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ペン習字を習った人の字を見ると、私よりは勿論キレイですが、皆、同じ様な字を書かれます。

本当につまらないと思います。

私の兄の一人は、顕示欲の強い性格を反映して右肩上がりの踊ってるような目立つ字を書きました。もう一人の兄は、理科系出身で、堅実な性格を反映して、こじんまりとした固い字を連ねていました。

昔は、ペン習字を習う風潮もなく、そのまま、自分が書きたいように書いた結果ですが、それぞれの個性を感じて、非常に美しく見えました。

英語のアルファベットも、日本人は世界中どこに行っても、日本の学校で「こう書きなさい」と教えられた単調な書体から一歩も抜け出すことが出来ません。私もその一人です。

世界各地の人は、英米は勿論、中国、韓国、インド、フィリピン、どこの国の人も個性豊かな字を書きます。

今、朗読を習っていますが、「こう読め、ああ読め」と指導してくれるのですが、その結果そこそこの朗読家にはなれるのでしょうが、私の個性が完全に剥ぎ取られてしまうのではないか?と思うようになりました。

画一的なものを好む民族性に由来するハズですが、書道の世界でも同じでしょうか?
「こうしろ、ああしろ」と指導されて、皆がその指導に従うと、ペン習字のように、皆が同じような字を書く結果になってしまいませんか?

このことに思いを致している書道の先生はいますか?
中国にも日本にも古来、有名な書家がいましたよね。そういう方たちの字というのは強烈な個性があったのでしょうか?

書道のことを知らない門外漢ですが、「金太郎飴」が大嫌いな人間なので、今回の質問となりました。
宜しくお願い致します。

A 回答 (5件)

女性のお化粧と同じではないでしょうか。

同じようなお化粧で造作のお違いを隠せば、そこそこ美しくみられるかもしれませんが、その人の個性は消えてしまいます。誰でもお化粧を厚くすれば美人になれます。お化粧をほどほどにしてもその人なりの美しさが出ることが理想ではないでしょうか。字も全く同じで、やはりファンデーションに相当する練習は絶対必要ではないでしょうか。例えに力が入ってしまいましたが、一応の練習を積んだ後、その人の個性が出るかでないかはその人次第ではないでしょうか。最近の年賀状の、コンピュータによるあて名印刷をみると、貴方の嘆きがそのままわかるように思います。や廃肉筆で書く機会が極端に減ってきていることが問題なのではないかと思います。石川九楊さんの著作は大変参考になると思います。

この回答への補足

何事においても「基本が大切だ」とされています。確かに"技術"が関係する分野ではそのようにも思います。
しかし、全ての事柄においてそうでしょうか?最近、疑問を感じ始めています。

先の例のように私の兄たちは、ペン習字の基本など全く知らずに我流に書き、味のある字を書きました。

また、世界各地の我流でアルファベットを書く人たちの中には、どうしたらこんなに味があって魅力的な字を書くことが出来るんだろうと感心することがあります。
日本のように国家が規格に則って「こういう風に書け」と統制している国は日本以外にありません。

「お化粧」も技術分野のようですから、基本は要るのでしょう。書道はどうでしょうか?

門外漢ですが、感性はあるつもりです。
展覧会などで優秀作品とされた書道の作品を見ても、確かに上手いことは上手いと思いますが、「これは!」と驚くような個性を発信している字はないですね。似たり寄ったりというか・・・

朗読で言うと、元アナウンサーや声優がする朗読は、味があって上手いとされているのですが、私からすると、上手いけれど味がありません。上手さよりも、私は味を求めます。
誰を聞いても同じ味では面白くありません。

朗読に「味」があるのは、市原悦子さんや渥美清、今のところ発見しているのはこの2人だけですが、他の誰にもない独特の味が出ているのが、お2人の朗読です。

話は書道に戻ります。例えば「ハネル」部分が下手な生徒がいるとします。それを、「こういう風にハネルんですよ」と先生が教えるとします。その先生はどの生徒に対しても同じように教えると思います。だから、全ての生徒が同じ字体になってしまうのではないでしょうか?

はね方を教えたらダメではないでしょうか?その生徒に徹底的に考えさせて、「君が良いと思うはね方を工夫してみろ」としたらいいのではないでしょうか?

