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死刑廃止論者の方は、どういった思考から廃止を唱えるのでしょうか?

人の罪(群衆から願われた・着せられた罪も)は、命で償うことが掟でした。(明治初期まで)

どうしたら人間の罪を許せるのでしょうか。

偶然の巡り合わせや、神の祟りに求めればいいのでしょうか。

A 回答 (8件)

 No6です。


 >誰か一人に罪を負わせないと怒りが納まらないのが人間ですから、ジレンマを感じますね<
 その「罪を負わせられる」人が、あなた、もしくはあなたの家族でも、かまわないのですか? ってことが問題ですね。「怒りが納まらない人間」は、そのことを認識できないのでしょうかね?
 それと、冤罪の場合、真犯人は逃げおおせている訳です。それで、誰でも良いから「誰か一人」に罪を被せれば、「怒りが納まる」って、それで被害者・遺族は本当に浮かばれるのか? も、問題ですね。
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この回答へのお礼

自分の考えを信じて疑わないのが人間です。
自分の過ちに気付くのはいつになるのか。

現在でも常識は変わります。
新事実で塗り替えられます。

裁判で犯人とされば、これは無実であっても人々から犯人というレッテルを貼られ、
裁判所のお墨付きをもらうわけです。

たぶん、お礼を書いただけまた書き込みが増えていくのでしょう。
他の方のご意見を覗いたいのですが、この方ばかりの回答で埋め尽くされ、
他の方が書き込む余地がなくなるのを懸念してこの辺で締め切り、改めたいと思います。

お礼日時:2014/01/30 15:29

No.1です。



(Q)被害者が「忘れる」「思い出等にして心にしまい込む」ということに
期待されているのでしょうか。
(A)いいえ。
そのような期待をするのは、思い上がりですよ。
被害者には、哀悼の意を表する以外に何もない。

(Q)一方、「死」とは絶対的であり、それ以上加害者に求めることが出来ない
最高位の償い。
(A)本当に最高位の償いなのでしょうか?
私は、そのことに非常に疑問に思っています。
死刑に処することで、加害者を楽にさせていることは、
本当にないのでしょうか?

世の中には、生きていることがつらくて自殺する人もいます。
ならば、死刑によって、そのような救いを与えている危険は
ないのでしょうか?
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この回答へのお礼

恐らく、生と死のそれぞれの世界のどちらに主軸を置くかによるのでしょう。

基本的に命あるものはすべて死にたくない。
しかし、スピリチアルな考え方もあります。
処罰される側がどちらかによるのかもしれません。

ただ、この生の世界から死を以て退場するという意味では、
最高位の償いなのでしょう。

お礼日時:2014/01/28 20:22

 私は死刑廃止論者ですが、その根拠は、ひとえに「冤罪の場合、取り返しがつかない」からです。



 死刑存続論者の理屈は、すべからく「死刑判決を受けた人=真犯人」を当然の前提とした理屈です。しかし、そのようなことは、なんら証明されていません。その意味で、死刑存続論者の理屈は、破綻しています。
 人間は神ではないのだから、絶対的真実は分かり得ません。どんなに刑事司法手続きを上手くやっても、冤罪の可能性はなくなり得ません。まして、日本の刑事司法は、冤罪だらけです。むしろ、冤罪を作り出すシステムに成り下がっています。
 ところが、死刑存続論者は、ほとんどの場合、刑事司法の実際を知りません。それどころか、刑事訴訟法の規定さえろくに知りません。知らないままに、論理的に破綻した理屈をを捏ね回している、というのが正直な私の感想です。
 死刑は、刑事訴訟の最終局面なのだから、刑事訴訟法等の規定、刑事司法の実際の運用等を知らずして、責任ある議論ができる訳ありません。

 死刑判決を受けた人が、必ず真犯人とは言い切れない。冤罪の可能性は払拭できない。冤罪の場合、死刑は執行されてしまったら、取り返しがつかない。したがって、死刑は廃止するべきである。これに尽きます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

冤罪の場合は、その通り根本から違いますね。
ただ、人からその罪を願われた場合や着せられた場合でも、
誰か一人に罪を負わせないと怒りが納まらないのが人間ですから、
ジレンマを感じますね。

