A 回答 (9件)
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No.9
- 回答日時:
alterd1953さん、こんにちは。
終わったころに参加します(笑)心とは命の別名(どこかで聞いたような・・・)
自分の心持を見るときに、どこかの景色を見るような思いをすることがあります。
心とは『自身の選び抜かれた景色』ではなかろうかと。。。
どうもです(笑)
>心とは命の別名
そうですね。
植物人間になっても生きていたい思う人間はまず居ないでしょうから
そう言えるかと思います。
>心とは『自身の選び抜かれた景色』ではなかろうかと。。。
こちらは、少し意表を突かれました。
でも、フッサールは「意識には指向性がある」と言ったようですから
下世話な言い方をしても
自分にとって重要で無いことに目は行かないですから
「選び抜かれた景色」が心そのものであると言うのは
リアルかも知れませんね。
ご回答ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
しばらく考えてみましたが、私にとっては”主観”の別名ですか。
他の方のご回答には、頷いたり、首をかしげたりでした。
気が向いたときに覗き込んだ鏡に映る自分の姿のことですね。
時として、人間は、鏡の向こう側にある風景を、心ならずも想像してしまいます。
あるときは、子供時代の妄想であり、死後の世界であり、氷の女王が支配する国だったりします。私が”鏡の前の少女”に惹かれるのも、鏡の中をみはるかす、少女の無邪気な、冒険心のせいだと思います。
この回答への補足
そろそろ締め切らせて頂きます。
現代でも「唯物論」と「唯心論」の対立があるように感じました。
今後も考え続けたいと思います。
皆様、ご回答ありがとうございました。
そうですね。
難しいですよね。
何か正しい判断をしようとする時
「心の声を聞け」なんて言いますが
おそらく、精神分析で言う「無意識」に近いものなのかなとも思います。
多分、多くは「願望」に支配されているように思いますが
現実離れした物も多いですからね。
でも、多少は、それも加味しないと、精神の健康の為にはいけないのかもしれません。
そして、その「主観」を見ているのは誰なのかという疑問も出て来ますので
全くもってややこしいです(笑)
ご回答ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
私は心とは、志向する"私"の羅針盤であると考えてみます。
心が世界を志向し、また読み解き、さらには味わうのであると思います。十年以上も前のことですが、縁あって永井氏にお会いしたことがあります。その時は空や悟りなどの話をしたと記憶しています。
私は永井氏の語る独我論には賛成しません。他人に心があるかないかなど分からないと言うならば、人類の生活そのものが成り立たなくなります。私はむしろ個を否定します。全体における1シーンが、私という主体であって、個性などはないと。
人類全体で一体の心を有しており、その共有の仕方の差異が、個性という風に目に映るのだと。
わかりにくいかもしれませんが、このように考えてみました。
なるほど「独我論」と反対の立場のようですね。
確かに、他人に「心」が無いと想像するのは難しいです。
そして、ヴィトゲンシュタインが「家族的相同」と言うように
一人一人が、重なる部分とそうでない部分があり
少しずつ全体に広がっているのかなと思います。
また、それぞれ、好みや思想の違いがありますが
それこそが「個性」なのではないかと思います。
後、ヒュームが
「森で、倒れた音が私に聞こえなかった木は
倒れなかったのだ」と言ったようですが
その感じは分かるものの
もし、その木が、ヒュームの暖炉で知らない内に使われていたとしたら
どこかしら「不遜」な感じもします。
いずれにせよ
チンパンジーとすら、DNAが2%しか違わないそうですし
人類がアフリカの一頭の猿から進化したとするなら
根本の部分はあまり違わないような気もします。
また、5億の精子との戦いに勝って生まれて来たのだから
とてつない勝者であるという考え方もありますが
別に他の精子であっても、そんなに違わなかったのではないかという気もします。
但し、「かけがえのない自分」と言う観念は一向に傷つかないとも思います。
ご回答ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
まず、基本的に「こころ」の領域の事柄は“人によって違う”ことを指し、対する「事実」は“人によって違わない”ことを指します。
誰が見ても、その色を赤と言うなら、それはもはや事実です。しかし、切り株のような木片があって、ある人はテーブルと呼び、ある人はイスと呼ぶ場合、限定的な部分ではありますが、こころの扱う問題となります。この世は、「こころ」と「事実」で出来ています。事実が大事ということを否定はしませんが、解釈、認識、捉え方、物の見方・・・によって、この世は変わってきます。そして、「こころ」を直接見ることはできません。自分の心でさえ、直接に認識することはできません。鏡に自分の姿を映して見るように、≪自分自身は見えない≫という法則があるかのようです。もし自分の心・気持ちが分かるように感じるなら、それは≪移し身≫しているからでしょう。何に。言葉とかイメージとか比喩とか、「自分」以外のものに一旦移(写・映)して、それを見ているのです。意識と言っても構いません。意識はブーメランのように‘行って返ってくる’ものであるのに対し、本能は‘行ってくるだけ’のものです。人間はこの≪移し身≫の術を得たことで、他の動物と違い、自分の「こころ」(感情・認識・信条など)について思索できるようになったのです。・・・≪移し身≫という表現はオリジナルです。
