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登場人物の心理描写や過去など一切語らない完全客観型についての質問です。
見たまま、ありのままを伝えるこの視点ですが、こういった場合はその内に入るのでしょうか?

「いつも暗かった彼女が、紙とペンを持った途端生き生きとしだした。どうやら絵が得意なようだ。」

これは完全客観型ですか? 最後の「~なようだ」は個人的な予想や推測が含まれていませんか? こういうのはダメなんですよね? もうひとつ、

「Aは台所にお湯を沸かしに行った。途中、B子から電話がかかってきて、『お風呂も沸かしといて』と頼まれた。Aは溜め息を吐いた。どうやらまた、あの臭い女が来るようだ。」

"~のようだ。"←これって許されるのでしょうか? B子が家に来るとしても、臭いとは限りませんし、あくまで語り手の予想ですよね。こういった"予想"が許されるのなら、「~に違いない」とか「~だろう」とかもOKになります。
小説を書いているんですが、どこからどこまでOKなのかわからなくなってしまいました。
全部教えてとは言いません。いま例に挙げた"予想"や"推測"がOKなのかNGなのかどうかだけでも知りたいです。
よろしくおねがいします。

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A 回答 (8件)

人によって多少用語は異なるのですが、質問者さんが聞いておられるのは、いわゆる「外的視点の小説」、どの人物の内面にも入り込まない、ちょうどヘミングウェイの『殺し屋』のような小説を考えておられるのですね。



厳密な外的視点で記述しようとするならば、作家による心理分析も、内的独白も、「予想も推測もだめです。彼は思った」「感じた」「内心、そう思った」という表現の一切は不可能になります。

> 「いつも暗かった彼女が、紙とペンを持った途端生き生きとしだした。どうやら絵が得意なようだ。」

まず「暗かった」がだめです。暗いという評価はいったい誰のものなのか。
「生き生きと」もだめです。「得意なようだ」ももちろんだめです。

> どうやらまた、あの臭い女が来るようだ。

これは内的独白なので、カギ括弧にくくって「独り言」にしてしまえば大丈夫です。内的独白を地の文に紛れ込ませることはNGです。

作家は作中人物や舞台設定について、「見えるもの」を描写することができるし、過去の出来事の要約もできますが、人物の思想や内面(どんな性格であるか)、それに、出来事についての感想を伝えることはできません。けれど、それら以外のことならなんでもできます。

ですので、行動そのものよりも、行動に対する人間の反応の方が重要となるような心理的な物語には適しませんが、作家は人物の心の外にいて、外的な事件については全知です。人物の過去や現在について、読者の欲しい情報は、何でも与えることができます。

このスタイルを確立したのはダシール・ハメットで、彼の作品は厳密に規準が設けられていますので、おそらく参考になると思います。どれでも良いので、一度手に取ることをおすすめします。うまく使いこなせば、劇的で、ワイルドな効果をあげることができると思いますので、がんばってみてください。
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この回答へのお礼

素晴らしいです。貴方のような先生に私は師事したい。

無知で申し訳ないのですが、ヘミングウェイの『殺し屋』はこちらでしょうか。
http://f59.aaacafe.ne.jp/~walkinon/killers.html

初めて読みましたが、まさにこれが私の書きたかった小説です。
こういうのは"叙事体"と言うのでしょうか? 徹底的に主観を排していますね。
私は村上春樹の小説を読んだことがないのですが、彼はいつかこんなことを仰ってました。
「何かを人に呑みこませようとするとき、必要なのは、簡易な言葉と、良きメタファー、効果的なアレゴリーだ」
メタファーもアレゴリーも遣えないんですよね、完全客観型って。そこをどう工夫するのか、悩み所ですね。
小説ってそういう例え話とかが面白いんじゃないですか。作者の個性が出る所ですものね。中々骨が折れそうです。

ふと疑問に思ったのですが、完全客観型にも色々あるのでしょうか?
私は、この"ヘミングウェイの『殺し屋』"みたいな文体のみを指しているのだと思いましたが……。
主観を徹底的に排した語り口以外にも、完全客観型は存在するのでしょうか?

>まず「暗かった」がだめです。
なにかが脳天を直撃したようでした。「暗かった」含め、個人的な評価ばかりの文になっていました。
言われてから気づくようではダメですね……。精進しないと。

二つ目の例文、「どうやらまた、あの臭い女が来るようだ」っていうところまでは完全客観型になってましたか?
すみません、気になってしまって……。

ダシール・ハメットの小説もヘミングウェイの『殺し屋』みたいな文体なのですね。
今度読んでみたいと思います。ありがとうございます。本当にありがとうございます。

お礼日時:2014/01/16 02:10

> ふと疑問に思ったのですが、完全客観型にも色々あるのでしょうか?



