遍語(科学語および人格語)だとすれば 自由であやまちうるスサノヲ人間語との関係具合いを 《わたし》という実存が 自分の内でどのようにとらえ考えて行動するか。になるとは思われますが なかなかむつかしいのかも知れません。
↓↓↓

 そのように思われます。これは、以下のお礼欄の発言とも関係するのですが、“一階市民の態度は、基本的には、無関心”ということが一番の要因かもしれません(後述しています)。


> ☆ お二階さんは 年金制度が崩壊しているなどの点から もう大きい顔は出来なくなっているかと思ってはいるのですが。
 一階市民の態度は よく知るとかなり複雑なようですね。
 まづ声を出すようになって来ている。出さないひともいるだろうけれど ブログやらSNSやらで声を出すことは出す。
 ただし どうも肝心の問題については 掘り下げて考えたり意見を言ったりはあまりしない。マスゴミの論調に乗るか それはさすがやめてしかもその論調に反発するようなほうの意見に乗るか それとも無難な内容の見解を出しておしまいとするか。こういった姿勢や行動しか取れない。――もしこうだとするなら
 ★ 無関心
 ☆ とあまり変わらない。かと思われます。
↓↓↓

 お二階さんについては、年金制度の不備・崩壊の点、縦割り行政からくる派閥争い等から、もはや大きな顔は出来なくなっているかと思ってはいます。ただ、既得権益を含む許認可についても手放しはしなでしょうから、まだ力を振るえると(少なくともお二階さん自身は)思っていると考えています。
 ですが、国民の意識調査からは、信頼度の低さの順番は以下のようです。

 議員 < 官僚 < マスゴミ(以下参照)

機関や団体の信頼度、トップは「自衛隊」、ワーストは「国会議員」 
出典:中央調査社
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1211/08/news … 


 ただ、あれだけ議員を叩いてもこの程度ですので、このあたりを補正すると、

 官僚 < マスゴミ(自分自身のことは批判しませんから) < 議員

 の順番かと考えています。

 このため、以下にもありますが、スウェーデンのような福祉社会は絶対に来ないと考えられます。

「それが、なぜスウェーデンでは可能だったのでしょうか。この理由としては、政治に対する国民の信頼感があったようです。
スウェーデンの政治をリードしてきた社会民主党は、1889年に結党されました。1932年から76年まで40年以上に及ぶ長期政権を維持し、何度かの政権交代を経た現在も比較第一党です。スウェーデンは、政治の透明性や政治家のモラルが非常に高いことでも知られます。情報公開が徹底され、政治活動のすべての領収書が公開されます。そして、オンブズマン(スウェーデン発祥)が、政治や行政に対するチェック機能を果たしています。」
引用:
http://www.forum-nippon.com/conversation/sweeden


 では、平屋の住民ですが、確かに某SNS等で批判を繰り広げてはいますが、如何せん実行が伴っていない、状況にあります。
 元来、国民運動は、大正時代の第一次護憲運動もそうであったように、学生達がその先頭に立って拡大化してきました。
 ですが、今日では、理由の程は定かではありませんが、諦めムードの観は否めません。以下のものが主要な理由かとおもってはいますが。
 いずれにしましても、それほどまでには真剣にはなれないといった印象があります。

・日本が豊かになったこと。

・革マル派や、連合赤軍による過激な内ゲバ事件。

・全学園闘争による挫折からきた、諦観。
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この回答へのお礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 ▼ 機関や団体の信頼度、トップは「自衛隊」、ワーストは「国会議員」 
   出典:中央調査社
 ☆ これは 或る意味でおもしろいですね。

 信頼度の高い順に:
 ○ 自衛隊 > 医療機関 > 裁判官 > 銀行 > 教師 > 警察 > 大企業 > マスコミ > 官僚 > 国会議員

 そうして
 ▼ ~~~~
 「国民にもっと信頼されるよう努力してほしいと思う日本の機関や団体」を3つまで挙げてもらったところ、最も多かったのは「国会議員」で86.2%と断トツ・・・

 2位以下は「官僚」が54.7%、「警察」が42.3%、「マスコミ・報道機関」が25.9%、「教師」が22.2%で続いた。
 ~~~~~~

 ☆ 教師は地に落とされた感じがありますが 白い巨塔が昔の話としますと 裁判官は検察が文書偽造するのですから こまったものです。警察も不祥事だらけでしたし。

 ★ このため、以下にもありますが、スウェーデンのような福祉社会は絶対に来ないと考えられます。

 ☆ 決して嫌味ではなく 批判するためにでもなく やはりきびしいと思った点です。
 ▲ (スウェーデンレポート - スウェーデンで見た「福祉国家」の実態〔2011年6月13日公開〕)  ~~~~~~~
 § 徹底監視社会スウェーデン

 スウェーデンで凄まじいのは税金の「取り立て」の方法です。これには本当に驚かされました。納税は国民の義務とは言え、前出の会計士曰く「ここまでやるか!」というほどの徹底した取り組みです。

 まず、スウェーデンには、1947年に施行された「国民総背番号制」があります。
 子供の出生に伴い、病院から番号を管轄する国税庁(税務署)に情報が行きます。その後、住民登録と合わせて、国税庁から親に10桁の個人番号が伝えられます。

 以後、「生活のすべて」が税務署に把握されるのです。税務をはじめ行政手続はもちろん、銀行での口座開設・取引など、個人番号が必要です。そして、この個人番号の情報を企業は購入して、様々なマーケティングに活用していると聞きました。
 ・・・・
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ 共通番号制は 始めるとか言っていますが。



 ★ では、平屋の住民ですが・・・ですが、今日では、理由の程は定かではありませんが、諦めムードの観は否めません。
 ☆ ここ(OKWAVE)もそのようです。

お礼日時:2013/06/17 23:41

こんばんわ、ぶらじゅろんぬさん。




おいらはこの質問に回答するほどのオツムも言語力もないので
黙ってる予定だったんですが、
さきほど「にーさん」とあれこれしゃべってましてね、
やっぱ投稿することにしました。


関係ないかもだけど、おいらが気になっているのは、
スウェーデンの高税高福祉システムは
どのようにして出来上がったのか、とか、

あとは、う~ん、人が生まれつき「平等」でないのは当たり前
なので「平等」にはこだわらなくていいんぢゃないかなあ、
ということ、とか、

もちろん政治家や天皇サマに意見するには
それなりの地位や立場や肩書きが必要かもしれないけれど、
教育委員会と話し合いをするぐらいなら
おいらにもできるよ、誰にでもできるよ、
オツムの出来具合も財産も平等ではないけれど、
できることをできるだけできる(←日本語合ってるか?)
という時点で対等なんぢゃないの?ってこととか。






おいらは、全ての人間が、モノゴトを考えることができ
ユニーク(唯一)あるいはオリジナルな意見を言うことができ、
どれだけでも話し合いができると思うんですわ。

ただ、先日の橋下氏の魔女裁判のごとく、
メディアに煽られて国民がみんな同じような調子で
「お前が悪い」と言って、ワルモノを作り上げては叩く、

こんなことしかできなくなってるんぢゃないか、
と思うんですね、つまり、
ひとりひとりが「自分の意見」というものを
持たなくなっているってことなんぢゃないかと思うんですねー。


ところで先ほどしゃべっていた「にーさん」というのが
昔からとても謙虚な方でしてね、
相変わらず謙虚ですねとか言いながら思いついたんですが、


「(2階の)慢心」と
「(1階の)無関心」が

一番の問題なのではないかしら。



___________




ああそれからいくつか気になったキーワードがあったので。
ちょっと反抗的になっちゃうかもだけど反応してみます。
哲学ぢゃなくて心理学になっちゃうかもだけどとりあえず。


「集団思考」って、いいところもあるけれど、
たいていどっちに転んでも危険かなあと思ふ。

ケネディーは「キューバ危機」を救ったけれど、
その前年「カストロ」に仕掛けたのは惨敗だった。
その「カストロ」の計画を決定したのは
ケネディー本人と優秀なブレーン。

なぜ惨敗したかを指摘したのが
エール大学の心理学者ジャニス。
集団思考の結果ではないか、と。

◇1.優れた頭脳と団結力を持ったメンバーが集まると
楽観論が生じ安い。
◇2.団結力が強いがゆえに、
その場の雰囲気を否定することができにくい。
◇3.危険性が高くても大きな成果が期待できる
という結論に達しやすい(リスキーシフト)。
◇4.反対に、大きな成果よりも
確実性を求める結論に達する場合もある
(コーシャスシフト)。

___________




どっちにしても悲劇だなあ。
おいらはやっぱり個人個人が意見を言える&聴ける
という状況を、個人個人が作って行かないとなあ、
と思います。
そりゃ、個人個人バラバラだから意見もバラバラ、
けどそれでいいんぢゃないかと思うんですよ、

日曜日はAさんの意見を採用しました、
月曜日はZさんの意見を採用しました、
火曜日はIさんの意見を採用しました、

そんな感じで「常時、話し合いで決める」なら、
2階建て(?)という必要悪(?)もいらないんぢゃ?

と能天気に考えちゃいました。

___________

あと、日本人ってムラで話し合うの得意でしょう?
日本国内のムラに限らず、

例えば日本のトヨタムラとアメリカの小麦ムラと
タイランドの漁業ムラと中東の石油ムラと、

いっそのこと他にも世界のムラと一緒に
大きなひとつのムラを作って話し合いをする、

というのが日本人にはできるんぢゃないかな。

ずいぶんしゃべりすぎてしまいました。
例によってちっともまとまってないけど、えいっ。


                                                   
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この回答へのお礼

 にゅうとらるさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 日本は 中福祉中負担で行こうとしていると思います。

 スヱーデンのこと じつはあまり知らない。ごめん。


 話をする・対話を持つことは 理論上 まったく自由だと思います。
 事実上 社会的な力学としての地位身分がないとむつかしいのでしょうが。


 ★ ~~~~~
 「(2階の)慢心」と
 「(1階の)無関心」が

 一番の問題なのではないかしら。
 ~~~~~~~
 ☆ お二階さんは 年金制度が崩壊しているなどの点から もう大きい顔は出来なくなっているかと思ってはいるのですが。
 一階市民の態度は よく知るとかなり複雑なようですね。
 まづ声を出すようになって来ている。出さないひともいるだろうけれど ブログやらSNSやらで声を出すことは出す。
 ただし どうも肝心の問題については 掘り下げて考えたり意見を言ったりはあまりしない。マスゴミの論調に乗るか それはさすがやめてしかもその論調に反発するようなほうの意見に乗るか それとも無難な内容の見解を出しておしまいとするか。こういった姿勢や行動しか取れない。――もしこうだとするなら
 ★ 無関心
 ☆ とあまり変わらない。かと思われます。



