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…むしろ民主主義について我々が考えなければいけないのは、利益分配に基づかなくても済むような公平な意思決定のシステムがあり得るのかということなんです。 我々はいま選挙で代表者を選んで、代表者が国会で政策決定をするというかたちで意思決定を行っています。利益を分配することによって政治は支持を得てきたのに、(経済が縮小してパイが縮小しているために不利益分配の状況になっているので)それができなくなるわけですよね。むしろ「すみません、増税させてください」「すみません、給付を削減させてください」みたいなかたちでお願いしなければならない。利益分配に基づかない民主主義を構築できるのかということが時代的に試されているんです。…

という話を雑誌で読んで、なかなか興味深いと思いました。政治が利益分配なんて、理屈っぽい言い方をしなくてもそもそも当たり前のこと、だと思っていたのですが、その前提から考え直す、という視点が面白いと思いました。

しかし利益分配に基づかない意思決定なんて、今の政治状況、社会状況の延長線上にあり得ますかね?

SFみたいな思考実験としては面白いかもしれませんが、そんな意思決定システムなんて私にはとっさに思い付きません。

もしかしたらこの論者は東浩紀みたいな学者に影響されて、ツイッターで集約された意見がそのまま世の中を動かすようになる…みたいなイメージを持ってるのかもしれませんが…

どうでしょう?

利益分配に基づかない民主主義なんて、具体的に、何か考えられますかね?

A 回答 (3件)

選挙に絡まない質問なので、ネット工作員(笑)やらステマ回答者からの回答が、まったく無いようです。

(苦笑)

以上、前置き(※)ですが失礼しました。
(※もちろん、ネット工作員(笑)の方々への皮肉です)


さて本論に入りますが、民主主義はさておき、政治という枠組みそのものが利権分配を為すための仕組みではないかと、個人的には思っています。

過去20年間、日本は円ベースでほとんど成長できないままデフレ不況に苦しみましたが、その間の政治の移り変わりも、この利権分配がやはり根底にあるんでしょうね。

かつての小泉内閣も、増えない利益分配にいらだった有権者の怒りの声で誕生したようなものですし(そして、小泉さんが国民の怒りの声を背景にして、従来の旧田中派が支配していた数々の利権構造をぶち壊しました)、小泉さんが頑張って景気を幾分持ち直しましたが、結局リーマンショックでご破算になり、麻生政権が日本経済を必死になって支えましたが、国民には理解されずに、民主党政権の誕生となったわけです。

そして、国民が期待していた民主党が、やっぱり期待はずれだったと3年かけて国民に理解され(苦笑)、今のアベノミクスへと結びついています。


私も知る限りの、日本と諸外国の歴史を思い起こしましたが、利権分配を伴わない民主主義は未だ存在しないようです。
そりゃ、一部のよくできた人たちは、利権なんか追い求めない高潔な政治ができたでしょうが(個人的には、明治維新後の西郷隆盛がそれに近いと感じています)、そういう人たちはほんのごくわずかであり、残りの大多数は自分の生活が大事、少しまともな人は家族が大事という、凡夫・凡婦ばかりなのが実情です。

民主主義が最大多数の利益を追い求める以上、西郷隆盛のような清廉な人が目指す政治ではなく、凡夫・凡婦が望む方向に流れていくのは必然です。
未来のことはわかりませんが、過去と現在を見渡す限りでは、質問者氏が紹介したような内容の実現は存在しないと思われます。
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この回答へのお礼

こういう問いを立てるとそもそも論ばかり出てきてしまいますが、世の大多数は利益を追い求めたいから今、資本主義社会なんであって、世の中全員その清廉な人ばかりだったら、今の世の中は資本主義社会じゃないでしょうね。

というわけで資本主義社会の中の民主主義である以上、利益分配=政治の状況が自動的に続いていく…ということでしょうか。

ありがとうございました!

お礼日時:2013/10/15 00:15

大前提として、利益分配は「政府」の権能であって、「民主主義」の作用ではない、


ということを注意した方が良いのではないでしょうか。


どういうことかというと、利益分配による支持の獲得、というプロセス自体が
「民主主義」以外でも起こりうるのです。そもそも君主制や共和制、あるいは共産主義
といった、かつて存在し(そして完全に失敗した)意思決定システムであっても
発生しているのです。

民主主義ではなくとも利益分配による支持の獲得は存在する。
ですから、解決法として「民主主義」という意思決定システム自体を変革しても
問題は解決しない、ということになります。(利益分配による支持の獲得、は
民主主義に起因していないためです。)




では、「利益分配による支持の獲得」という行為は何故生じるか。
当然、利益を集約し、そして分配をする機構があるからです。
現代に生きる我々は、それを「政府」と呼んでいます。


つまり、問題の本質は利益分配に基づかない政府の実現は可能か?ということなのです。
これに関しては、現行の制度のままでも部分的には可能です。
簡単な話ではありますが、そもそも能力的に分配できる利益を制限してしまえばいいのです。


より具体的には減税や地方分権、小さな政府といった、よく耳にする政策がこれにあたるわけです。
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この回答へのお礼

そうですね、言葉の使い方がちょっと問題をブレさせてしまったかもしれません、すみません。

う~ん、利益が少なくなったら利益分配に基づかないかと言うと…だいぶ違うような気もしますが…だから部分的には可能だ、ということですか。

ありがとうございました!

お礼日時:2013/10/15 00:18

”利益分配に基づかない民主主義なんて、具体的に、何か考えられますかね”


    ↑
民主主義という概念を正確に把握する必要があります。
民主主義というのは、君主主義に対する概念で
国家は君主ではなく、国民が運営する、というものです。
従って、北朝鮮や中国も民主主義国家なのです。

我々は、民主主義というと日本や欧米のそれを
想定しますが、それは先進国の、欧米流の民主主義です。
社会主義も、国民が運営していればそれは民主主義です。
民主主義にも色々種類があるということなのです。
北や中国のような民主主義を集中民主主義といいます。
権力が一部に集中している、という意味です。
日本や欧米は、三権分立により、権力が分散されて
います。

又、国民代表という概念も実は難しいモノがあるのです。
国民とは何か。
現在する国民とする説と、過去現在未来を通じた観念的
国民、つまり歴史的意味の国民と解する説があります。
専門的になり、理解しづらいでしょうが、
後者に従えば、利益分配は必然ではありません。

代表という概念にも色々あります。
現在する国民とは乖離した代表というのもあります。
これを純粋代表概念といいます。
この代表観によれば、君主も代表になり得ます。
この代表観によれば、現在する国民の利益配分は
必ずしも要求されません。
そうではなく、現在する国民の代表だ、という意味に
とる人もいます。
これを半代表といいます。

以上から利益配分に基づかない民主主義はあり得ます。

日本などの民主国では、中国や北と異なり
選挙制度が保障されています。
そして、選挙民は公よりも己の利益を優先します。
その結果、利益配分がなされるだけで、民主主義の
論理必然という訳ではありません。
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