人によって分類のやり方も用語もちがうので、外的視点の小説も、さらに細かく分類している人がいるかもしれないのですが、わたしは知りません。ただ、単に「外的視点」であるだけでなく、「完全客観型」(つまり、一切の主観・評価を交えない)と定義すると、作品はきわめて限られたものになり、それ以上の分類は不可能なのではないかと思われます。

ただ、あくまで外的視点を貫き、語り手は主観を排して心理や思考の一切入り込まないままでも、登場人物の内面や思考を表現することは可能でしょう。ヘミングウェイの『殺し屋』のように感情的な要素を一切排除することによって、テンポをあげ緊張感を高めるような「行動小説」とは異なる種類の作品は可能だと思います。

だた、実際にどんな作品小説があるかといろいろ考えてみたのですが、ちょっと思い当たらず、結局は戯曲になってしまうんです。戯曲では、語りが存在せず、すべてが登場人物の言葉によって語られます。さらに、その人の内面や心理は、小説のように地の文で説明されたりはしませんから。

確か三谷幸喜がどこかで書いていたのですが、向田邦子の『阿修羅のごとく』の中で、三女が公衆電話から長女に電話をかける。長女は話し相手になっていたのですが、何かの用事で電話を離れ、それっきり忘れてしまう。ずいぶん時間がたってから、電話がかかっていたの思い出して、てっきり切れているだろうと受話器を取り上げると、三女はまだずっと待っていた…という場面で、長女と三女の関係ばかりでなく、三女のじっとりとしたひととなりまでも浮かび上がらせていて見事だった、下手な脚本家だったら、全部言葉で説明してしまうのに、というのがありました。

最近ではドラマでもなんだか説明的なせりふが多くて、「あなたは~と思ったんでしょう? だけど、わたしは……だと思うの」といった具合に、やたら議論ばかりしていたり、ナレーターが「~と思うA子であった」と心理を解説してくれたりしますが、本来の戯曲は、目に見える行動のうちに内面が描かれているものです。そうしてそれは演出家や演技者の助けが必要となるのであって、シェイクスピアなどを除くと、戯曲だけ読んでもそれほどおもしろいものではありません。

完全に行動的な小説、緊張感とスピード感のある小説を書くのか、それとも人生を再現するような小説を書こうとしているのか。

読者の多くは、内面の心理や思考までもドラマ化されている作品の方を「豊か」と感じ、より好むものです。ですので、ヘミングウェイやハメットのような作品にならおうとすると、失うものが少なからずあることは覚悟しておいたほうが良いでしょう。

語りのスタイルは、自分の書こうとするものによって決まってきます。
実作の助けになるようにまとめてみます。

語り手は、まず
「一人称か三人称か」
に分けることができます。

一人称であれば、主人公が語り手の場合(たとえば漱石の『坊ちゃん』)、観察者が語り手の場合(たとえば『吾輩は猫である』)、複数の人物が語り手の場合(芥川の『藪の中』)が考えられます。

主人公=語り手の場合は、読者は主人公の語りを直接聞くことになりますから、両者の関係は緊密になります(たとえば太宰治の『人間失格』の主人公にめちゃくちゃ感情移入する人はけっこういます)。こうして簡単に作中人物との一体感を覚えさせ、情緒的な効果を増すことができます。たとえば、ポーの『黒猫』を三人称で書き直すと、ばかげた物語になってしまうのですが、一人称で語ることによって、恐怖をかき立てることに成功しています。また、たいていの告白モノや怪談もこの語りが取り入れられます。そうすることで、実際にあったことだと読者に信用させ、読者と共に体験することができるのです。

小説の特徴としては、この一人称の語り手は、むしろ悪人の方がいきいきとしてくるということにあります。どうしてそんな悪いことをしてしまったのか、悪人はいきいきと語ってくれます。逆に、主人公が立派な人物であるとするなら、その物語は説教臭く、退屈でたまらないものになります。

つぎに、観察者が語り手の場合、大きな利点は、主人公の客観描写が可能になってくることです。ワトソンがいなければシャーロック・ホームズがどんな人物か、あれほどまでにくっきりとしたイメージを持つことはできません。

確かに観察者は主人公の心の中に入っていくことはできないし、作者ではないので、全知ではありません。その場に居合わせなければ、何が起こったのかも知ることはできません。けれども、何もかも分かってしまうと、話としてはだめになってしまうような作品の場合(たとえばミステリ)、知識が不完全であることは、逆に大きな武器になっていきます。ひとつひとつ明らかになっていく過程を、読者と語り手は共有できるからです。
また、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』のように、最後までどこか謎のある人物を語るときにも、有効な手法です。

