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日本は、将来学歴社会が、廃止になりますか?


もし廃止になるとしたら、だいたい何年後になりますか?

A 回答 (16件中1~10件)

なくならないと思います。

学歴はその人の一種の能力証明のIDだと思って間違いないでしょう。努力の持続の証明とも言えます。

もちろん大学を出ていなくても就職できる職業はたくさんあります。秀でればたいしたものでしょう。しかし何人が秀でられるでしょうか。技能の中にはかなり経費をかけて伸ばさないと芽が出ないものもたくさんあります。その人たちですら、不況が押し寄せた時にどうなるでしょう。怪我をしたらどうしますか。明日の保障はどこにもありません。そのときに印籠のように学歴を出せるのと出せない人、格差が開いて当然でしょう。

しかし考えてみて下さい、頑張った人と頑張らない人、どちらをあなたが経営者なら雇いますか。私なら俄然頑張った人です。少なくともその努力を認めてあげたいからです。もちろん落第すれすれの大学生や留年、中退は残念ながら駄目です。しかし比べる時に高卒と大卒、大学院卒なら私なら大学院卒に目が向きます。若さより、少し高くても能力の証明の裏づけが欲しいからです。あなたもぜひ頑張って最低でも大学は出てください。実際は特殊技能(音楽やスポーツ、芸能など)で成功するよりこつこつと勉強して努力するほうが成功する確率は高いと思います。そして実際は勉強する事が一番楽で確実で(回収を考えると)経済的かもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。やはり無くならないのですね。

お礼日時:2013/10/07 19:55

>やはり学歴社会は今から100年たっても絶対に無くならないのですね。

残念です。

おそらく中学生か高校生の純朴な質問だと思いますので、もう少し付け加えます。
残念というのは間違いです。大間違いです。新聞テレビが言う、学歴社会が良くないものと言うイメージを真に受けてそう言っておられるのでしょうが、それはマスコミが間違っているのです。ほかの魂胆があってそう言うことを言っているのです。そう言う報道をしている記者やディレクターには低学歴の人間はいません。

昔から人間は教育によって知識や教養を得て、社会を発展させてきたのです。今の社会、高度な産業で豊かになり、誰でも学校教育も受けられ、毎日美味しいものを食べられ、道路や鉄道や電気やガスをふんだんに使い、毎日安心して豊かな生活を送ることが出来るのは、学校教育のお陰なのです。あなたが質問しているこの質問箱も、大学で高度な技術や経営力を身につけた人たちが、技術を開発し、会社経営をしているから使うことが出来るのです。知識や技術もない肉体労働だけではこういう社会は作れないのです。

この先人間社会は今よりますます高度になります。それを実現するには高度な教育が不可欠です。ぜひそう言う社会を築き、運営していけるような人になって下さい。それには勉強しかありません。大学などに行かずとも、そう言う知識や技術を身につけられる人はいるでしょうが、百万人に一人の、ほんの一握りの天才だけです。それ外の人は一所懸命勉強して、いい大学に進んで、真面目に勉強するしかありません。こんなところで油を売っていないで(この意味分かりますか?)、机に向かって勉強しましょう。
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この回答へのお礼

再び回答ありがとうございます。やはりやりたい仕事があるならまずは、勉強して大学へですね。

お礼日時:2013/10/07 18:22

文明が高度になるほど、学歴、つまり高等教育歴がものを言う社会になるでしょう。

今の社会は高等教育を受け、教育レベルや知能程度の高い人しか維持運営できません。昔は単なる肉体職業だった軍隊でも、最新鋭戦闘機、イージス艦、潜水艦はおろかミサイルや小火器のような兵器でも極めてハイレベルで、無学無教養な兵士には使いこなせません。防衛大学で高等教育を受けた職業軍人しか勤まりません。だから今の軍隊は徴兵制度には向きません。サラリーマンでも、パソコンやインターネットを高度に使いこなせなければ仕事にならないし、国際金融や経済学に関する知識がないと仕事になりません。学歴というのが教育歴という意味だとすると、今後ますます学歴社会が強まるでしょう。間違っても廃止にはなりません。そんなことをしたら社会が成り立ちません。中には中身が空っぽのエセ学歴があるかも知れませんが、それは少数で、大半はそうではありません。学歴がある方がない方より上です。学歴を付けるため、大いに勉強しましょう。
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この回答へのお礼

