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学問にそんな力はあると思いますか?
勉強をし知識を蓄える。見聞が広がり人生が豊かになる。

果たしてそうでしょうか?

識字率を高めて国は豊かになったかもしれませんが、犯罪が減ったでしょうか?

差別が減ったでしょうか?
逆に勉強をし知識を蓄えたという自負から、人を見下す心が発生していないでしょうか?

職業に貴賎はなしと言われ、
どのような仕事も社会に必要とされているものであるとされていましたが、
学問を究めた方ほど職業に優劣をつける傾向にある。

アカデミックハラスメントというものあります。
学問を究めた教授や教職員がその権力を濫用して学生や配下の教員に対して行う様々な嫌がらせ行為ですね。

昨今ゆとり教育への不満から、ゆとりだからダメだとか申す者も現れている。
「ゆとりだからダメ」という論拠には、学問は人格形成に役立つと盲目的に信じているのではないのか?

しかしながら上記の事例を見る限り、学問に人を豊かにする力は備わっていないように思うのです。

学問に人を豊かにする力はあるのでしょうか?


この質問は純粋な疑問であり、
勉強をすることを否定しているのではありません。

A 回答 (13件中11~13件)

love_pet2さんのご質問の内容は概ねなるほどと思いますが、少し意見が違う所もあります。



「学問を勉強をし知識を蓄える。見聞が広がり人生が豊かになる」はそうだと思います。しかし学問を勉強し知識を蓄えると全ての人が見聞が広がり人生が豊かになるとは限りませんね。

といいますのは「人を見下す心が発生」と書かれているように、学問をした人全てが人格向上するかといえばNOだからです。私が勤めていた環境では日本最高峰の大学を出ている人がたくさんいました。石を投げたら当たるほどです。ですが人格が伴っている人は非常に少なかったです。

戦前の帝国大学そしてそこに至る旧制中学、旧制高等学校では人格形成がまず基本でした。文系であろうが理系であろうが皆哲学書を読み、語り合いました。しかし戦後はGHQによって戦前教育のほとんどが否定されました。替わって経済発展という新たな目標に向けて学問を学ぶ人が多くなりました。そしてそこでは人格形成ではなく、お金という豊かさが顕在化されていきました。

ですから、全てとはいいませんが現代の旧帝大を目標とする子ども達も立派な人間になるというよりも豊かさという一段高いステータスを得るために猛勉強をするようになりました。
それゆえ、学問を究めたからといって高い人格をもった尊敬される人間には必ずしもなっていないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/21 20:49

 こんにちは。



 ★ 学問は人を豊かにするのか?
 ☆ という疑問が持たれたのなら それについて学問します。

 ★  学問にそんな力はあると思いますか?
 ☆ あるかどうかについても 学問します。

 たぶん学問を欠くならば よけいに《人を豊かにする》すべがとぼしくなると考えられます。

 ★ 識字率を高めて国は豊かになったかもしれませんが、犯罪が減ったでしょうか?
 ☆ についても学問することになります。

 以下 同じくその疑問や問題の現われるそのつど 学問をすすめていくことになると考えられます。
 ★ 差別が減ったでしょうか?
 ★ 逆に勉強をし知識を蓄えたという自負から、人を見下す心が発生していないでしょうか?





 ただし 学問は おもに世界におけるものごとを対象として研究します。
 そのように研究し学問する人間や本人については 対象としていません。

 哲学が――社会科学や自然科学をもふくめた意味で―― その学問が採り残しておいてある人間についてまなびます。 
 あるいは しばしば この人間についての学問も 人間を対象とすることと 言わばニンゲンするということとは まだやはり別だという見方が成り立つようです。

 その問題は 一般に経験合理性にもとづく学問を超えて 信仰の領域に入ることがあります。しかも この信仰から得られた思想内容は こんどは いわゆる宗教のオシエとなって持たれるのがつねです。そしてしかも このオシエは ワタシの信仰という動態において得られた断片的な思想であって 信じるものではなく まして人間の境地を現わすものとは わづかの隙間によって違って来ており そのときにはむしろ生と死との違いを持つと考えられます。

 信仰の動態が 生きた実践であり生活です。宗教のオシエは そのつど脱皮したかのごとくに遺して行く蝉の抜け殻であり 言わば里程標です。すでに過去のものであり その意味では死んだ信仰です。


 結論としては 哲学を基礎としつつ 信仰をおしすすめるところに あたらしい思想を得ることができる。こういった《学問》の行き着く場があると考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/21 17:45

『豊かさ』の定義にもよりますが、端的に言えば豊かさには繋がりません。



経済的や生活向上には学は必須です。

石器を手にした人類が人口を増加させたように。

それが良い事かは私には判断出来ませんが。


ただし心の充足に現代の学の扱いが有効かは疑問です。

今の世の学問は言い切ってしまえば、戦争で勝つ為の学問です。

敵に優位に立つ為に競争をしています。

本当に学が大切ならば、門戸を開放してもいいはずです。

しかし実際は選抜の為に学は用いられています。

予め、学を受けられる人間を決めてしまっているのです。


学問自体には力が在りますから、学はもっと自由で在るべきだと私は考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/21 17:44

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