数人の人物がそれぞれ一人称で語る場合、語られる出来事の信憑性が高まります。さまざまな角度から語られることで、出来事は立体的となり、同時にそれを語る登場人物のことも浮き彫りにしてくれます。スティーヴン・キングの『キャリー』は、さまざまな語り手を用意することで、実際にはありえないような話を、臨場感をもって描き出すことに成功しています。

三人称であれば、大きく分けて全知の語り手か、単一人物の視点を通した語りか、複数人物の視点を通した語りか、外的視点の語りかになるかと思います。

全知の語り手は、あらゆる人の心の中に入っていって、たえず移動し、読者は作者の報告を聞くことになります。たとえばトルストイの『アンナ・カレーニナ』では、語り手は縦横無尽に動き回り、読者に向けて警句を発したかと思えば、登場人物の外見を説明してくれ、内心にまで立ち入り、問題の背後にあるものを教えてくれます。

ただこの手法は、いまではいささか古くさいものになっていて、多くの登場人物の内面に入り込みたいときでも、複数の人物の視点を通して語られることの方が多くなっています。

宮部みゆきの『ソロモンの偽証』でも、ある場面では藤野涼子の心の中に入っていくけれども、別の場面では野田健一の感情の揺れを追うことになっていき、ところどころで作者の感想(「そのことに気づいてはいなかった」のように)はさしはさまれても、トルストイなどにくらべるとずいぶん目立たないものです。

単一人物の視点を通した語りは、行動に統一を与えたり、緊張感を持たせたりするのに優れた手法です。一人物の心、一人物の目を通したものとして表現されると、物語に一貫性のある筋を通すことができます。

たとえばタロウという人物が視点だとすると、「タロウは思った」とは言えても、その弟ジロウに関しては、「ジロウは考えているようすだった」と書くことができるにとどまります。また、タロウが居合わせないところで、ジロウが何をしているかは、タロウにはわかりません。その意味で、この手法は窮屈なものですが、一人称で語らないで、しかも一人の人間の精神の動きを表現するのには適しています。なんといっても数人の人間をかき分けるのは技術的にも大変なので。

そうして、先にも書いた「外的視点の語り」です。

自分の書こうとするものに見合う「語り」を見つけてください。

卒論であれ、小説であれ、どのようなものであっても、ひとつのまとまったものを自分だけの力で書き上げるというのは、大変なことと思います。

何よりも厄介なのは、途中で、こんなことを書いて何になるというのだろう、とか、こんなつまらないものを書いて、とか、無意味なことをしているのではないか、とかという声が絶えず耳元で聞こえてくることです。自分のダメ出しに負けないで、とにかく最後まで書け、と自分を励ませる人になってください。健闘を祈ります。
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この回答へのお礼

非常に為になるお話しありがとうございました。
色々と挫けそうになることもあると思いますが、めげずに頑張っていきたいと思います。

お礼日時:2014/01/19 13:08

それだけみると会話中心ですね。


地の文は語り手という人格のいる感じが全くしません。そういうことなんでしょう。例文とは月とすっぽんに感じました。
ご紹介のは今の私には好きになれない文体なので流し読みしましたが予測めいた事は見当たらなかった。やはりしない方が完全度の高い完全客観なのでは。
ある意味楽な文体ですね。問題は機械的な語りだけで面白く出来るかになるのでしょう。
だから、していいのですかという甘えをしない方がいいのでは。ようだは語り手に人格性があります。人格性を出すなら、完全客観を求めていないのではと指摘したくなります。本気なら、ただカメラを回せ、映画を活字で取れ、でしょう。私は独白に頼るのこそ拙いと判断しますが独白はありでしょう。映画やドラマにもあります。良い映画にはないと思っています。
もちろん良さは貴方が決める事です。
映画なら汎用というかそれが映画なのですが活字にするとハードボイルド効果になりませんかね。
例文からハードボイルドは予想だにしませんでした。無い物ねだりの憧れでしょうか。大変です、自分の感性との戦いが始まりそうですね。ただし、無責任に言いますけど文体としては楽だと思います。科学的考察で主観客観をいつも判別しているので客観描写の精神性にまるで憧れのない私を基準にするとむしろ視点間違いが起こりにくい文体です。
面白い話題なんですけどまるで法則化されていないように思います(作品例を頼る議論なのだから)。
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眼前に現象するものを現実の眼の高さ(位置)で客観描写することと、高いところに位置することが多い「神の眼」は大いに違うということから、もう一度、考えなくては話にならないと思う。



貴方の考えていることは、大昔に流行したヌーボーロマン関係書籍を一冊読めば直ぐに分かる。
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「Aは余りの臭いのキツさに顔をそむけた」



どうでしょうか完全客観。

「Aは溜め息のような息をついた」

客観という概念が扱いにくい(詭弁もどきな)のですが更に完全というのはどういう成り行きなんでしょう。何かもがきのような物だけは感じられます。

完全客観の小説はありますか。ご存知でしたら教えてください。どうです?