やはり学歴社会は今から100年たっても絶対に無くならないのですね。残念です。

お礼日時:2013/10/07 16:39

質問者様の想定してる「学歴社会」というのはどういうものなのでしょうか。



日本が高度成長している頃、管理教育と一体になっていた学歴社会であれば、もうすでにありません。

なぜなら、右肩下がりで成長が鈍化して20年、学歴優秀でも就職してから出世やポストが用意されているわけではない(場合によっては会社そのものが倒産)、または就職そのものが無い、ということで官僚を多く輩出している東大などの旧帝大クラスを除いて、学歴で(正確には学歴だけで)良い人生が約束されるということは、もうないからです。

しかし、学歴はひとつの目安として重要です。
私は会社の経営をしていますが、従業員に求めているのは複合的な能力です。そうでなければ、他社との競争に勝ち抜いていけないばかりでなく、なにかの拍子に競争ルールが変わったときにたちどころにおいていかれてしまうからです。

競争ルールが変わるというのは、たとえば今まで競争相手ではなかったものが競争相手に突然なることです。身近な例でいえば携帯がスマホになって、モバイルゲーム機(DSやPSVITAなど)と最近は競争するようになりました。5年いや3年前までほとんど誰も想定していなかったことです。

このように技術の進歩やちょっとした社会情勢の変化によって「仕事」というのは変わってしまうが、現代の高度社会なのです。

逆を言えば学歴社会が通用していた頃は、頭の悪い人は早めに学校を辞めて事務員や作業員になり、大学を出ればそれらの作業員を管理する管理者になれ、さらにいい大学を出れば一流企業の管理職とか官僚になれる、という風にヒエラルキーで分けることで仕事のすみわけがなされていたのです。

今は単純作業の事務職ならパソコンとコピー機で仕事が成り立ちますし、工場の作業員は昔ほど要らず産業ロボットが変わりに働いています。
人間は臨機応変に内容が変わる作業や機械のメンテナンス、事務なら作業している数字や文章の中から何かを見つけ出せる人でないと「役にたたない」ということになっているのです。

つまり質問者様のいう
>いやいやでは無いのですが、どんなに努力しても勉強が出来なくて、それで、自分のやりたい仕事ができなくなる人ってたくさんいますから。例えば簡単な事務の仕事をやりたい人は、社会とか歴史とか理科の勉強って全く必要ないですしね。

というところの「簡単な事務」はすでに無いも同然なのです。

ですから、旧来の学歴社会とは別の学歴社会がすでに始まっています。堺屋太一のいう「知価社会」アルビン・トフラーのいうところの「第三の波」がすでに到来しているのです。

知価というのは、技術の上に新しい価値(付加価値)が乗ったものをいいます。たとえばiPhoneは日本の技術力があればもっとすごいハードを作れますが、ソフトとハードを融合して「誰でも使いやすく、操作が気持ちいい」というものを作ることは難しいのです。
単に学歴がよく頭がよければ作れる、というものではなく、様々な経験から人々が求めているもの、を生み出す能力が必要になるのです。

これはペーパー試験で合格していい学校に行けば身に付くというものではありません。

しかし逆に、どのような仕事であってもどのような立場であっても、単純作業をしているだけではいずれ機械に取って代わられてしまいます。たとえば、今は誰でもできるタクシー運転手なども、自動運転の車ができれば、全員廃業になってしまうでしょう。

