この人頭いいなと思ったエピソード

大東亜戦争の目的の見方は様々だと思います。

戦勝国連合とされるアメリカサイドでは、日本のアジア侵略の阻止でしょう。

しかしながら、東京裁判でパール判事の発言の通り、
この戦争は起こるべくして起こったという見方もあります。
言いかえれば日本は巻き込まれたとも取れるのです。

開戦前に、ルーズベルト米大統領が戦争が起きないなら、
起こしてみせると発言したとの話もあります。

結果として、日本の大東亜共栄圏と云う目的が出来上がり、
事実上、それを達成しようと、アジア全般に存在する、
白人至上主義の根底にある、民族差別、植民地施策の排除を
進めて行ったと考えられます。

大戦は日本の無条件降伏という形で、終戦しましたが、
欧米国はアジアにおける、植民地施策という、500年もかけて、
構築した構造を手放すことになりました。

日本には「肉を切らして骨を断つ」ということわざがあります。
無条件降伏というのは肉で、植民地施策が骨と考えれば、
信の勝利者は違ってくるのではないでしょうか?

A 回答 (7件)

 失礼ながら少し勘違いをされています。


 貴兄の仰る構想は「大東亜共栄圏」でしょう。
ところが
(1)「大東亜共栄圏」構想は戦争遂行の中途から言い出された。
(2)この考えの主唱者(お名前を失念しました)は本気で日本の
支配地域をまわり、現地の人々の政権作り産業育成・人物教育
に力をそそぐとするがどの地域でも支配する日本軍は協力どころ
か彼の行動を危険視して妨害したそうですよ。何で観たか忘れま
した、申し訳無い。

※ つまり日本軍は本気で支配地域を「解放」しようとはしない。
 あくまで支配地域の物資調達と人々の使役にすぎない。インドや
東南アジアの各地で日本軍への感謝が残っているのは事実。でも
それは下級部隊や個人の兵による善行や戦後居残って独立運動に
加わった人たちへの感謝で、組織的な日本軍及び日本国家への感謝
ではない。

 勿論、欧米列強がアジア・アフリカで行った蛮行は許されない。
けれど日本が行ったことは欧米のまねをして自らの国力が欧米に
くらべて劣っている挽回としてより強引で残虐な行為をしたことを
消してはいけない。

 真の勝利者は欧米や日本の支配と戦い独立を勝ち取った
旧植民地の独立国だと思います。

この回答への補足

遅くなり申し訳ございません。

「インドや
東南アジアの各地で日本軍への感謝が残っているのは事実。でも
それは下級部隊や個人の兵による善行や戦後居残って独立運動に
加わった人たちへの感謝で、組織的な日本軍及び日本国家への感謝
ではない。」

とのことですが、

日本の敗戦後、独立した国家の中に、日本の教育勅語をそのまま、

引用して使用している国家や、制定憲法を、自国語、英語、日本語で明文化している

国家等、様々な国々が、様々な表現?で日本国に対して

感謝を表明しているのではないでしょうか。

補足日時:2014/04/17 10:39
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この回答へのお礼