本当、私に候補を教えてください。貴方が影響された、手本にされた小説は?
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この回答へのお礼

こちらです。ついいましがた知ったのですが。
http://f59.aaacafe.ne.jp/~walkinon/killers.html

お礼日時:2014/01/16 02:18

日本語文法の議論のグダグダさを再確認するまでもありませんが、お求めの正当性は無いんですよ。

個々の流儀が正統だという宗教論争以下の感覚論です。

ですから、個別的にされてですね。例ではなく完成した具体的な文脈を国語カテゴリに提示されて、これで視点のズレなど客観性に問題ありと批判されますか、と再質問なさる。個別にです。

ようだと語るのは神視点ではないからむしろ神視点を挿入しない方を注意しなくていいのだろうか。つまり心理の事実を描写できない語り手がどこまで世界を見通してしまってもそれは神ではなく客観だと違和感なく物語れるか。
ようだは覗き的な語り手ですよね。

本音を言いますと私も質問者と同じ要求をサイトや出版物にしたいのですが信頼感の持てる説明文が見当たらないでしょう。それを探すご質問でもいいけど、視点の専門書ありますか?みたくなるのでは。しっかりと分厚く完結した名書が出回っている様子がないのは是非は下らない正当性によるという真相に思いますよ。なんで名書がないの(笑)
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可能かどうかは貴方が決める事で通用するかは読者ごとでしょ。

出版目的であれば出版者が第一関門。

可能かどうかではなく使わないの普通なのでは?使わない表現なら認められるとしてそれを捨ててする意味があるか?それだけの事ですよ。認められたらそれから正当性を持つ意見に変わる。認められる文芸力のある作家は使用しないのでは?だから議論の対象になるわけです。文芸力のある完全客観にようだようだと使われていないからでしょう。可能かどうかじゃなくて他の表現にした方が上等だから試されないのです。

Aの例は多元視点で行けという前の回答です。完全客観ではないのです、Aの溜め息に絡んでしまうから、Aの視点を語り手が代弁する、同じ構造なのです。
その予測を要れないか、Aの予測とするかです。予測を書く必要がないのに可能かどうかのリスクを冒す作家はいないという。

私もこの話題は関心があるんですが世の中に賢い人がたくさんいるのにこの判然としない現状は判然としているという前提者が馬鹿で混乱のもとだと結論できます。しょせんは芸事という事です。
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この回答へのお礼

そうですね。2つ目の例文はおかしかったかもしれませんね。
まず間違いなく言えることは、もし、この2つ目の例文を完全客観にしたいのなら、「どうやらまた~」という最後の一文を取り除いたほうがいい、ということですね。

小説って難しいですね。
こういった法則があるにはあるんだけど、どういうことをしたらNGで、どこまでの範囲がOKなのかとか、良くわからないですものね。

お礼日時:2014/01/15 19:38

貴方以上に分かっていない素人ですが三人称=客観という定義なんですか。

三人称は人称であり、客観は客観的に描写するかですが両者が等号になるならその客観は三人称であり語り手の主観描写ではないの?語り手が客観的に語るかは人称とは別。
語り手が客観かはさらに別なのでは。それを求める作風なら疑わしきは使わない事です。作者自身が疑問な事を採用しない。
三人称で登場者の主観を持ち込まないのが三人称完全客観ならようだは使っていいと思う。
そのルールで客観的に面白い作品になるかはまた別。
OKもNGもなくそういう事。ようだと予測する文体が受けるかどうかでしょ。
私は嫌いです。
彼女は絵が得意だったで何故まずい?
B子の方は客観は難しいというかインチキ。Aの溜め息の原因だからAの予測。Aは予測したようだじゃないの。
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この回答へのお礼

私も人に教えられるほど詳しくはないんですが、三人称にはいくつか種類があるようです。
三人称 神視点(完全客観型)
三人称 神視点(多元視点型)
三人称 一元視点
もし二つ目の例文をAの予測にしてしまうと、それはAに視点移動したことになり、Aの主観が入ることになります。
この時点で三人称 一元視点になります。(神視点ではなくなる)