 ★ ~~~~
 「集団思考」って、いいところもあるけれど、
 たいていどっちに転んでも危険かなあと思ふ。
 ~~~~~~
 ☆ これは ブレーンを集団としてかかえているということを言うのですか?
 つまり いわゆる集団主義や集団志向ではなく ですね。
 
 うーん。だとしたら 
 ★ 集団思考の結果
 ☆ というのは そのブレーンの頭脳や考え(集団としての結論)に従うというのではなく それをもくつがえすことのある判断としてやはり大統領ならそれとして トップやボスが最終的には問題〔の鍵を握る存在〕になるのではないですかねぇ。ブレーンたちの意見にいつも従うとは限らないように思うのですが。

 つまりは ブレーンたちだけの思考としては そこに指摘された傾向がみられる。ということであるように思いましたが。



 ★ ~~~~~
 おいらはやっぱり個人個人が意見を言える&聴ける
 という状況を、個人個人が作って行かないとなあ、
 と思います。
 ~~~~~~~ 
 ☆ ムラ(市町村)のレベルでではないかと思いました。
 ★ ~~~~
 そんな感じで「常時、話し合いで決める」なら、
 2階建て(?)という必要悪(?)もいらないんぢゃ?
 ~~~~~


 あっ 次のくだりにありました。
 ★ ~~~~~
 あと、日本人ってムラで話し合うの得意でしょう?
 日本国内のムラに限らず、

 例えば日本のトヨタムラとアメリカの小麦ムラと
 タイランドの漁業ムラと中東の石油ムラと、

 いっそのこと他にも世界のムラと一緒に
 大きなひとつのムラを作って話し合いをする、

 というのが日本人にはできるんぢゃないかな。
 ~~~~~~~
 ☆ ええ。そういったプランを思っています。日本人なら出来る。のではないか。と。
 それには むしろ《神》の問題で世界の人びとがそれぞれ独善的にならないようにしなければいけない。それには これも日本人がその音頭取りにふさわしい。一神教ヰルスから自由であるから。・・・
 こんなことを――まだ単純な展望としてなのですが――思っています。
 その出発点での互いの議論 のようなことをどしどし提出しあっておくとよいと思ってのことです。

お礼日時:2013/06/15 23:23

 こんばんは




> 外国に攻められたり占領されたりせず 明治を迎えたのが日本人のユニークさの源泉
  (《日本人のユニークさ――グレゴリー・クラーク氏に聞く》 『日本人と日本文化』所収 日鐵商事(株)経営企画室編著 1985)
↓ ↓ ↓

 ご紹介いただきまして、どうもありがとうございました。
 

> ▼ 人間関係がイデオロギーや原理原則に優先するのは日本だけ
 ☆ だと言います。
↓ ↓ ↓

 確かにそう思います。
 例えば、わたくしが高校生の頃、「ビール一杯飲まないか?」と言われたことがありますが(もちろん、相手は未成年だと知りつつです)、これは日本だけの話のようです。他の国ではルール・法に抵触する者には厳しいですから。


> ▼ 私(クラーク氏)は日本を《人間関係社会》 日本以外の国を《原則関係社会》といって区別しています
    <中略>
 ~~~~~~~~~
 ☆ そしてこの日本人の特徴は どの民族どの国でも初めは同じであったと言います。その意味で普遍性を持つ特徴であると。
 つまりそれが 世界中で日本だけがそのナラワシを残しているのだとしたら それはどういうことか?
 それが単純に見て 《外国に攻められたり占領されたりせず》に近代という時代を迎えたからだと言います。
 自分たちのアイデンティティーを《場における人間関係》によって確かめるかたちを保存しえた。それにくらべてほかの国々は 別のアイデンティティーを持った国や人びととの接触を持ったときには ほとんど戦争というかたちであった。ゆえに よくもわるくも 自分たちの一体感を持ち得るためには 原理原則といった普遍性のほうに求めるようになったのだと。
↓ ↓ ↓

 なるほど、確かにそう思われます。そもそも、他民族(本当のところは不明ですが、一応、日本人は単一民族となっていますので)との接触は、島国ということもあり、他国に比し、接触する機会が少なかったことも一因かもしれません。


> これを見ておきまして:
 ★ ~~~~~~
 ☆ すなわち単純に言って 《人間関係社会》は 戦前からむろんまだなお よきにつけ悪しきにつけ 存続している。《原理原則》で動くようにはまだなっていない。こう見れば 分かりやすいかと これまた単純ですが 思いました。
↓ ↓ ↓

 わたくしもそう考えます。
 ”契約法”は”ザル法”だとこの国では言われていますし・・・法律やルールといったもの、さらにはイデオロギーといったものよりも、”慣習”に重きを置くのもそうした理由からかもしれませんん。


> たとえば ユニクロの場合。利潤追求つまり効率と合理化の追求は 言ってみれば原理原則の追究なのですが 一方で会社や職場といった場を同じくする者たちの連帯感を絶やさないかたちでそれにうったえ 他方では資本の自己増殖という論理を追求するという。このとき 資本の論理が 行き過ぎだと受け取られた・つまりその反応は 労働環境・労働条件の面で現われた。
 けれども職場にあっては 場を同じくし同じ目的の仕事に従事する人間関係社会は 強固にはたらいていて その職場内外での話し合いや理論武装が まだまだすすめられずじまいとなっている。
↓ ↓ ↓

 思うのですが、《原則関係社会》に移行する是非はともかく、仮に移行するとしましても、相当な時間を要すると思われます。これを急ぎ足で進めてしまったため、非難を浴びてしまった観もあります。
 元来、日本ではジェネラリスト養成に重きを置いてきました。このため、社内では通じても、他社では通用しないという側面もありました。つまり、(グローバル的)”資格”等は従来重要視されなかった訳であります。ですが、まだまだ雇用の流動化も旧態以前でありますが、再就職をするには、非常に不都合なシステムとなっている状況にあります。
 極論を言いますと、2、3社がこのような動向に出たとしましても、その他の企業は旧態状況のままですから、雇用の流動化はまだまだ困難かと思われます。


> 広く社会一般の見地から音頭取りをする政治も いまだしの感があり これを社会の問題として取り上げるはずのマスゴミも 眠っている。それどころか 広告費の恩恵を受けているなら 積極的にだまっている。
↓ ↓ ↓

 そうですよね。議論を持ち出すということ自体、マスゴミごときには到底不可能なことかと思います。
 やはり、民主主義手続きを経るなりして、一度議論をするしか他に方法は限られると思われます。


> セーフティネットを設けるのもいいですし、何らかの国民生活の(経済的)安定を切に願っております。
 ~~~~~~~
☆ といった方向においてさらに考え合って行くことくらいなのですが 出来ることとしては。というような現状ですよね。
↓ ↓ ↓

 誠に遺憾ではございますが、ですが、いつかは問題点が顕在化・露見してくるものと思っています。

参考:
http://jmcasemi.jp/column/article.php?CONTENT_ID … 
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この回答へのお礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 ★ ~~~~
  思うのですが、《原則関係社会》に移行する是非はともかく、仮に移行するとしましても、相当な時間を要すると思われます。これを急ぎ足で進めてしまったため、非難を浴びてしまった観もあります。

 元来、日本ではジェネラリスト養成に重きを置いてきました。このため、社内では通じても、他社では通用しないという側面もありました。つまり、(グローバル的)”資格”等は従来重要視されなかった訳であります。

