天使と悪魔選手権

現金いくら貰っても、投票したくない奴には絶対入れないだろうし・・・
立候補者が現金配ることで有権者が彼を選択するんなら、それは主権者の自由だと思います。それを法律で規制するのは、主権を侵害されているように思えてなりません。

そんなことを取り締まっている社会って、なんだか未熟な気がしてならないのですが、私がどこかズレているのでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

こんばんは!


どうなんでしょう~。
もしお金をばらまいてもOKってことになれば、
一体いくらずつ、どれだけの人に配るんでしょう。
1万、10万、100万、「いや自分は貰ってないから入れない」と脅す人も出てきたりして・・。

選挙に限りなくお金がいる事になりますよね。
ただでさえ選挙にはお金が掛かるのに。
結局お金のない人は立候補出来ないですよね。
皆、お金欲しさにしか投票に行かなくなるんじゃないでしょうか。
理想論かも知れませんが、そんなお金まみれの選挙でいいんでしょうか~。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有り難うございます。

お礼日時:2004/04/01 09:50

お金を貰っての投票行動は確かに貰った個人の問題です。


しかし、お金を貰ったからその人に入れる人の方が多いでしょう。
また、金はどこからでるのでしょうか?
献金で賄えるはずありません。当選した暁には利益誘導をして
ピンハネする政治家だからお金をばらまけるです。

結局は大量の赤字国債を乱発して、先進国の中で最悪の格付まで
落ちた日本国債・・・・

だれがそんな国にしたのでしょう?金権体質の政治家でしょうが!!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有り難うございます。
有権者に利益を(行政サービスから特定団体への利益誘導まで)もたらす候補者を選ぶものだと思います。
こんな国になったのは、ひとえに有権者の責任ではないでしょうか。

お礼日時:2004/04/01 09:38

私が思うに・・・


現金を貰ってしまったら立候補者がふさわしくないと思う人柄でも、
「その人が当選すればまた次の選挙のときもその人から
お金が貰えるかも」という期待感ができてしまうので
ついついその人に入れてしまうと思います。

特に無党派層の選挙を重要視してない人たちは
そう思うのではないのかしら?
選挙のたびにお小遣いが貰えるほうがうれしいって。

そしたら金持ちしか当選しない世の中になってしまう
可能性があると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有り難うございます。

お礼日時:2004/04/01 09:42

選挙での金銭の授受は、民主主義の存続の問題に関わってきます。

金銭的に裕福なもののみが、選挙で当選するという不具合が生じるおそれがあります。ですから、取り締まっているのです。民主主義は平等が原則ですから。投票するしないの問題ではなく、制度の根幹を揺るがすことになりかねないので、取り締まっているのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有り難うございます。
金権体質の政治家イコール金権体質の国民ということではないでしょうか?
有権者に利益を(行政サービスから特定団体への利益誘導まで)もたらす候補者を選ぶものだと思います。
問題は、有権者に権限を負託された当選者がどちらを向いて政治活動をするか、ということでしょうか。

お礼日時:2004/04/01 09:44

有権者に現金を渡すのは、その金により投票が左右されるので禁止されて当然でしよう。


金で票が帰るのなら、金持ちだけが当選できる事になってしまいます。

ただ、運動員などの労働者に給料として金を支払うのも禁止という法律は、ちょっと変だとは思いますけど。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有り難うございます。
有権者に利益を(行政サービスから特定団体への利益誘導まで)もたらす候補者を選ぶものだと思います。
問題は、有権者に権限を負託された当選者がどちらを向いて政治活動をするか、ということでしょうか。
取り締まらなければならないのだから、日本の民主主義もまだまだなんですね。

お礼日時:2004/04/01 09:47

国政は国民全体のためになされます。

県政は県民全体のためになされます。
しかし、例えば国会で議決されたことが、すべての国民に同じように利益
(経済的なものに限らず)をもたらすかと言えば、そんなケースは稀です。
一つの政策は、ある人々にとっては比較的有利であり、別の人々にとっては
比較的不利です。そうであったとしても、正式な手続きを経て決められた
法律(など)である以上、すべての人はそれに従わなくてはなりません。
誤解を恐れずに言うならば、政治とは「反対者を黙らせる手続き」のこと
なのです。このことは、社会が成熟しているかどうかというようなことには
あまり関係がありません。(むしろ成熟していない社会においてこそ、
「全体の利益」の名の下に反民主主義的な政策がとられたりします。)

手続きが完全であれば、反対者は黙らざるを得ません。しかし、わずかでも
瑕疵があれば、反対の声を上げることが可能になります。「この政策は無効だ」
と主張することが可能になるのです。これでは政治は麻痺します。

決定が全体の利益を考えてなされたという建前を通すことは、手続きを
完全ならしめるための基本です。一部の人に利益をもたらす決定であれば
なおのこと、それは重要なこととなります。もし、議員や首長の選出に
あたって金品の授受がなされていれば、決定の公平さが疑わしくなります。
実際に公平になされた判断であっても疑わしくなってしまうのです。

選挙にあたって金品の授受が禁止されているのは、選出された人々の決定に
対し異議を唱えさせないため、政治を麻痺させないために必要なことです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有り難うございます。
>政治とは「反対者を黙らせる手続き」のことなのです。

現在の民主政治って、そこで足踏みしている気がします。

一票の格差がせめてドイツなみになったら「手続きが完全」に近づくと思います。
金銭の授受があろうがなかろうが、有権者が強制されずに無記名投票で選んだ人々の決定に、異議を唱えるのは言語道断ですよね。
企業献金や政党助成金は、企業や納税者に利益をもたらすと信じます。でも、5万円くれた候補者には、それ以上の期待はしません。(ろくな奴じゃないと思うから)当然投票しないないんじゃないですか?

