羅生門についての感想文(論文のようなもの)を書きたいのですがどういうふうに書けばいいのかわかりません。アドバイスをお願いします。とくに羅生門の文末の黒洞々たる夜についてどんな世界なのか。この表現は何を表しどんな影響があるのか。また、何度もでてくるにきびの効果などを中心にアドバイスおねがします。今日中に必要なんです。

A 回答 (6件)

こんにちは。


芥川の作品について一言で言うなら「利己主義(エゴイズム)」です。
「人間にとって一番大切なのは自分」という大前提があって、話が進んでいきます。
羅生門の場合、雇い主の都合で職と宿を失った男がこの先どうしようか途方に暮れており、悪事を働いて生き長らえる事に対して決心がつかずにいる所に死人の髪を抜く老婆に出会う事で「悪事を働いているのは自分だけではない」と自分の欲望(生きるためには手段をえらばない事)を正当化する大義名分を得ます。
つまり暮れ時から夜へという光の変化がそのまま下人の心の変化を表しているのです。
これが真昼間だったらと映像でイメージすると下人の最後の行動はどこか後ろめたい印象になりますし、なんとなく続きがあるような雰囲気ですよね。
時代は平安ですから当然街灯などないし、現在ではイメージしにくいですが明かりのない夜というのは本当に真っ暗で自分の手も見えないのです(田舎に住んでいるので経験があるから断言できます)
黒洞々たる夜というのはそういった、本当の暗さを指しています。
作品舞台の時代では荒廃しきった世の中で道端に死体さえも当たり前のように転がり、屋敷もかなり痛んでいる。さらにそれすらも見えない暗さの中に悪事を働いて飛び込んでいく下人が、その行方を誰にも見届けられないというエンディングなんですね。
洞とはもともと空っぽの意味があります。それを洞々と重ねる事で黒い空っぽの中へ下人が飲み込まれていったかのような表現を使って「誰も知らない」という結びを効果的にしているわけです。
もっとも夜の自然な暗さとか洞という古語に馴染みのない現代人が読んでも芥川の意図したシーンをイメージする方が難しいんですけどね。
後にきびは他の方のご説明と同じで下人の年齢をイメージしやすくするためと話に動きをつけるための小道具になっていると思います。
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わたしも遅すぎましたか。


「黒洞々たる夜」=ダークというのとはちょっと違う見方もできるかもしれません。

日の光りを分析可能な世界と捉えるならば、「黒洞々たる夜」は境界線のない世界。
まさに日本的なあの世とこの世を行ったりきたりできたり、いいひとが悪いひとに、
悪い人だと思っていた人がいい人に、と境界線を軽々と行き来できる世界と捉える
ことはできないでしょうか。
おそらくその自由さは芥川自身の無意識の憧憬ではなかったでしょうか。

にきびを強引に当てはめるなら、膿と取るか若さの印と取るかの二重性を同時に
あらわしていると考えることもできますね。
くりかえし出てきながら、その両方を揺れていませんか。

おっとお後がよろしいようで。
確かに書きたいことはもっとあるけれど。
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下人のにきびですが、他の方の回答に有る「若さ」だけでなく


「ナルシスト」的な面を表していると言う説もあります。
見た目は全く気にしない男であれば、顔にできたにきびくらい
気にしませんよね。
しかし下人は非常に気にしてなんども触っています。
このことから、ナルシスト的な性格が見える、っていうことのようです。
「自分が可愛い」という考えは、他の行動にも表れてますよね。
お婆さんの服を剥ぎ取ってしまうあたりとか。

ところで、すでに6月4日になってしまっているので
実は回答はいらないのかな?(汗
もっと書きたいことはあるんですけど
すでに不要だったら悲しいので、ここらへんでやめておきます(笑)
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にきびについてですけど、


僕の高校時代の先生は、読者に親近感を持たせる効果があるって言ってました。
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「黒洞々たる夜について」


文字どおり真っ暗な夜と解してもいいですが、「下人が落ち込んだ人間の暗黒面」と解釈してもいいのではないでしょうか。
「にきびの効果」
下人が若いことも表しますが、迷っている場面ではにきびを触って気にし、決断と同時に手を離していますよ!
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僕は授業で、「にきび」は若い人間の象徴で、若い人間でさえも追剥をしなければいけないほど社会が腐敗しているという風に習いました。


