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先日から”利他性”について質問し、沢山のご回答を頂きました。
その回答の中に、ご存じbragellone様方から次のような親切な・丁重な・貴重な(私にとって珍しく)分りやすいご回答・ご忠告を賜り、自分の身を振り返っています。

<☆ たいへん言いにくいことですが:
★ 私は、”利他性”には<上から目線>を感じませんが。
☆ とおっしゃるのは 相手の思わくについて何も考えないだけなので
はないのですか?。>

<つねに 《だまって 多めの利益を取ってください》と言っているのと
同じ態度である・・・のではないですか?
わるぎがないとしても ただの押し付けであると考えます。独り相撲で
すよ。>と。

確かに、利他性のことを与える方と受け取る相手がいますね。
利他性は、状況・言葉:行為によっては、<わるぎがないとしても ただの押し付け>が発生しますね。(押し付ける方は認識しないとしても)

私のような処世に不器用な者は、<ただの押し付け>や<上から目線>として捕えられることもありがちな利他性の行為は、控えた方が無難でしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

助言的行為とともに、助力的行為(ボランティア的)にも言えることでしょう。


どちらにしても、その行為をした時点では、利他的であると証明されているわけでは
ありません。

行為の主体者では、善意が先立っているはずだと思いますが、その善意の裏に「自己
満足」という心が完全に勝っていることも十分にありうるというのが、人間の心の複
雑さだと思います。

深い思索と強い信念がなければ、結局これらの行為を継続的に続けることはできない
と思います。

どっちみち、長続きしないから心配する必要はないという言い方もできます。
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この回答へのお礼

再度のご解答ありがとうございます。
<その善意の裏に「自己
満足」という心が完全に勝っていることも十分にありうるというのが、人間の心の複
雑さだと思います。>
人間の心は複雑ですね。どれが自分の心なのかを知ることは、私には無理ですね。

お礼日時:2020/04/05 09:22

企業ですね。

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この回答へのお礼

ご尤もです。

お礼日時:2020/04/13 16:57

ひとことです。

余計なことかも知れませんが。

現場の・実地の・具体的な実践から切り離された哲学が どこに
ありましょう。
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この回答へのお礼

ご尤もです

お礼日時:2020/04/12 19:11

敢えて言わせてもらえば


「見る」と「観る」は違います
私が観察している範囲においては多くの人達発生物事を「見てる」であって「観てる」のでは無いのです
多くの人達は物事を意識して「見る」場合観測対象から得られるイメージに対する「思い」をそのイメージに乗せてしまうので物事を正しく捉えられないのです
物事を意識して「観る」場合には「意識」した上で「機械的」に観測し観測対象から得られイメージをそのまま受けとめられれるので物事をより正しく受けとめられます
ポイントは「機械的に観る事」です。
感情は勿論主観も排除する事です
因みに私は自己診断ですが「離人感」があるようなので「もう一人の自分」が感覚的に存在しています
「客観的・機械的」な処理は感覚的に「もう一人の自分」が行っています
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この回答へのお礼

度々のご回答ありがとうございます。
<「客観的・機械的」な処理は感覚的に「もう一人の自分」が行っています>ですね。かなり違うことですが、「もう一人の自分」から連想したことを書きます。肉食動物は顔の前方に(両脇でなく)ある複眼により、獲物までの距離を正確に知ることができるのですね(両方の目の映像が違うので)。一人ともう一人が違う処理を行っているのですね。

お礼日時:2020/04/12 19:04

物事を正しく捉えるときにも必要な項目です 


「物事を見ること」 
「自分自身をすている=客観的かつ機械的に捉える」
となりますから 
「存在性」の提唱者さんはこれが出来ないのです
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この回答へのお礼

度々のご回答ありがとうございます。
<物事を正しく捉える>のも大切ですね。対象はもとより自分自身も。

お礼日時:2020/04/05 17:51

「利他性」ということの哲学的なご質問かと思っていたのですが、どうもそうではなく、


例えば、「こういう考え方がいいのではないか?」とか、「あの人の言っていることはい
いと思うよ」とか、「こうしたほうがいいんじゃないか?」などの助言的、啓蒙的行為に
限定してのご質問だったようですね。

ならば、「利他性」という言葉は使わないほうがよかったと思います。全く普遍性のない
話だからです。

これも、助言的行為(言論)ですねw

今の時代、その関係性において、すんなり受け入れられるケースと、反発や憎しみすら与
えてしまうケースと二極化していると思います。経験上そう思います。

ですから、人に憎まれたり、嫌われたりする覚悟がないならば、お控えになったほうがい
いでしょうね。
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございます。
<人に憎まれたり、嫌われたりする覚悟がないならば、お控えになったほうがい
い>ですね。
覚悟という信条は乏しいです。

お礼日時:2020/04/05 09:12

普通に考えれば<男は家族のために働き、女も家族のために家事をする>という時代も在ったのでしょう



何方も利他性ですね 人間の基本単位である家族は利他性によって出来ています。

それから縁が遠くなるに従って関係がなくなっていたのが 近代、現代になって寄付や国連の活動等で

世界中に資本主義だけじゃない利他性が生じたので その資本主義の利己性とボランティアなどの利他性が

どうバランスを取っていくかが問題でしょうね。資本主義も利己、利他がありますが それが偏らないほうが良いと思います。
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この回答へのお礼

ご解答ありがとうございます。
<どうバランスを取っていくかが問題でしょうね> ご尤もです。

お礼日時:2020/04/05 09:08

お手伝いをさせてもらってよろしいですか? ・・・と声をかけ たずねて


みれば――相手の意志をとうとび たずねてみれば―― 問題ありません。

――と考えます。
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この回答へのお礼

御本人からご回答ありがとうございます。
不器用な私がお勧めのようにやっと喋ると、相手は「おまえは決闘に来たのか!」と身構えるでしょうね。

お礼日時:2020/04/05 09:07

大事なことが抜けてます


「人を見ること」
「自分自身を捨てること」
「踏まえるべきことをふまること」
です
利他的な行動してもその行動が「押し付け」や「上から目線」に思われるのは殆ど上記の3項目が欠けてるからです
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この回答へのお礼

早速にご回答ありがとうございます。
<「人を見ること」
「自分自身を捨てること」
「踏まえるべきことをふまること」>
私には難しくてまずできないことですね。利他性から退散したほうが気が楽ですね。

お礼日時:2020/04/05 09:02

ブラジェさんは、利他性の極限を問題点として挙げているのでしょう。

ブラジェさんは、私とのやり取りで、人のもうひとつの真逆の側面「利己性」を指摘してますよ。経済においては、アダム-スミスが指摘しているように、利己性=自己利益の最大化と利他性=消費者の利益を考えること、これら両側面あって、初めて市場経済が回ります。
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この回答へのお礼

ご解答ありがとうございます。
<利己性=自己利益の最大化と利他性=消費者の利益を考えること>について、<利益を考えること>は、誰が考えるのですか?

お礼日時:2020/04/12 19:11

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