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いわゆる「●●語屋」という言葉があるように、日本社会では長い間にわたり、外国語を使うことが「利権」のようなものとして、人々に受けいれられ、認識されています。

これからの国際社会における、さまざまな競争に勝つために、あるいは、多様性を武器にする、開かれた日本社会をつくるにあたり、外国語を使うことを「利権」としてみなし、外国語を使う人々を「特権階級に属する人々」というまなざしでみることは、日本社会、そして日本人の利益につながるのでしょうか?

A 回答 (4件)

>>外国語を使うことを「利権」としてみなし、外国語を使う人々を「特権階級に属する人々」というまなざしでみる


そんなこと、露ほども思ったことはございませんが。外国語を使うことは、分野分野で、外国人との情報のやり取りができるに過ぎません。そんな人は少数いればいいだけのこと。みんなができる必要もなく、できる人を崇めることが日本のためになるなんて、まずありません。

この回答への補足

「そんな人は少数いればいいだけのこと。」

島国根性的なコメントだと思います。

補足日時:2013/10/09 21:48
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「外国語を使うという「利権」


と言う表現は存在しないし、言葉としてどんあ意味も無いと思います。 仕事で英語(あるいは英語らしもの)を使っていましたが、利権 とか言うことではなく、給料をその会社から得る”道具”でした。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

お礼日時:2013/10/09 21:47

利権になるほどの価値があるのかどうか?


また、「外国語を使える」と言う言葉も、さまざまのレヴェルがあり、挨拶だけできる人から、同時通訳もできると言うレヴェルまでさま様で、特に、この国では、あまりできない人まで、できると錯覚されている風潮がある。
 私は、海外駐在17年で(英語、西語圏)そこそこ読める、聞ける、話せる、書けるレヴェルだと思うが、その私でも、まだまだだと思うし、私から見て、こんな人まで、「外国語が使える」と見做されるのかなあと思う人の方がはるかに多い。
と言うわけで、「利権」とは程遠いのが現実。
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この回答へのお礼

「利権」にしたがっている人々がいる、ということだと思います。コメントありがとうございます。

お礼日時:2013/10/09 12:48

    昔はそう言う価値があったのかも知れませんが、幼稚園兒が修学旅行に外国に行き、ミーちゃんもハーちゃんも海外へ留学なさる今、「私は●●語屋です」といっても、「で何?」が関の山でしょう。



    ああ日本語以外何か言葉を知っていたら、特権だった明治時代が懐かしい、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。

この回答への補足

そうさせている人々の存在に気がつかなかったのかもしれませんね。

補足日時:2013/10/09 12:47
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