 ですが、まだまだ雇用の流動化も旧態以前でありますが、再就職をするには、非常に不都合なシステムとなっている状況にあります。

 極論を言いますと、2、3社がこのような動向に出たとしましても、その他の企業は旧態状況のままですから、雇用の流動化はまだまだ困難かと思われます。
 ~~~~~~
 ☆ 《原理原則》が アマテラス普遍語(科学語および人格語)だとすれば 自由であやまちうるスサノヲ人間語との関係具合いを 《わたし》という実存が 自分の内でどのようにとらえ考えて行動するか。になるとは思われますが なかなかむつかしいのかも知れません。



 ★ 誠に遺憾ではございますが、ですが、いつかは問題点が顕在化・露見してくるものと思っています。
 ☆ ネットをつうじて多くの人が発言するようになって来ていますが スサノヲ人間語のうちのさらにホンネをどう扱って アマテラス普遍語をまじえたかたちにおいて 自己表現する。こういう実存の仕方を おのおのが開発し さらにみんなで考えを突き合わせつつ話し合って行くこと。

 顕在化した問題点についても 取り扱って行けるなら よいのだと思いました。

 今回は このように感じました。

お礼日時:2013/06/14 06:28

 こんばんは にゃんこ です




> わたしは 精神論に落ち入った感がありましょうか。
 ただ いままでのやり方において もっとしっかりせよと言っているのではないことで模索して行きたいとは思っています。
↓↓↓

 いえいえ。勝手にわたくしの方からデシャバッテいるだけですから・・・


> パイの奪い合いをゆづり合いという方針で分かち合う。そのための方策をみんなで考えて行く。これだけなのですが 方向転換ができればよいと考えます。
↓↓↓

 はい。そのようにわたくしも願っております。


> ★ ~~~~~
 > スサノヲ庶民のゆづりあう精神 その精神の基にハンニバルの不屈の精神を取り戻したいと思います。(ハンニバルは破れましたが)。つらすぎますかねぇ。
 ↓↓↓
 不可能ではないと思います。この機会にでも、特に若者達の不退転の決意なりを見せてもらいたいと願っています。
 ~~~~~~~
 ☆ という声を明かしていただきました。
↓↓↓

 ご賛同いただきまして、感謝申し上げます。


> ★ ヴォーゲル氏によれば、会社・自分の属しているグループに、忠誠心を持って働くことができるのは、日本人だけなのだそうです(他の国々は厳格な契約のもとに労働するのだそうです)。
 ☆ この見解は いろんな検証が必要かも分かりませんが おそらくこの日本人のあいだにおける協働作業のあり方をめぐる特殊性は じつは人間のあいだにおける普遍性であるかも知れません。
↓↓↓

 おおよそ、一般論としまして、多少の例外はあるかもしれませんが、普遍的なものかもしれません。ただ、偶然日本人が特に目立った、だけなのかもしれません。


> ★ ~~~~~
 城 繁幸著「たった1%の賃下げが99%を幸せにする」
 既得権を持っている人々に、ほんの少しの賃下げを受け容れてもらえれば、または、極わずかな譲歩を認めてもらえれば、社会の安定や各種制度の保全につながり、長期的に見れば皆の利益に繋がることを主張していました。
 ~~~~~~~
☆ 終身雇用制を外して働く人びとが分かち合う(あるいはつまりその外にいる非正規社員らに分かち与える)という場合と 終身雇用の仕組みを保ってみんなが減給しつつ 競争力を持たせる場合とだと思います。
↓↓↓

 まず、わたくしの主張には、以下のものがありました。
 つまり、前史=戦前の労働(基準)、というものであります。もちろん、戦前のものを全て否定するつもりはないのですが、“終身雇用制”、“年功序列”、さらには“労働争議”は全て戦後のものであります。
 戦前では、財閥の力は非常に強かったため、例えば、社長といえども、コンビニの店長+αぐらいの権限しかありませんでした。もちろん、そのような状況下では、“終身雇用制”はありませんでした。また、労働三権が与えられたのも戦後のことでした(実際は戦前でも争議はあったようですが、法律として明文化された権利として付与されたのは戦後の話であります)。
 それでどうなったのか? なのですが、昭和一桁台には、貧富の格差が拡大しました。例えば、地方では、娘売りも多発しましたし、中傷企業の倒産は相次ぎました。しかし、財閥だけはドル買占め等で大儲けをしていたわけです。もちろん、当時も資本主義社会でしたから、利潤追求自体は決して悪いものではなかったはずです。ですが、政友会にお金を渡していた三井財閥理事長の団琢磨は暗殺され(昭和7年3月5日)、その約2ヶ月後には三井から資金援助を受けていた当時の首相犬飼もが暗殺されました(“5・15事件”です)。
 さらに驚くべきことに、彼らの死に対して、国民は非常に冷たかったといわれています。たとえば、首相が暗殺されたにも関わらず、国民からはなんと助命嘆願運動が起こりました(計117万通といわれています)。これは、当時の経済政策がうまく進んでいなかったこと、さらには政治腐敗が原因かと考えられています。この結果、青年将校らは減刑されました(普通ならば、当時の慣習からしますと“極刑”だったはずです)。
 つまり、今日の労働条件は、”前史”とは変わりなく、進歩したように見えるだけで実際は何の進歩もしていない、むしろ逆戻りではないのか? という主張であります。

参考
http://kenuchka.paslog.jp/article/1668734.html 

 また一方では、昨今の“ネトウヨ”のような、“右翼化現象”が生じています。
 つまり、まとめさせていただきますと、今日の“グローバル化”、“リーダーシップ”なるものが叫ばれていますが、これらは、逆に“戦前(前史)”に逆戻りしただけではないのか? という危惧感がわたくしの中にはありました。


> ★ 政治が音頭をとる以外に方策は、限られるとおもいます。確かに・・・
 ☆ そして そのことをも妨害する従来のマスゴミではないあたらしいメディアが必要となるかも分かりません。
↓↓↓

 そうですね、ユニクロは強力なスポンサーのため、すぐには難しいかと思いますが、そのうち生まれてくると予想しています(景気の安定化および円安になれば、おそらくユニクロは減益になるでしょうから)。


> ほかでもあまりしゃれた応答が出て来なくなっています。
 仕事とそれによる生活ないし人生の安定を第一に図ること。を基礎としたいと思っています。たとえ終身雇用制を取り外してもだと思います。
↓↓↓

 セーフティネットを設けるのもいいですし、何らかの国民生活の(経済的)安定を切に願っております。
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この回答へのお礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 初めにこんど読んだG.クラークの日本人論を引き合いに出してみます。

 ▼ 外国に攻められたり占領されたりせず 明治を迎えたのが日本人のユニークさの源泉
  (《日本人のユニークさ――グレゴリー・クラーク氏に聞く》 『日本人と日本文化』所収 日鐵商事(株)経営企画室編著 1985)
 ☆ と見て

 ▼ 人間関係がイデオロギーや原理原則に優先するのは日本だけ
 ☆ だと言います。

 ▼ 私(クラーク氏)は日本を《人間関係社会》 日本以外の国を《原則関係社会》といって区別しています
 ▼ ~~~~~
 【クラーク】 組織やグループをつくる場合 日本人はメンバー同士が同じ場所にいないとうまくいきません。もちろん 全国的な規模で強い結束力をもった組織もありますが 大部分は場所を基盤として形成されています。日本人はお互いに接触し 心のふれあいを感じるようでないと 連帯感が生まれてこないのですね。
 しかし 日本以外の国では場所は関係ありません。労働組合がそのよい例で 日本は企業別組合 欧米は職業別全国組織でしょう。
 【質問者】 離れていて 直接の接触がなくても 組織やグループをつくることができるのですね。
 【クラーク】 そうです。ただし 《資格》が同じであるということが条件ですが。・・・一例をあげれば イデオロギーとか 宗教とか 職業とかですね。・・・階級とか。・・・
 【質問者】 日本では連帯感を《場》で感じ 日本以外の国は《資格》で感じるということですね。
 【クラーク】その通りです。・・・
  ただ・・・ある目的のために同じ行動をしていることが重要なのです。・・・同じマンションに住んでいてもそれだけではぜんぜん連帯感が生まれないでしょう。ですから 私は《場の社会》とは言わず 《人間関係社会》といっているのです。
 ~~~~~~~~~
 ☆ そしてこの日本人の特徴は どの民族どの国でも初めは同じであったと言います。その意味で普遍性を持つ特徴であると。
 つまりそれが 世界中で日本だけがそのナラワシを残しているのだとしたら それはどういうことか?