お礼日時:2014/01/28 19:06

死刑制度が実施されている日本ですが、凶悪事件の発生はこの死刑制度にかかわり無く発生している、だから死刑制度は廃止せよ、となっています。



日本の場合は、被害者の身内並びにその者の周囲のに存在する被害者は、人命を奪った加害者は被害者同様の罰則が有って当然とかんがえる。
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今の死刑は密室で行われており、せっかくの見せしめの機会を台無しにしているからでしょう。

どうせなら、焼き殺したり、馬に繋いで体を引き裂いたりして、その映像をNHKで放映すべきです。

この回答への補足

補足ではないですが、
命の食べ方というDVDがあります。

牛肉も刺身もそのまま生きているわけではありませんよね。
お米を中性洗剤で洗うJKもいるそうですが。

そもそも命とはなんであるか。
私たちが生きているのは、たくさんの命の上に生きていることを自覚すべきですよね。

魚の解体ショーでは生ぬるいですね。
牛の解体を、鶏の解体を、しっかり教育の一環として見せるべきですよね。

補足日時:2014/01/30 15:34
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

ドイツなどでは魔女狩り等当時に使われた拷問具の博物館があり、
誰でも見学できます。

そういったものも日本にも必要かもしれませんね。

お礼日時:2014/01/28 19:08

<br /> ”死刑廃止論者の理屈とは?”<br />     ↑<br /> 色々あります。<br /> <br />

いが、生きている加害者には
 人権がある。
 故に、人権上は加害者が優先する。

2,冤罪の場合、取り返しがつかない。

3,真摯に反省している人間を死刑にするのは
  問題だ。
  
4,被害者でもない国家が殺害するからダメだ。

5,死刑を廃止したカナダでは、殺人が減少した。
 (これは数字のマジックですが)

6,廃止は世界の潮流である。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

犯罪者には、あらゆる一切の権利は剥奪されてしかるべきではありませんか。

その罪を犯すまでに、小さな罪のようなものを子どもの頃から繰り返してきているはずです。
罪を犯してから反省するのはどうでしょう?
罪を犯す前に、大人であるならば気がつき、自制するべきです。
特に、命が関わっていることは絶対原則だと思います。

人類の歴史から、欧米に牽引されないようにならないものですかね。

お礼日時:2014/01/28 19:03

遠島の復活。

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この回答へのお礼

それは掃き溜めというか、政府や国が管理できない無法地帯(島)を作ることではないですか。

お礼日時:2014/01/28 18:59

(1)復讐


現代の刑法の基本は、「目には目を」という古代の復讐法を
否定して、自由を奪って、刑務所に入れて、日々、反省させる
ということを目的としている。
にもかかわらず、「死に死を」というのは、死だけを特別扱いして、
復讐法的要素を残しているのであり、論理的に矛盾している。
もちろん、「死は特別なもの」ということに、一定の論理性と
説得力はあるが、「矛盾している」ことには違いない。

(2)死刑は法による殺人である
人を殺すことは、殺人であることには違いない。
死刑とは、法による殺人である。
従って、殺人者が人を殺すことと、法による死刑の執行は、
殺人という点で同じである。
手段と方法と倫理が違うだけのこと。
ならば、殺人者とそうではない一般人とを分ける
もっとも明確な線引きは、
「いかなる理由があろうとも決して人を殺さない」
という一線である。
死刑は、その一線を曖昧なものにして、
一般人に殺人の一端を担わせる矛盾をはらんでいる。

1円を盗んでも盗みは盗み。
盗人と一般人を分ける明確な一線は、
金額の大小ではなく、盗むという行為をするか、
しないか、という一線である。
殺人と死刑も同じ論理。

(3)許す
減刑なしの終身刑にして、一生刑務所に入れる。
決して、許すわけではない。
日本には、終身刑がないという問題がある。
従って、その点においては、法の不備と言わざるを得ない。
死刑を廃止するならば、終身刑を設けるべきである。
無期懲役は、必ずしも、終身刑ではない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

個別に回答していただき分かりやすいです。

「許す」ことはやはりできないのですね。
被害者が「忘れる」「思い出等にして心にしまい込む」ということに
期待されているのでしょうか。

一方、「死」とは絶対的であり、それ以上加害者に求めることが出来ない
最高位の償い。

お礼日時:2014/01/28 18:56

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