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いつもお世話になっておりますが、今回もよろしくお願いします。
例えば、飛行機にエンジンが四基あるとします。そのうちの一基が故障してしまった場合、「エンジン一基を失った飛行機」と表現することがあります。ところでそれと同じ意味で「エンジン一基が失われた飛行機」という表現も存在します。つまり直前の助詞が異なるだけで「失った飛行機」と「失われた飛行機」は、能動態と受動態の違いがあるにもかかわらず、同じ意味をもつことになってしまいます。
さて質問ですが、「彼女を失いたくない」は「彼女が失われたくない」と書き換えても同じ意味になるのでしょうか。後者は非文のように思えますが、それは私の考えすぎでしょうか。
これらの根本的な違いは、名詞(最初の例文では「飛行機」)を修飾しているかどうかによって生ずるものなのでしょうか。外国人が書いた日本語を直してあげているうちに、すっかり混乱・迷走に陥って正常な思考が困難になっていますので、お伺いしております。
できましたら、文法理論に即してご説明いただければ幸いです。

A 回答 (14件中1~10件)

主語が違うんじゃないですか?



「飛行機」が「エンジン」を「失った」
「エンジン」が「失われた」「飛行機」

この回答への補足

No.3での「この回答への補足」にご回答いただけず、他の方からの回答も途絶えてしまいましたのでやむなく他のサイトにもお世話になった結果、No.3の回答内容と合わせて次のような結論に達しました。私としてはそれをベストアンサーだと思っていますので、回答者様には失礼な面があろうかとは存じますが後日このスレッドを見る方のためにあえて記させていただきます。参考にしていただければ幸いです。
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まず、「(エンジンを)失った飛行機」と「(エンジンが)失われた飛行機」は同じ意味になります。
飛行機にエンジンがない状態を表す文として、前者は飛行機から見てエンジンがなくなってしまった、後者はエンジンを中心に見て、そこにあるべき(動いているべき)なのになくなってしまった、ということです。

「エンジンを失った飛行機」の文における「飛行機」は、飛行機を連体修飾していることになります。
つまり、「エンジンを失った飛行機」自体が一つの主語になるのであって、「エンジンを失った」または「エンジンが失われた」というのは両方とも「飛行機」を修飾するものになります。「失った」と「失われた」の違いが生ずる理由は先に述べた通り、飛行機とエンジンのどちらを中心に見ているかの違いによるものです。

ここで考え方をシンプルにするために、主語を意識するとわかりやすいと思います。
>>エンジン一基を失った飛行機
>>エンジン一基が失われた飛行機

文型としては倒置のようになっていますが、どちらも主語は「飛行機」です。
英語的に言うと

・飛行機がエンジン一基を失った
・飛行機のエンジンが一基失われた(ちょっと悪文ですが)

ということで、どちらも意味の違いは出ません。「飛行機」が主体でエンジンは客体です。
しかし

>>私は彼女を失いたくない

の主語は「私」です。
これを受け身の文に書き換えても

・私は彼女が失われたくない
・彼女は私から失われたくない

とはなりません。日本語として成立しないということもありますが、元の文と意味が違ってしまうからです。

もし,受動態にするなら,「(○○が)彼女を失わされる」となるはずです。
また,唯一 「彼女が失われる」が成立するのは 自発 の場合ですが,仮にそうだとしても,今度は,それが「たい(たくない)」という 希望 の表現に接続することが問題になります。
自発 に 希望 が結び付くのはおかしいので,このような表現は成り立ちません。

したがって,結論として「彼女を失いたくない」は正しいが,「彼女が失われたくない」は誤りだということになります。

ただし、「私」を修飾する表現に置き換えると同じ意味になります。
「彼女を失いたくない私」
「彼女が失われたくない私」
私にとって、彼女がいなくなってほしくない、という意味ですね。

補足日時:2013/08/06 09:19
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
それについても一度は考えてみたんですが、その場合「エンジンを失った飛行機」の文における「飛行機」は何なのでしょうか。
まさか「飛行機がエンジンを失った飛行機」とは言わないでしょうし。

お礼日時:2013/07/07 09:42

#13です。



とりあえず無難なご判断だと思います。
お騒がせして失礼いたしました。
  
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
今回の「論争」をする過程で、私にもいい勉強になりました。

お礼日時:2013/07/15 17:37

#12です。



>また「わたしの愛車は、盗難によってエンジンを失った」とも表現します。要するに私の頭の中では、常に「失う=無くす」なのです。
これは私の感覚が、ずれているせいなのでしょうか。