貴殿のおっしゃる通り、

独立国かもしれませんね。

お礼日時:2014/04/17 10:41

一概に植民地といっても、その初期と末期では現地住民の地位はかなり違う。




初期は本国の商品を強制的に売りつけ、対価として植民地の富を奪いつくすものが多かったが、

すぐに植民地の経済が疲弊してしまった。

また、植民地に入植した西洋人も時代を経るにつれて、本国とのつながりは薄くなってくる。


そこで、懐柔政策がとられるようになり、現地人の待遇が改善され、生活や教育水準もあがる。

現地人の教育水準が上がると、現地人から総督府や東インド会社の職員、学校の教員になる人も出てくる。

そうなると植民地自体が、実質的に国家化してくる。

中には民族主義やナショナリズムに目覚め、国民国家として独立を望む集団も出始める。

しかし、独立しても植民地は宗主国に資源を売るしか外貨を獲得して、現在の経済水準を維持する手段がないので、

宗主国と完全に対立しても結局経済的に行き詰るので独立運動も盛り上がらない。


このころになると、本国も植民地から資源を奪っているのではなく、買っているのと同じになっている。

植民地の独立運動対策にコストをかけるより、

独立した新政府が本国が植民地にいままで投資した資本や株式を保護する条件で、

植民地の自治や独立を認めてもいいという考えが本国に広まる。


しかし、入植した西洋人は、自分たちの地位が現地人に奪われる上、

本国に帰っても居場所がないので独立には反対する。


結局最後は、植民地はほとんど全部独立してしまった。

日本軍が解放したから?


いや、違う。日本軍に占領されなかったインドも、パキスタンも独立をなしとげた。

植民地が実質的に国家化していたので、遅かれ早かれ、独立は避けられなかったから。

しかし、植民地が独立する際に本国がこれまで投資した資本の帰属や、

入植者の地位問題から、いくつかの独立戦争は起こっている。

でも、独立後は旧宗主国との関係も良好なのをみれば、植民地主義は実質的に終わっていた。


われわれ日本人が忘れてはならないのは、東南アジアの植民地は実質国家化していたということ、

よって植民地の独立は遅かれ早かれ避けられなかったこと

日本が東南アジアを占拠したのは対米英長期戦を戦う資源を確保するためで、

その占領は植民地解放というよりは植民地支配初期と似ていること

占領期に東南アジアに払った軍票は敗戦で無効になってしまったこと

戦後の経済援助やODAは無効になった軍票の代償の側面もあること

彼らが日本に最も感謝しているのは戦後の経済援助だということ
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この回答へのお礼

反論で申し訳ありません。

貴殿の記述の中で、
「でも、独立後は旧宗主国との関係も良好なのをみれば、植民地主義は実質的に終わっていた。」
では、アフリカ大陸を対比にお考えください・
彼らからすれば同じです。

「よって植民地の独立は遅かれ早かれ避けられなかったこと」
その独立が未だ出来てない国があります。
独立の足がかりを付けたのもインドのチャンドラ・ボーズ氏の声明が表す通りです。

「日本が東南アジアを占拠したのは対米英長期戦を戦う資源を確保するためで、
その占領は植民地解放というよりは植民地支配初期と似ていること」
植民地支配初期は原住民は自由に生活してました。まったく違います。
当然資源確保は最重要課題になります。米国によるABCD包囲網で日本は死活状態です。
アジアの全ての植民地が独立する時に遭遇する事態です。

「占領期に東南アジアに払った軍票は敗戦で無効になってしまったこと」
これ、良く解りませんが、責任はどこにあるのでしょうか?日本の行動を支持して、
独立を希望した人々が、日本を責めるでしょうか?

「戦後の経済援助やODAは無効になった軍票の代償の側面もあること」
事実確認ができません。
朝鮮半島、中国の国内に、正しい情報発信をしてない国には感謝されてますが。

「彼らが日本に最も感謝しているのは戦後の経済援助だということ」
それは、中韓の事だと思います。

大東亜戦争の戦没者記念碑が両国以外では建立されております。
それは、「ありがとう」と云う意味です。

長文、申し訳ございません。

お礼日時:2014/03/21 10:34

でも、当時の日本は欧米に比べて時代遅れの考え方で、欧米が帝国主義から民主主義に変わろとしていた時に、帝国主義を推し進めてた訳で、相当な時代遅れです。

日本の考え方より、欧米の考え方が相当進んでる事も分かってない、負けパターンですよ。戦国時代の負けた、時代遅れの大名にソックリですけど。
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この回答へのお礼