お礼日時:2004/04/02 02:18

>立候補者が現金配ることで有権者が彼を選択するんなら、それは主権者の自由だと思います。

それを法律で規制するのは、主権を侵害されているように思えてなりません。

候補者が自分の金を有権者に配って当選した場合、その候補者は、当選後そのお金を自分のために取り戻そうとするはずです。
その候補者は、当選後、自分の利益のために公務を行うおそれが高いということです(これは汚職です)。
この危険は見逃すことができません。
当然禁止されなければなりません。

>有権者に利益を(行政サービスから特定団体への利益誘導まで)もたらす候補者を選ぶものだと思います。

有権者の利益のために公務を行うことは、民主主義のルール上、正しいことです。
たとえそれが特定の集団に対する利益誘導であっても、法令上の手続きに従って行われる限り、(政治上はともかく、法的には)なんら問題ありません。

>そんなことを取り締まっている社会って、なんだか未熟な気がしてならないのですが

この感覚は、ある意味正しいと思います。
選挙時の買収を禁止することは絶対に必要ですが、そんな当たり前のことが厳しい取締りがないと実現できないというのは、民主主義が未熟な証拠です。

この回答への補足

日本のように与えられた民主主義とフランスのような勝ち取った民主主義の差は、埋まらないでしょうか・・・

補足日時:2004/04/02 03:18
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有り難うございます。
>当選後そのお金を自分のために取り戻そうとするはずです。

その可能性を含めて選択(投票)するのが民主主義社会においての主権者の つとめではないかと思います。

選挙時の買収だけを強く取り締まる現状に、システム化された権益を持つ者と新参者との差を感じずにはいられません。
与えられた民主主義と勝ち取った民主主義の差は、埋まらないでしょうか・・・

お礼日時:2004/04/02 02:42

そうでもないんだよなあ、


もらっちゃうと「入れないと悪いかなあ」という気持ちになるんだよなあ。
これでそういう法律がなくなったら、きっとその人に投票するだろうなあ。?
未熟っていうか、有権者の政治意識が未熟だから立候補者の倫理意識も未熟で、だから未熟な社会だから法律をつくって制御してるんじゃないの?


もらったことないの?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有り難うございます。

貰ったことは有りませんが、くれるんなら貰いたいと思います(笑)

お礼日時:2004/04/03 00:10

ズレてるとは思いませんよ。


切り口は賄賂ですが、成熟した社会では法律はいらないってことでしょ?

一般的に成熟した社会とは唯一絶対の価値観ではなく、
多様な価値観が存在しうる社会なんですが、
どんな価値観も認めろっていうのは無茶な話で、
民主主義では過半数の人が認めない価値観は
法律で制限されます。
全ての人が残りの半数にあたる価値観をひとつくらいは
持っているので、成熟した社会では、法律がすべてに立ちはだかるといわれます。

あなたが考える社会を理想の社会とすると、
その実現には二通りの方法があると思います。
ひとつはスェーデンが性教育に力をいれたことで
性風俗産業が衰退したように、
時間をかけて教育していく方法。

もうひとつは、あなたが仰るように、とりあえず
やっちゃえという方法。
今の投票率等を考えると現金配る候補者が当選
してしまうと思います。そうすると社会は混乱します。
そして、落ちるとこまで落ちて、やっと
現金配るような立候補者では駄目だと気づきます。
そうして、理想の社会が実現します。
しかし、また時間がたって経済が安定してくると
誰が当選しても同じだよと同じ事を繰り返します。

つまり、現在の社会は理想の社会を捨てる代わりに
混乱の社会も防ぐ為に法律で制限していると
考えられます。

そう考えると人間のいない自然界というのは
理想的でそれぞれの動植物が好き勝手に生きている
ようでいて、全体としてみると調和がとれています。
唯一人間だけが自然の摂理に反して生きています。
かといって人間が自然と調和していた
原始時代の社会の方が成熟しているとも思わないので
現在の社会が未熟ということもないんじゃないかな。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有り難うございます。
混乱を恐れて足踏みするよりも、思考錯誤しながらでも理想を追い求めたい・・・なんて思います。

その先に、自然に「生かされる」人間社会をイメージしたいですね。

お礼日時:2004/04/03 00:27

>思考錯誤しながらでも理想を追い求めたい・・・



少なくても私は混乱した社会を生きることになりますね。
それは嫌だな。
孫の代ぐらいで一時的に理想の社会が実現してるかも
しれませんが、人間が同じ過ちを繰り返すのは
歴史が証明してます。

あなたの理想郷では人間が同じ価値観を持つことになり
ロボットみたいになっちゃうんじゃないかな。
こんな質問をするあなたがいて、それに回答する
皆さんがいる。
私はいろんな価値観を持った人々が混在する
今が結構、好きですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

はい・・・
回答有り難うございます。

お礼日時:2004/04/04 00:59

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!