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どのようなものだったのでしょうか。
今みたいに三科目なんですか。

A 回答 (3件)

東大が新制大学になっていまの学部(薬学部をのぞく)を設置したのは,


http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/b03_01_j.html
によると1949年5月ですね。

大先輩のdoc_somdayさんは,新制第1期生だったように解されます。質問は「1940年代」となっていますが,この間におおきな変革があったので,旧制なのか新制なのか区別して問わないと,混乱するんじゃないかと思います。ぼくは旧制のつもりで回答しました。

ところで,「1948年に初めて理科II類を入学辞退して私大医学部へ」という情報がありますが,それ以前の旧制時代にいまの科類制で入試をしていたんですか? ご存じならご教示ください。
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1948年の慶応大学の話ですが、


経済経済学部:
たしか国語と英語、それに私は理系だったので数学をとりました。

医学部:
数学、生物学、英語、たしか国語があったような気が…
二次試験の「伝説の万年筆で書く、医学に取り組む心がけ」は有名でしたね。

私は親の住宅ローンがあったので入学金(今だったら裕福な高校生ならポケットマネーで払える五十万円)が払えず。東大理IIに進みました、高二の一学期十二指腸潰瘍で下血し、血球濃度が半分以下に下がったので、中間試験後即入院しまして、親が「無理しなくても良いから」と言ってくれたので理IIIを諦めたのですが、今なお理IIIを受けときゃバイオテクノロジーの波に乗れたのにと残念です(笑)
なお、その年初めて理IIを振って私立医大に三名が出たので、お金がある家は羨ましいなと思いました。
慶應医学部へ行ったら多分マイクロサージェリーに進んでいたでしょう。
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国立国会図書館の蔵書(ネットで読めるデジタルライブラリ)に,当時の赤本というべき『帝国大学入学提要』昭和10(1935)年度版があります。


http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457610
付録としてp.58以降に入試問題集もついています。

大学によってちがいますが,理系で数学,英語,物理,化学,文系で英語,国語といったところでしょう。英語は和訳と英訳だけで,「おなじ発音をえらべ」なんて幼稚な問題はありませんね。なお,当時は旧制高等学校を卒業して大学に入学しており,高校でいまの大学の一般教育もやっていました。

私立大学もこれに準じていたんじゃないですか。入試科目が大きく異なると,受験生が集まりませんから。
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