 それが単純に見て 《外国に攻められたり占領されたりせず》に近代という時代を迎えたからだと言います。
 自分たちのアイデンティティーを《場における人間関係》によって確かめるかたちを保存しえた。それにくらべてほかの国々は 別のアイデンティティーを持った国や人びととの接触を持ったときには ほとんど戦争というかたちであった。ゆえに よくもわるくも 自分たちの一体感を持ち得るためには 原理原則といった普遍性のほうに求めるようになったのだと。



 これを見ておきまして:
 ★ ~~~~~~
 まず、わたくしの主張には、以下のものがありました。
 つまり、前史=戦前の労働(基準)、というものであります。もちろん、戦前のものを全て否定するつもりはないのですが、“終身雇用制”、“年功序列”、さらには“労働争議”は全て戦後のものであります。
 ・・・(割愛しました)・・・
 つまり、今日の労働条件は、”前史”とは変わりなく、進歩したように見えるだけで実際は何の進歩もしていない、むしろ逆戻りではないのか? という主張であります。
 ~~~~~~~
 ☆ すなわち単純に言って 《人間関係社会》は 戦前からむろんまだなお よきにつけ悪しきにつけ 存続している。《原理原則》で動くようにはまだなっていない。こう見れば 分かりやすいかと これまた単純ですが 思いました。
 
 たとえば ユニクロの場合。利潤追求つまり効率と合理化の追求は 言ってみれば原理原則の追究なのですが 一方で会社や職場といった場を同じくする者たちの連帯感を絶やさないかたちでそれにうったえ 他方では資本の自己増殖という論理を追求するという。このとき 資本の論理が 行き過ぎだと受け取られた・つまりその反応は 労働環境・労働条件の面で現われた。

 けれども職場にあっては 場を同じくし同じ目的の仕事に従事する人間関係社会は 強固にはたらいていて その職場内外での話し合いや理論武装が まだまだすすめられずじまいとなっている。

 広く社会一般の見地から音頭取りをする政治も いまだしの感があり これを社会の問題として取り上げるはずのマスゴミも 眠っている。それどころか 広告費の恩恵を受けているなら 積極的にだまっている。


 このような問題が煮詰められずに
 ★ ~~~~~
 また一方では、昨今の“ネトウヨ”のような、“右翼化現象”が生じています。
 つまり、まとめさせていただきますと、今日の“グローバル化”、“リーダーシップ”なるものが叫ばれていますが、これらは、逆に“戦前(前史)”に逆戻りしただけではないのか? という危惧感がわたくしの中にはありました。
 ~~~~~~~



 ☆ いまは このここでの問い求めとして
 ★ ~~~~~
   > 仕事とそれによる生活ないし人生の安定を第一に図ること。を基礎としたいと思っています。たとえ終身雇用制を取り外してもだと思います。
  ↓↓↓

 セーフティネットを設けるのもいいですし、何らかの国民生活の(経済的)安定を切に願っております。
 ~~~~~~~
 ☆ といった方向においてさらに考え合って行くことくらいなのですが 出来ることとしては。というような現状ですよね。

お礼日時:2013/06/12 10:53

 こんばんは




> (1) 日本型経営の三点セットを維持するというとき 終身雇用制についておぎないます。
   ・ 長期にわたる生活の安定を図ることによって能力を自由にじゅうぶんに
    発揮することがかなうためである。
ひとつところにとどまることを嫌う場合 むろん 移動は自由である。
   ・ 転職の自由をうばうためのものではない。
言わば《一社懸命》の働き方と自由な移動のそれとは むろん対等である。
不動と移動との割り合いは ひとの性格によるであろうから 自然生成の
     過程として成る。
↓↓↓

 まとめていただきまして、どうもありがとうございました。あと一点追加させていただきたいのですが、会社はたとえ、その会社が気に食わなくとも、一生(定年までは)面倒は見てくれる。そして、生活の不安もないためローン等も組める。だったら、会社への忠誠心は芽生えてくる。
 これに対し、いつリストラに遭遇するかわからない状況では、ローンは組めない。また忠誠心なんて持つことができない、といった点も挙げられるかと思います。
 ヴォーゲル氏によれば、会社・自分の属しているグループに、忠誠心を持って働くことができるのは、日本人だけなのだそうです(他の国々は厳格な契約のもとに労働するのだそうです)。


> (2) ユニクロ社長の経営理念について考えます。
 ヰキぺによる問題の指摘から拾います。
 § 4 ユニクロへの批評
 § 4.3 労働環境 
 ▲ (ヰキぺ:管理職) ~~~~~~~~
 § 4 「名ばかり管理職」の問題

 『名ばかり管理職』は、十分な経験を積まないうちに「管理職」に就かされる。
<中略> 悪質な例となると、社員全員に肩書きを付けて「管理職扱い」にし、労働基準法の規制を不当に免れる例もある。
 それを悪用する企業が後を絶たない状況が続いている。
 ~~~~~~~~~~~~~~
↓↓↓

 一応、日本は法治主義国家であります。”労働基準法”に瑕疵があるとするならば、法改正すればいいわけですし、「法改正しない」というのならば、従うべきかと考えています。


>  ☆ すなわちその片寄りとしては 経営トップから全員残らず減給にすることをしていないということです。
 従業員を・そしてその内の一部分の者たちをはたらき過ぎにさせるためではなく――またそうであっては ふつうの方策にすらならない―― 新興国の安い商品に対抗するための施策だと見るべきだと考えます。
↓↓↓

 全てとは言い切れませんが、多くの、少なくとも利益をあげている企業ならば、問題はないと考えています。
 具体例を挙げさせていただきますと、城 繁幸著「たった1%の賃下げが99%を幸せにする」東洋経済新報社 にもありますが、

 今までの「年齢給・終身雇用」は高成長期にしか適用できない。としつつも、既得権を持っている人々に、ほんの少しの賃下げを受け容れてもらえれば、または、極わずかな譲歩を認めてもらえれば、社会の安定や各種制度の保全につながり、長期的に見れば皆の利益に繋がることを主張していました(デフレの原因、”デフレ・ギャップ説”、つまり、「総供給と総需要の差」との説に従えば、おそらく、ある程度安定した雇用制度の確保、ある程度の昇給がなければ、デフレはなくならないと考えています)。
  

> 言いかえるなら 競争力をつけるために考え出した労働条件であって これだけからは 準お二階さんなる経営陣によるハラスメントだとは見ないかたちでさらに改善策を考え話し合えるようにし練って行くのがよいと考えます。
↓↓↓

 まず、経営者(代表取締役)と一従業員との話し合いでは、圧倒的に従業員は不利な立場だからであります。経営者+弁護士、に対して、一従業員では太刀打ちできないでしょうから。


> これは 日本なら日本の・そしてその企業から働く人びとから家族の者までみんなの問題だと捉えなければ いい考えは出て来ないように思います。
 政治が音頭を取るべきだと思います。むろん誰からであっても よいアイディアを出してかまわないはずです。
↓↓↓

 政治が音頭をとる以外に方策は、限られるとおもいます。確かに・・・
 また、マスゴミがこの社会の歪みから最も大きな恩恵を受けているため、こんなまともな意見はなかなかメディアから聞くことはまず不可能でしょうから。


> (3) さらに柳井正について
 ☆ これは どうでしょう。当たっていたとしても 議論の問題点にはあまり成らないと考えます。
↓↓↓

 どうも失礼致しました。ごめんなさい。少々感情的になっていました。


> (あ) 新卒の新入社員が短期間で辞めてしまうという事例は 受け皿がなくても ないとは言えないと推測します。
 (い) そのようにせっかく自分がえらんで入った会社を何の経験にもならないかたちで辞めるという行動を取ってしまうと或る種の欠点 これは――そういう若いときの経験だと見るならば―― その人のその後の人生をすべて決定してしまうとするのは 狭い見方だと考えます。
↓↓↓

 「その後の人生をすべて決定してしまう」とは誇張が過ぎたかと思います。ですが、何の経験もない大学を出たばかりの新卒社員が、転職により給与があがることはないと思います。
 なお、新卒の新入社員が短期間で辞めてしまう理由としましては、


不況により企業が新規採用を厳選した結果、新入社員は一定の能力・専門性を持ち仕事に高い意識を持つ者が多くなった。これは、入社試験の厳しさから(今から20年前では考えられない程過酷であります)、新卒者は高い”能力・専門性”が求められると思ってしまったのでしょう。

しかし実際働いてみると、与えられる仕事は従来の年功序列型での新入社員に対するものと同様で、希望していた業務と実際の業務とのギャップが大きくなった。役職についた人物は当初思っていた高い”能力・専門性”を持った人物ではなく、単なる社内政治に没頭するひとたちであった。

若い世代は将来、(上の世代と同様の)高い賃金をもらう可能性が殆ど無いことに絶望。
さらに業務内容も、年功序列型企業では若手=下級にはやりがいの無いものが割り当てられてしまう(出世のレールは上でつかえている状況)。
 つまり、現在の日本企業で取り入れられている成果主義の多くは年功序列型の上にかぶせただけで、問題を解決していない。さらに申しますと、名ばかりの「成果主義」だったという訳なんです。

城著「若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来」光文社 から要約


> (う) もし狭い見方でなかったとしたら・つまりたとえば そのような性格ないし人生観であるから 従業員に(その幹部候補生などの一部に)過酷な労働条件を課すことをしたり あるいは 将来の展望として一般の従業員は 年収百万に向けて収斂するだろうと言ったりするのだ としたら:
↓↓↓

 はい。ファーストリテイリングのステイクホルダーと柳井氏、そして、一部の知識人かと思っています(確か、ユニクロには組合がなかったと記憶しています)。


> (え) 資本主義は・その欠陥は 資本家個人の責任には帰し得ないと考えます。つまり 柳井氏個人にも問い質すと同時に 社会がともに考え合って行かなくては何ごとも成し得ないと考えます。
↓↓↓