問題は、神が予想や推測をしてもいいのかということですね。
ご意見いただきありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2014/01/15 12:05

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「ともすれば」の意味がわからず、辞書で調べてみたんですが、「ともすると」と同じと書いてあり、「ともすると」を調べると「ややもすると」、「どうかすると」となっていて、具体的にどういう意味なのかよくわかりません。
意味の分かる方、教えてください。

Aベストアンサー

この「ともすれば」は、その前に何か説明を補うところであっても、その後に続く言葉と重複するので、その前を省略して使われる言葉です。

たとえば「ともすれば私たちは、うっかり忘れがちである」という用い方をしますが、これは

「うっかり忘れてしまうときは、私たちは、うっかり忘れがちである」

という文章と同じことだと思います。

また、「ともすれば」とは「ケースバイケースで」ということと同じときにも使われています。
やはり、その後に続くことを「ケースバイケースでありうる」ということを言っています。

こんな説明でいいでしょうか?

Q論述式の回答の書き方のご指南ください

もうそろそろ、定期試験の時期なのですが、
大学の試験ってけっこう論述問題が多いことに驚きました。高校のころは、まったくと言っていいほど論述問題がなかったので、どうやったらいいのか、ホトホト困ってます。
いろいろ検索サイトでHITさせたり、ここでも過去の質問を見たりして参考にしています。

そこで、今一度、皆様の論述式の回答の書き方を教えてほしいのです。どうかご指南よろしくお願いします。

Aベストアンサー

当方、大学生です。
書きやすく、いい評価になるのは、
1.一番最初に結論を書く。
2.それについて理由や説明を挙げる。述べる個数も宣言する。
3.最後に結論をもう一度書いて締める。

例えば、「キリスト教における愛について書け(テキト-な課題です。汗)」だとしたら、

「キリスト教における愛とは○○だと言える。
 それについて、3つの観点から述べる。
 まず第一に、~~。第二に、~~。最後に~~。
 以上の事由から、キリスト教における愛は○○だと言える」

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できたら、授業中に先生がおっしゃったこと(本にはない具体例とか)や、参考図書から得た知識を交えたりすると、「ちゃんと授業聞いてますよ、ちゃんと本読んで勉強してますよ」とアピールできて、なおよしです☆

がんばっていきましょう(^^)

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小説家を目指して、本格的に勉強し始めたばかりの初心者です。
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複数の人物の心境を書きたい場合は、少なくとも二つの方法がありますよね。

ひとつは、いわゆる「神様視点」。
神様のように何でも知っている立場に立って、
いろいろな登場人物の心境を三人称で書くという方法。
ただ、神様視点で三人称を行き来するのは、うまく書ければ自然に読めますが、
実際にはかなり難しいですよね。
書き始めの人にはあまりお勧めされない手法です。

もうひとつは、一人称を複数設定する方法。
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村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」とか。
一人称が複数あるので、複数の人が「私」とか「僕」で話を進めます。
ただしこの場合、切り替えをハッキリさせる必要があります。
「世界の終わり……」であれば、ハッキリと章が分かれていて、
どちらの一人称か、わかりやすく切り替わります。

同じような意味では「往復書簡スタイル」も、
一人称が切り替わるタイプの方法ですね。
宮本輝の「錦繍」とか。
どちらの手紙も当然一人称ですが、それが手紙の切り替わりとして
ハッキリ展開されるので、読者は混乱しないようになっています。

「同じ時間を二人がどうやって別々に、そして実は繋がってすごしているか」を書くなら、
「世界の終わり……」が参考になるんじゃないでしょうか。
別々の時間だけど、相互のやり取りでストーリーが進むタイプなら、
「錦繍」が参考になるかもしれません。

主人公が二人いても全然問題ないと思いますが、
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「世界の終わり……」は、まだお読みでないのでしたら、ぜひ読まれるといいんじゃないかな、と思います。
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Q一人称で書かれている小説

一人称(主人公視点)で書かれている小説で、オススメのものを教えてください。
日本の本でも外国の本でも、メジャーなものでもマイナーなものでもいいです。
ミステリー・恋愛などなど、ジャンルは問いません。
研究に使う可能性もあるので、ラノベ以外でお願いします。

※村上春樹、伊坂幸太郎、乙一、西尾維新や彼らの作風に似る本は除外していただけると嬉しいです。どうしても肌に合わないので…

過去の質問で出ているものはだいたいチェックしました。
よろしくお願いします!