また、全体の感想として最後の「男の行方は誰も知らない」というのがこの作品で最大のテーマでそこが考える中心で、男の若さなどを中心にといわれました。
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よろしくお願いいたします。



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遅れて済みませんでした。
意見は前回回答の時と同じですが、纏めて見ました。

普通に聞き取った場合。
アウスデン フォアバウト イス イーデン アウスプラーゲ
フェン デア ファーザー エス ウン タニント
デッドヒイン ラヒトン アン リヴァ ファーム ラク ガードゥン ウン イヴァザーザ 
ダフ フォークゥネン イドガテュア
フ ドイチェン カマディ ノーヴァン アイネン ヌア。
トゥ フォ ミー ファウン・・・

カタカナ読みで英語が混ざるとしてファンタジーで補足した場合。
フェン デア ファーザー エス ウンターニムト
ダ ドルト イン リヒトング アン デァ ファーム ラーク 
ガーデン ウント ユーバーゼーバール 
ドルト フォークゥネン(?) イドガテュア(?)
べドイテゥング カン マン ヌア ホン アイネン 
ヌア ツファー ミーア ファウン(?)

ドイツ語と思われる単語を置き換えた場合(文法無視)
Aus den Vorbauten ist イーデン(?) auspragen
Wenn der Vater es unternimmt
Da dort in Richtung an der Firm lag Garten und uebersehbar dort
フォークゥネン(?) イドガテュア(?)
Bedeutung kann man nur von einem nur, zuvor mir ファウン(?)

意味は繋がりません。庭とそこから見える景色に関する文を断片的に
集めたとも推察できます。

たけし君のお兄さんが学生だった頃の第二外国語のドイツ語授業は
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たけし君の兄とスイスの山奥の羊飼いのおじいさんは意志疎通ができる
かもしれません。わたしは力不足でした。

遅れて済みませんでした。
意見は前回回答の時と同じですが、纏めて見ました。

普通に聞き取った場合。
アウスデン フォアバウト イス イーデン アウスプラーゲ
フェン デア ファーザー エス ウン タニント
デッドヒイン ラヒトン アン リヴァ ファーム ラク ガードゥン ウン イヴァザーザ 
ダフ フォークゥネン イドガテュア
フ ドイチェン カマディ ノーヴァン アイネン ヌア。
トゥ フォ ミー ファウン・・・

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よろしくお願いします。

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>>どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はない。選んでいれば、築土ついじの下か、道ばたの土の上で、饑死うえじにをするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊ていかいした揚句あげくに、やっとこ...続きを読む

Aベストアンサー

まず、下人の思考の流れを押さえましょう。

①「どうにもならないことを、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はない」
②「手段を選ばないとすれば」
③「盗人になるより仕方がない」
ということですね。

「当然、その後にくる可き(べき)…」というのは、②の後に③となるのは自然な結論だ、というような意味です。

しかし、下人は「盗人になるよりほかに仕方がない」ということを「積極的に肯定するだけの、勇気が出」ないのです。そのために、「すれば」のかたがつかないのです。

下人は、「仕方がない」と思いつつも、盗人になる決心がつかないようですね。

ここで、②から③への結論を、「積極的に肯定する」とき、下人はどう考えるでしょうか。
「手段を選ばない以上は、おれは盗人になるしかないのだ」といったところでしょう。

下人は、頭では他に手段がないと分かっています。
しかし、盗人になるより仕方がないのを「積極的に肯定するだけの勇気がない」ので、手段を選ばないと「すれば」という段階に あえて止まっているといえます。

この「選ばないとすれば」というのは、どういう意味でしょうか。これは、他にいい手段がある「かもしれない」という希望だといえるでしょう。

しかし手段はないのです。「とすれば」はありません。すがりつく希望はないのです。

「かたをつける」とは、「盗人になるのを積極的に肯定する勇気をもつ」ことで、その希望を切り捨てることを意味しています。

まず、下人の思考の流れを押さえましょう。

①「どうにもならないことを、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はない」
②「手段を選ばないとすれば」
③「盗人になるより仕方がない」
ということですね。