その生徒は自分の性格・感性から出て来るものを、自然と出して来ると思います。

このやり方が可能かどうかは、やったことがないので分かりません。しかし、日本の先生方が教え過ぎていることは確かだと思います。
日本の先生方の教え過ぎが、金太郎飴を量産しているのだと最近考えるようになりました。

補足日時:2013/10/19 10:47
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アハハハハ\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?(^・^)あなたはなんて面白い人なんだろう?文字・絵画は芸術ですから自由でよいのです。

ただ誰かに読ませる時は相手が読める文字であればよいのです。
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言わんとすることは、よく理解できます。


が、自身の”慎ましい体験”で、語るのは危険です。(何事も)
芸は”守 離 破”と、言われます。(全てと思います)
教える方も含めて、教わるほうも、よくよく踏まえていないと駄目だと思います。
余談ですが、”金太郎飴”には、”金太郎飴”のいい所も有るのです。
無論、その反対もあります。
この世の中、+-の調和で成り立っていると、私は思っています。
貴方も、調和のとれた、見方、考え方をなさって下さい。
毎日が、楽しくなりますよ。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
先ず言いたいのは、貴方は本当に失礼な方で「調和」とは程遠い人間であるということです。

丁寧で柔らかい文章なので、第三者が読めば実体が隠れてしまうのですが、それだけにより「悪質」だと言えます。

サマーセットモームばりにズケズケと書かせて頂きます。

この世の中が調和で成り立っている、というのは貴方の考えでしょ? 私は決してそうは捉えていません。私からすると、この人は苦労知らずなんだな、あるいは苦労の末にそう考えるようになったのかな、何れにしろ、おめでたい幸福な人だなあと感じました。

私には私の人生観・世界観があります。何故、そうも遠慮せず「貴方も、調和のとれた、見方、考え方をなさって下さい。」なんて、自分の世界観を行きずりの人間に押し付けることが出来るんでしょうね。私にはとても出来ないことです。

世の中には色々な考えを持った人がいます。調和というなら、十人十色の考えを認め共存して行くことこそが調和でしょう。調和を口にしながら、貴方は相手の生き方を抹殺し自分の生き方と強制しようという心なんです。

恐らく、私にこう言われても自分の心を観察する習慣のない貴方には納得いかないでしょうね。

>自身の”慎ましい体験”で、語るのは危険です。
日本人が二言目には口にするセリフです。
要するに、新参者は黙っておれということです。

これに、関しては日本人のあらゆる領域でそういう風に言います。いやほど、体験して来ています。学校でも、音楽でも、スポーツでも、職人の世界でも、熟練工は新参者に対してそう言います。新参者の質問を封じ、真摯に疑問に応えようとしません。最近始めた朗読の世界でも、です。

新参者だからこそ、見えるものがあるのですが、既に今まで自分たちが作り上げたものを絶対視し、それを壊されるのを嫌がり、外部の者の意見を排除しようとします。ますます世界が狭くなります。これが日本人の弊害であると分かっている人もいて「専門バカ」と呼びました。「専門バカ」ではいけないのです。

日本文化を愛し、最近帰化された米人ドナルド・キーンさんが、昔、朝日新聞に興味深いことを書いていました。

彼がある事件について、日本全国から読者の意見を募りました。すると、届いた数百通は、賛同の意見ばかりで、反対意見が只の一通もなかったと驚いたと書いていました。アメリカだと、圧倒的に賛同意見が多い事柄はあっても、必ず反対意見というのが存在するというのです。一通もないというのは考えられないというのです。

ここに、日本人の金太郎飴ぶりが出ています。
従って、貴方が他の99%の日本人と同じく、先ず基本を知れ、お前の少ない体験からモノを言うなと言うのは仕方のないことなのでしょう。

>芸は”守 離 破”と、言われます
これは、中国から伝わった考えですか?中国、韓国でもそういう風に考えられているのでしょうか?