Aベストアンサー

カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」他
 浮世の画家、わたしたちが孤児だったころ、など。

イシグロ氏は一人称に定評があり
「本人の目、思い込みを通した」事実を認識させたり
それが周囲の認識と違うことを突きつけたり
また、本人の考えの外側に事実があったりというのが得意だと思います。
ご両親は日本人ですが英国人なので、外国人作家扱いになります。

ただ村上春樹とは興味を持ち合っていたり、好んでる作家が重なっていたりもするので
ある意味通じるところがありますが…。
一人称を研究するにはいい作品だと思います。面白いですし。

有吉佐和子「非色」
こちらも、主観による判断とその後知る現実のギャップなど
一人称ならではの面白さがあると思います。
戦後の日本で進駐軍の黒人と結婚した女性。
娘への差別を機に渡米。
日本ではよく見えた米国軍人も、軍役を終え国では下層の生活をしている。
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Q二人称体で書かれた小説

普通の小説って一人称、または三人称体で書かれていますよね? 

でも、この前二人称体で書かれた小説があるらしいという話を聞きました。

二人称体で書かれた小説を教えて下さい!
よろしくお願いします!

Aベストアンサー

こんにちは。

推理小説でも良いでしょうか?
私の大好きな作家「法月綸太郎」さん「二の悲劇」です。

「君は・・・・」という手法です。
良かったらお読みになってください。
そしてこれを機に法月綸太郎さんのファンになっていただけると、良いな♪

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396325797/249-6168875-3935536#product-details

Q「返事を返す」に「違和感を感じる」。

二つ質問があります。
「返事を返す」と、「違和感を感じる」についてです。

まず一つ目の「返事を返す」。
耳にして何だか不思議に思いました。
意味が二重になっている気がしたからです。
「返事をする」で良いのではないでしょうか?

それと二つ目の「違和感を感じる」。
これは、私は普段使っていました。
けれども、間違った使い方だとOKwebのどこかの質問で知りました。
気をつけようと思っていたのですが、goo辞書で調べたところ、
「違和感を感じる」と載っていました。
「違和感を感じる」は間違いなんでしょうか?正しいのでしょうか?

詳しい方、ご回答をどうかよろしくお願いします。
ちなみに下記がgoo辞書です。
http://dictionary.goo.ne.jp/

Aベストアンサー

#5です。
「返事を返す」ですが、
わたしの感覚では、変な表現ではないですね。
「そんな返事を返すなよ!」とかいう場合は、確実に変じゃないですね。

語源やことばの成り立ちまで考えると、意味が重複しているものでも、実際の使用方法を考えるとそうではない場合は多いと思います。
例えば「犯罪」は「罪」+「犯す」という複合語であるという意識は希薄で、単に「罪」という意味で使われています。ですから、「犯罪を犯す」はちっともおかしくありません。

#3様の紹介しているサイトの記事で「被害をこうむる」が重言の例としてあげられていますが、わたしは、「被害を被る」も「犯罪」の例と同様で重言ではないと思います。

さらに、文脈まで考えると重言ではないと言える場合はもっとあります。

例えば、「店を開店する」とだけ聞くとはっきりと意味が被ってますが、「サラリーマン向けの店を開店する」とすると、不自然ではなくなります。
ついでに言うと、字面は重複してないけれど、
「この店の開店は、来月頭にスタートする」というと意味が重複しているので変だと思います。

・「意味」が重複がしているかが重要

ということを考えたときに、

・「意味」って、文脈や使用背景によって、変わってくる

ということにも着目しないといけないと思います。


そもそも、重言については、別に間違いでもなんでもなくて、自然か不自然かの問題だと思いますので(意味がかぶってもいいじゃないですか!)、そんなに気にすることはないと思いますよ^^

#5です。
「返事を返す」ですが、
わたしの感覚では、変な表現ではないですね。
「そんな返事を返すなよ!」とかいう場合は、確実に変じゃないですね。

語源やことばの成り立ちまで考えると、意味が重複しているものでも、実際の使用方法を考えるとそうではない場合は多いと思います。
例えば「犯罪」は「罪」+「犯す」という複合語であるという意識は希薄で、単に「罪」という意味で使われています。ですから、「犯罪を犯す」はちっともおかしくありません。

#3様の紹介しているサイトの記事で「被害...続きを読む

Q小説の書き方・視点の切り替えについて

雑誌投稿用の小説を書いています。

主に恋愛を主体とした小説なのですが、物語を書くにあてって、視点の切り替えについてお聞きしたいと思ってます。

以前はあまり小説というものを読まなかったので、最近の小説での話しか分かりませんが、小説の中で【視点を切り替える】という場面がありますよね?