「当然、その後にくる可き(べき)…」というのは、②の後に③となるのは自然な結論だ、というような意味です。

しかし、下人は「盗人になるよりほかに仕方がない」ということを「積極的に肯定するだけの、勇気が出」ないのです。そのために、「すれば」のかたがつかないのです。

下人は、「仕方がない」と...続きを読む

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参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101308314/qid=1121676665/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-5288702-4711556

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授業では、「龍之介は、なぜ「ある日の暮れ方」に設定したのか?」「下人に「面皰」をつけた理由は?」……などと、
言葉をひとつひとつ解釈しながら、『羅生門』を読み解いています。

そのなかで、特に疑問に思ったことがあります。
芥川龍之介は「火をとぼす」「火をともす」を意図的に使い分けているのだろうか、ということです。
また、ここから面白い解釈を導き出せないものでしょうか。


 第二段落、下人が楼の上へと昇るはしごの中段にいる場面。

●「それが、梯子を二三段上つて見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火を其處此處と動かしてゐるらしい。」

ここでは、「火をとぼして」と書かれています。
しかし、そのあとでは、

●「この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしてゐるからは、どうせ唯の者ではない。」
●「その老婆は、右の手に火をともした松の木片を持つて、その屍骸の一つの顏を覗きこむやうに眺めてゐた。」

「火をともして」「火をともした」と書かれています。


 先生にこのことを質問したところ、「自分も気になっているのだが、面白い解釈を導き出した論文はまだ読んだことがない」とのことでした。
単に、芥川龍之介が感覚的に言葉を使い分けたのだとも思うのですが、私には何らかの意図が隠されているような気がしてなりません。
「ともす」「とぼす」が全体のなかでどのように機能しているか、面白い解釈をお持ちの方がいましたら、ぜひ教えていただきたいです。
よろしくお願いします。

 高校一年生です。
現在、国語の時間で芥川龍之介『羅生門』を勉強しています。
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そのなかで、特に疑問に思ったことがあります。
芥川龍之介は「火をとぼす」「火をともす」を意図的に使い分けているのだろうか、ということです。
また、ここから面白い解釈を導き出せないものでしょうか。


 第二段落、下人が楼の上...続きを読む

Aベストアンサー

「私の話は思い切って問題が小さい」で始まる柳田國男の『鴨と哉』は貴方の疑問を考察する際の参考になると思います。この本の圧巻は、「も」から「な」に変わると言う一見大変小さい問題から出発し、m,n,b 等の変遷を通して、日本語の遠大な変遷を説得力ある形で論じているところにあります。

日本語では「も」が「ぼ」に置きかられるのは日常茶飯事に起こっております。芥川が単に筆の勢いで「も」と「ぼ」の違いなど気にせずに書いてしまった以上の言葉の芸術と言うものがこの裏に存在していると直感し、さらに、そのことが芥川のどこかの文章の構成から信号として送られていると、もし貴方がすでに直感的に気付いていると言うなら、そのまだ言葉になっていない直感を、幾つかの証拠を裏付けにしながら実証的に論じて、言葉に表していけば良いのではないでしょうか。

その際の要点は、あれっと思った一見小さいようなことから、柳田の例のように遠大なテーマが浮かび上がってくることです。ただ単にあれっと思ったことから「そんなの当然じゃないか」というような驚きのない小さい結論を導を出しただけだったら、「あっそう、ご苦労様、それで?」と言う反応が帰ってきてしまうかもしれません。また、実証の裏付けのない理屈で、単に引っかかっただけなのだが、こうも考えられる、ああも考えられると述べた所で、人を説得することは出来ません。

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蛇足ですが、これは皮肉に言っているのではありません。私はある分野の専門家ですが、学問のテーマとは、自分があれっと思った直感を、それが小さいからと言って捨て去るのではなく、今すぐにできるなら今実行し、時期が早すぎるようだったら、それを心に暖めて置い、それが膨らんでくるのを俟って置くべきです。その直感が核心をついている場合には、時と共にその直感が膨らんで行くものです。そして、好機が来たら一気に攻め込んでそれを完成させるというのが、学問の常套です。

「私の話は思い切って問題が小さい」で始まる柳田國男の『鴨と哉』は貴方の疑問を考察する際の参考になると思います。この本の圧巻は、「も」から「な」に変わると言う一見大変小さい問題から出発し、m,n,b 等の変遷を通して、日本語の遠大な変遷を説得力ある形で論じているところにあります。

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