 その通りだと思います。


> (4) 《にんげん》の問題ではないか
 社会にわるいことがあれば 誰かひとりの人間にその責めを負わせるというマの違った思想 つまりそれとしてのにんげんの問題があると考えます。
↓↓↓

 この閉塞感に満ちた日本社会では、「スケープゴート」を作り出してしまいやすい傾向にあることは間違いないと思います。残念ではありますが。


> けれども
 ☆ というのであれば われらスサノヲ市民従業員の一人ひとりも そういったアマテラス族からの提案や施策の実施を打ち出されて 右往左往するような状態になるのなら もともと《和》の精神も 看板倒れにしか過ぎなかったのであろうし 《成果主義》なる思想を そもそも・もともと自分たちが持ってそのように生きていた。ということにほかなりません。
 こういう《にんげん》問題なのではないでしょうか。
↓↓↓

 これは難しい問題だと思います。

・「成果主義」に関して肯定的な新卒者が入社試験で高得点をとることによって、入社できた。

・「和」の精神と、今後の(将来の)家族のことを天秤にかけた場合、どちらを選択するのか。

 残念ながら、わたくしには答を持っておりません。


> スサノヲ庶民のゆづりあう精神 その精神の基にハンニバルの不屈の精神を取り戻したいと思います。(ハンニバルは破れましたが)。つらすぎますかねぇ。
↓↓↓

 不可能ではないと思います。この機会にでも、特に若者達の不退転の決意なりを見せてもらいたいと願っています。
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この回答へのお礼

 にゃんこさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 わたしは 精神論に落ち入った感がありましょうか。
 ただ いままでのやり方において もっとしっかりせよと言っているのではないことで模索して行きたいとは思っています。

 パイの奪い合いをゆづり合いという方針で分かち合う。そのための方策をみんなで考えて行く。これだけなのですが 方向転換ができればよいと考えます。

 ★ ~~~~~
   > スサノヲ庶民のゆづりあう精神 その精神の基にハンニバルの不屈の精神を取り戻したいと思います。(ハンニバルは破れましたが)。つらすぎますかねぇ。
 ↓↓↓

 不可能ではないと思います。この機会にでも、特に若者達の不退転の決意なりを見せてもらいたいと願っています。
 ~~~~~~~
 ☆ という声を明かしていただきました。

  

 ★ ヴォーゲル氏によれば、会社・自分の属しているグループに、忠誠心を持って働くことができるのは、日本人だけなのだそうです(他の国々は厳格な契約のもとに労働するのだそうです)。
 ☆ この見解は いろんな検証が必要かも分かりませんが おそらくこの日本人のあいだにおける協働作業のあり方をめぐる特殊性は じつは人間のあいだにおける普遍性であるかも知れません。



 日本型経営の三点セットもしくは終身雇用制について
 ★ ~~~~
 あと一点追加させていただきたいのですが、会社はたとえ、その会社が気に食わなくとも、一生(定年までは)面倒は見てくれる。そして、生活の不安もないためローン等も組める。だったら、会社への忠誠心は芽生えてくる。
 これに対し、いつリストラに遭遇するかわからない状況では、ローンは組めない。また忠誠心なんて持つことができない、といった点も挙げられるかと思います。
 ~~~~~~


 ★ ~~~~~
 城 繁幸著「たった1%の賃下げが99%を幸せにする」

 既得権を持っている人々に、ほんの少しの賃下げを受け容れてもらえれば、または、極わずかな譲歩を認めてもらえれば、社会の安定や各種制度の保全につながり、長期的に見れば皆の利益に繋がることを主張していました。
 ~~~~~~~
 ☆ 終身雇用制を外して働く人びとが分かち合う(あるいはつまりその外にいる非正規社員らに分かち与える)という場合と 終身雇用の仕組みを保ってみんなが減給しつつ 競争力を持たせる場合とだと思います。


 ★ 政治が音頭をとる以外に方策は、限られるとおもいます。確かに・・・
 ☆ そして そのことをも妨害する従来のマスゴミではないあたらしいメディアが必要となるかも分かりません。
 
 ★ ユニクロには組合がな〔い〕
 ☆ そうですから。




 ほかでもあまりしゃれた応答が出て来なくなっています。
 仕事とそれによる生活ないし人生の安定を第一に図ること。を基礎としたいと思っています。たとえ終身雇用制を取り外してもだと思います。

お礼日時:2013/06/09 08:08

 こんばんは にゃんこです。


 

> そうですね。何もかもはと単純に述べるなら 新興国群の台頭でしょうか。
 旧ソ連の崩壊による東欧等の そして中国の 資本主義化。低賃金での労働というあらたな条件がくわわった。
 これからもそうでしょうし その人口から言って半端ぢゃなかった。・・・
↓↓↓

 仰られますように、新興国が頭角をあらわしたため、必然的にデフレ化現象も生じたと思います。ただ、ここまでの長期に渡るデフレに陥ったのは日本だけだったかと思うのですが(これには政府の失策もありますが)。
 では将来、日本も景気回復し、さらに人件費の安い国々もいずれかはインフレが到来し、その結果日本並みの人件費になっていくものと思われます。ですが、そのようなときになっても、「終身雇用制」が主張されるかといいますと、おそらく「されない」と考えています。


> たとえば――例の《もし》ですけれど―― 三点セットの日本型経営を保ちつづけたとしたら どうでしょう。自分たちもみんなが給与を体系的にさげて 余剰人員も 失業保険に向かわせることなく 会社がそのまま抱え込みつづけて 死守しようとしたら どうでしょう。
↓↓↓

 国際競争力の低下をきたしたかもしれません。
 倒産の危機に瀕した場合は別の話しとなりますが、では、残った人、成功した人たちとはどういった人たちなのか? なんです。以下に柳内氏(ファーストリテイリング会長)の履歴を示しています。

 早稲田大学政治経済学部を卒業後、父親の勧めでジャスコ(現在のイオンリテール)に入社。ジャスコ四日市店で家庭雑貨売場を担当したが、働くのが嫌になり9ヶ月で退職、半年程友人の家に居候した後帰省して実家の小郡商事に入社。  <中略>
1984年(昭和59年)、父の後を受け小郡商事社長に就任。
柳内正
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E4%BA%95% …

 もし、一般人ならば、こんなことはできないと思います。たった9ヶ月で会社のことなんかわかるはずもありませんし、はっきり言いまして、自分専用の受け皿が用意されていたからできた芸当だと思います。

 そこで、「日本人が甘えていて「変わらなければ死ぬ、と社員にもいっている」」そうなのですが、「甘えている」と言う資格が柳内氏にあるかといわれますと、「ない」といえましょう(もちろん、柳内氏は経営能力を持っているでしょうが、やり直しができたというのは紛れもなく、お父君の七光りのおかげでしょうから)。


> ▲ (E.フォーゲル) もし日本が、おのれの過剰な自信を抑え、新しい世界のビジョンを受け入れるならば、
 ☆ 《過剰な自信》があったのですね。少なくとも周りからそう見られていた。
↓↓↓

 これは、おそらく日本人への“警告”だったと考えています。
 この著書を読んだライシャワー氏は、米国人に読ませるには価値があるかもしれないが、日本人に読ませるには問題があるかもしれない、と釘をさしたようですから。


> 集団志向は――集団主義と言うにしても―― けっきょく個人個人のチカラを自由に発揮することが出来るようにその環境をととのえるのであって・それによって会社全体としても発展することを目指すのであって 人びとを締めつけて働かせるためにあるのではない。
↓↓↓

 集団・グループといえども、個人の集まりであります。この意味においては個人の自由意志を重んじるのは、むしろ好ましい方向に向かうと思われます。
 そこで、「向上心がある人は、より自分を高めようと努力する」との希望から始まったのでしょうか、1990年代に成果主義なるものが導入されました。ですが、予想に反し、「失われた20年」といわれるように、実際は異なっていました。
 この結果、見えてきたのは、

・従業員の会社への信頼感・忠誠心が低下。
・従業員同士の足の引っ張り合い。

 でした。


> 三点セットがまるごとそのままでいいかどうかの議論の余地を残しつつも 生活の安定・しかも人生設計の出来る長い期間における安定が人びとのはたらくことの基盤であって これは 日本人にとって当たり前のことであるし 国家という二階建て構造の社会形態になる前から伝統であります。
↓↓↓

 ただ、皆様が仰っておられますように、この「安定」が特権階級にある“お二階様”のみの安定であればどうでしょうか。
 今では、平屋に住む人が上を見上げますと、“透明な天井”があるだけであります。“上に行けそうだけれども、その透明な天井で、大空を羽ばたくのを阻まれてしまう”、というのが現状だと思われます。


> 上からのしわざであったとしても 万葉集には 無名の者のうたったウタが数多く採り入れられています。
 日本書紀では――つまり国の正式の歴史書では――対手を次から次へと暗殺によって葬って行った雄略オホハツセワカタケルのことを《大悪天皇》と呼んでいます。自由度もしくは度量が見られました。
↓↓↓

 そうでございますね。
 また近年(1980年代後半)でも、携帯電話、ノートパソコン、デジタルカメラ・ビデオ始め幅広い電子・電気機器に搭載されるようになったリチウムイオン二次電池(LIB)も名もなき日本人によってなされました(名前を知っているひとはいるかもしれませんが少数だと思います)。
 では、これからも、このようなすぐれた発明がなされていくかと問われますと、大いに疑問であります。

 
> (α)主戦論および(ω)非戦論それぞれの形式に別れつつ自己形成してきたホモ・サピエンス・サピエンスは 言ってみれば互いの諍いにかかわるその潜在能力を全部出し切ったと言える地点に来るのではないか?
 前史を終えて後史に入ると見てよいのか?
 そう見るのが ふさわしいのかどうか?
↓↓↓

 益々保身に勤め、逆に攻撃を受けそうになれば、「最近の若者は甘えている」と逆ギレするだけかと思います。
 まだ、前史に戻ってしまったのではないか、との懸念があります。


> 日本人のよさに合った仕事のあり方や環境 あらたな世界の情況に日本人として対応するという進め方をも考慮してよいのではないか。
 もともと利益率は低いのですから 効率や合理化を推し進めればよいというのではないあたらしい方策があるのではないか。全員参加で 一人ひとりのチカラが発揮されうるように環境をととのえ仕組みを模索することのほかにないように思われます。
↓↓↓

 個人主義、一般には“成果主義”とよばれるものは、達成可能かどうか分からないもののリスク・責任までをも、末端の一従業員に被せる訳です。詰め腹を切らせられるのは、末端の従業員なわけであります。
 それのみならず、何分、一個人の成果が問われるわけですから、当然足の引っ張り合いが横行し、日本人が持っていた“和”の精神も消失してしまいました。何分、限られた“パイ”の奪いあいという状況ですから。
 もちろん、お二階様に取りましては、高みからの見物は面白いかもしれませんが・・・


> ★ 本当にこれらが日本が”ナンバーワン”になりえた理由なのかどうか、そして、その後の上記3点セットの放棄に至る経緯も含め、今後の展望を述べていきたいと思ってます。
 ☆ 先ほどの雄略とは別の雄大な展望になるかと期待しています。
↓↓↓

 すみません。何か愚痴っぽくなってしまいました。
 誠に申し訳ございませんでした。

 もう一度、この失敗の反省をすべきかと、そう考えています。
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この回答へのお礼

 にゃんこさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 (1) 日本型経営の三点セットを維持するというとき 終身雇用制についておぎないます。

   ・ 長期にわたる生活の安定を図ることによって能力を自由にじゅうぶんに
    発揮することがかなうためである。

   ・ ひとつところにとどまることを嫌う場合 むろん 移動は自由である。
   ・ 転職の自由をうばうためのものではない。

   ・ 言わば《一社懸命》の働き方と自由な移動のそれとは むろん対等である。

   ・ 不動と移動との割り合いは ひとの性格によるであろうから 自然生成の
     過程として成る。


 (2) ユニクロ社長の経営理念について考えます。
 
 ヰキぺによる問題の指摘から拾います。

 ▲ (ヰキぺ:ユニクロ) ~~~~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B% …

 § 4 ユニクロへの批評
 § 4.3 労働環境

 週刊東洋経済(2013年3月4日付け)・・・の記事によると、

  ユニクロでは社員の労働時間の上限を240時間と定め、
  サービス残業も禁じており、

  労働時間の上限を超えたりサービス残業を常態化すると降格や退職勧奨などの社内処分を行うとしている一方で、

  特に店長が店舗業務(現場業務・管理業務)がこなしきれないためにサービス残業を常態化させており、名ばかり管理職の疑いがあると報じている。
 ▲ (ヰキぺ:管理職) ~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E3%81%B0% …

 § 4 「名ばかり管理職」の問題
 『名ばかり管理職』は、十分な経験を積まないうちに「管理職」に就かされる。長時間労働、そして労働量に比べれば低い賃金(後述の店長職など)で企業に酷使されるこれらの「名ばかり管理職」には、体調を崩す者も相次いでいる。

 悪質な例となると、社員全員に肩書きを付けて「管理職扱い」にし、労働基準法の規制を不当に免れる例もある。
 このような「名ばかり管理職」は、残業手当が支払われないため、給与総額が役職無し社員よりも低くなることが多いという特徴があり、それを悪用する企業が後を絶たない状況が続いている。
 ~~~~~~~~~~~~~~

