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http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/rekisipeji1.htm

上記サイトの問32の答えが「蘇我氏」となっていますが、
聖徳太子の側近といえば秦河勝のイメージが強いので
どうも釈然としません。
「秦氏」は別解として成り立たないでしょうか?

A 回答 (2件)

違うなぁ 蘇我氏を補佐したのが聖徳太子


とするのが正しい…実際は


秦氏は物部氏と同じく蘇我氏の権力の犠牲になった人です
確かに太子の近臣ではありましたが側近とまでは言えないでしょう
まぁ ただ秦氏が権力の座にあってもそれが蘇我氏として都合よく書き換えられてる可能性は否定しませんけど
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聖徳太子を「補佐した」というのがややこしいところですね。



聖徳太子が摂政に就任したことについては曽我氏の後押しと承認があったはずです。
何しろ曽我の馬子は崇峻天皇を暗殺し推古天皇を皇位につけたほどの権力者ですからね。

聖徳太子は馬子とあるときは対立しあるときは協力し
政治的な駆け引きをしながら政治を行ったのだろうと思います。

「補佐した」と言われるといかにも聖徳太子の政治をスムーズに遂行するために
力を尽くした感じがして、馬子のイメージとは合致しませんね。

確かに秦河勝なんか「補佐」という感じがします。

これは問題の出題者が悪いです。
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