これは感覚の違いと言われればそれまでなのですが、それ以前に、わたしの意図が伝わっていない可能性がありますので、さらに補足させていただきたいと思います。
まず、「わたしの愛車は、盗難によってエンジンを失った」という表現であれば、自然だとわたしは申し上げています。
なぜならば、「愛車の一部としてのエンジン」が失われた、という意図が、そこに含まれているからです。
この例を挙げさせていただいた最大の要点は、「失う」というのは、あくまで「自己の内なる他」が無くなるという状況に限って使える言葉ではないか、ということです。
「愛車=自己」「愛車の一部としてのエンジン=自己の内なる他」、
「会社の在庫品全て=自己」「会社の在庫品の一部としてのエンジン=自己の内なる他」という構図です。
「自己(たとえば、愛車)の一部」という要素を持たない、生産されたばかりの一部品にすぎないエンジンが倉庫から紛失したような場合、「エンジンを失った」とは言わないと思うのです。
「エンジンが無くなった」「エンジンが盗まれた」などと表現することでしょう。
「エンジンが失われた」「エンジンを失った」のように表現するのは、たとえば、「飛行機にとって必需品である部品の一部としてのエンジン」といったように、「全体を形成している一部としてのエンジン」というニュアンスが濃厚になると思います。

他の例を挙げてみます。
たとえば、「エンジンを無くした飛行機は次第に高度を下げ、やがて墜落した」
という表現も可能かもしれませんが、これは、エンジンと飛行機の関係について非常に無機質に捉えた表現であり、「飛行機にとって必須である、大切なエンジン」というニュアンスが殆んど存在していません。
「飛行に必須なものの一部としてのエンジン」をロストした、というニュアンスを伝えきれないため、読者には違和感を与えてしまうことでしょう。
たしかに意味は通じるのですが、
「エンジンを失った飛行機は次第に高度を下げ、やがて墜落した」 という表現と比較した場合、どちらが実情に即した表現となるでしょうか。
一心同体的な機能として備わっていたエンジンが飛行機から無くなった、というニュアンスを出したい場合、「失った」とするのが適切な表現になると思います。

もうひとつ、以下のような会話を想定してみます。
「こちらヒューストン!軌道がすれている!すぐに調整してください!」
「こちらアポロ○○号。不可能です。小惑星の衝突によりアンテナ回線を失いました」
これは自然に感じられるでしょう。
しかし、これが、
「こちらアポロ○○号。不可能です。小惑星の衝突によりアンテナ回線を無くしました」
であれば違和感を覚えられるのではないでしょうか。
(因みに、実際に軌道修正とアンテナ回線に関連があるのかという点については不明であり、あくまで架空の想定です)
「こちら飛行士の○○です。せっかく持ってきた彼女の写真を無くしました」という表現であれば自然になるでしょうが、この場合、「何かの一部としての[彼女の写真]」という要素が無いために、自然に成立する構文なわけです。
「アポロ○○号(という自己)の宇宙飛行に必須なものの一部として含まれているアンテナ回線」という意図の場合には、「失う」と表現するのが適切でしょう。

ただ、これらの例はあくまで、「自己完結型他動詞」の意味をご理解いただくために挙げたものです。
「失う」が、「(自己に含まれない)他」に働きかけるわけではない特殊な他動詞であること、すなわち、「(自己に含まれる)他」のみに働きかける特殊な他動詞であること、さえ伝わっているようでしたら、当初の意図はとりあえずご理解いただいたことになるかと存じます。
    
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この回答へのお礼

度重なるご回答、ありがとうございました。
言わんとする趣旨は伝わりました。今回の回答に限らず、確かに回答を読んだときは「なるほど」と思えているのですが、しばらく間をおいて読み直すと#12さんが難しく考えすぎているように思う私がそこにいる。そしてご指摘の例文を何度も「失う」と「無くす」を入れ替えながら読み直している、というのが正直なところです。だから今回も冷静に考え直すことができるよう、わざと時間を置いてからお礼しています。
そもそもこのようなことはこれまで教わったこともありませんし、このあたりのことは文法の問題ではなくて「作文力」とか「表現技法」の問題としてとらえていたような気がします。これを文法の問題として扱うならば、相当数の動詞がそれぞれの意味において「特殊な動詞」だらけになってしまいそうな気がします。少なくとも現時点では、そのような観点からも大多数の辞書に書いてある記述を尊重したいと思っています。

