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戦前・戦中でも、一般家庭が写真館以外の場所で写真撮影をすることは可能だったのでしょうか?
できたとしたら費用はどのくらいかかったのでしょう?

A 回答 (3件)

    #1です。

補足です。

僕が見たのは#2さんのおっしゃるような高価なものでも小さなものでもなく、おそらくブローニー版で、厚さ3センチ縦横15x25センチぐらいで、黒の革張りでした。
    
    下記に「アサヒカメラ」の1932年6月号に錦華カメラの広告が出ていますが、ちょうどこんな感じでした。大名刺判と言う名前だったんですね。
    https://www.google.co.jp/search?q=%E5%86%99%E7%9 …

    真ん中の部分が蓋になっていて開けると、X型の枠の中に蛇腹が形を整える折り畳み式で、何しろ高等女学校の生徒が持ち歩くものですから、大きくも重くもありませんが36mm程小型ではありませんでした。

    母の弟は、写真が好きだっただけでなく、カーキチで、自分で車は持っていませんでしたが、ノートには、流線型の「未来の」空想の車がいっぱい描いてありました。

    
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この回答へのお礼

詳細な回答、ありがとうございます!興味深いです。

お礼日時:2014/02/18 09:51

ウィキより



「1930 - 1940年代ごろには「ライカ1台あれば家が一軒建てられる」と言われた。例えばアサヒカメラ1939年11月号に掲載されているライカIIIaクローム+エルマー50mmF3.5の価格は820円、ライカIIIaクローム+ズマール50mmF2は1200円であった。当時小さな貸家が500円で建てられ、1000円あれば場所にもよるが東京で土地付き一軒家が購入できた[1]。ただし、これには「カメラが高かった」ということだけでなく第二次世界大戦突入によりドイツからの輸入が困難になって価格が高騰した時期であることや、東京の土地が今より格段に安かったという要素もある」

キャノン普及型(J型) 昭和14年発売、195円
http://web.canon.jp/Camera-muse/camera/film/data …

当時一般サラリーマンの月給が40~50円とのことです。

今の感覚で言えばキャノンの普及型でさえ、100万円前後位の感覚でしょうか?

物価の基準が判らないので、私の個人的な判断ですが。


ライカは高価な部類に入るとは思いますが、写真は現像の為のランニングコストも相当に掛かるので、相応の分限者か道楽者、もしくは仕事としてかでなくば、普通は扱えるモノではありませんでした。
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この回答へのお礼

昔はそもそも写真を現像するのが大変だったんですね。ありがとうございます。

お礼日時:2014/02/18 09:50

1. 戦前・戦中でも、一般家庭が写真館以外の場所で写真撮影をすることは可能だったのでしょうか?



    はい、可能でした。母の弟は写真気違いでした。僕のうちでも戸棚を掃除していると蛇腹の写真機が出て来たので、母に「誰の?」ときくと、「私が女学校の時使ったのよ」といいました。

2。  できたとしたら費用はどのくらいかかったのでしょう?

    知りませんが大したことはなかったと思います。
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