dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

抽象度の高い評論や随筆は、筆者が言葉を独自の意味付けにおいて用いたり、まどろっこしい表現を用いていることが多いと思います。その際記述答案をまとめるとき、よく「文章中の言葉を切り貼りして答えるのではなく、それらを言い換えるなどしてわかりやすく表現すること」と言われるのですが、限度が今ひとつ理解出来ません。
詳しく言い換えようとすると、一つのポイントでものすごく文字数を稼いでしまい、書かなければならないポイントを全て書けない場合もあります。
逆に文章中の言葉を切り貼りしすぎると、自分が作った答案が正しいのか間違っているのか判断できなくなってしまいます。
つまり、どのくらい言い換えればいいのか、どれくらい分かりやすく表現すればいいのかわからないのです。
そこをご助言していただければと思います。

それと、自分で考えた答案が相手の要求に合致しているのか検証する力は、どうやったら養えますか。

回答よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

要するに、他人の書いた文の意味解釈と自分の考えた意味表現が合致しているかどうかの問題です。



意味とは何か?意味とは、生物の植物や動物の分類の図を思い浮かべるだけで十分です。つまりカテゴリー化が相手から自分へ、自分から相手へとうまくそのカテゴリーを壊さずに伝わっているかということです。これは生物だけの問題ではなく、他の学問、すべてに当てはまることです。ここから比喩などの機能があるわけです。

意味が分からないということは、相手がどのようなカテゴリーで話しを述べているかの判断がつかないということです。相手にどのように伝えるべきか分からないということは自身のカテゴリーの構築ができていないということです。

しかしこのカテゴリーも永遠に固定されたものではなく、どんどん変わっていっているわけです。あなた自身もこれからの勉強次第で既成のカテゴリーをぶちこわす新たなカテゴリーを主張することも出来るわけです。

この意味づけの基礎にあるカテゴリーの解釈をどうすればいいか?読書量です。現在の自分の脳の中で構築されているさまざまなカテゴリーの数を増やすことです。そしてそのカテゴリ構築を邪魔しているあなたの脳の中ですでに構築されているカテゴリーを、再構築することです。よくデリダなどの哲学者が「脱構築」などと叫んでいますが、これが今述べたことなのです。

入試などの問題は、長い文章の中で抜粋された短い文章です。その文章全体を読めば抜粋された短い文章がカテゴリー全体の世界でどの位置にあるかということも分かりますが、何せ入試対策といって、問題集をたくさんやっても、やはりカテゴリー全体の世界の一部の世界である抜粋とにらめっこしているに過ぎないのです。

教科書でも模試でも入試問題でも、評論・随筆などでご自分の関心のある分野の書籍を一冊読んでみることですね。時間がかかると思いますが、一冊読破することです。一冊分のカテゴリーしかないと思ってはいけません。その一冊の中には他者のカテゴリーの世界がたくさん入っています。つまり意味というカテゴリーの世界がイモヅル式に現れてきます。そこでイモヅルがどこから来たか調べるのです。

現代文が出来る人というのは、ネットワークが蜘蛛の巣のように込み入って複雑に絡み合っておりまたその蜘蛛の巣の大きさ自体も、出来ない人に比べて大きいということです。

努力して下さい。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!