お礼日時:2013/07/15 08:23

#10です。



ただいま返信を拝見いたしました。
>> こうした意図が無い場合、たとえば、倉庫からエンジンが盗まれたような場合には、「エンジンが無くなった」と言うはずである
この部分を読んだ直後は「なるほど」とも思いましたが、よく考えると「盗難によってエンジンを失った」という表現も見覚えがあり、違和感がないように思えてしまいました。

この点に関しては、一応の自信がありますので、それに基づいて反論させていただきます。
この表現は、あくまで「(エンジンを含めた)一台の自動車」の存在を前提にしているはずです。
たとえば、「わたしの愛車は、盗難によってエンジンを失った」などというようなシチュエーションで使われるはずです。
部品として単独で倉庫に眠っていたエンジンを紛失したような場合には、「大事にしていたエンジンが無くなった」と言うように思います。
盗難に遭ったことが明白な場合には、「大事にしていたエンジンが盗難に遭った」などと表現するでしょうが、いずれにしても、部品として単独で倉庫に眠っているようなエンジンに対して、「エンジン(部品)を失った」という表現はおそらくしないような気がします。
あくまで何か(=代表的なものとして[車体])の一部として存在していたものが無くなった、という場合に「失われた」と表現するのでしょう。
「代表的なものとして」と注釈したのは、「[貴重品コレクション]の一部としてのエンジン」などというシチュエーションも想定できるだろうからです。
あるいは、「[会社の在庫品]の一部としてのエンジン」といった捉えかたが妥当な場合ですかね。
これらの場合は、たとえ単独で倉庫に眠っていたようなエンジンであっても「(コレクションから、あるいは、在庫品から、その一部であるエンジンが)失われた」という表現が不自然になることはないでしょう。
  
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
> いずれにしても、部品として単独で倉庫に眠っているようなエンジンに対して、「エンジン(部品)を失った」という表現はおそらくしないような気がします
私は「失った」とも表現します。また「わたしの愛車は、盗難によってエンジンを失った」とも表現します。要するに私の頭の中では、常に「失う=無くす」なのです。
これは私の感覚が、ずれているせいなのでしょうか。

お礼日時:2013/07/13 20:59

#10です。



個人的な感覚に終始して回答していると、自身の回答内容に何となく違和感を生じることが往々にしてあります。
今回の場合も、どうも気になって何度も読み返してみると、やはり、あちこちに矛盾が露呈しているようです。
お恥ずかしい限りですが、くどくなりますので、あえて弁解はやめておきます。
その代わりと言ってはなんですが、今までの思考過程に若干新しい視点を付け加えての回答を試みます。
参考になりそうな部分が多少でもあれば幸いです。

1.わたしは軍によって(この飛行機に)爆薬を積まれたくない。
2.わたしは販売員によって(この領収証に)金額を書かれたくない。
3.わたしは恋敵によって彼女を失われたくない。
という3つの文を考えてみました。
いずれも受動態の願望表現ですが、1と2は、
「軍が爆薬を積む」という行為の影響をわたしが受けることを望まない。
「販売員が金額を書く」という行為の影響をわたしが受けることを望まない。
ということで、他の能動的行為によって自分に発生する受動的作用を望まない、という構図になっています。
3の場合、「恋敵が彼女を失う」が能動的行為となります。
しかし、「失う」という言葉が自己完結的他動詞で、他に作用を及ぼすという要素に欠けるものであるため、「彼女=恋敵の彼女」という意味にならざるを得ません。
「わたしの彼女を恋敵が失う」という構文は不可能だ、ということです。
よって、3は、「恋敵が(恋敵自身の)彼女を失う」という行為の影響をわたしが受けることを望まない、という意味不明の文になってしまいます。
恋敵にとっての【他】である「わたしの彼女」に作用を及ぼすという意味を適用するためには、(自己完結型ではなく)本格的他動詞としての「奪う」などを使って、「わたしは恋敵によって彼女を奪われたくない」のように表現する必要があるでしょう。
混乱・迷走しつつ辿りついた結論ですが、もはや自信があるということは口が裂けても言えそうにありません。
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この回答へのお礼

真摯なるご考察、ありがとうございました。
しかしながら「行為の影響をわたしが受けることを望まない」に着目すると、負のスパイラルに陥ってしまうような気がします(このあたりをうまく説明できないのが残念ですが)。
「失う」「無くす」のいずれを使っても、わたしが受けることを望まない行為の表現は可能だと思います。これは私の感覚がずれているということなのでしょうか。