 これは 次の方策の――片寄ったかたちでの―― 一環であると見ます。
 ☆☆(No.7お礼欄) ~~~~
 三点セットの日本型経営を保ちつづけたとしたら・・・自分たちもみんなが給与を体系的にさげて 余剰人員も 失業保険に向かわせることなく 会社がそのまま抱え込みつづけて 死守しようとしたら どうでしょう。
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ すなわちその片寄りとしては 経営トップから全員残らず減給にすることをしていないということです。
 従業員を・そしてその内の一部分の者たちをはたらき過ぎにさせるためではなく――またそうであっては ふつうの方策にすらならない―― 新興国の安い商品に対抗するための施策だと見るべきだと考えます。

 言いかえるなら 競争力をつけるために考え出した労働条件であって これだけからは 準お二階さんなる経営陣によるハラスメントだとは見ないかたちでさらに改善策を考え話し合えるようにし練って行くのがよいと考えます。

 これは 日本なら日本の・そしてその企業から働く人びとから家族の者までみんなの問題だと捉えなければ いい考えは出て来ないように思います。
 政治が音頭を取るべきだと思います。むろん誰からであっても よいアイディアを出してかまわないはずです。


 (3) さらに柳井正について

 ★  もし、一般人ならば、こんなこと〔*つまり 大学新卒で就職したあと短期間でやめていること〕はできないと思います。たった9ヶ月で会社のことなんかわかるはずもありませんし、はっきり言いまして、自分専用の受け皿〔*つまり 父親の会社〕が用意されていたからできた芸当だと思います。
 ☆ これは どうでしょう。当たっていたとしても 議論の問題点にはあまり成らないと考えます。
 
 (あ) 新卒の新入社員が短期間で辞めてしまうという事例は 受け皿がなくても ないとは言えないと推測します。
 (い) そのようにせっかく自分がえらんで入った会社を何の経験にもならないかたちで辞めるという行動を取ってしまうと或る種の欠点 これは――そういう若いときの経験だと見るならば―― その人のその後の人生をすべて決定してしまうとするのは 狭い見方だと考えます。

 (う) もし狭い見方でなかったとしたら・つまりたとえば そのような性格ないし人生観であるから 従業員に(その幹部候補生などの一部に)過酷な労働条件を課すことをしたり あるいは 将来の展望として一般の従業員は 年収百万に向けて収斂するだろうと言ったりするのだ としたら:
   その場合は おそらくその思想をゆるすのは
  (i) 労働組合の側の思想とチカラの問題である。
  (ii) あるいは 株主の思想によっている。
  のだと考えられる。(ii)は 柳井氏じしんがそうだとすれば あとは
  (iii) 世論による。
  と思われます。

 (え) 資本主義は・その欠陥は 資本家個人の責任には帰し得ないと考えます。つまり 柳井氏個人にも問い質すと同時に 社会がともに考え合って行かなくては何ごとも成し得ないと考えます。


 (4) 《にんげん》の問題ではないか

 社会にわるいことがあれば 誰かひとりの人間にその責めを負わせるというマの違った思想 つまりそれとしてのにんげんの問題があると考えます。

 会社に問題が起きているとすれば すべてその代表取締役の責任だという見方に片寄る思想 としてのにんげんの問題があると考えます。

 そのような思潮の反動としてのごとく ゆるい相似形としてのごとく こんどはぎゃくに上のほうから:
 ★ 個人主義、一般には“成果主義”とよばれるものは、達成可能かどうか分からないもののリスク・責任までをも、末端の一従業員に被せる訳です。詰め腹を切らせられるのは、末端の従業員なわけであります。
 ☆ と見ることも――事実問題として――出来るかも知れません。


 けれども
 ★  それのみならず、何分、一個人の成果が問われるわけですから、当然足の引っ張り合いが横行し、日本人が持っていた“和”の精神も消失してしまいました。何分、限られた“パイ”の奪いあいという状況ですから。
 ☆ というのであれば われらスサノヲ市民従業員の一人ひとりも そういったアマテラス族からの提案や施策の実施を打ち出されて 右往左往するような状態になるのなら もともと《和》の精神も 看板倒れにしか過ぎなかったのであろうし 《成果主義》なる思想を そもそも・もともと自分たちが持ってそのように生きていた。ということにほかなりません。

 こういう《にんげん》問題なのではないでしょうか。


 ★ もちろん、お二階様に取りましては、高みからの見物は面白いかもしれませんが・・・
 ☆ という認識が せいぜいわれら自分たちの手に残ったものであるとするなら 
 ★☆ もう一度、この失敗の反省をすべきかと、そう考えています。