では、他人の「こころ」はどうやって見える(ように思う)のか。それは、自分の心を参考にして推し量っているからです。投影です。『自分だったら…』を他人に当てはめているのです。バランスボードの上に立つ人に横から力を加えると、バランスをうまくとっている人は力を敏感に感じ取りますが、ペタンと片方のへりを接地した人は力をよく感じ取れません。常に偏りのない心でいることは難しいですが、他者の心を推し量るためには重要です。また、そういう機序ですから、他者の心は量りきれない、という点も忘れてはいけないでしょう。
確かに「こころ」と「事実」とは、手触りと言うか確かさが格段に違いますね。
≪移し身≫と仰っていることは
ヴィトゲンシュタインの言う「写像」を連想します。
今後、その観点で読みたいと思います。
また、「バランスボード」の例えは
感覚の鋭敏さとバランスが重要であることを良く表わしていて分かり易いです。
ご回答ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
「心」というのは一人称で考える場合と三人称で考える場合とを区別しないといけません。
三人称とは現代の物理学・生理学とか脳科学が考えるもので、かれらは「心」を物理現象だとか、脳の活動の「機能」とか「随伴現象」だとか考えます。
それは人間を機械のように考えるもので、その場合の人間は「私」という固有名をもったものではなく、人間一般をモデルに考えるものです。
だけど「私」は人間一般ではなく、固有のもの、単独者です。
「心」もそれと同じで、「心」は私だけが有するもの、他人の「心」は私には見えませんし、直接的に知りえませんから、「ロボット」や「ゾンビ」と同じです。
いくら人間が生物で、生理的に解析できるからといって、「私」という固有名は生物に還元できないし、脳の「機能」でも「随伴現象」でもありません。
なぜ、「私」という固有のものがあるのか、また私の「心」というものがあるのか、それを三人称で語ることはできません。
三人称で語れば、私は人間一般になってしまいます。
物理学・生理学・脳科学は人間一般を論じることはできても、なぜ「私は私なのか?」を解き明かすことはできません。
一人称の「私」や「心」の存在は謎です。
それを考えるとしたら、一人称で考えざるを得ません。
物理学・生理学・脳科学では「心」は誰にでもあるものかもしれませんが、一人称で考えると他人は「心」なんて持っていません。
いいかえると「私」が唯一のように「心」も唯一のもので、他に代替できません。
私は永井均のファンで、かれの「独我論(ソリプシズム)」を正しいものと思っているから、他人に「心」があるとか、「心」は脳の「機能」だとか「随伴現象」だとかいう説を一切否定します。
「心」を物理学・生理学・脳科学で解き明かそうとするすべての試みに反対します。
行動主義者・ギルバート・ライルは「心」は物理的・生理的・脳科学的な対象ではなく、概念だと主著「心の概念」でいっています。
つまり、「心」というのはただの言葉にすぎない、と。
さまざまな心的現象、「喜ぶ」とか「悲しむ」とか「怒る」とかいう心的現象を総称した概念なのだ、と。
ライルは「心」が身体の内側にある、脳にあるという考えを「機械の中の幽霊」といって嘲笑しました。
そもそも「心」は身体と同じレベルにある存在者ではありません。
身体と並ぶ実体だと言ってデカルトは「心身二元論」を唱えたけど、身体は1階の概念、それに対して「心」は2階の概念だからレベル(ライルに言わせればカテゴリー)が違うのだから、水平的に対立するものではなく、垂直的に対立するもので、デカルトの唱えた「心身二元論」はライルに言わせれば「カテゴリー・ミステイク」なのです。
読み始めて直ぐに、ヴィトゲンシュタインの「独我論」を思い出しましたが
やはり、永井均ファンの方でしたか。
私も、ヴィトゲンシュタインの
「私が本当に言わんとすることを分かってはならないことが他者の本質である」
あるいは「自我は世界に含まれない、自我は世界の限界である」等の言葉に
強烈なリアリティを感じます。
後、「論理形式は示されるのみで、決して語り得ない」と言う言葉にならうと
「心」もまた語り得ないのかも知れませんね。
また、最後の方の「カテゴリー・ミステイク」は
ラッセルの「ロジカル・タイプ」を連想して興味深いです。
ご回答ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
こんにちは。
私は、心とは「脳という構造がまずあった上で種々の性質が混在している中、その全体の中で複数の局所的な状態が動的に連携することにより形成されたトータルの物理的性質が生み出す性質の一つ」だと考えています。万人に共通するような感情の大筋の枠組みというのは進化の過程で生存に有利なものとして遺伝子に組み込まれてきたのだと思います。それから個性に類する人格のようなものは、(遺伝子の中に、あるいは文化的土壌として)社会的動物としての大筋がある上で、成長しながら環境とタイアップして積み重ねられた個人的経験によって構築された個人の性格の方向性であると言えるのではないでしょうか。
そうですね。
「複数の局所的な状態が動的に連携することにより」等は
正に、大脳生理学が明らかにしつつあるみたいですね。
多分、そのバラツキ具合が性格に大きく影響するのではないかと思います。
また、性格に多様性があることは種の存続にとって、多分、良いことなんでしょうね。
そして「大筋」の部分が「普遍」と呼ばれる部分かも知れませんね。
ご回答ありがとうございました。
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