お礼日時:2013/07/13 20:30

#9です。



>せっかくの労苦を一瞬にして無にしてしまうようなことを申し上げるのも気が引けますが、

とんでもございません。
むしろ、回答者に対してこのように異議を申し立てるぐらいの気概がなくて、誠実なる質問者と言えるでしょうか。
礼儀とか規則とかにしばられて、本質を見極めようとする姿勢の希薄なるを憂う者のひとりとして、反論は大いに歓迎いたします。
また、それこそが回答者自信の勉強にもなるわけで、回答するのだから知識が豊富である、あるいは正しいことだけを言うはずだ、というのは全くの幻想にすぎないことを、このコミュニティに参加している人々は認識すべきですし、サポートの方針としても、いずれそのような方向に進化していくものと期待しています。

さて、「無くす」という言葉を例にあげたのは、「失う」と意味が似ていても、これは純粋な他動詞であると思ったからです。
「純粋な他動詞」と「自己完結型の他動詞」の違いを説明する好例と考えたわけです。
「昨日財布を無くした」とは言っても、「昨日、財布を失った」とはおそらく言わないように思います。
同様に、「長年築いてきた信頼を失った」のほうが、自らに引きつけた形での信頼という意味になるため、「長年築いてきた信頼を無くした」よりも重い意味を持つでしょう。
むろん、これは、あくまで個人的な感覚です。
辞書を見ても、両者の違いに殊更言及している箇所は発見できません。
ですから、上に挙げたような例において、「そんなことはない」と言われればそれまでです。
自慢じゃありませんが学問的根拠を示して反論することはできないからです。
素人であることを標榜するのは、たとえば、こうした局面における限界をあらかじめ想定してのものですし、個人的感覚を押し付けようとしているわけではないという意思の表明でもあるわけです。
それはさておき、お互いの意見の相違をぶつけ合うことによって切磋琢磨し、そこからよりすぐれた見解なり判断に辿りつくことが可能となるのが、こうしたサイトの長所であると私は認識しています。

>> 「信頼を失った」の場合は、「獲得して自分自身に所属していたところの信頼」を無くした、というニュアンスになると思います
 このように言うならば「信頼を無くした」も、「獲得して自分自身に所属していたところの信頼」を無くしたと言えるのではないでしょうか。

説明が下手なので、こうした疑問が湧くのはごもっともと思います。
まず、ご指摘の点に関する反論として、前回の説明に即して要点を2つにまとめてみます。
1.「失う」は、その動作を他に働きかけない、自己完結型の他動詞である。
2.このような自己完結型の他動詞を受動態にする場合、必然的に、自己の一部であるところの【自己の内なる他】を動詞の対象とすることになる。たとえば、
「飛行機がエンジンを失う」と言う場合、「(元々飛行機の一部であった)エンジンを(飛行機が)失う」という意図になる。
この場合、「エンジン」に関して、「推進力を生むものとしての一般的な(エンジン)」ではなく、あくまで「元々飛行機の一部であったところの(エンジン)」という意図が、話者にあると捉えるのが妥当だろう。
こうした意図が無い場合、たとえば、倉庫からエンジンが盗まれたような場合には、「エンジンが無くなった」と言うはずである。
このシチュエーションにおいては、必ずしも「飛行機の一部であった」という要素は不要だからである。
ここで「エンジンが失われた」と表現すれば違和感を与えることになるだろう。

こういったことを参照なさりながらお考えいただきたいのですが、「信頼を無くした」には「獲得して自分自身に所属していたところの信頼」を無くした、という意図は(基本的には)無い、とわたしは思います。
あくまで「いわゆる信頼というもの」を無くした、という意図でしょう。
逆に、「信頼を失った」は、あくまで「獲得して自分自身に所属していたところの信頼」を無くした、という意図に基づいた表現だと思います。
  
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この回答へのお礼

さらなるご回答、ありがとうございました。
昨夜からこの回答を読んで考えているうちに、私も混乱していました。
> こうした意図が無い場合、たとえば、倉庫からエンジンが盗まれたような場合には、「エンジンが無くなった」と言うはずである
この部分を読んだ直後は「なるほど」とも思いましたが、よく考えると「盗難によってエンジンを失った」という表現も見覚えがあり、違和感がないように思えてしまいました。そんなことを考えているうちに頭の整理がつかなくなり、お礼も遅くなってしまいました。
いま新しいご回答をいただきましたので、これからその内容も吟味拝見させていただくことにします。