 ★ ~~~~~
  また近年(1980年代後半)でも、携帯電話、ノートパソコン、デジタルカメラ・ビデオ始め幅広い電子・電気機器に搭載されるようになったリチウムイオン二次電池(LIB)も名もなき日本人によってなされました(名前を知っているひとはいるかもしれませんが少数だと思います)。
 では、これからも、このようなすぐれた発明がなされていくかと問われますと、大いに疑問であります。
 ~~~~~~~
 ☆ この伝統とその共有とそれの強固な要塞化 でしょうか。必要なことは。自由な市民の自由な連帯。

 スサノヲ庶民のゆづりあう精神 その精神の基にハンニバルの不屈の精神を取り戻したいと思います。(ハンニバルは破れましたが)。つらすぎますかねぇ。

お礼日時:2013/06/07 11:05

おはようございます。





支配関係、身分関係、これは組織・社会を効率的に運営するために、自然発生的に──これが《人間前史》なのかどうか?──生まれてきたものでしょう。意見集約、組織の意思決定の迅速化、ということを考えると、これは必要悪ではないでしょうか。横並び、平等、これは結構なことなのですが、これでは社会を構成するすべての構成員から意見を汲み上げ、構成員すべてがみずから、その利害関係の調整などを行ない、社会・組織としての意志を決定しなければならない。効率の観点から、これは現実的ではないのではないと思います。
どうしても、議会、行政などの組織が必要になると思います。

問題は、権力や財産などの《世襲制》ですね~。

○世議員に代表される〔政治〕権力の世襲制、これは前近代の産物ですわね~。
にもかかわらず、日本やアメリカ(USA)などでは、子が親から、直接、選挙の基盤(親のネームバリューを含みます)を引き継ぐ。。。
これは問題ですね~。親は立派だったかもしれませんが、その立派さを子供が引き継いでいるかどうかは、極めて疑わしいですので。
せめて、公党───自民と民主党など───には、政治家の子供が親と同じ選挙区で立候補できないなどのシバリが必要になるのではないか。これだけでも、○世議員とその選挙民の意識が大きく変わる……。

最大の問題は、財産、つまり、家庭の経済事情ですよね~。
経済的に貧しい家庭に生まれた子供は、よりよい教育を受ける機会を奪われている。
そして、貧困が親から子へ、子から孫へと引き継がれてゆく。
これは、超~問題ですよね~。
人間は生まれながらに平等だと言いつつ、現実には、大きな格差がある。
自由社会の平等とは、結果の平等ではなく、機会の平等である、と言われますが、経済的な格差などが、貧しい人たちから、その機会を奪っている。
これは、是非とも、何とかしなければならない。
親から子への財産の移譲、相続などに、手を入れないといけない。
でも、生命・身体の自由とならび、財産の自由は、個人の自由に関わる。。。
ジレンマ、ジレンマ!!

ロールズの《格差原理》、つまり、〔経済的〕不平等は最も不利な状況(貧しい状況)の人たちの利益を最大化することをもってのみ正当化される、《正義》となる、って考え方を、もっと大胆に社会システム・福祉のなかに導入せねばならんのではないか。。。
つまり、金持ちからは、もっといっぱい税金を取って、現在、不利な状況におかれている人たちの福祉───このお金は、要らない道などを作るなどの公共事業に、ぜってぇ~使ってはなんねぇ~───に使う必要がある、と思いやす。
でなければ、全ては、絵空事で終わってしまう。。。
ですので、
《人間前史》を終えるためには、まず、
「生まれながらに発生する、こうした格差の是正するプログラムやシステムが必要になる」
と思いやす。

ネコとしては珍しく、今回は政治・経済的な発言をちょいとしてみました。

大体ですね~、億を超えるような財産を、親の死後にその子供が受け継ぐってのは、どう考えてもおかしい。親の生前に、その子供は、その恩恵は十分に得ていた。親が死してなお、その恩恵を受けるというのは、どうなんですかね~。これは、《正義・Justice》といえるんすかね~。
「その莫大な財産は、労働者から搾取したお金」とはまったく考えませんが、
その財産を稼いだヒトの財産とは、何らかの便益を社会に与え、それが社会の構成員から支持されて、その便益供与の代価として社会から与えられたもの。あの世にお金を持っていけるわけではなし、死後、社会にその富を還元する、返すってのは、それほど理に適っていない話ではない。そして、そのお金は、福祉のためにのみ使う。
これと言った財産を持っていない《眠り猫》は、かく考えます。
「子のために、あえて美田を買わず」なんて、言葉もあるようですし。。。




《格差原理》
────────────
…その著《正義論A Theory of Justice》(1971)において,功利主義に取って代わるべき実質的な社会正義原理を〈公正としての正義justice as fairness〉論として体系的に展開し,規範的正義論の復権をもたらした。平等な基本的自由を保障する原理の優先が強調され,最も不利な状況にある人々の利益の最大化のための社会経済的不平等が正当化されるとする〈格差原理〉が提唱されているところに,その正義原理の内容的特徴がみられる。〈原初状態〉という仮説的状況で自由・平等な道徳的人格者たちが全員一致で合意するものとしてこのような正義原理が導出・正当化されるという,社会契約説的構成がとられており,このような方法論は,自律性と定言命法に関するカントの考え方を手続的に解釈した〈カント的構成主義〉と名づけられている。…
────────────
「コトバンク」より引用。
http://kotobank.jp/word/%E6%A0%BC%E5%B7%AE%E5%8E …
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この回答へのお礼

 ねむりねこさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。


 そうですね。この問いとして第二セッションになります。

 日本人がもっと自分たちの生活態度としてのよさを自覚するべきだという点がくわわっています。われわれは 日本人論が好きな割りには よさの自覚には《控え目》です。

 哲学においてさえも 徹底的に最後までは議論をしないという中途半端やあいまいさが その反面であたかも控え目の精神の裏側であるかのように よわいところであるように思います。

 具体的にはさまざまな主題や問題が引き出されて来ると思いますが そういった側面をにらみながら 《前史の終わり方・終え方》について問い求めます。

       *

 ◇ 支配関係、身分関係・・・は・・・自然発生的に生まれて来たもので・・・必要悪ではないでしょうか。
 ☆ 対話の原則の違反で失礼な引用の仕方をしましたが たぶん《悪》だとしても それは ユヅリアヒにおける《縁側》のようなアソビ(ゆとり)として受け容れられるものと思われます。特に《自然発生》の側面としてだと思います。

 したがって
 ◇ どうしても、議会、行政などの組織が必要になると思います。
 ☆ このムラ(市町村)の立法機関や行政府は 市民政府として自生するものと思われます。
 言いかえると そこから・そのムラの次元を一階として さらに第二階を形成して二階建ての社会形態に成って行った場合には どこまでが自然発生に成るものか 考えて行くことになるかと思います。

     *

 ◇ 問題は、権力や財産などの《世襲制》ですね~。
 ☆ たぶん ムラ次元の《権力》であれば たとえ一世代や二世代が世襲したとしても ムラびとの総意において容易にその制度化は阻まれるものと思います。

 《財産》は むつかしいですね。世襲つまり相続の問題より前に その働きぶりの問題があって 甲斐性というような言い方をするならば これは 確かに人間を《ひとり》なる存在として捉えており その個体としてのいわゆる所有がみとめられて行くことになります。

 もっとも のどが渇いたムラびとが 畑のスイカを失敬して食べたとしても それは泥棒には当たらないといったナラワシは じゅうぶんにあったと考えられたりもします。
 サモワでしたかは いまでも よその家のモノを――自転車だとか電気製品だとかを――無断で拝借しても それは生活の共同体として当たり前のことであるというふうなことをテレビの番組で紹介していましたが。

 穫り入れのときに初穂を神々にささげるというのは 《所有》論において どこまで有効な主題となるか。どういうふうにその理論に組み込めるか。
 消費者や地域住民に企業の成果をどこまでどのように還元しうるか。
 あるいは というよりもその前に 会社はそもそも従業員社会として従業員と向き合ってどこまで共生としての思想(生活態度)において 生きているか。会社が生きているか。

 これからの課題であるかと思います。
 (ねむりねこにゃあさんと同じような名の にゃん_にゃんこさんがこれに取り組んで行かれるとか たのしみです)。


      *

 ◇ ○世議員に代表される〔政治〕権力の世襲制、これは前近代の産物ですわね~。
 ☆ 世襲制は 何よりもかによりも《国民統合の象徴》なる家が 血筋の問題として建てられていますから。
 あるいはそれでも アマテラス公民圏とよぶべき第二階の住民となった面々が その真似をしないですすむことが出来るとよいのですが。
 
 万世一系は――男系か否かを別として――誰でもそのように生まれて来ているのですから その血筋の問題が社会の役割りをになう職務にかんして当てはめられ例外的に相続するようにと定めておくのも 世界における事実問題において 王制の名残りとして《必要悪》と言えばそうなのかも知れません。

 言いかえると 民主制にのっとって話し合いでその去就は決められるのでしょう。変更するのなら 《名誉革命》がいちばんなのでしょう。

 
 とは言っても 世襲議員の問題は むしろ選挙民の問題であるかも知れません。落とせばよいのですから。あるいは利害関係にかかわるようなシガラミが強く根を張ったように受け継がれているのでしょうか。


      *

 ◇ ~~~~
 最大の問題は、財産、つまり、家庭の経済事情ですよね~。
 経済的に貧しい家庭に生まれた子供は、よりよい教育を受ける機会を奪われている。
 そして、貧困が親から子へ、子から孫へと引き継がれてゆく。
 これは、超~問題ですよね~。
 ~~~~~~
 ☆ 同感です。昔は貧困家庭の優秀な子や苦学生を応援する人も思想もナラワシも じゅうぶんにあったはずです。人間が劣化してしまったのでしょうか。