反論で申し訳ありません。

当時日本が欧米に思想が遅れてると言うのは、
現代においては違和感があります。
現代における価値観であって、
この価値観は時代とともに変わると思います。

勝ちパターンというのは植民地施策、奴隷制度を指すものと考えます。
負けパターンは奴隷、植民地の当事者の事のように見えます。

当時、日本は、まだ武士道の世界です。
その思想を凌駕、若しくは超越した、崇高な思想は世界に」見当たりません。
当時の武士道は、民主主義でもなく帝国主義でもなく共産主義でもありません。
世界最古の武士道です。

武士の存在は西暦約600年以降で1600年の歴史が在ります。
その次が、騎士道で800年程の歴史です。

因みに第二次大戦開戦当時、
現在の世界最大の軍事国家米国は、
軍事力に於いて日本より下でした。

安土桃山時代の日本に於いても世界最大の軍事力でした。

そういう時代の流れと共に価値観は変わると思います。
現代に於いて、何が負けでいうのも、何が勝ちというのも、
無意味であるように思えます。
只、当時の日本はと考えます。


長文申し訳ございません。

お礼日時:2014/03/21 09:42

基本的に、大航海時代の出来事で海賊の冒険により、陸地を発見して金を求めて資源を求めた活動だった。

アフリカ大陸では奴隷、アメリカ大陸では金、ユーラシア大陸では技術者、アジアは複合ですかね。欧米には、立法統治があり、アジアでは悟り統治をしていた。中国では、嘘の文民統制で、日本は、島国の特徴から歴史統制で民族が残った。どんな学問にも歴史があり歴史を知らなければ身につかない。常識の元のようなものです。嘘は、これを必ず壊してくるので、外敵から身を守る基準として正しかった。
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この回答へのお礼

ちょっと意味が深すぎて結果オーライの感があります。
スミマセン。

お礼日時:2014/03/21 08:05

帝国時代は、いわゆる戦国時代なので、日本の戦国時代のように、勝つ側につかないとダメです。

信長時代の浅井、朝倉や、秀吉時代の北条。家康時代の、毛利、上杉みたいな事してると、お国がつぶれます。凄く簡単な理屈で、道を誤ってます。戦後は勝つ側、西側に付いたので、繁栄しました。答えは簡単で、将来主流になる勝つ側陣営に入ってれば繁栄し、逆だと衰退します。今の所、アメリカ、EUが主流で、ロシア、中国は主流ではないので、アメリカ、EUに同調してれば、安全性が高いです。・・・大東亜戦争の戦勝国はアメリカで、敗戦国は日本です。細かい理屈は本当は関係なく、どっちが正しいも関係なく、どっちが主流になるかです。
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この回答へのお礼

どちらが、主流か、正しいかではなく、
自国の利益、信念、等に基づいて、
決めたことを推進できるかどうかだと思います。

当時の日本にはそれがあったのだと考えます。

日本国内の内戦と対戦は同次元では語れないような気がします。

お礼日時:2014/03/21 08:02

    僕はこう言う事はド素人なんですが、在米で経験した事を二三。



1。  コンピュータが不具合になる。アドバイスというかオンラインで、チャットしながら修理をする。その時電話に出るのは、在インドのコンピュータ専門家である。

2。  水道屋のメーター読みは、アメリカ人が月末に来ていた。それが今では全然来ない。聞けばスマートメーターとか言うものに取り替えて、アジアのある国がリモートで読み、アメリカ人は解雇された。

3。  航空機会社のマイレッジなんとかと言う、お得意ボーナスの得点について、時間のかかる問い合わせをすると、電話はフィリッピンにまわされ、明らかに東洋人と分かる癖のある英語で応対される。

4。  アメリカの病院に入院すると、医者や正看護婦(レジスタードナース)は白人、准看護婦とか看護助手はフィリピン人で、准看詰め所はタガログ語しか通じないほど。

5。  一流の家電メーカーとして、かつては世界を風靡したあるアジアの会社は、今ではアメリカのコンピュータメーカーの下請けとなり、以前通り汗水垂らして働くが儲けは外に吸い取られている。

