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1945年4月~5月、ソ連軍によるオーデル河渡河からベルリン包囲・ヒトラー自殺までの間の
ベルリン周辺で戦っていたドイツ軍部隊の指揮系統を教えてください。

東部戦線では北から順にマントイフェルの第3装甲軍、
シュタイナーのシュタイナー作戦集団、
ブッセの第9軍、
グレーザーの第4装甲軍、
西部戦線ではエルベ河東岸に布陣するヴェンクの第12軍、
さらにベルリンにはヴァイトリングのベルリン防衛軍が存在していたと思います。

このうち東部戦線の第3装甲軍、シュタイナー集団、第9軍は
ハインリーチのヴァイクセル軍集団の隷下にあり、
第4装甲軍はシェルナーの中央軍集団隷下にあったと思います。

では、エルベ河の第12軍とベルリン防衛軍の直上の上位司令部はどこなのでしょうか?
これらもヴァイクセル軍集団に属していたのでしょうか?
それとも、ベルリン防衛軍は陸軍総司令部の直轄部隊で、
第12軍はカイテル元帥がヴェンクに直接ベルリン救援を命令していたように、
西部戦線部隊を統括する国防軍最高司令部の直轄部隊だったのでしょうか?

A 回答 (1件)

■>ベルリン防衛軍の直上の上位司令部はどこなのでしょうか?



回答・・・確実な事が言えなくて申し訳ないのですが・・・

4月~5月より、ちょっと時間を遡るのですが、3月にベルリン防衛軍司令官にヘルムート・ライマン中将が就任します。その参謀レフィオール大佐が、OKHに「我々はOKHの指揮下に入るのか?」と尋ねると、
「OKHはただ東部戦線だけに責任を持っている。諸君はOKWの指揮下に入るのだ」と言われたので、OKWに行くと、
「なぜ我々のところにくるのかね。ベルリンは東を向いている。君達はOKHの管轄化だ」と言われたそうです。
そのため、ベルリン防衛軍司令部は途方にくれたとか。

もう一つ事態を複雑にさせたのはポール・ヨゼフ・ゲッペルス情報相で、この人はベルリン防衛総監でもあり、ライマン中将は彼の軍事顧問として役割も担う事になります。そのためライマン中将はOKW、OKH、ゲッペルス総監の誰からの命令を受けたらよいのか、よくわからない羽目に陥ります。

そして4月になりますが、ようやくベルリン防衛軍はハインリーチ元帥のヴァイクセル軍集団の指揮下に置かれます。
ベルリン防衛軍がヴァイクセル軍集団に属した日は書物により違うので正確なところはわかりませんが、4月20日にハインリーチ元帥にベルリン防衛軍が指揮下に入ったとの命令があり、すぐに彼はベルリン防衛軍のライマン中将に命令を出しています。

しかし、その2日後の4月22日の朝にライマン中将はヒトラーに更迭されその地位を失います。
後任はケーター大佐で、その日のうちに二階級特進して少将になりました。
しかし、その日の夜にはケーター少将はベルリン防衛軍司令官の職を解かれ、階級も大佐に戻されます。
このケーター大佐の話は、ハヤカワ文庫のコーネリアス・ライアン著の「ヒトラー最後の戦闘」に書かれているものですが、白水社のアントニー・ビーヴァー著の「ベルリン陥落1945」だと少し違います。
こちらの本だと名前はケーターではなくカーター大佐で、彼は中将にまで昇進しますが、翌日に任命を取り消されたとあります。他にもこのケーター大佐の話は資料によって結構違いがあるようです。

この後、ベルリン防衛軍司令官はヒトラー自身が臨時に兼ねる事になります。
前述の「ベルリン陥落1945」だと、ベルリン防衛軍司令官の席は空白のままとありますが、他の資料ではベーレンフェンガー少将がヒトラーの代理でベルリン防衛軍司令官に就いたという話もあります。

国防軍最高指揮官であり陸軍総司令官のヒトラーが、ベルリン防衛軍司令官を兼ねたのが事実であるのなら、ここでベルリン防衛軍はヴァイクセル軍集団の指揮下から外れ、OKWもしくはOKHの直轄になったと言えると思います。
実際、以後ベルリン防衛軍にハインリーチ元帥が命令を下したという話は聞きません。

そしてヴァイトリング大将がベルリン防衛軍司令官に就任しますが、この就任した日付けについても書物によって違いがあります。前述の「ベルリン陥落1945」では4月23日、同じく前述の「ヒトラー最後の戦闘」では4月24日、大日本絵画の高橋慶史・著の「続ラスト・オブ・カンプグルッペ」では4月25日と、どれを信じればいいのやら・・・

そのヴァイトリング大将のベルリン防衛軍へはOKHが連絡を行っていた事実があるので、ベルリン防衛軍はこの時点でOKH直轄だったかもしれません。
そして、4月26日にヴァイトリング大将がヒトラーと直接会うのですが、ここでヒトラーは、「貴官はこのまま防衛戦を続けてもらいたい」という命令をヴァイトリング大将に出しますが・・・OKWとOKHのトップを兼ねているヒトラーの直接命令ですから、どう判断したらいいのやら・・・

また実は日付はあまりはっきりしないのですが、OKWとOKHは統合され単一の司令部となっています。

というわけで、とても微妙な指揮系統でして、はっきりした事が言えず申し訳ないです。



■>第12軍はカイテル元帥がヴェンクに直接ベルリン救援を命令していたように、
西部戦線部隊を統括する国防軍最高司令部の直轄部隊だったのでしょうか?

回答・・・仰るとおり第12軍は国防軍最高司令部の直轄でした。B軍集団の増援としてOKWに編成されましたが、戦況の推移によりB軍集団に合流する事なく、そのままOKW直轄の部隊として戦いました。


△まぁ、この頃の軍への命令は西も東もヒトラーが出しまくっていましたから、OKW、OKHの指揮関係も微妙なものといわざるをえないかと思います。
カイテル元帥が第12軍に直接ベルリン救援を命令したのにしても、ヒトラーがそうしろとカイテル元帥に命令しただけの事ですし。
全ドイツ軍部隊がヒトラー直轄だった・・・それが一番真実に近いような気がします。
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この回答へのお礼

実に詳しい回答ありがとうございます。
1945年のドイツ軍の末期的状況から見て全軍がヒトラーの直接指揮下にあったというのが
もっとも実態に近いようですね・・・

お礼日時:2013/08/30 19:54

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