「人間しかできない」ということを突き詰めてできる人しか、これから先はいい給料をもらうことができないのです。

それ以外の頭を使わない人は、ロボットのメンテナンスか、ロボットではめんどくさい単純作業(たとえばクリスマスだけのケーキつくりとか)、中小零細企業でロボット化できない安い賃金仕事しか残らないのです。

学歴社会はすでに終わっていますが、いい学校で鍛えられる人のほうがいい頭脳をもって社会にでるのは当然で、チャンスがそれだけ多いことになります。

学校の勉強をしたくないならいいですが、それならそれで誰とも違う経験を有して、知力を高めないと底辺からあがってくることはできません。

残念ながら、いい学校は限られていますのでもしかしたら、いままでの学歴社会以上に今後は格差が広がるかもしれません。
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この回答へのお礼

私の想定してる、学歴社会とは、例えばですが、バスの運転手になるのに、社会や歴史や、理科などは勉強する必要性が全く無いけど、それらを勉強して大学を卒業しないと、バス会社で働けないという意味の学歴社会を想定しています。

お礼日時:2013/10/07 16:01

> どんなに努力しても勉強が出来なく



そうなってしまう原因を考えてみましょう。

まず先天的要因。知能に問題がある場合、これはどうにもならないですね。
次が後天的要因。生育環境(親など)が原因で勉強そのものが不得意になってしまった場合です。実際のところ、これもなかなか改善は難しいようです。難しいというより、私が見る限り、改善の努力が行われないことがほとんどでしょう。

以上は『資質』という観点ですが、勉強の出来不出来はそれ以上に『やり方』に左右されるものだと思います。物事の習得にはその人に合った効率的な方法があります。それを知らずにやみくもにアプローチした結果、何も身につかなかった、となることが多いように見受けます。

要するに無駄な努力。

そういう努力は100万時間頑張ったって何も身に付きません。
やればやるほどドツボに嵌っていく。
そういう人は勉強以外のことでもなかなか成長できないだろうことは容易に想像できますよね。

先天的な問題がなく、後天的な要素にも大きな問題が無いならば、学歴を構成する要因は『正しい努力が出来るかどうか』です。
つまり、それなりに評価される学歴を有している人は正しい努力が出来る人であると見做すことができるということです。

> 例えば簡単な事務の仕事
> 社会とか歴史とか理科の勉強って全く必要ないですしね。

事務職というのは現在の日本では最難関の職種です。
就活生が男女半々だとして、男は営業や技術に別れていきますが、女の大部分は事務職を目指します。
一般事務の有効求人倍率は0.14、7人で一つの仕事を奪い合っているのです。

『簡単な事務の仕事』という文章を読むと、仕事を分っていないのではないかと思ってしまいます。

会社によって業務内容は違うでしょうが、私がいる部門で最近中途採用した事務の女の子は元SEです。エクセル、ワードはもちろん、アクセスもパワポも自由自在。命じられればCADだって操作するし、C++のコードを作成できます。貸借対照表も読めます。
でも、主たる業務は電話番とお茶くみと業務結果の数値を記録することです。

上記を特殊な事例と思うかもしれませんが、事務職だって会社に関われば関わるほど多くの業務があります。
事務職を募集した時に、「エクセル、ワードの操作が出来ます」と言う人と、「エクセルを使った統計分析とワードを使ったDTPが出来ます」と言う人とではどちらが採用されるでしょう。当然後者ですよね。

事務職に社会、歴史、理科の知識が必須とは言いません。
ですが、正しい努力が出来る人かどうかの目安にはなります。
勉強できない人が「私は正しい努力が出来ます」と言ったって説得力は無いんです。

言ってみれば、学歴とは、その人の生きる姿勢を表しているものではないでしょうか。
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この回答へのお礼