   というと、大東和戦争の結果、国別の植民地化は減速したが、地図に見えない白人優越組織はむしろ、加速しているようにも見えます。

    植民地化を食い止めた国も、若者の「語学留学」と言う、英語を世界語にしようとする一端を担がされ、売った車の代金を返し、アメリカの ATM 扱いにされているような気配もあります。

    ド素人の寝言でした。   
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この回答へのお礼

彼の大戦では大敗したのですから、
日本の考える理想郷は出来ておりません。

貴殿の言われるような事案は多々ありと思います。
しかし、奴隷制度と植民地施策に比べれば、
雲泥の差ではないでしょうか。

お礼日時:2014/03/21 07:58

”戦勝国連合とされるアメリカサイドでは、日本のアジア侵略の阻止でしょう。


    ↑
これはちょっと違うと思います。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。



”開戦前に、ルーズベルト米大統領が戦争が起きないなら、
起こしてみせると発言したとの話もあります。”
     ↑
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」


”日本の大東亜共栄圏と云う目的が出来上がり、
事実上、それを達成しようと、アジア全般に存在する、
白人至上主義の根底にある、民族差別、植民地施策の排除を
進めて行ったと考えられます。”
    ↑
私は、これを集団的防衛圏を造ろうとしたものだと
思っています。
伊藤博文は上海に行ったとき、奴隷のようにこき使われる
中国人を眼にして、祖国防衛に目覚めたといいます。

アジア全部が欧米の植民地になって
しまう。
このままでは日本もこうなる。
しかし、日本一国ではとても欧米に対抗できない。
だから防衛圏をつくるしかない。


”日本には「肉を切らして骨を断つ」ということわざがあります。
無条件降伏というのは肉で、植民地施策が骨と考えれば、
信の勝利者は違ってくるのではないでしょうか?”
    ↑
そういう見方も出来るかもしれませんが、日本にそれだけの
崇高さがあったのか、少し疑問です。
自国の防衛の為に利用しようとした、と私は考えています。
その一環が、台湾であり日韓併合です。
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この回答へのお礼

開戦の要因については、米国側からの正規の考えなので、
戦争が必要だからでは通らないと思います。

そこには本音と建前が、巧妙に共存していると思います。

防衛圏とい考え方もあるとすれば、
第一次大戦後に、インドのチャンドラ・ボーズと、
共闘して英軍と戦ったのは、余りにも遠すぎるのと、多面的な敵を、
相手にしなければなりません。
当時の日本には、無謀すぎる挑戦のように思えます。

当時の日本には、おっしゃる通りの崇高さが、存在していたのだと考えます。
でなければ、このような多面的な戦争展開をしないと思います。
山本五十六をもってして、この戦争は、18ヶ月は継続可能と言わしめました。

そのような、状況下では台湾、香港、朝鮮半島の統治で、
シーラインが守れる様にするのが最善の防衛だと思います。
それは、第一次大戦でほぼ成功しています。
それでも尚、戦火を拡大したのは、米国の経済封鎖がきっかけですが、
アジア各国を独立させ、日本と同盟を結べば、資源の確保が可能になり、
日本の防衛の必要はなくなります。

インドネシアは日本の協力で独立を果たしています。
未だに教育勅語を使用している学校もあります。
比国も米国から完全に独立しました。
欧米諸国から、完全に独立出来なかったのは、インドだけだと思います。

日本は独立の手助けをしているのです。
制度構築に500年もかけた植民地施策を崩壊させたんです。

因みに、第一次大戦後に、日本は国際連盟総会で、人種差別の撤廃を動議しています。
豪国の退出、米国、ロシア、仏蘭西等白人至上主義の国の反対に合いましたが、
賛成多数で可決しております。しかし、
全会不一致という訳のわからない理由で却下されました。
このような案件を見ても、世界に先だった崇高な思想が存在し、
それを実行したのではないかと考えます。

長文すみません。

お礼日時:2014/03/21 07:54

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