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日本社会において求められている人材とは、どのような人材でしょうか?

(1) 自分で考え、自分で行動できる人々

(2) お上や上司に「従順」である人々

A 回答 (4件)

 No.2です。

「お礼」に書かれたことについて補足です。

>(A)「二者の対立」は、日本社会に良いものをもたらすのでしょうか? 「修羅道のような社会」をつくりたいのが、日本人の本音なのでしょうか?


 また、No.3のお礼には、

>(B)どのような前提であれ、(1)であるほうが好ましいと思いますよ。

と書かれていますね。


まずは(B)の方について。

 国民全員を(1)か(2)のどちらか一方にしようとしても、しょせん無理なのです。必ず、(1)に属する人たちと、(2)の属する人たちができてしまうのです。

 勝ち組ができれば、その陰に必ず負け組ができてしまいます。「上に立つ者」ができれば、必ず「下に付く者」ができてしまいます。

 誰もが(1)になろうとするわけですが、能力、生まれ(家系や学歴)、運によって、負け組になってしまった人たちは(2)に甘んじるしかないのです。また、最初から勝てる見込みのない人、勝つための努力や苦労を嫌って、最初から(2)でよいと割り切る人も、結構いるようです。

 ということで、社会には(1)(2)の人が必ず混在している、というのが現実なのです。


(A)について

 ドイツ人を話をしたときに、その人は(1)タイプの人ですが、「ドイツ人は1割の優秀な人間と、9割の勤勉な人間でできている」と言っていました。だから、その1割の優秀な人間がナチスを支持すると、国民全体がナチス支持になってしまう。そういう社会なので、その1割の人間が、全体のことを考えて社会体制・しくみを構築しなければならないのだと。

 つまり、(1)と(2)に人間がいるときに、指導的立場にいる(1)の人間が、その格差を固定化し広げる方向に社会制度を作り上げることも、逆に格差を少なくする社会制度を作りあげることも可能なときに、どちらに動くか、という問題なのです。
 独裁国家や発展途上国では、特権階級が自分たちの既得権益を守り、利益を独占する方向に動きがちです。そのように社会制度を作り、固定化しようとします。
 その結果、革命や中東の春、アフリカの部族間・民族間の内戦のような事態が起こり、社会が不安定化します。好ましくないことは明らかなのですが、地球上からそういう体制がなかなか減りません。

 成熟した社会では、指導的立場にいる(1)の人間が、自制心を持って(1)と(2)の格差を少なくする社会制度を作りあげる努力を継続しているのだと思います。
 ただ、それは「勝ち組」の人から見ると、苦労して努力して稼いだ利益を、無能で怠け者を助けるために使われる、ということで、納得しがたい部分もあるわけです。「勝ち組」の人は、(1)のグループに属しますよね。自分たちの利益は自分たちに留保したい、と思うはずです。

 つまり、弱者も救済する高度な福祉社会を作るか、才覚や努力・苦労で「勝ち組」になる権利とその利益を保証する競争社会を作るか、社会制度の設計をどうするかによるわけです。「競争社会」を「自由な社会」「誰にでもアメリカン・ドリームが保証される社会」と見るか、「修羅場」と見るかは、その人が(1)=勝ち組に属するか、(2)=負け組に属するかで、変わって来るわのでしょう。
 国民が選挙で選んだ立法府、政権が、その社会設計を行い、実行するわけです。

 単純にどちらがよいか悪いか、ではなく、どういう社会を作るか、という社会全体のコンセンサスの問題なのです。
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この回答へのお礼

良いコメントだと思います。

日本社会という、成熟した社会においては、今後の社会設計においては、「思い切った判断」が必要になると思います。たとえば、社会保障制度という点においては、BIを導入することで、大きく改善することができると思います。

競争社会をつくる必要はありますが、そのためのセーフティネットを充実なものにさせることも、重要だと思います。

お礼日時:2013/11/07 04:26

(1)も(2)も前提条件が明記されていない為、


あなたが求められている回答の主旨に逸脱するかも
解りませんが、
俺的、勝手な解釈でご提示されている以下2つの
行動にて、回答させてもらえるなら(1)ですね!

(1) 自分で考え、自分で行動できる人々
は、情報通で他人の意見もちゃんと耳をかた向ける
ことの出来る方で、重大な決断をする時、責任を
持って行動出来ると考える。


(2) お上や上司に「従順」である人々
は、責任を追わなくてよいと考える方
そういうポジションなら仕方ないが、そいうのが
嫌なら頑張って責任を任されるポジションまで
上りつめたらいいだけの話。
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この回答へのお礼

どのような前提であれ、(1)であるほうが好ましいと思いますよ。

お礼日時:2013/11/06 10:09

 「日本社会」という一つの視点はあり得ないでしょう。



 民主主義、一般大衆、機会均等の資本主義、という立場、つまり市民の立場に立てば(1)でしょう。

 政権の支配者、権力者、企業経営者、特権階級、つまり支配する側の立場に立てば(2)でしょう。

 極端な例でいえば、一般大衆に対して、民主主義国家では(1)、独裁国家では(2)ということでしょう。
 ただ、独占国家でも、経済や科学技術、工業・農業生産の発達はさせたいので、一部のエリート階級・特権階級など、一般大衆の上に立つ集団を大衆から分離して(1)に、残りの一般大衆を(2)にしたいでしょう。

 今の日本も、「正規雇用」と「非正規」、「男」と「女」、「働く女性」と「専業主婦」(サラリーマンの妻は年金積み立てをしなくてよい)、「若年層」と「高齢者」といった二者の対立・格差を際立たせ、この2つの人材に分別しよう、という意図的な策動があるような気がしています。社会制度によって得をするグループと、損をするグループを固定化する動きです。
 当然、(1)の人材が得をするグループに、(2)の人材が損をするグループになるわけです。

 ですから、国民一人一人が(1)になりたいか(2)になりたいかを自分で考えなければならないのです。社会がどちらを必要としようとも。
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この回答へのお礼

二者の対立・格差を際立たせ… 日本社会が「不幸社会」になる、というわけですね。

「二者の対立」は、日本社会に良いものをもたらすのでしょうか? 「修羅道のような社会」をつくりたいのが、日本人の本音なのでしょうか?

お礼日時:2013/11/06 10:08

(1)と(2)の両方を適切に使い分けられる人です。

この回答への補足

(1)も(2)も肯定する時点で、さまざまな問題があると思いますが…

補足日時:2013/11/05 13:04
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