
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
幕末期における伊藤博文の活動は目立ったものではありませんでした。
しかし、密航で得たイギリスでの見聞や実力者パークス駐日英国公使との知己関係のおかげで慶応4年(明治元年)1月の神戸事件解決に大功があり、その実績が買われれて5月に開港場神戸を擁する兵庫県知事に任命されました。それ以後の急速な栄進は、この抜擢が間違っていなかったことを示すものでしょう。伊藤自身は身分や家柄を尊重する門閥主義を排し、徹底的な適材適所の能力主義を唱えたことで旧体制側の非難を一身に浴びました。
大阪府の初代知事は、公家で倒幕への貢献が評価されました。他の知事も、藩閥関係者が多かったものの、旧大名が任命された例も少なくなく、必ずしも一定の基準はなかったようです。しかし、2代目、3代目の知事になると、官僚出身の実力者が起用されることが多くなったようです。
こういった事柄については、この春に刊行されたばかりの清水唯一朗『近代日本の官僚』(中公新書)が参考になると思います。
http://www.amazon.co.jp/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E6%97 …
この回答へのお礼
お礼日時:2013/06/17 20:27
ご回答ありがとうございます。
神戸事件を調べてみて、この事件の解決に伊藤博文の功績が大であったことを知りました。
密航の経験で英語が堪能であったことも幸いでした。
よく解りました。
No.2
- 回答日時:
知事(官選)
初代 伊藤博文(1868年5月23日 - 1869年4月10日)旧
三職
(1868年1月3日))の際に総裁・議定・参与の三職が設置された
1868年4月21日政体書に基づく太政官の復興で三職は廃止されたが参与は議政官上局の構成員として翌年5月まで存続した。
総裁(一名)
有栖川宮熾仁親王
議定(有力公家と有力大名)
長州藩
毛利元徳
参与
1867年12月王政復古の政変によって新設された三職の一つ
長州藩
伊藤博文、井上馨、木戸孝允、楫取素彦、広沢真臣
薩摩藩
井上石見、岩下方平、大久保利通、五代友厚、小松帯刀、西郷隆盛、寺島宗則、町田久成、吉井友実
1868年、1月参与職外国事務掛となる(同僚に町田友成、五代友厚、寺島宗則、伊藤博文、井上馨等)
====
兵庫県知事になる前の段階で、長州藩から選ばれた参与5名の中の一人になっています。
兵庫県は神戸を控えていたので「大物」で「外交」がわかる伊藤博文が任命された。
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