芸や芸術は全世界に存在していると思いますが、世界のあらゆる国でそういう考えをするのでしょうか?これだけ広い地球ですから、そうは考えない国もあるはずです。そういう国では芸の仕込み方も違って来るのでしょう。

私に「危険だ」「調和だ」とか説教する前に、書道界では個性を潰しているかいないかの、私の質問に回答して頂きたいですね。

>芸は”守 離 破”と、言われます。(全てと思います)
教える方も含めて、教わるほうも、よくよく踏まえていないと駄目だと思います

要は、「守る」は「基本を習得する」と考えていいんですね?これは教えるほうは一所懸命になると思います。
しかし、その後の「離」と「破」には力を注いでいるでしょうか?「離」と「破」を遂行させるために、具体的にはどういうことを実践しているのでしょうか?

ここで回答されている方たちは、書道を実際にやっておられる方と判断していいのでしょうか?
皆さん、何れも回答しっ放しで、私の再度の質問に誰も答えられません。思いやりがないのか?調和の精神がないのか?
普通はもうちょっと、再質問には答えてくれるんですけどね・・・

補足日時:2013/10/20 09:43
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基本の習得という重要性を理解しないで、個性を謳うのは厨二病ではないかな。


実用性重視のための書道と、芸術性重視の書道では、同じ「書」においても、
全く方向性が異なる。

書体だけでもいくつもある。ペン習字だけを見て全てを判断するのではなく、
一度、まともな書道を学んでみてはいかがかな?

この回答への補足

回答ありがとうございます。

失礼なことを平気で言う方のようにお見受けします。
ひょっとして、私も言葉がきつくなるかも知れません。

>基本の習得という重要性を理解しないで、個性を謳うのは厨二病ではないかな。

基本の習得という名分の下に、個性を潰している現実があるのはご存知ありませんか?私は書道の世界は知らないので、書道でも同じ事をやっていないかどうかという質問です。やっていないのなら、むしろ日本では例外的な世界で喜ばしいわけです。

「基本」とのことですが、書道では、どういうことを「基本」として教えるのでしょうか?
つまり、貴方が言うところの、重要な習得すべき基本とはどういうものか、という質問です。

それから、結論だけ書かずに、そう断ずる根拠も入れてもう少し説明しながら回答をして下さったら助かります。

貴方の回答を読んでも「何?」となるだけで、思考が先に進まないのです。

補足日時:2013/10/19 17:37
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文字という物を意思疎通の道具と考えれば、ある程度の共通性は必要でしょう。


あまりにも個性的な、たとえば文豪の直筆などでは解読に苦労する場合も有るとか。
日本人のアルファベットがぎこちないのは、書いた字数が漢字やカナと比べて圧倒的に少ないせいではないでしょうか。
たしか、英語でもサイン以外では筆記体が使われなくなって来ていると聞いた事があります。
さて、お話しの朗読や書道でも初めは模倣から、個性を出すのは基本を学んだ次の段階でしょう。
そしておそらく、一流の朗読家や書家になり個性を世間に認めさせる為には、学ぶのをはるかに越えたレベルの修練や研鑽が必要なのではないでしょうか。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

私の知りたいのは、書道の世界では、ペン習字その他のように、個性を押し潰さず十分に発揮させているかどうかという質問です。ペン習字などと違って十分個性を発揮させているということであれば、それはそれで喜ばしいことだと思います。

私が今まで目撃した多くの分野で、余りにも日本人というのは個性が無いことが多かったので、何故なんだろうと考えて来たのですが、最近集中的にこの事を考える機会があり、
ひょっとして、「基本を知れ」という名分の下に個性を潰しているのではないかということに思い当たったのです。

「基本」と言われることを、徹底的にマスターした時には、固まってしまっていて、その上に独自性を加えるのは難しいのではないでしょうか?限られた天才的な人だけが、独自性を加える能力があり、大多数の人は殆ど独自性を加えることが出来ずに終わってしまってはいないでしょうか?

ところで、書道というのは、何を目指しているのですか?
字を書く時の心構えは何ですか?
上手に書こう、ですか?
それとも、個性ある字を書こうですか?

補足日時:2013/10/19 17:13
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この回答へのお礼

>個性を出すのは基本を学んだ次の段階でしょう。
これは、何を根拠にそう信じ込んでおられるのですか?

基本をおろそかにしたい、と言ってるのではありません。基本と個性を同時進行で伸ばせないかと言ってるのです。

というのは、個性は基本の後でと言いながら、基本を固めた後では個性が出にくくなっているように思われるからです。

お礼日時:2013/10/20 08:25

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