例えば……
主人公Aとその相手Bの恋物語で、書き方は三人称です。
最初は主人公Aの視点で書き、中途で相手Bの視点を入れる。
(読んだ小説の場合では、段落というか行を空けて場面を切り替えるという手法を取り、主人公Aの視点から、相手Bの視点に切り替えていました)


私はこれまでずっと、物語は主人公の視点を通して書いていました。
それは、相手の気持ちが分かってしまうと、山場(告白の場面)などの盛り上がりに欠けてしまうと思っていたからです。


今読んでいる小説(小説雑誌)が、そういった形の物が多いので、もしかしたら私の書き方(主人公のみの視点で物語を進める)では、読み手には面白くないのでは?と悩んでいます。

私は前出の通り、これまで小説をあまり読んで来ませんでした。
なので、たくさん恋愛小説を読んでいる方や、プロの作家様などはどう考えているのか、全く分かりません。

これからもどんどん小説を書いて投稿して行きたいと思っているので、どうか詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教授下さい。


追伸:
恐らく小説の書き方は決まっていない、と言われる方がいらっしゃると思います。
勿論その考えは分かっておりますが、やはり読み手の事を考えた小説を書きたいと思っているので、参考意見という形でも構いませんから意見等を下さると嬉しいです。


よろしくお願いいたします。

雑誌投稿用の小説を書いています。

主に恋愛を主体とした小説なのですが、物語を書くにあてって、視点の切り替えについてお聞きしたいと思ってます。

以前はあまり小説というものを読まなかったので、最近の小説での話しか分かりませんが、小説の中で【視点を切り替える】という場面がありますよね?

例えば……
主人公Aとその相手Bの恋物語で、書き方は三人称です。
最初は主人公Aの視点で書き、中途で相手Bの視点を入れる。
(読んだ小説の場合では、段落というか行を空けて場面を切り替えるとい...続きを読む

Aベストアンサー

丁寧にありがとうございます。
とんちんかんな回答ですみません;

読み手のことを考えるのは重要ですよね。
ですが主人公以外の視点が必要な場合とそうでない場合ってありますよね。
必要ないならたとえその書き方が流行っていても、蛇足になってしまいます。
逆に必要ならしっかり書かないと読み進めていくうちに矛盾が出てきたり、展開についていけなくなります。

まわりにそのようなかたちの小説が多くても、それに倣うような書き方では平凡な、周りと同じような作風になってしまいます。
投稿して選ばれるのは、独自性とか自分の書き方が確立されているとか今までにない新しい形とか、そういった「審査員の目を引く」作品だと思います。だから自分の書き方に自信を持ってLove-Kabi様らしい作風を確立させて言ってはどうかなと思います。

書いているのはどんなジャンルですか?
何の雑誌に投稿されるのですか?
もし私が読んでいるジャンルならおすすめを紹介します。
頑張ってくださいね。

Q馬車で、人が乗る部分の名前は何ていうんですか?

馬車で、人が乗る部分の名前は何ていうんですか?

昔のイギリスが舞台の漫画を見ていて思ったんですけど、貴族が移動用に使っていた馬車のあの人が乗っている部分の名前って何ていうんですかね。

商人とかの馬車だと、荷物を積んでいる部分は荷台って言いますよね?
じゃあ、人間が乗っている場合は何ていうのかなと、ふと気になったんです。
ここも荷台でいいんでしょうか。

Aベストアンサー

1. 馬車屋のカタログを見ていると、人の乗り所の大きさを coach dimensions と下記のように言っているので、coach ということも出来るようです。

 http://www.coyaltix.com/landau.html

 もっとも車など全部をひっくるめて coach という場合もあり、イギリスでは鉄道の「客車」の意味にも使います。

下記のしたの方にはなかなかいい、馬車がでているのですが人が乗る部分の名前はありませんでした。

 http://www.coyaltix.com/victoria.html



2. 下記には「釣りかけのキャリッジ」(suspended carriage)という表現があり、懸架装置で人の載る部分が、車輪軸に直接繋がっていないので、緩衝装置となる表現があり、carriage とも言えそうです。

 http://en.wikipedia.org/wiki/Carriage


3. 何しろ山坂が多いため日本では駕篭が発達したものの、下記では西洋の馬車は9種も名前があったようですから、一語では言えなかったのでしょう。

 http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E9%A6%AC%E8%BB%8A_%E6%A7%98%E3%80%85%E3%81%AA%E9%A6%AC%E8%BB%8A