なるほど。正しい努力ができるのかなどの判断材料として、学歴を重視するのですね。

お礼日時:2013/10/07 13:04

学歴社会というのが何処までを意味しているのかは分かりません。



学歴がある程度必要な業界もあれば、
全く必要でない業界もあります。

東大出てニートの人もいれば、
中卒で資産が50億円以上作る人もいます。

高学歴でも
お金を稼ぐことが得意という事とはまったく違います。

ただ、受験勉強を頑張ったという努力は何かで生きるでしょう。

でも、人によって得意不得意はあるものです。

人や社会がどうこうより、
あなたがどうなりたいのか、どう生きたいのかの方がよっぽど重要です。

なぜなら、勉強や資格は大学出て終わりではないからです。

大学出るより、よっぽど潰しのきく資格や仕事の経験というものはある物です。

会社勤めのサラリーマンの方が絶対安全なわけではありません。
会社が倒産する事もある世の中ですから。

自分が世の中に必要とされる人材になる事、
自分が好きになってとことんやれる仕事や技術を身に着ける事、

そのような事の方がよっぽど重要だと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/07 08:30

学校で良い成績が取れない人は勉強が社会で役立つのかと思います。

勉強してもなかなか成績がよくならない。当然に良い大学にも行けない。
学校で成績の良い人は勉強が社会で役立つかどうかなど考えていません。学ぶことが楽しいのです。あまり家では勉強もしていません。学校の授業だけで成績がよいのです。勉強しなくても良い大学に入れます。
幼稚園のころの子供を見ていると、足の速い子、絵のうまい子、歌のうまい子と教えていないのに差があります。記憶力だって差があるのです。
これらは親から譲りうけた単なる人の能力差なのです。狩猟生活時代では足の速さで能力を決めていたのかもしれません。今は勉強ができる能力で生活力が決まっているだけです。おそらくその方が会社でお金が儲けられるかるからです。
無いものねだりをしても仕方がないし、学歴など気にしないことです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/06 22:53

ほぼ廃止されてるから、つか、最初から無きに等しいから。

ほかの人も言ってるけど、こんな学歴が軽視される国はなかなかないよ。

うちが住んでる国でも、トップ校卒業と、並レベル卒業では、最初の給料提示が違う。それが実力主義なんだけど意味わかる?

職歴がながーい人は別よ、それは何ができる、何をしてきたかで測られて、学歴は参考程度。

だけど新卒で何も実績がない人は、一番ポテンシャルを簡単に測れるのは学歴ぐらいでしょ。だから「現時点までの実力」として学歴で「区別」するだけで。仕事場で力の差を見せつければ、学歴なんか関係なくなる。

学歴でしか違いがわからない時は、学歴で。学歴より測れるものがある時は、そっちで区別をする、それが実力社会。
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この回答へのお礼

なるほど。学歴は、まだ入社した時点での能力の参考としてるんですね。

お礼日時:2013/10/06 19:48

質問者には、北朝鮮の様な社会が理想的でしょう。



出身成分が第一、次が党歴、学歴はその次です。まさにこの世の楽園(そんな左翼文化人によるプロパガンダが昔あったんですよ)ですな。もっとも、出身成分が良ければ学歴は自動的に付いてくるから学歴社会とも言えるかな。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/06 17:43

筑波大の後藤嘉宏教授の調査によると、


日本は海外に比べ学歴による格差が小さく、
学歴の重要度は海外に比べ小さいそうですよ。

米国では、一流大学卒と二流大学卒とでは
初任給が二倍も違います。
英国などでは、階級が学歴の差になっています。

中韓などでは、大卒の生涯収入と高卒のそれとの
比は、3~5倍もありますが、日本は1,8倍
ぐらいです。


”将来学歴社会が、廃止になりますか?”
    ↑
能力が正確に測定できる技術が開発されれば
学歴社会は無くなるでしょう。
しかし、それが開発されない間は、無くならない
と思われます。

能力が客観的に測定不可である間は、学歴から
推定するのが一番確実です。
高学歴者は、頑張るだろうし、頭脳も明晰だろう
という推測が働くからです。
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この回答へのお礼

でもなんだか、頭のいい大学を卒業した人に限って犯罪をおかしたりしますよね。

お礼日時:2013/10/06 17:42

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