お礼日時:2013/07/12 19:40

#8です。


どこの何とも知れぬ一素人のわがままにお付き合いいただき、まことにありがとうございます。

「主体を他に求めることによって成立している文に、話者自身の希望を組み込んでしまうため矛盾を孕んだ表現になってしまう」という結論に不備があるというか、正確には間違いである、と気づいたのは、「彼女を奪われたくない」という文が思い浮かんだからです。
このことから、「失う(失われる)」は不自然で、「奪う(奪われる)」が自然になる理由について考えてみました。
どちらも他動詞なのに・・・、というわけで改めて他動詞の定義をネット辞書で見てみると、
『その動詞の表す動作や作用が直接他に働きかけたり、他をつくり出したりする働きとして成り立つもの。動作・作用が及ぶ対象は、ふつう格助詞「を」で表される。「本を読む」「窓を開ける」の「読む」「開ける」などの類。』となっています。
これに対して自動詞は、
『動作主体の動作・作用が他に及ばないで、それ自身の働きとして述べられる動詞。「を」格の目的語をとることがない。「雨が降る」「花が咲く」の「降る」「咲く」などの類。』のような解説があります。

「奪う」の場合、「(銀行の)お金を奪う」などのように、「奪う」という動作が「銀行のお金」という【他】に働きかけているので他動詞であることは確かでしょう。
しかし、「失う」というのは、「元来自身に所属しているものが無い状態になる」という意味であると思います。
そうすると、【他】という要素がこの動詞には含まれていないことになります。
とはいえ、「(元々飛行機の一部であった)エンジンを失う」「(元々わたしの所有物であった)財布を失う」などのように、【自己の内なる他】とでもいうものに働きかけていると捉えることもできるでしょう。
その意味で、「花が咲く」「戸が開く」などと同列の自動詞というわけでもないはずです。
「奪う」は主体以外の対象に向けて働く動作ですが、「失う」は主体の一部を他とみなして、それに働きかける動作である、と言えるのかもしれません。
そこで、「失う」を勝手に「自己完結型の他動詞」とでも呼んでみます。
似たような言葉に「無くす」がありますが、これは自己完結型とは言えないように思います。
「信頼を無くした」という場合は、「いわゆる信頼というもの」を無くした、というニュアンスで、あくまで「自分の得ていた信頼」とは別物として捉えているでしょう。それに対して、
「信頼を失った」の場合は、「獲得して自分自身に所属していたところの信頼」を無くした、というニュアンスになると思います。
「自己完結型」というのは大体こういった意味になるということをお示しするために、若干横道に逸れました。

このように、「失う」が自己完結型他動詞であるという仮定が正しければ、すなわち、他動詞でありながら他に働きかけない動詞である、と言うことができるならば、
「彼女を失いたくない」は、「彼女を含んだ一心同体としての自分から、その一部としての彼女が無くなることを望まない」といった意図の文になると思います。
では、「彼女を失われたくない」はどうか。
これは、「彼女を含んだ一心同体としての自分から、その一部としての彼女が無くされることを望まない」といった意図の文になるでしょう。
ここで、「(自分は)彼女を(恋敵に)奪われたくない」という文と比較してみたいと思います。
この文では、「主体=自分」「作用を受ける対象=彼女」であり、受動態が自然に成立します。
しかし、「彼女を失われたくない」の場合、「主体=彼女を含んだ一心同体としての自分」「作用を受ける対象=一心同体としての自分の一部としての彼女」という内容で、受動態の主体も対象もともに、「一心同体の自分」に所属しているわけで、つまり、主体と対象が一部重複するために、明確な受動態が形成されづらい構図になっている(と考えます)。
これが非文の原因のように思います。
文法的な回答とはほど遠い感があるばかりか、独断的な推測に終始してしまい、ご迷惑をおかけしたかもしれません。
常に一定の自信を持って回答させていただいておりますが、学問的根拠が薄弱なため、確信を持つまでには至りません。
ご寛恕のほどをお願いいたします。
お気づきの点は、どうぞ遠慮なく突っ込んでやってください。
共に勉強させていただければ幸いに存知ます。
  
