プロが教えるわが家の防犯対策術!

クリスマスなどのソフトパワーで洗脳されきったバカの国日本。
リスク、ステータスなど南蛮語がかっこいいと勘違いする有様で、ほんとバカですな。
調べたところ、南蛮(欧米)人ってかなり野蛮じゃないんですかね?
ザビエル=インドでユダヤ教徒火刑。
アメリカ大陸=南蛮人のレイプ横行で混血だらけ。文化完全破壊。
黒人を大量に奴隷にした。
ナチスの大量虐殺。
南蛮人の蛮行もっと教えてください。

A 回答 (5件)

東夷・南蛮・西戎・北狄


という中国の言葉からきています。
一般には
中国は中華文明の外にある東西南北のすべての地域を野蛮であるとみなしていた。それが「東夷・南蛮・西戎(さいじゅう)・北狄(ほくてき)」である。特に東夷の「夷」は、弓を持って構えている人、という象形文字である。武器を持っているものはすべて野蛮であるという中華「文明」思想が、ここにはある。出典:斧節【onobusi】

とあります。
中国人や韓国人からすると日本は東夷(東の野蛮人)です。
大航海時代には、外国船はマラッカ海峡を通って南の方から日本にやって来ました。
南の方から来る見知らぬ人達と言う意味で使われていたもので、日本では蔑称ではありません。
南蛮を蔑称と思って使うと、長崎のお土産屋さんに叱られるだけではなく、世間のもの笑いの種にされてしまいますので注意して下さい。

蛮行・虐殺・拷問が世界史的にもすさまじいのは中国です。
日本人には信じられないでしょうが、お墓を掘り返して遺体を引きづり出して鞭で打つのは中国の歴史では当たり前です。
「死者を鞭打つ」と言う言葉は、日本語では死んだ人の名誉を傷つけることですが、中国では文字通り死者を鞭でひっぱたきました。
親を殺して、その肉でお粥やスープを作って、その親の子供に食べさせるなどということも平気でやっていました。
手足に各々綱を着けて四方に広げ、馬や牛にゆっくりと引かせて体をバラバラにして殺すということもやっていました。(車裂きの刑)
ナチスのようにガスで殺すなどという悠長なことはやらずに散々いたぶって殺すのが当たり前と思っていました。

中世のユーロッパでは、魔女と勝手に決めつけた女性を火あぶりにしたり、内側に頑丈な刺を植えたエジプトのミイラのような形をした箱の中へ入れて蓋を閉めました。

ところで、サド・マゾ趣味ですか?
刑罰、拷問に関する本は図書館に多数あります。
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南蛮漬けを考案しました。


生き物を生きながら高温の油で唐揚げにし、酸性の溶液につけこむという、おそるべき蛮行です。唐芥子粉をまぶしこんで苦痛を強め、長期にわたって漬けこんだ暁には頭からかじって食べてしまいます。おそるべき野蛮な風習です。
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そもそも 南蛮人とは 南の方の野蛮な人 という意味です

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>南蛮人の蛮行もっと教えてください。



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古来、日本の戦場では戦利品の一部として男女を拉致していく「人取り」(乱妨取り)がしばしば行われており、日本人領主からそれを買い取ったヨーロッパ商人や中国人商人の手によって、東南アジアなどの海外に連れ出されたものも少なからずいたと考えられている。

1560年代以降、イエズス会の宣教師たちは、ポルトガル商人による奴隷貿易が日本におけるキリスト教宣教のさまたげになり、宣教師への誤解を招くものと考え、たびたびポルトガル国王に日本での奴隷貿易禁止の法令の発布を求めていたが、1571年に当時の王セバスティアン1世から日本人貧民の海外売買禁止の勅令を発布させることに成功した。それでも、奴隷貿易は根絶にいたらなかった。

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あまりの非人道に関して、日本人は認めるわけにはゆかず、秀吉の時代に「伴天連追放令」が出され、以後、日本人が奴隷として輸出されることはなくなった。もし、秀吉なかりせば、もし、鎖国なかりせば、日本もアフリカ諸国のように南蛮人によって働き盛りの男性が数百万人も買い占められ、輸出され、国力が衰退して、二度と再起できなかったであろう。
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南蛮人の解釈が間違っています。



ポルトガルやスペインの人を南蛮人、または東南アジアの人も南蛮人です。

イギリス人は紅毛人と言われてます。

南蛮と言えば、昔は薩摩や琉球も南蛮でした。

幕末の薩摩は酷かったですね。
琉球の内戦も酷かったですね。
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この回答へのお礼

そうでしたか。勘違いすいませんでした

お礼日時:2013/09/03 11:02

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