1. 馬車屋のカタログを見ていると、人の乗り所の大きさを coach dimensions と下記のように言っているので、coach ということも出来るようです。

 http://www.coyaltix.com/landau.html

 もっとも車など全部をひっくるめて coach という場合もあり、イギリスでは鉄道の「客車」の意味にも使います。

下記のしたの方にはなかなかいい、馬車がでているのですが人が乗る部分の名前はありませんでした。

 http://www.coyaltix.com/victoria.html



2. 下記には「釣りかけのキャリッジ」(suspended carriag...続きを読む

Q後をつける 跡をつける

辞書によると、尾行する場合は、「跡をつける」が正しいと書いてありました。言葉の意味としては、「後をつける」でも問題ないように思いますが、やはり「跡」が正しいのでしょうか。

Aベストアンサー

たしかにWeb辞書は『大辞泉』も『大辞林』も、尾行する場合も「跡をつける」になっていますね。「跡をつける」でも間違いではないのでしょう。
https://kotobank.jp/word/%E8%B7%A1%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%91%E3%82%8B-425819#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89

 こういう微妙な問題の場合、辞書の記述はあまりアテになりません。
 文化庁のサイトもありますが、いろいろな解釈ができそうです。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/ijidoukun_140221.pdf
==============引用開始
あと
跡-足の跡。苦心の跡が見える。容疑者の跡を追う。跡目を継ぐ。
後-後の祭り。後を頼んで行く。後から行く。後になり先になり。
==============引用終了

 一般的な表記を知りたければ、新聞社系の用字用語集を確認することをオススメします。
『記者ハンドブック』(共同通信社)の143ページには下記のようにあります。
==============引用開始
後〔先・前の対語、後続〕
後味、後々まで(中略)、後をつける(すぐ後ろをついて行く)(後略)

跡〔痕跡、相続〕足跡、跡形もない(中略)跡をつける〔痕跡を追う〕(後略)
==============引用終了

「なんらかの痕跡を残す」は「跡をつける」でしょう。
 警察犬が「(においの)痕跡を追う」なら「跡をつける」なのでしょう。
 通常の尾行なら「後をつける」のほうが一般的です。

 どちらでも間違いではないでしょうが、当方なら「後をつける」と書きます。もしくは「あとをつける」でしょうね。


 表記の問題に関して詳しくは下記をご参照ください。今回の場合は、2)でしょうね。
【「表記の話」のバックナンバー】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2902.html
 以下は一部の抜粋(重言)。
==============引用開始
 表記(漢字の使い分け)の問題は2種類に分けて考える必要があると思います。

1)使い分けないと間違いになる場合
2)使い分けるのは単なる「決め」の問題の場合

 たとえば「謝る」と「誤る」は明らかに意味が違うので1)でしょう。
「誤った」ことを「謝る」とは書けても、逆はありえません。このほかに「過ち」のことを考えだすと、ちょっと話がややこしくなります(笑)。

「生まれる」と「産まれる」の場合は2)でしょう。
 汎用性が高いのは「生まれる」でしょうから、「産まれる」と書くべきところを「生まれる」と書いても間違いではありません。単なる「決め」の問題です。ただ、逆にムヤミに「産まれる」を使うとヘンな感じになります。
 
 世間で広く使われている新聞の表記の基準だと、「生まれる」(生む)と「産まれる」(産む)の使い分けはおおむね以下のとおりです。
【生】〈死の対語〉
生まれ変わり、生まれ月、生みの親、傑作を生む、新記録が生まれる、明治生まれ、利潤を生む
【産】〈主として出産関係〉
産みの苦しみ、産み月、卵を産む

 上記の例のうち、「生みの親」あたりは悩ましいところかと思います。
「傑作を生むための産みの苦しみ」はヘンじゃないか、と言われても当方は責任がもてません。
==============引用終了

たしかにWeb辞書は『大辞泉』も『大辞林』も、尾行する場合も「跡をつける」になっていますね。「跡をつける」でも間違いではないのでしょう。
https://kotobank.jp/word/%E8%B7%A1%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%91%E3%82%8B-425819#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89

 こういう微妙な問題の場合、辞書の記述はあまりアテになりません。
 文化庁のサイトもありますが、いろいろな解釈ができそうです。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/ijidoukun_1...続きを読む

Q貴族の固有名称「ド」「フォン」とか

フランス貴族は「ド」
ドイツ貴族は「フォン」と名前の間に付くのはなんとなく頭の中で分かっているのですが(たぶん漫画か小説で読んで知ったのだと思います)
じゃ、イギリス・イタリア・スペイン貴族は名前に貴族を表すような固有名称はなんて付くのでしょうか?
ちなみにドとかフォンとかいうのは爵位ではありませんよね?
上記に上げた国以外で貴族の固有名称があればおしえてください。

Aベストアンサー

参考URLに書いたページで詳しく説明されています。

参考URL:http://www003.upp.so-net.ne.jp/detective_story/memo/memo08_aristocrat.htm


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