 ◇ つまり、金持ちからは、もっといっぱい税金を取って、現在、不利な状況におかれている人たちの福祉───このお金は、要らない道などを作るなどの公共事業に、ぜってぇ~使ってはなんねぇ~───に使う必要がある、と思いやす。
 ☆ またもむかしはですが 累進課税は 所得税が最高で七割ほどだったとか。住民税を合わせて 九割くらいは――それでも収入のではなく課税所得のですが―― 持って行かれていた。

 日本人は劣化してしまったのでしょうか。


 ◇ ~~~~
 ですので、
 《人間前史》を終えるためには、まず、
 「生まれながらに発生する、こうした格差の是正するプログラムやシステムが必要になる」
 と思いやす。
 ~~~~~~
 ☆ これが 通奏低音としてつねにささやかれ続けることを欲します。政策化もむろんですが。



     *

 ◇ ~~~~~~~
 大体ですね~、億を超えるような財産を、親の死後にその子供が受け継ぐってのは、どう考えてもおかしい。親の生前に、その子供は、その恩恵は十分に得ていた。親が死してなお、その恩恵を受けるというのは、どうなんですかね~。これは、《正義・Justice》といえるんすかね~。
 「その莫大な財産は、労働者から搾取したお金」とはまったく考えませんが、
 その財産を稼いだヒトの財産とは、何らかの便益を社会に与え、それが社会の構成員から支持されて、その便益供与の代価として社会から与えられたもの。あの世にお金を持っていけるわけではなし、死後、社会にその富を還元する、返すってのは、それほど理に適っていない話ではない。そして、そのお金は、福祉のためにのみ使う。
 ~~~~~~~~
 ☆ いつも思うのですが たぶん――皮肉でも何でもなくて いつもそのときの思惟に限界があると自分で思うことですが―― 《正義》やあるいは《権利・義務》といったバタ臭い概念とその発想からわれわれは抜け出せ得ないでいる。のではないでしょうか。

 【Q:権利と義務という次元を掘り下げることはできないか? (もののあはれ)】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5949269.html

 この質問では 《無根拠》を持ち出していますが なおまだ課題だと思います。


 そうして松下幸之助は 《財産は 死んだあとあの世にも持って行きたい》と言ったとか言わなかったとか言いますが 《所有とは何か》なる主題だと思います。


    *
 
 ○ 格差原理
 ☆ これは 考えてみれば 社会契約説に必ずしももとづかない《(ω)非戦論型》においては むしろほとんどその初めに初期条件として設定されていると思われます。つまり 《お山の大将》型人間を想定していると思われます。

 このヒトキワ目立ちたがるアマアガリ志向の人についても 或る程度は好きなようにさせその所を得させる社会(人間関係)の仕組みを人びとはこしらえている。

 (社会の神棚に祀るまでの処遇の仕方は けっきょく行き過ぎだったのでしょう。この《くにゆづり》の弊害は 教訓として行くべきでしょう。
 (ただし《(α)主戦論型》の社会においても その形態が二階建て構造なる国家として成ったというのは 人間の普遍的な習性にもとづくのでしょうか)。

 つまり《くにゆづり》にまで到った社会では 人びとの生活日常の思想として 格差原理を初めに織り込み済みである。とは見られまいか。


 言いかえると――推論を端折ってすっ飛びの議論になりますが―― ムラオサ(市町村長)としての〔スサノヲ市民政府としての〕アマテラス公民は 人びとの上に立つなどということは金輪際ごめんこうむるという人間に 当番として町内会の当番制としてのごとく 順番制だから おまえも今度はやってくれと言って成るようにするとよいかも知れません。

 この路線とそして《正義や権利義務》論にもとづこうとするかたちの
 ▲ 自律性と定言命法に関するカントの考え方を手続的に解釈した〈カント的構成主義〉
 ☆ なる路線との比較対照をなんとか掘り下げて行けませんでしょうか。

お礼日時:2013/06/05 10:44

 こんばんは




[国際化・脱工業化時代を迎える日本人への提言]

 私の見るとろ、世界のリーダーとしての役目を果たすのに、その国の政治機構や経済力からいって日本ほどふさわしい国はない。もし日本が、おのれの過剰な自信を抑え、新しい世界のビジョンを受け入れるならば、日本がネメシスの報いを受けることはないであろうし、人類全体にも大いなる貢献をするであろう。 
 日本の読者が、自らの成し遂げたすばらしい成果が単に経済の分野のみならず、政治、教育、社会のさまざまな面にわたることに気づかれると同時に、こうした新たな認識が過度なプライドにならずに、より大きな真の自信となり、国際政治において指導的役割を果たす結果を生むことを心から願っている。

E. ヴォーゲル著『ジャパン アズ ナンバーワン』TBSブリタニカ、1979年 帯裏より


日本型経営の成功の原因を、

1. 終身雇用制

2. 年功序列型賃金体系

3. 企業内労働組合

 の「3点セット」に求めました。


1. 終身雇用制
「これらの基幹産業は政府の強力なバックアップを受け、資金の調達もしやすく、安心して長期的な雇用の保証を与えることができた。こうして多くの投資をして養成した人間をずっとその企業に引き留め、習得した技術を十分に発揮できるように終身雇用制を採用したのである」

2. 年功序列型賃金体系
「日本の経営者は年功序列制のほうが西欧式経営法よりも優れていることを認識し、以後は独自の経営哲学の確立を目指すようになった」

3. 企業内労働組合
「企業側は自分たちの意向を反映した協力的な組合をつくりあげていくとともに、組合を経営のために積極的に活用しようとさえ考える。労働者の不満を解消して労働効率の上がるよりよい職場関係をつくるにはどうしたらよいかを、労働組合を通して探ろうとする。このように日本の多くの労働組合は企業側によってつくられた側面があり、したがって産業別組合の力は弱い」


 もちろん、これらは今日の日本では放棄されています。

 本当にこれらが日本が”ナンバーワン”になりえた理由なのかどうか、そして、その後の上記3点セットの放棄に至る経緯も含め、今後の展望を述べていきたいと思ってます。


 問題提起のみにて今回は終わりとさせていただきますが、次回からは、具体的に見ていきたいと考えています。
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この回答へのお礼

 にゃん_にゃんこさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。


 そうですね。何もかもはと単純に述べるなら 新興国群の台頭でしょうか。
 旧ソ連の崩壊による東欧等の そして中国の 資本主義化。低賃金での労働というあらたな条件がくわわった。
 これからもそうでしょうし その人口から言って半端ぢゃなかった。・・・


 たとえば――例の《もし》ですけれど―― 三点セットの日本型経営を保ちつづけたとしたら どうでしょう。自分たちもみんなが給与を体系的にさげて 余剰人員も 失業保険に向かわせることなく 会社がそのまま抱え込みつづけて 死守しようとしたら どうでしょう。
 
 そうせよとまでは言えないでしょうから それだけのこととしますが

 ▲ (E.フォーゲル) もし日本が、おのれの過剰な自信を抑え、新しい世界のビジョンを受け入れるならば、
 ☆ 《過剰な自信》があったのですね。少なくとも周りからそう見られていた。



 集団志向は――集団主義と言うにしても―― けっきょく個人個人のチカラを自由に発揮することが出来るようにその環境をととのえるのであって・それによって会社全体としても発展することを目指すのであって 人びとを締めつけて働かせるためにあるのではない。

 三点セットがまるごとそのままでいいかどうかの議論の余地を残しつつも 生活の安定・しかも人生設計の出来る長い期間における安定が人びとのはたらくことの基盤であって これは 日本人にとって当たり前のことであるし 国家という二階建て構造の社会形態になる前から伝統であります。
 
 上からのしわざであったとしても 万葉集には 無名の者のうたったウタが数多く採り入れられています。
 日本書紀では――つまり国の正式の歴史書では――対手を次から次へと暗殺によって葬って行った雄略オホハツセワカタケルのことを《大悪天皇》と呼んでいます。自由度もしくは度量が見られました。



 日本人のよさに合った仕事のあり方や環境 あらたな世界の情況に日本人として対応するという進め方をも考慮してよいのではないか。
 もともと利益率は低いのですから 効率や合理化を推し進めればよいというのではないあたらしい方策があるのではないか。全員参加で 一人ひとりのチカラが発揮されうるように環境をととのえ仕組みを模索することのほかにないように思われます。



 ★ 本当にこれらが日本が”ナンバーワン”になりえた理由なのかどうか、そして、その後の上記3点セットの放棄に至る経緯も含め、今後の展望を述べていきたいと思ってます。
 ☆ 先ほどの雄略とは別の雄大な展望になるかと期待しています。

お礼日時:2013/06/05 05:44

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