国会中心立法の原則としての例外としては以下のようなものが問題としてあげられ
るとききました。
・両議院の規則性定権
・最高裁判所の規則制定権
・執行命令
・委任命令
・条例
質問は法177条で犯罪とされていなくとも条例で犯罪と処罰できるか
?というものなのでこの場合は

処罰できるということでいいのでしょうか?

条例への罰則の委任としての問題として学説は、委任がどれだけ個別的・具体的なものでなければならないという点で争いがあるともききました。
それらは
・命令と同様、あくまで個別的・具体的な委任が必要であるという説
・法律による委任は相当な程度に具体的であれば足りるとする説
・一般的・包括的な白紙委任でたりるとする説
・法律による委任は不要とする説

があるが、判例では二番目の説が使われている。なぜなら罰則を科するにあたっては31条、73条6号但書により、法律による委任が必要であり、かつ、一般的・包括的な委任は許されないが、条例は公選の地方議会を経た自治立法であり法律に類するものであるから、法律による授権の程度は、行政権による命令とは異なり、相当程度の具体性と限界があれば足りるとされているからであると習いました。

さて、そこで一番質問したいことなのですがなぜそのようなこと(処罰できるということ)できるのでしょうか?
つまり、なぜ原則として法律によることが必要とされるか?ということ
です。

よろしくお願いします

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A 回答 (2件)

>罰則を科するにあたっては31条、73条6号但書により、法律による委任が必要であり、かつ、一般的・包括的な委任は許されないが、条例は公選の地方議会を経た自治立法であり法律に類するものであるから、法律による授権の程度は、行政権による命令とは異なり、相当程度の具体性と限界があれば足りるとされているからであると習いました。



yusuke519さんが書かれている事が答えになっていると思うのですが・・・

なぜ法律による処罰が許されるか。法律によることが必要なのか。アンシャンレジュームの専制国家の時代、専制者が作った過酷な法律で苦しめられてきました。そこで近代民主主義の時代には、治者と被治者の自同性をもって、一方的な刑罰をやめました。自分だって処罰される側に回るのだとすれば、過酷な処罰を定めまいとする事を旨としたのです。要するに手続を重視する31条っすね。

思うに、命令は行政機関が民意を反映せずに決めている規範で、条例は知事なり地方議会なりが民意を反映して作っている規範ですよね。治者と被治者の自同性から民主主義は成り立っているんだし、法律で罰することが許されるのも民意が反映されているからですよね。

これが一般的・包括的な委任になると、民意の反映しない行政機関が恣意的に罰することになるので処置法のような個別具体的なものでないかぎり許されない。条例は、横出し条例や上乗せ条例の論点がありますが、あえて法律が禁止していない部分に禁止規範を設けるような場合を除いて条例における処罰は民意が反映されているので可能ということになります。奈良県のため池条例とか、有名な判例もあるしー
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 結論から言いますと、刑法で犯罪とされていなくとも条例で犯罪と処罰できますし、原則として法律によることが必要とされるのは、法律によらない科刑を禁止する憲法第31条と、法律の委任なしに政令に罰則を設ける事を禁止している憲法第73条第6号との関係からです。



 刑法の原則は罪刑法定主義ですので、罰則は国会の制定する形式的意味の法律で定められなければならないのが原則です。また、憲法第31条は、法律の手続きによらなければ刑罰は科されないとしていますので、条例では刑罰を科せられないようにみえます。

 しかし、憲法第73条6号は、政令には法律の委任がなければ罰則を設ける事が出来ないと規定していますが、反対解釈すると、法律の委任があれば政令に罰則を設ける事ができるとなり、法律以外でも委任があれば罰則が設けられる事になります。
 憲法第94条は法律の範囲内で地方自治体は条例を制定できるとしています。また、政令は行政府が制定するものですが、条例は公選の議員で組織される地方自治体の議会の議決で制定されるというもので、国民が公選した国会議員で組織される国会の議決で制定される法律と同じようなものといえます。ですから、条例により罰則を設ける際は、法律の授権が相当な程度に具体的であり、限定されていれば足りるとされています。このため、地方自治法第14条第1項は第2条第2項の事務については法令に違反しない限りにおいて、条例を制定できるとし、第5項で2年以下の懲役等一定の罰則を条例に設ける事ができるとしている点から法律の委任があったとみなせます。

 以上の点から、刑法で犯罪とされていなくとも条例で犯罪と処罰でき、原則として法律によることが必要とされます。
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具体的符号説は、この錯誤の場合に故意は認められないと主張しています。
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 方法の錯誤では、その錯誤を重要なもの(=故意を否定)とするのは
 一貫していない。

と思われます。

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司会者だった。
この場合、その司会者の人への故意は認められるということになります。
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事実の錯誤では、客体の錯誤と方法の錯誤があると
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故意が認められるかどうか判断がわかれるのは、
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法定的符号説では、故意を認めますが、
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 これを少し考えてみるに,多くの文献では半ばスルーされているように思うのですが,「債務の本旨」が何たるかの主張立証責任は,債権者にあります。ここの押さえが十分でないため,何となく,分かったような分からないような議論になると思えます。

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 問題意識の所在が,文面からは必ずしも明らかでないのですが,以下,私見として述べます。

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