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この回答へのお礼

丁寧にお考えいただきまして、ありがとうございました。
せっかくの労苦を一瞬にして無にしてしまうようなことを申し上げるのも気が引けますが、気に障りましたらお許しください。
「奪う」のと「失う」の違いについては、ご指摘の通りだと思います。
ただし「失う」と「無くす」については、お言葉ではありますが、区別することはできないと思います。
> 「信頼を無くした」という場合は、「いわゆる信頼というもの」を無くした、というニュアンスで、あくまで「自分の得ていた信頼」とは別物として捉えているでしょう
 このように言うならば「信頼を失った」も、「いわゆる信頼というもの」を無くしたと考えることができると思います。また、
> 「信頼を失った」の場合は、「獲得して自分自身に所属していたところの信頼」を無くした、というニュアンスになると思います
 このように言うならば「信頼を無くした」も、「獲得して自分自身に所属していたところの信頼」を無くしたと言えるのではないでしょうか。
この点が私にはどうしても納得しかねるところですが、私の思慮不足なのでしょうか。他の方のご意見も歓迎いたします。

お礼日時:2013/07/11 19:08

#7です。



読み返していたのですが、まだ不備があるようです。
もう少し考えさせていただきたいと思います。
「主体を他に求めることによって成立している文に、話者自身の希望を組み込んでしまうため矛盾を孕んだ表現になってしまう」
という前回の結論は、一旦、保留にさせてください。
何度も申し訳ありません。
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この回答へのお礼

了解しました。前レスまでで結論が出たように思いましたので、そろそろ締め切ろうかと思っていたところでしたが、#7さんが納得のいく回答をあげるまでお待ちしております。いつもお世話になってばかりで、恐縮です。

お礼日時:2013/07/11 14:05

#6です。



>このような表現はいくらでもあるように思います。例えば「お金を失いたくない」「零点を取りたくない」とか。

言われてみればそのとおりでした。
希望の助動詞であることが非文の原因であるなら、「彼女を失いたくない」という表現もできないことになってしまうわけですから、全く的外れの説明でしたね。
なんとか、ご質問内容に対する直接的な解にしようとして、牽強付会的な内容になってしまったようで、お詫びしつつ取り消させていただきます。

では、「彼女が失われたくない」が非文である理由はなにか、再考してみました。
エンジンの例に関する#6の私見に則って、素直に考えるべきだったかもしれません。
以下に、その論理過程を述べます。
まず、この例になぞらえて「彼女が失われたわたし」のような文を想定すると、「彼女が失われた」のは「わたし」が動作主体となって起きた事柄ではありません。
あくまで、たとえば「火災」など、他の要因が動作の主体になります。
こうしたシチュエーションであれば、これは文として成立するでしょう。(むろん、「失ったわたし」とするほうが心理的にも自然で、すなわち使用頻度も高いわけですが)
ところが、このように【他の要因】が動作の主体となっているようなシチュエーションで、その動作に関連して「失われたくない」という【自らの希望的要素】を組み込んでしまうと矛盾が生じるため、不自然な文になってしまう。
「主体を他に求めることによって成立している文に、話者自身の希望を組み込んでしまうため矛盾を孕んだ表現になってしまう」
ということなのかもしれません。
  
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この回答へのお礼

再度のご回答、ありがとうございました。
おかげさまでこの表現の「秘密」がわかりました。またの際にも、よろしくお願い申し上げます。

お礼日時:2013/07/10 22:06

「エンジン一基を失った飛行機」で、「失う」の動作主体は飛行機です。


「エンジン一基が失われた飛行機」の場合、「エンジン一基が失われた」のは飛行機が動作主体となって起きた事柄ではありません。
あくまで、たとえば「火災」など、他の要因が動作の主体になります。
「エンジン一基が使えなくなった状態」を、飛行機を主体にして表現すれば前者になり、主体を他に求めれば後者、ということでしょう。
前者の場合、飛行機が主体となって「失う」という現象が起こった、という表現をしているわけで、擬人法になると思います。
後者は客観的であり、前者は主観的表現と言えるように思います。
「ライトアップした公園」「ライトアップされた公園」なども同様の構造でしょう。

「彼女が失われたくない」で、「たい」は話し手の希望を表わす助動詞ですから、一旦希望したにも拘わらず、すぐに「ない」と打ち消すのは不自然ということなのでしょう。
  
    
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この回答へのお礼

今回も真摯なご回答、ありがとうございました。
言われてみると、もっともな感じがします。
> 「彼女が失われたくない」で、「たい」は話し手の希望を表わす助動詞ですから、一旦希望したにも拘わらず、すぐに「ない」と打ち消すのは不自然ということなのでしょう
お言葉ではありますが、このような表現はいくらでもあるように思います。例えば「お金を失いたくない」「零点を取りたくない」とか。

お礼日時:2013/07/10 18:25

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